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箱庭の中の世界征服


 私は目の前に置かれた箱庭をじっと見つめた。

 箱庭が世界と繋がっている。

 つまり、箱庭の中が豊かになれば世界も豊かになるし、箱庭の中がぼろぼろになれば世界も壊れてしまう、ということかしら。

 ――それはあまりにも、恐ろしいことのように思えた。


「ロキ様、私……」


 私の気持ち一つで、世界がうまれて、壊れてしまう。

 苦しくて、悲しくて、どうしようもなくて――ロキ様に縋った私は。

 ロキ様に世界征服を――

 世界を、滅ぼして欲しいと、望んだ。

 その罪が、眼前に突きつけられているような気持ちになる。


「不安にならなくても大丈夫だよ。アンジュちゃんが今から作り上げるのは、架空の街の架空の人々だからね」


「で、でも、私、もう……」


「アンジュちゃんはもう大丈夫って思ってるかもしれないけど、それはただ我慢してるだけかもしれないし。……ヴィオニスのこと、巫女のこと。アンジュちゃんの心からは、まだ、血が流れているかも知れない」


 ロキ様は、私の心の中を見透かすような視線を、私に向ける。

 胸の上を指先で、とん、と触れられて、私はびくりと体を震わせた。

 そこに痛みは、多分もう無い。

 ――多分。

 今は――別のもので、私の心はうめられている。

 それが何かはよくわからないけれど、そんな気がする。


「箱庭に作る街は架空のものだから、……街ができたら、アンジュちゃんが思う世界征服の方法を、試してみると良いよ」


 ロキ様は私の胸から指を離すと、ゆったりとした口調で言って、優しく微笑んだ。


「……ええと、わかりましたわ」


(架空の街を造って、それを、壊すだけ)


