世界をつくることは、世界をこわすこと
夕暮れの街並みを並んで歩く。
建物に隠れて見えないけれど、たぶん地平線があるのだろう。
夕日が背の高い建物の合間に沈んでいき、暗闇が空に訪れて月と星が輝き始める。
魔力で維持された箱庭のような国。
けれど、私の小さな箱庭の中にすむ人たちにとっては、まぎれもない現実の世界。
ロキ様の国も、恐らく同じ。
けれど私は生きていて、頬に触れる風も、沈んでいく夕日も――全て、現実の物と同じ。
はりぼてのようだとは思えない。
そうと言われなければ気づくことはなく、日々を過ごしていくのだろう。
それじゃあ果たして――もう帰ることはない、帝国での日々も、私にとっての本当の現実と言えるのだろうか。
「もうすぐ、冬が来るよ」
車の行き交う車道の端、柵の内側の歩道を歩きながら、ロキ様が言う。
歩道の横には川が流れている。
小さな川には、魚が泳いでいる。
川はどこからきてどこに続いていくのだろう。この世界は、どこに果てがあるのだろう。
「スアレス帝国は、冬ばかりです。ずっと寒いのですよ」
「うん、知っているよ。冬ばかりで、物資が少ないから、属国を多く持っているんだよね、確か」
「ロキ様の国は、帝国とはまるで違います」
「僕の国は、巫女がすんでいる世界を参考にしてるから。あの世界のこと、詳しいというわけじゃないけど、春と夏、秋と冬。季節が移り変わって、景色も変わる。それは、悪くないなって、思ったんだよ」
「春と夏と秋は、帝国では似たようなものでした。冬は、馴染み深いですけれど」
「冬になったら雪が降る。けど、あまり盛大に雪を降らせると、暮らしにくいって文句が出るからね、適度に積もるぐらいかな」
「帝国には雪がつもりますわ。膝ぐらいにまで、積もるのですわ。雪が降ると、馬車は使えなくなりますし、外には出ませんのよ。学園も、冬の間はお休みになります」
「アンジュちゃんは、雪、好きだった?」
デパートよりも近い場所にある、『こんびに』というなんでも売っている場所でお買い物を済ませてきた。
片手にケーキやらお菓子やら、今日の夕ご飯やらが入った袋を持ったロキ様が言う。
白い髪や肌が、橙色に染まっている。
私の赤い髪は、余計に赤く見えた。
「好きとか、嫌いとかは、考えたことがありませんでしたわ。雪は降るものですし、暖炉のある部屋は暖かいですし」
「不自由はしていなかったんだね」
「ええ。でも、それは私が貴族だったからそう思うだけで、暖炉に火を入れてくださる使用人の方々や、屋根から雪を落としたり、道の雪をどかしたりしてくださる方々は、とても大変だったでしょうね」
当たり前に受け入れていて気づかなかったけれど、私は多くの人たちに支えられて生きてきたのだなと思う。
こちらに来てからだってずっと、ロキ様に支えてもらっている。
私はずっと一人ではなくて、恵まれていて、幸せだった。
「ヴィオニス様を失った時、世界の全てを失った気がしましたの。けれど、そんなことはなくて、今でも世界は美しいし、少し視線を動かせば、沢山の人がいて、知らないことも、沢山あって。私が間違っていたんだなと、つくづく思いますわ」
「――世界は、美しい?」
ロキ様は、どこか驚いたように、私を見た。
私はロキ様の顔を見上げて、微笑んだ。
そういえば先程、子供みたいに泣きじゃくったばかりだった。
けれど今はそんなことをすっかり忘れたように、日の落ちる世界を眺めながら、ロキ様と二人で歩くことが楽しい。
「はい! 夕暮れの街をこうして誰かと歩くのは初めてですけれど、美しく感じますわ」
「そう。作り物の、世界でも?」
「作り物だとは思いませんわ。この世界が、今の私にとっての現実です。この世界は、とても綺麗。この世界を作ったロキ様の心もきっと、綺麗なのだと思います」
「……そんなことはないよ。でも、ありがとう」
「夕日も、星も、月も、輝いて見えます。でもそう思えるのは、きっとロキ様のおかげです。ロキ様が一緒に居てくださるから……私、罪を犯すところでしたけれど、ロキ様の元へ来て良かったです」
私が今穏やかな気持ちでいられるのも、己の愚かさに気づくことができたのも、世界とは私の感情で成り立っている物ではないこと理解することができたのも、ロキ様のおかげだ。
私の作り上げた箱庭の人々は架空の存在かもしれないけれど、架空の人々であっても、彼らなりの平和と幸せに満ちた人生がある。
それを奪うことが間違っているように、私が私の感情だけで、スアレス帝国の人々を不幸にしてはいけない。
沢山の人々の満ち足りた生活と比べてしまえば、私の恋愛感情など――取るに足らないものだ。
「僕も……アンジュちゃんが生きていてくれて嬉しいよ」
いつものように私の命の心配をして、ロキ様は隣を歩く私の手を、大切な物に触れるようにそっと握った。
私よりも少し冷たい体温と、長い指を持った硬い手のひらを握り返す。
見上げた横顔は、何故だか少し寂しそうだった。
「……ロキ様、昔のロキ様は、どうして世界を手に入れようと思っていましたの?」
今のロキ様からは想像もつかない、魔王らしい魔王だったロキ様について私は考える。
それから私の箱庭の人々の平和な生活を、何の感情もなく壊そうとしたロキ様を思い出す。
どうして、ロキ様は――かつては、人々から恐れられる魔王だったのかしら。
