世界征服終了記念パーティー
夕暮れの街から、いつものアパートに戻った私たちは、『世界征服終了記念パーティー』を行うことにした。
コンビニで購入した手のひらサイズのケーキと、からあげというものと、肉まんと、サラダと、おにぎり。
ひとつひとつ説明しながらロキ様がテーブルに並べてくれるのを、私はうんうんと頷きながら聞いていた。
今日は無事にお風呂掃除をすることができたので、すでに私たちは入浴済みだ。
ロキ様は「アンジュちゃんは何にもしなくて良いんだよ」と言って甘やかそうとするのだけれど、掃除と洗濯は私の仕事にすることにした。
何もせずにご飯を美味しく食べてばかりいたら太ってしまうし、お風呂掃除は良い運動になる。
今日は自分でドライヤーを使って髪を乾かした。
そのまま寝てしまうという失態をせずにすんで良かった。
昨日たっぷり眠ったせいか、そこまでの眠気は感じなかった。
部屋の天井にある丸いランプに明かりがともっている。
帝国のランプは橙色でやや薄暗いのだけれど、ロキ様の部屋のそれは白いあかりが部屋の隅々まで照らしてくれていて、昼間のように明るい。
ロキ様は濡れた髪の毛をオールバックにしていた。
いつもだらしなく目にかかっている髪が無くなっただけで、別人のようだ。
綺麗な顔をしている気がしていたのだけれど、やっぱり綺麗だった。
白い肌と、高い鼻梁。切れ長の瞳は灰色で、唇は薄い。
なんとなく落ち着かない気持ちになって、私はそっと視線を逸らした。
お布団は畳まれていて、テーブルの斜向かいに、ロキ様は畳の上に直接坐っている。
テーブルの上にふわふわ浮いていた球体の街は、今はテレビ台の端に置かれていて、遠目にはスノードームにしか見えない。
けれど――その中では、相変わらず平穏に、人々が暮らしているようだった。
球体の中の人々は、私が球体を覗き込んでも、私の存在には気づかない。
きっと自分たちが小さな球体の中で暮らしていることにさえ、気づいていないのだろう。
「アンジュちゃん、今日は世界征服終了パーティーだから、好きなものを好きなだけ食べて良いよ。僕のケーキも食べる?」
ロキ様がお皿にのったケーキを私の方へ二つも置こうとするので、私は首を振った。
「一つで十分ですわ。お心遣い、ありがとうございます」
甘い物は、どちらかといえばあまり好きじゃない。
嫌いじゃないけれど、沢山食べたいとは思わない。
「そう? 遠慮しないでね。おにぎり食べる? 美味しいよ」
「ええと……とりあえずサラダを」
ロキ様はにこにこしながら、テーブルの上のご飯をぐいぐいと私に薦めようとするので、私はひとまず透明な器に入ったサラダを食べることにした。
お野菜は大切である。
コンビニから帰ってきてから、ロキ様は妙に上機嫌だ。
私が世界征服を諦めたことが、そんなに嬉しいのだろうか。
「うん、良いよ、開けてあげるね」
「自分でできますわ」
「良いから良いから」
ロキ様は透明カップの蓋を開けて、サラダに小袋に入った液体をかけると私の前においてくれた。
白くて軽いフォークを渡されて、私はありがたく受け取った。
野菜を口に入れて、サクサクと噛む。
チーズとクリームが混じったような味がする。野菜自体の味は帝国のものと変わらない。
ロキ様は黒くて四角いものの透明な外皮を丁寧に剥いて、中にあるお米のようなものに黒くて平たいものをくるりと巻いた。
それから、私の前の白い皿に乗せてくれる。
「アンジュちゃん、紅茶、開けてあげる」
琥珀色の液体が入っている入れ物の蓋を、ロキ様はクルクルと回した。
「これは、ペットボトル。飲み物が入ってるんだよ。紅茶とか、珈琲とか。で、それはおにぎり。中身は鮭。魚ね」
「しゃけ」
「サーモンのこと」
「サーモンならわかりますわ! お米の中にサーモンを入れますのね。黒いもので巻いてありますわ」
「うん。海苔。……海藻のこと」
「海藻もわかりますわ」
ペットボトル、海苔、鮭。おにぎり。
心の中で繰り返しながら、私は黒いものを手に取った。
お米の甘さと塩のしょっぱさと、海苔の海の風味が口の中で複雑に広がる。
「美味しいです」
「よかった。気に入った?」
「はい。帝国では、お米は煮て食べましたの。大抵、スープのようにどろっとしていました。このような形で食べるのは初めてですけれど、美味しいです」
ロキ様はしばらくの間私を見ながら微笑んでいた。
もっと沢山おにぎりや、白いふわふわの肉まんというものを私に食べさせようとしてきたけれど、ケーキもあるので断った。
その代わり、からあげをひとつ貰った。スパイシーなお肉の味がして美味しかった。
「ねぇ、アンジュちゃん。アンジュちゃんは、ヴィオニスのどこが好きだったの?」
ペットボトルの小さな飲み口に、直接口をつけて飲み物を飲むなどといった背徳的な行為を行なっている私に、ロキ様が尋ねた。