 私は自分に言い聞かせた。

 ロキ様が必要だと思うのなら、これは私にとって必要な行為なのかもしれない。

 私は遠慮がちに、箱庭の中に手を入れてみる。


「わぁ、さらさらで気持ち良いですわ」


 白い砂を指ですくうと、指の間からさらりと箱の中に落ちていく。


「喜んでもらえて良かった。まずは好きなように街を作ってみて?」


「はい」


 お人形遊びは幼い頃に行ったきりだ。

 砂は、触ったことがない。

 帝国は――制約の多い場所だった。

 あちらにいたときは、それが制約なんて思わなかったけれど、今思い出すと、少しだけ息苦しさを感じた。


「ゆっくりで良いよ。急がなくて、大丈夫。珈琲入れてくるね、アンジュちゃんは甘い方が良い?」


 ロキ様の甘い声が、夢の中にいるように遠くに響いている。

 私は「できれば、何も入れないものが良いです」と言った。


「ん、分かった」


 足音が、キッチンの方へと消えていった。

 私はしばらく砂を触って遊んでいた。

 それから白い砂の上、まずは四隅に森を配置してみる。

 木々の模型を手にして、砂の上に置いた。

 何もなかった砂地が森に囲まれた土地のように思えてくる。


「これは、森。森にかこまれた街」


 森の中には、動物たちの模型を置く。

 私の世界の森にはキツネや、ウサギや、リスなどが住んでいるようだ。


「森を抜けると湖。魚もいます」


 砂をかきわけて湖をつくり、魚の模型を置く。

 これで、魚を食べることができる。

 中央に家をいくつか立てて、人の模型を配置してみる。


「森には獣がいますけれど、警備隊が、捕まえてくれるので大丈夫」


 危険そうな獣は街の端に置いて、周囲を柵で囲って、兵隊のような人を置いた。

 街には、老人や、夫婦や、小さな子供たちが住んでいる。

 街の中央付近には、水に困らないように井戸を置いた。

 井戸に子供が落ちたら困るので、井戸の周りも柵で囲んで、水汲みのためにしか近づけないようにしておいた。


「できましたわ」


 さほど時間は掛からなかった。

 人形の数もそこまで多くないし、箱庭もそんなには大きくない。

 ロキ様が作っている世界がどんなものかわからないけれど、それに比べたら私の街は小さくて簡素な気がした。

 それでも、作ってしまえば愛着は生まれるものだ。

 森に囲まれた小さな街の人々はいたって平和そうで、私は満足した。


「アンジュちゃんの街は可愛いねぇ、アンジュちゃんの性格がよく出てるよ。無害そのものって感じ」


 いつのまにか、ロキ様がキッチンから戻ってきていた。

 ロキ様が箱庭を眺めて、優しい声音で言った。


「どんな街なの?」


「森に囲まれた小さな街ですわ。ご夫婦がいて、子供たちがいて、危険な動物たちは兵士の皆さんが捕獲して管理してくださいますの。だから、街は平和ですわ」


「うん。平和そうだね。それじゃあ、今からこの街を架空の街にしてみるよ」


 ロキ様が箱庭に手を翳すと、箱庭はふわりとテーブルの上から浮き上がる。

 箱庭が歪み形を変える様を、私は唖然と眺めていた。

 ぐにゃりと歪んだ箱庭は、手のひらで抱えられるくらいの大きさの、球体へと形を変えていく。

 それは、硝子でできたスノードームのように見えた。

 透明な球体の中には、森と湖、その中央に小さな街がある。

 私が造ったとおりの街の景色だ。

 よく見ると、小さな人々が、スノードームの中でまるで実際に生活をしているかのように、動いている。

 私はテーブルの上に浮かんだ球体を、まじまじと見つめた。

 鉄柵の中には狼が隔離されていて、兵士が数人立っている。

 煉瓦造りの家々が並び、街の中心には柵に囲まれた井戸があって、その周りでは子供達が遊んでいる。

 手を繋いで歩く夫婦の姿や、家の前の花壇に水をまくご婦人の姿がある。


「私の街、ですの……?」


 ただの人形できていた筈の箱庭が、急に生命を持ったなにかのように見えて、恐れにも似たような気持ちが湧き起こってくる。


「あくまでも架空の街ね。僕の力で作り上げているだけで、実際にはこんな街なんてないし、人々の姿も偽物だよ。だから、心配しないで良い」


「……ロキ様の作ってらっしゃる街は、この国に影響を与えるのですよね? その意味が、少し分かった気がしますわ」


「うん。アンジュちゃんの街は架空のものだけど、僕の街は本物だからね。僕の魔力で出来た国に、皆を抱えている、っていう感じかな。でも、ちゃんと実体はあるんだよ? 建物も、植物も、本物」


「不思議ですわ」


「そうかもね。さて、アンジュちゃん。今からアンジュちゃんの街を魔王である僕が征服してあげるから、どうやって征服するかを考えてみて?」


「……ええと」


 世界征服とは、スアレス帝国にある全ての街を支配下に置くこと。

 私の街は平和だけれど、いざ世界征服がはじまれば平和のままではいられないのだ。

 私は唇を噛んだ。


「アンジュちゃん、思いつかない? そうだね、たとえば……、支配、だからね。まずは戦えそうな兵士達を消してしまおうか」


 ロキ様は、いつもの優しい声で、なんでもないようにそう言った。

 それはまるで、日常生活のたわいない会話の延長線上のようだった。

 私が何か言うより前に、兵士達が黒い靄のようなものに包まれて、地面に引きずり込まれていく。

 それを見た人々が、小さな球体の街の中で逃げ惑っている。

 私は両手で口を押さえた。

 冷や汗が、背中を伝い落ちていく。

 兵士達が居なくなった街では――獣が、人々を襲い始めた。

 誰かが柵を壊したのだ。

 子供を抱えて守る夫婦の姿。人々は家に籠もり、街を我が物顔で、狼が歩き回っている。


「次に、そうだね。子供を生け贄に、捧げさせよう」


「ロキ様……」


「子供って、大切なんでしょう? それを奪おうとすれば、大抵の場合、人間は支配者に従うようになる」


「ロキ様!」


 ロキ様は、優しい方だ。

 けれど、今のロキ様は――

 魔王として人間を支配しようとしていた、ずっと昔のロキ様は、こうやって、平然と人間を――


(どうしよう。私は、私のせいで……)