私の人生を数回繰り返してもまだ足りないほどの昔のことだから、今更、尋ねても仕方ないのかもしれないけれど。
「……ううん、それ、聞いちゃう?」
「話したくないことでしたら、言わなくても構いませんわ」
「そういうわけじゃないんだけど。若かりし頃の黒歴史ってやつだからねぇ」
ロキ様はしばらく考えるように、口をつぐんだ。
それからぽつりと、言葉を紡ぐ。
「……一番最初の僕は、僕というか、僕たち魔族は、人間のことを脆弱な下等生物って思っていてね。すぐ死ぬくせに繁殖力が強くて、なかなか滅びない生き物が、僕たちを目の敵にして、正義の旗をかざして刃向かってくるのが、面白くなかったんだよね」
「ロキ様たちからしてみれば、そうなのかもしれませんわね。私たちは、一瞬で死んで、新しい世代に成り代わっているように見えるのでしょう」
「まぁね。まぁ、それで、……面白くないから根絶やしにして、僕たちが世界を手に入れよう、ってことになって。ええとね、僕の立場、魔王っていうのは世襲制とかじゃなくてね、魔族に生まれた者の中で力の強い者のことなんだけど」
「ロキ様は生まれた時から魔王ではありませんでしたの?」
「違うよ。僕は人間と番った、吸血族の子供。その当時の魔族は血が混じることをあまり好まなくてね、大抵の場合は同種族で番うんだけど、僕はたまたまそうやって生まれて」
「つまり、半分は人間、ということですのね」
私は驚いて、ロキ様をまじまじと見つめた。
ロキ様は困ったような表情を浮かべて、苦笑交じりに笑った。
「……そう。多分。気づいたら、生きていた。どこからきて、どうして生まれたのかはよく知らない」
「ご両親の顔、覚えていないのですか?」
私は繋いだ手に力を込めた。
自分が何者なのか分からないことが、どれほど不安だっただろうと思う。
「うん。随分昔のことだから、記憶が曖昧だけれど、……半魔だって言われて嫌われてね。それでやっと、自分のことを理解したんだよ」
「お辛かったでしょう」
「良く覚えていない、かな。それで、他の魔族たちから殺されそうになるのを返り討ちにして、ついでに当時の魔王を殺して、その立場を奪った。生きていれば、魔族からも人間からも敵視されるから。魔族の中で一番偉くなれば、それもなくなる。面倒だったんだよね、多分」
「……昔は、殺伐としていましたのね。この国は、とても穏やかに見えますのに」
高い建物の向こうに夕日が落ちて、世界が暗闇に包まれていく。
道に等間隔に並んだ街灯が、黄色い灯りを灯した。
誰も手を入れていないのに勝手に灯る明かりが不思議だったけれど、この国には不思議なものが沢山あるので、そういうものだと思って受け入れるべきなのだろう。
「そのときは、ともかく一番上ばかりを目指していたよ。……恥ずかしいよね。一番高いところから世界を見下ろしたからといって、何になるわけでもないのに」
「向上心があるということは、良いことですわ」
「向上心、かぁ」
ロキ様は、明るい声で笑った。
「結局は封印されちゃったんだけどね。巫女なんて、異世界から来た若い女の子なのに」
「ロキ様は、巫女様には勝てませんでしたの?」
「うん。そうだね、多分、世界はそういう風にできているんだと思う」
「……そういう風に?」
「僕は、巫女には勝てない。勝つ気も、ないかな。……巫女は現れて、僕は封印される。そういう世界。……だから僕は、別の場所に世界を作った。ここにいれば、誰にも邪魔されないし。紛い物だけれど、平穏だよ」
ロキ様の言葉の意味は、半分ぐらいしか理解できなかった。
けれど、妙な切なさが胸を支配する。
夕焼けと宵闇が混じる世界が、あまりにも美しいからかもしれない。
「……ロキ様の御心一つで、この世界は壊れてしまうのですね」
私の箱庭は、私が檻から狼を解き放てば、街の人々は安寧に暮らすことはできないだろう。
それと同様に、ロキ様が街を壊そうと思えば、きっとこの街は美しいままではいられないのだろう。
そう思うと、景色のひとつひとつが、とても儚いように感じられた。
「そうだね。世界を作る力は、同時に壊す力だから」
「ロキ様も、私のように、大切な方を奪われたら、世界を壊したくなってしまうかもしれませんわ」
「うん、そうかもしれないね」
ロキ様の手を握る私の手を、ロキ様が強く握り返してくれる。
「そういう時は、私を頼ってくださいましね。私がロキ様に甘やかしていただいて、立ち直ることができたように、私もロキ様をめいっぱい甘やかして差し上げますわ。恋人を失って悲しみに沈んだ心が、晴れやかになるまで、沢山甘やかして差し上げます」
私が言うと、ロキ様は私を見下ろして一瞬目を見開いた。
それから、美しい相貌を崩して、嬉しそうに笑った。
「……ありがとう、アンジュちゃん。今のところ僕には恋人とかはいないから、大丈夫だよ。アンジュちゃんが僕と一緒にいてくれる限りは、作る気もないし」
「もしかして、新しい恋の邪魔をしていますの、私?」
「してないしてない。大丈夫」
そうだと良いのだけれど。
ロキ様に恋人ができて私が邪魔になってしまったら、私は――
果たして、今と同じように笑えるのだろうか。
繋がれた手の体温を感じながら私は胸に差し込む痛みから、目をそらした。




