恋はしないと決めた矢先に、半ば強制的に彼氏ができそうになる
ロキ様は長い間部屋から出ていない。
けれど、ヴィオニス様や巫女様とは戦っている筈よね。
ロキ様を封印したから、ヴィオニス様たちは魔王討伐の旅から帰ってきたのだし。
「あの……ロキ様は、魔王として、立派に働いておりますわ。私にはよくわかりませんけれど、国を維持して、それから、人と争わないように、巫女様が現れた時、皆に危害が及ばないように、対処しているのでしょう?」
「そのことについてなのですが、アンジュさん」
アルジェドさんが悩ましそうに、眉を寄せた。
「巫女とは本当に存在するのかと、不思議に思っていたのですよ」
「巫女様はいらっしゃいます。だから私は、ロキ様の元に来たのです」
「まぁ、そうなのでしょうね。……ただ、私たちとしてみたら、……そうですね、なんと言えば良いのか。はるか昔にロキ様が、虚無が広がる空間に、新しい世界を作りました。私たちはそこに移り住み、今は世界は閉じています。つまり、アンジュさんの存在は、私たちの世界にとってはイレギュラー、ということなのですよ」
「ごめんなさい、意味がよく分かりませんわ」
「アルジェド。アンジュちゃんは今、ここにいる。そんな話はしなくて良いよ。混乱させるのは、やめて」
ロキ様がアルジェドさんを睨んだ。
プリシラさんがつまらなさそうに、指先でくるくるとグラスの中のお酒をかき混ぜたあと、良いことを思いついたような顔で私をじっと見つめてくる。
プリシラさんの蠱惑的な瞳が、私を悪戯っぽく覗きこんで、私は頬が勝手に染まっていくのを感じた。
「つまり、アンジュさんの国に、別の世界から巫女が来た。それと同じで、俺たちの国に、別の世界からアンジュさんが来た、という感じですね。……アンジュさんの場合は、巫女ではなくて、ロキ様のハウスメイドのようだが」
フィアセスさんの補足で、アルジェドさんの言っている意味がやっと理解できて、私はこくんと頷いた。
会話に飽きたらしいプリシラさんが、チーズを生ハムで巻いたものを私の口に突っ込み始める。
ぐいぐい押し込まれる一口大の生ハムチーズを、私は仕方なく口に含んで、もぐもぐと咀嚼した。
「世界とか、巫女とか、どうでも良いわよね。アンジュちゃん、遠慮しないで食べてね。美味しいでしょ、ここの料理。ここはフィアセス様のお店なんだけど、フィアセス様は筋肉と美食に目がないから、お酒だけじゃなくてご飯も美味しいのよ」
「は、はい」
「ほら、これも食べて? これは豚バラトマトの串揚げ」
「くし、あげ……?」
「それとも、海老の天ぷらが良い? 焼き鳥が良い? 焼き鳥は良いわよ、タンパク質が豊富だし、糖質が少ないし」
「やきとり?」
「可愛いわね……ロキ様、アンジュちゃんのこの可愛い反応を、独り占めしているのね? それにアンジュちゃんが来てから結構経っているでしょ? それなのに、まだ串揚げも天ぷらも、焼き鳥も食べさせてあげてないの? 何をしてるの、ロキ様。一体日々何を食べているの?」
「プリシラさん、コンビニという便利な場所に、ご飯が売っておりますのよ。私は、しゃけのおにぎりが好きです」
「なんですって……!」
プリシラさんがショックを受けたように、口元に手を当てる。
それから縋るような視線を、シルベールさんに送った。
「どう思う、シルベール?」
「駄目ですね。駄目駄目です。メイド服を着せる趣味はあるのに、食事はコンビニですませて狭い部屋に住まわせるなど、偏執的にも程があります。どういう嗜好なのですか、ロキ様。裕福な者をあえて赤貧な環境にして貶めることに、ときめきを感じるのですか?」
シルベールさんが、肩をすくめながら言う。
「やはり、長年独り身を拗らせると、どこかに歪みが……」
「ロキ様、アンジュさんは恋人ではないのですよね? かえって不健全ではないかと、俺は思いますが」
アルジェドさんは長い袖で口元を隠し、フィアセス様は悲しげに表情を曇らせた。
ロキ様は不機嫌そうに、グラスのお酒を一気に飲み干した。
「僕とアンジュちゃんは、今の所穏やかに平和な日々を送っているのに、どうしてそうなるのかな」
