単身用アパート契約違反
目覚めると、床から見知らぬ男性の顔がはえていた。
私はお布団の中でぼんやりしながら、数秒、畳の中からはえている首から上の顔と目を合わせる。
「う、ぇ……」
奇妙な声が漏れた。
昨日、アンデット愛憎サバイバルドラマを見たせいで、悪夢を見ているのかもしれない。
床からはえている男性は、水色の長い髪と白い肌をもった、眉目秀麗な顔立ちをしている。
神秘的な紫色の瞳が、じっと私を見ている。
どことなく、咎めるような視線だった。
「ロキ様は、まだ寝ているのですか?」
生首が喋った。
「ね、寝ています……」
「あなたは?」
「ロキ様にお世話になっている、アンジュ……ただのメイドの、アンジュです」
どことなく水辺を想像させる涼しげな声音に尋ねられて、私はおずおずと返事をする。
寝起きで頭がまだ働かないせいか、恐怖も薄い。
寝起きというか、まだ夢の中にいるのかもしれない。悪夢なのに、生首さんはかなり理知的な会話ができるようだ。
「ただのメイドのアンジュさんは、どうやら人間の女性ですね」
ぬるりと、生首の横に今度は長い指がはえる。
その指で畳を掴むようにして、男性は体をにょきりと床から引き抜くように、腰のあたりまで現れた。
生首ではなくなった男性の体は、どことなく水気を帯びているように見える。
多分、半透明だからだろう。
足先まですっかり抜き出して部屋の中に現れると、水気を帯びているように見えた半透明の体が、実態を持った。
透明ではなくなると、幽霊などでははなく、ただの男の人に見えた。
すらりとした体つきで、男性にしてはどちらかといえば小柄な方なのだろう。
それでも私よりは大きいのだけれど。
首の大きくあいたゆったりとした黒い服、首元は豪奢な宝石の首飾りで飾られている。
袖にたっぷりとした布が使われた黒い服には、金糸で繊細な刺繍が施されている。
長い髪は艶々で、爪は長く、赤い。
この男性は、多分、かなりのオシャレさんだ。
それだけは理解できた。
男性は、お布団にくるまる私の目の前にある低いテーブルの横に、姿勢を正して膝を折り曲げて座っている。
「ただのメイドのアンジュさんが、主と同じ寝具で、太陽が昇りきってすでに真昼の直前、午前十一時まで眠っているのですか」
ぬるっとはえてきた元生首の男性に怒られた私は、はっとしてお布団からがばっと起き上がろうとする。
午前十一時。
どう考えても、眠りすぎよね。
昨日、夜更かししてしまったせいだ。メイドとして働く決意を新たにしたばかりなのに、一日目から失敗してしまった。
起き上がろうとしたところで、腕に体を抱き込まれて、私はお布団の中に引きずり戻された。
「……不法侵入で訴えるよ、アルジェド」
私を抱きしめてお布団の中から顔を出したロキ様が、平静よりも低い声で言った。
どうやらこれは夢ではないらしい。
男性はロキ様の知り合いのようだ。
この世界には魔族の方々しかいないので、当然男性も魔族なのだろう。
だとしたら、突然床からぬるりと現れるぐらい、造作も無いことなのかもしれない。
びっくりするので、できれば玄関からお部屋に入ってきて欲しいと思う。
「ロキ様、文句を言いたいのはこちらです。ロキ様が五億年ぶりに彼女をつくったとプリシラに聞いたものですから、覗きに来てみれば、愛玩ハウスメイドとは。どう考えても契約違反です」
「なんて人聞きの悪い言い方を……! アンジュちゃんはそんなのじゃないから。そういう、穢れた目で見ないでくれる?」
「恋人ではないのに、一緒の寝具で寝る。どちらが爛れているのですか、ロキ様」
「不法侵入した挙げ句、朝からうるさいよ、アルジェド。今後は誰も侵入できないように、結界張っとこうかな」
「駄目ですよロキ様。それも契約違反です。ここは単身用アパート。単身者の楽園。恋人をつくるのは良いですが、恋人を部屋に連れ込んで、一緒に住むのはいけません。結界もいけません。入居者が部屋で問題を起こした場合、取り締まりができなくなります」
「……せっかく気持ち良く寝てたのに、本当にうるさい」
私を挟んで、ごろごろお布団に横になっているロキ様と、アルジェドさんという方が言い合いをしている。
とりあえず、私は寝起きだ。
寝起きのままのだらしのない姿を、ロキ様以外の方に見せるわけにはいかない。
ロキ様に見せるのは良いのかという話になるのだけれど、これはお部屋がひとつしかない上に、一緒に暮らしているので仕方ない。
私は、ロキ様の腕の中で身じろいで、ロキ様のゆるっとした白い服を引っ張った。
「ロキ様、着替えをしたいので離してくださいまし。寝坊してしまいましたわ。ごめんなさい」
「良いんだよ、アンジュちゃん。いつまででも寝ていて構わない。あったかくて可愛いアンジュちゃんのお陰で、よく眠れたのに、邪魔しないでくれるかな、アルジェド」
「狭い部屋で、平べったい寝具で、そのような情けないお姿。どういうおつもりですか、ロキ様。私が女だったら、百年の恋も冷めますね」
「アルジェドは男だし、僕もアルジェドが相手とか、嫌だし」
「奇遇ですね、私もです。ロキ様、ここは独房ですか。それとも無菌室? どれだけ白が好きなんですか、ロキ様。今日も全身真っ白じゃないですか、白血球の類いですか」
「うるさい、アルジェド、うるさい」
ロキ様は私を抱きしめながら、深い溜息をついた。
ついでのように私の髪に顔を埋めて「アンジュちゃん今日も良い匂い」などと言った。
別に嫌とかではないのだけれど、人前でそのようにされると、とても恥ずかしい。
昨日――なんだかとても、切ない気持ちになった気がするのだけれど、感傷に浸っている暇も無い。
「メイドというのは、人と魔族の認識の違いなのですか? アンジュさんは、やはり恋人なのでは?」
「メイドです」
「メイドじゃなくて、僕の……なんだろ。娘?」
ロキ様は、恋人もメイドも否定した。
少しだけロキ様の言葉に期待してしまった私は、愚かな自分について、心の中で反省した。
期待してはいけない。
そもそも――恋は、してはいけないのだ。
私は多くの人々を傷つけようとした、最低な、罪人なのだから。
「一般的な父親は、年頃の娘を腕に抱いて、良い香り、などと言わないものです。変質者ですか、ロキ様」
「ロキ様は私のお父様ではありませんわ。だから問題ありません」
「つまり、アンジュさんはメイドとして、ロキ様にそのように触れられても問題ないと思っているということですね。……正直におっしゃい。どう考えても、恋人でしょう」
「それは、違うのです。ともかく、私は着替えてきますね」
アルジェドさんは、とても冷静な口調で、私たちの関係を恋人と定義づけようとする。
私は少し居心地の悪さを感じて、ロキ様の腕から抜け出すと、着替えをするためにクローゼットから衣服を取り出して、脱衣所に向かった。
脱衣所に向かう私の背後で、立ち上がったアルジェドさんが、ロキ様を無理矢理お布団から引きずり出していた。




