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管理人のアルジェドさんは水妖族



 私はささっとメイド服に着替えた。

 今日は茶色で、スカートの長い飾り気の少ない、メイドらしいものを選んだつもりだ。

 長い髪を顔の横で二つにしばり、透け感のある膝上までの靴下をはく。

 浴室の脱衣所で朝の身支度を調えた私は、ロキ様の元へと戻った。

 戻ると――そこは、いつもの狭い部屋ではなくなっていた。


「あれ……?」


 キッチンはいつものキッチンだったのに、その先には見慣れない空間が広がっている。

 石造りの室内には、立派な柱が何本も並んでいる。

 蝋燭の炎が揺れる燭台が壁にいくつもあり、薄暗い室内を照らしていた。

 中央には豪奢な赤い絨毯がある。

 金色の縁取りで飾られた絨毯は長く、その先の祭壇のような場所まで続いている。

 祭壇の上には立派な椅子がある。

 どうにも――私にとっては馴染み深い、玉座の間、を彷彿とさせる作りの部屋だった。

 その玉座には、ロキ様がだらしなく座っていた。

 ロキ様の横にはアルジェドさんが立っている。

 私は恐る恐る、絨毯の上を歩いてロキ様の元へと向かった。

 いつもなら一歩か二歩歩けばロキ様の隣に到着するのに、絨毯は長く、距離が遠い。

 想像通りの魔王様の玉座――といった様相だけれど、どうにも違和感がある。

 一歩歩くごとに、息が詰まるような錯覚を覚える。


「……あの、ロキ様」


「アンジュちゃん、今日も可愛い……」


 ロキ様の前まで辿り着いて、祭壇の下から高い位置にいるロキ様を見上げた。

 だらしなく大きな椅子に座っていたロキ様は、私を見てふにゃりと相貌を崩した。

 良かった。いつものロキ様だ。

 一瞬――この数日間は、夢か何かだったのではないかと、思いそうになってしまった。

 私はこの場所に辿り着いて、自らの血をロキ様に捧げた。

 命を失う間際に、ロキ様と狭い部屋で穏やかな暮らしを送るという、不可思議な走馬灯を見ていたのかと思ってしまった。


「お部屋が、変わっておりますわ」


 私はぐるりと部屋を見渡しながら言った。

 見れば分かることだけれど、他に尋ねることが思い浮かばなかった。


「ええ。変わりましたとも。単身用アパートで、恋人、もしくは夫婦の同居は契約違反です」


 アルジェドさんが腕を組みながら答える。

 特に怒っている様子はないのだけれど、やや威圧的な雰囲気がある。声音が平坦で、あまり感情がこもっていないように聞こえるからかもしれない。


「よって、今後についての話し合いを行うため、私の部屋にお二人を案内したわけです」


「ここは魔王城ではありませんの?」


「ここはメゾンド魔界村の管理人室、つまり私の部屋です。アパートの一階にあります。ロキ様の部屋のキッチンの扉を、私の部屋に繋げました。アンジュさんが更衣をしている最中に」


「ええと、ロキ様のお部屋と、ずいぶん雰囲気が違いますわ」


「ロキ様は変わり者でいらっしゃいますので、わざわざあのように狭苦しい独房のような場所に、部屋を作り替えているのですよ。管理人兼側近の私や、他の者たちの部屋は、もっとまともです」


 私は絨毯の上に立ちすくんで、あらためてぐるりと部屋の様子を見渡した。

 玉座がひとつきり置かれた、広いばかりの場所である。

 管理人室というか、やっぱり魔王城の玉座の間にしか見えない。


「全世界の六畳間に謝って、アルジェド。アルジェドには、六畳間の無駄の無さが理解できないんだよ」


 ロキ様が軽く指を振ると、私の体がふわりと浮かび上がる。

 気づけば私は、ふかふかの赤いソファの上に座っていた。


「アンジュちゃん、似合う、可愛い」


 ソファに座った私を満足げに見つめて、ロキ様がにこにこしている。

 そんなロキ様を、アルジェドさんは冷めた目で見つめた。


「ロキ様の狭い部屋には、アンジュさんに大層お似合いの、ソファさえ置くことができませんよね。どこあたりが無駄がないのです」


「あんまり動かなくても、必要なものに手が届くところとか、部屋が狭いからアンジュちゃんがいつもすぐ近くにいるところとか」


「ロキ様、このような服を着せて、メイドの真似事をさせて、狭い部屋で二人きりでいることを望むなど、どこで何を拗らせてしまったのかはしりませんが、変態の極みなのでは?」