ロキ様おすすめの紅茶だったので、どれほど甘いのかと身構えていたのだけれど、紅茶もケーキもそこまで甘く無かった。
「どこが……どこがと言われましても、よく分かりませんわ。婚約者でしたし。婚約者とは、無条件に愛し合うものですし」
ロキ様は、どうしてヴィオニス様のことを聞くのだろう。
私がもう立ち直ったことに気づいたのだろうか。
「そういうものなの?」
首を傾げるロキ様に私は頷いた。
テーブルの上のご飯はすっかり無くなって、白い袋の中にゴミをまとめて入れて、調理場のある部屋においてある大きなゴミ箱に捨ててきた。
ロキ様は珈琲の入ったペットボトルを手にして、ごくんと一口飲んだ。
(ヴィオニス様のどこが、好きだったのかしら)
よくわからない。
名前を聞いても顔を思い出しても、胸も痛まない。
まるでもう、別の世界の人間になってしまったようだ。
――実際、そうなのだろうけれど。
きっとこれで良いのだろう。
それは私のためでもあり、世界のためでもある。
「ロキ様には婚約者はおりませんの? 昔は、恋人が沢山いたのでしょう?」
ロキ様は私のことを知っているけれど、私はロキ様のことをあまり知らない。
遠慮がちに尋ねてみると、あまり気にしていないように、ロキ様はあっさり答えてくれた。
「婚約者はいなかったよ。僕は嫌われ者の半魔だったし。それが、魔王になった途端に皆が傅いてくるのが馬鹿馬鹿しくてね。……恋人が沢山いたわけじゃないよ。別に、誰のことも好きじゃなかったし」
「ロキ様は、つまり人間のことも、魔族のこともお嫌いでしたのね」
不躾な質問かなと思ったのだけれど、ロキ様は特に怒った様子もなく頷いた。
「そうだねぇ、そうかもしれない」
「でも、街を作るのはお好きなのですね」
「街が大きく育っていくのを見るのは楽しいよね、今のところ」
「好きなことがあるのは、良いことですわ。ロキ様は私などと違って永遠を生きるのでしょう? だとしたら、好きなことを作るのは良いことだと思いますわ」
そこで私はふと気づいて、ロキ様の顔をじっと見つめた。
「私は人間ですわ。ロキ様の嫌いな」
「アンジュちゃんのことは好きだよ。素直だし、一生懸命だし、良い子だし、優しくて無害で、立ち直りが早いし。僕、こう見えて好き嫌い激しいんだよね。アンジュちゃんは好き」
「ロキ様は魔王様なのに、一人きりでいますわよね。好き嫌いが激しいというのは、わかる気がしますわ」
「あぁ、わかっちゃう?」
「私のことを幼女だと思っているから、優しくしてくださるんでしょう?」
「それもあるかな」
ロキ様は悪びれた風もなく言った。
「私、気づきましたの。私はロキ様の国のことをよく知らないから、ものを知らない子供、のように見えますでしょう?」
「うん、まぁ、そうなのかな」
「私の国に来た巫女様も、スアレス帝国のことを知りませんから、ものを知らないおさな子のように見えたのかもしれません。だから、たいそう可愛らしくて、ヴィオニス様も移り気をしてしまったのかもしれませんわ」
ロキ様は私が幼いから、優しくしてくれる。
それは、最初からずっとそうだった。
「……支えてあげないと、守ってあげないと。そう、思ったのかも」
「それって、アンジュちゃん。僕と、ヴィオニスが一緒って言いたいの?」
「そういうわけではありませんけれど、私は成熟した女性なのに、ロキ様は子供扱いするでしょう? シャワーも、洗濯機も、ドライヤーも、覚えましたわ。覚えれば、使うことができます。私は幼児ではありませんわ」
「でも、僕にとっては」
ロキ様はその先を続けなかった。
でも、言われなくても分かる。
子供、と言いたかったのだろう。
「……巫女様も、同じ気持ちだったのかもしれませんわね」
私は目を伏せた。
異世界から来て不安だっただろう巫女様を、最初に見つけたのはヴィオニス様だった。
それは私が、ロキ様に庇護して頂いているのと同じ。
優しくされたら嬉しいし、頼りたくなってしまうし、――好きになってしまうことも、あるだろう。
まして、全く知らない世界に来て、魔王討伐という恐ろしい使命を果たさなければならなかったのだから。
ヴィオニス様と巫女様が親密になるのも無理はない。
「アンジュちゃんは、僕に子供扱いされたくないの?」
「……よくわかりませんわ。私、ヴィオニス様と巫女様の話をしているつもりでしたのよ。……私とロキ様のことを考えたら、理解できるような気がしましたの」
「理解する必要ある? もう、その二人には二度と会うことはないんだよ。アンジュちゃんは、帰れない。帰っても、居場所はないし、僕を復活させようとした裏切り者って言われて、断罪されちゃうかもしれないんでしょ?」
「……そうですけれど」
「ねぇ、アンジュちゃん。もう忘れて、映画でも見よう? 怖いのと、恋愛映画と、楽しいやつ、どれがいい?」
「えいが、というものが私にはよくわかりませんが、どれでも」
ロキ様は「じゃあ、怖いやつにしようか」と言った。