 身勝手な私のせいだ。

 もう人間に関わろうとさえ思っていなかったロキ様に、私は酷いことをさせている。

 私はロキ様に縋り付くようにして抱きついた。

 勢いよく抱きついたからか、ロキ様の体を床に思い切り押し倒してしまった。

 ロキ様は床に強かに頭を打った。

 ぐえ、とか、ぐあ、みたいな声が、私の下から聞こえた。 


「ごめんなさい、ロキ様。ごめんなさい」


「……どうしたの?」


「もう、良いのです。私、本当にもう、良いのです。だからもう、やめてください」


「……世界征服を?」


 私は床の上に寝そべるロキ様の上に乗っかったまま、うん、うん、と何度も頷いた。

 胸が詰まるような苦しさを感じる。

 ロキ様は優しいから、私を喜ばせようとしてくれたのかもしれない。

 私の望みを、擬似的に叶えようとしてくれたのだろう。

 けれど架空の人々であっても、幸せな日常を一方的に踏みにじるなんてしてはいけないことだ。

 それを――誰にも邪魔をされず、静かな日常を送りたかったロキ様に、無理矢理行わせようとするなんて。

 私が馬鹿だった。

 好きだった人を奪われて、辛くて苦しくてどうしようもないのなら、ロキ様に頼らずに一人静かに命を散らせばそれで良かったはずだ。

 頬を温かい液体が流れ落ちた。


「ごめんなさい。私、……酷いことを。私、スアレス帝国を、滅ぼそうとしましたわ。ロキ様に、残酷なことを、して欲しいと願いましたの。私は、酷い、最低です、私……」


 ぼろぼろと、涙が流れる。

 嗚咽の狭間に言葉を紡ぐ私を、ロキ様の大きな手のひらが優しく撫でてくれる。


「アンジュちゃん、泣かないで。大丈夫から」


「本当に、ごめんなさい……」


 もしかしてロキ様は私の軽率さを咎めるために、箱庭を造ったのだろうか。

 私の罪を自覚させて、反省を促そうとしてくれているのかもしれない。

 こちらの世界に来て、新鮮さに浮かれて、自分の行おうとしていた最低な罪を忘れて、彼氏が欲しいなんて浮ついていた私の愚かさを、咎めてくださったのかもしれない。

 ――やっぱり、ロキ様は王だ。


「私、思い知りましたわ。自分の愚かさや、残酷さ、罪深さを。だからロキ様、箱庭の方々をどうか幸せなままにしてあげてくださいまし。私はどうなっても構いませんから……」


 私はロキ様に抱きつきながら、一生懸命お願いした。

 これからきちんと心を入れ替えて生きていこう。

 ヴィオニス様と巫女様の幸せを祈りながら、ロキ様が許してくだされば、誠心誠意心を込めて恩返ししていこう。

 私は――なるべくして、ロキ様のメイドになったのだ。

 だからどうか、街の人々の平穏を奪わないであげて欲しい。


「アンジュちゃん、落ち着いて、待って、思い詰めないで大丈夫だから」


 ロキ様は私のような幼女の涙に弱いので、動揺しながら私を宥めてくれる。

 けれど今回ばかりはロキ様に甘えるわけにはいかない。

 私はきちんと反省する必要があるのだから。


「何も違いませんわ。ロキ様の優しさで私はずっと救われておりますわ。命を救われ、スアレス帝国の方々に危害を加えずにすみました」


「それは……偶然とか、そういうやつだよ」


「ロキ様が私の想像していた通りの魔王様だったら、私は最低な加害者になっているところでした。でも、未遂であったとしても許されることではありません。私、思い知りました」