「でも恋人ではないんですよね」
「恋人にする気もなく、メイドとして扱い続けるおつもりということですよね」
「狭い部屋で、ろくに外にも出ずに」
シルベールさんとアルジェドさん、フィアセス様が顔を見合わせる。
「恋人にするつもりもないのに、アンジュちゃんの自由を奪うのね、ロキ様?」
プリシラさんが私の口の中に、串揚げというものをぐいぐい突っ込みながら言った。
トマトの酸味がはじけて、お肉の風味が広がる。とても美味しい。
「そうやって、物事をすぐに恋愛に繋げたがるのは、どうかと思うよ。アンジュちゃんはまだ十七歳なんだよ?」
「十七歳は、アンジュさんの世界では十分に大人でしょう」
「まぁ、ロキ様がそう思うなら、それでも良いです。けれど、お二人が今のまま共に暮らすというのは、賛同しかねます。何せアンジュさんは愛らしい。愛らしい上に、珍しい。希少な人間の女性です」
「……アルジェド。どういうつもり?」
「失った恋を埋めるのは、新しい恋とも言いますね。アンジュさん、私と、アルジェド様、フィアセス様。見た目の好みで言えば、誰が好きですか?」
シルベールさんに尋ねられて、私はどうして良いか分からずに、数度瞬きを繰り返した。
それからロキ様に視線を送る。
ロキ様はなんとも言えない表情で、私を見ている。
私は--
「それではアンジュさん、全員と一度ずつ、デートをしてみましょう。それで、一番好みの男性と付き合う。それが良いですね」
答えられない私をみかねたのか、フィアセス様が、にこやかに言った。
「え、ええと」
どうしてそうなるのかしら。
皆、優しそうだし、素敵な男性だと思うけれど。
そういえばロキ様は、魔族は人間に優しいと言っていた気がする。
ロキ様も他の方々も、珍しくて物を知らない私を、愛玩動物のように思うのだろう。
この世界にとって私は、異世界から来た巫女様と同じ。
つまり皆が私に優しくしてくれるのは、巫女様に、皆が優しくしていたのと同じ。
「最初は、俺が良いな。俺と一度デートしたら、他の男など目に入らなくなる。つまり、アンジュさんは明日には俺のものになるということだ。良いですよね、ロキ様。恋人ではなく、恋人にする気もないのなら、俺が貰っても?」
口調は優しいのに、フィアセス様が急に肉食獣のように見えて、私は身をすくませる。
ロキ様は腕を組んで、深く息を吐いた。
「アンジュちゃん……フィアセスと、付き合う?」
「よ、よく分かりません。私、フィアセス様のこと、よく知りませんし」
「僕の側にいるよりも、フィアセスの方がずっと、アンジュちゃんを幸せにしてくれると思う」
「ええ、それはもう、幸せにしますとも。主の大切なアンジュさんを傷つけるような真似はしません」
「それなら、良いんじゃない? アンジュちゃんが、よければ」
「……私は」
私は、どうしたいんだろう。
今この場に来ることを選んだのは私だ。
それなのに、何か違う。ちくちくと、胸が痛い。
ロキ様が要らないと言ったら、一人で生きていく?
恋人を作って良いと言われて、こんなに、痛いのに。
私は俯いた。
俯くと、フィアセス様の快活な笑い声が、響き渡った。
「俺としては、こんなに悲し気な女性に、無理やり手を出すようなことは避けたいですね。まぁ、アンジュさんがロキ様を嫌うことがあれば、いつでもその心算はできていますが」
フィアセス様が、楽しそうに笑っている。
「お互いどういう感情を抱いているのか、こんなに分かりやすいのに、一体何をためらっているというのです。ロキ様、そのように不機嫌な顔をして、いつまでハウスメイドだと言い張るつもりですか」
アルジェドさんが呆れたように言った。
「馬鹿馬鹿しくなってきましたね。姉さん、今夜は朝まで飲みましょうか」
「良いわよ、付き合ってあげるわよ、可愛い弟のためだもの」
シルベールさんとプリシラさんが顔を見合わせる。
ロキ様は、私の手をとって立ち上がった。
小さな声で「帰ろう、アンジュちゃん」と言うので、私は皆さんに会釈をして、席を立った。