「メイド服についてはさておき、生存確認は大切でしょう、人間は脆いんだから。ね、アンジュちゃん」


「私はそれほど脆くはありませんわ。今日も元気です」


 私は両手で力瘤を作ってみせた。

 袖が長いので多分見えなかったと思うけれど、元気そうには見えただろう。


「……つまり、私はお二人を恋人だと思っていて、アンジュさんはメイドだと言い張っていて、ロキ様は……アンジュさんを愛玩メイドだと思っている、ということですね」


 アルジェドさんは、ひとつひとつを確認するように言った。


「僕だけ認識がおかしい」


「ともかく、ここは魔王城あらため、単身用アパートです。二人暮らしをするなら、私の許可が必要です」


「……あのね、アンジュちゃん。このうるさいのは、アルジェド。僕の部下。昔は側近とか言われてる立場だったけど、今は暇潰しでアパートの管理人をしているんだよ。ちなみに水妖族で、不法侵入が得意」


「すいようぞく」


「くらげみたいなものだね」


「くらげ」


「ええ、そう思っていただいて構いません」


 私はくらげを想像した。

 くらげとは、ふわふわしている、きのこみたいな形をした海の中にいるもの。

 アルジェドさんは特に否定しなかった。

 確かに水色の長い髪がくらげに似ている気もする。


「今でもロキ様の側近です。ですが、ロキ様がこんな様子なので、今は趣味としてアパート経営と、水族館の経営に勤しんでいます」


「それで、管理人さん、ということですのね。たんしん用アパートとは、どういうことですの?」


「ロキ様が言ったんですよ。たくさん魔族が住むのは騒がしくて嫌だから、そうしてほしいと。単身用とは、一人用住居のことです。恋人や家族とは共に住んではいけません。そういう決まりです」


「じゃあもう良いよ、単身用じゃなくても」


「自分に恋人ができたからといって、都合が良すぎませんか?」


「そもそもどうして僕が作った街の中にある僕が作ったアパートに住んでるのに、うるさく言われなきゃいけないのか、疑問なんだけど」


「決まりは決まり。この世界はそういう決まりになっています。アパートでは家賃を払う。単身用から、ファミリー用にアパートを変えるとしたら、家賃の値上げを求めます」


「いや、別に良いけど」


「それでは、今月からロキ様の部屋の家賃は、月々二十万円ということで」


「六畳なのに?」


「手を打ちましょう」


 アルジェドさんは「六畳にしているのはロキ様の趣味でしょう」と言って、嘆息した。


「ところでアンジュさん。プリシラからあなたの事情は聞きました。ロキ様から、アパートをファミリー向けにして良いという許可が出たことで、私も他の側近たちも、堂々と恋人と暮らせるようになりました。これは、つまり」


「つまり?」


 一体何の話なのかしら。

 私が首を傾げると、ロキ様の隣にいたアルジェドさんが、ドロリととけるようにしていなくなる。

 次の瞬間、私の目の前に水溜りが生まれて、そこからアルジェドさんがぬるりとはえてきた。

 確かに、なんとなく、くらげに似ている。

 とける時と現れる時に、半透明になるからかもしれない。


「アンジュさん。あなたは私たちと、合コンをする必要があります」


「ごうこん……?」


「絶対に駄目」


 そっと私の手を取るアルジェドさんの手を、いつの間にか至近距離に現れたロキ様が、慌てたようにぱしんと払った。



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