「アンジュちゃん、違うんだよ。そういうつもりじゃなくて……」


「世界征服なんて残酷なこと、二度と口に出したりしませんわ……」


「分かった、分かったから、ね、落ち着いて、落ち着いて」


 ロキ様は焦った様子で、私を抱きしめたまま床の上から体を起こした。

 顔を上げると、球体の中の街は、すっかり元通りになっていた。

 獣は柵の中に、兵士たちが警備をしている。

 子供達が外を走り回り、夫婦が手を繋いで散歩をしている。

 私はほっと息をついた。

 ロキ様は宥めるように私を抱きしめて、背中をぽんぽん叩いてくれる。

 幼い子供にするような仕草だった。

 嗚咽を漏らす私を辛抱強く慰めてくれる。

 こんなに優しくしていただける価値なんて、私にはないのに。


「ごめんね、アンジュちゃん。そういうつもりじゃなかったんだよ、本当に。アンジュちゃんの気晴らしになれば良いかなって、思っただけなんだよ?」


「ロキ様、私は感謝しておりますわ。己の罪を自覚してこそ、新たな一歩を踏み出せるというものです」


「アンジュちゃん、もしかして思い込み激しい方?」


「普通だと思いますわ」


 嗚咽が収まると、会話をすることができるようになった。

 髪を撫でてくれる手が心地良い。

 心地良いのに、昨日から、胸のあたりがざわざわする。奇妙な感じだ。


「あのね、アンジュちゃん。本当に、ちょっとした気晴らしのつもりだったんだよ。実際に世界征服はするつもりはないけれど、真似事だけはできると思って」


「私、ロキ様の優しさは十分理解しております。私を泣かせたいなんて、ロキ様は思わないこと、分かっております」


「……うん。……それでね、僕にとって魔力で作った街や人なんて、箱庭の中の人形と同じだから、その中の人々がどんな目にあっても、特になんとも思わないんだ」


 それは、どことなく感情が抜け落ちたような声音だった。

 ロキ様にそんなことを言わせてしまった罪悪感が、胸を細い針で突き刺した。

 私の心は――もう、ヴィオニス様にはない。

 ふと、唐突に、空が青いことにはじめて気づいたように、ごく自然に、私はそれを受け入れた。

 私の心が血を流しているとしたら、それは――ロキ様のため。


「アンジュちゃんのことだから、具体的な世界征服の方法なんて思いつかないかなと思って、一番オーソドックスな世界征服をしてみただけ、だったんだけど。傷つけるつもり、なかったのに」


 私はロキ様の胸に自分の顔を押しつけて、うん、と小さく頷いた。

 うまく言葉が出てこなかった。


「……アンジュちゃん、ごめんね。……世界征服、やめておく?」


「はい。……私、ロキ様のメイドとして、これからは真面目に生きていきますわ。世界征服も、あと、彼氏を作りたい、なんていうことも、もう言ったりはしませんわ」


「……そう。それなら良かった」


 ロキ様は私の言葉を否定しなかった。

 私の贖罪としては、やはりそれが一番正しいのだろう。

 もう嗚咽もおさまって、泣き止んだのだけれど、ロキ様の腕の中が心地良くてしばらく甘えていた。

 抱きしめられると、罪深い私が許されているような気がした。


「じゃあ、アンジュちゃん。世界征服を諦めた記念に、ケーキでも買いに行こうか。それで、映画でも見ながら一緒に食べよう? 夕方の街も綺麗だよ。外の空気を吸ったら、少しは元気が出るかもしれないよ」


「……私、メイドらしいことをしたいので、一人で買い物に行きますわ」


「絶対駄目」


 ロキ様は優しいけれど、そこは譲ってくれないみたいだ。

 私の頬を濡らした涙を指先で拭って、ロキ様は微笑んだ。

 どういうわけか、胸がキュッとなるのを感じた。


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