メイドとしての第一歩
一通りの買い物を終えた私たちは再びロキ様のお部屋へと戻ってきた。
あまり広くない玄関で靴を脱いで、素足になる。
ひやりとした木製の床が絹靴下に包まれた足に触れるのが心地良かった。
玄関を抜けると、右横の扉は浴室になっている。
浴室の脱衣所には『せんたくき』なるものがあり、洗濯物を洗うことができるのだという。
扉の並んだ短い廊下を抜けると、調理場と食堂が一緒になっている部屋があり、調理場にあるのは『でんしれんじ』と『れいぞうこ』、それから『自動湯沸ポット』。
『くっきんぐひーたー』という平べったい板みたいなものは滅多に使わないらしい。
奥の方に立っている棒みたいなものが『そうじき』で、食器棚は小さいものがあるけれど食器はあまりない。
食堂にはテーブルはなくて、ご飯は基本的には寝起きする場所と同じ部屋で食べるのだという。
ロキ様のお布団が敷きっぱなしになっている六畳間には、小さなテーブルがある。
可愛いうさぎさんなどの動く絵が映る四角いものは『てれび』で、その下にあるよく分からないものは『げーむ』という名前だと教えてくれた。
ロキ様の部屋にはそれぐらいしかない。何もないと言えば何もない部屋だ。
壁には時計がかかっている。
六畳のお部屋にはクローゼットがあって、お洋服などは全てそこに収納されているようだった。
「ロキ様、色々と購入していただいてありがとうございました。それに見合う分の働きを、本日からさせていただきますわね」
お買い物から戻ってくると、時刻は十五時を回っていた。
侯爵家にいた頃は、今頃の時間は妹と共に優雅にアフタヌーンティーを嗜んでいるのだけれど、今日から私はメイドになったのでそんなことをしている場合じゃない。
お部屋のお布団の上に座ったロキ様の前に私は膝をついて、頭を下げた。
ロキ様が床に座っている以上、私が立ったまま礼をするわけにはいかない。
膝をついて深々と頭を下げるのが正しい礼儀というものだろう。
「アンジュちゃん、良いよそんな、畏まらなくても。別に僕はメイドが欲しいって思ってないし。ゆっくりして。あ、布団で寝る? ごめんね、いつもの癖で、布団に座っちゃって。他に座るとこないんだよね。代わろうか」
ロキ様がお布団の上から立ち上がろうとするので、私はロキ様よりも先に立つと丁重にお断りをした。
「いえ、ロキ様はゆっくりなさっていてくださいまし。私、これより、お風呂の準備と、お洗濯と、お料理に取り掛かりますわ。先ほど使い方は一通り説明をしていただきましたので、ひとりで大丈夫だと思います」
「良いのに。そういうの僕が全部やるから。アンジュちゃんはテレビでも見てなよ」
「お世話になる以上、役に立ちたいのですわ」
「アンジュちゃんみたいな幼女は存在が尊いんだから、あんまり気にしなくて良いんだよ。別に何かの役に立たなくたって、生きてるだけで立派なんだよ、人族は儚いんだから」
「甘やかし過ぎるのも良くありませんわ。私、ロキ様の元を離れても自立できるようにならないといけませんし」
一度座ったせいで乱れたスカートを手で軽く直して、私は決意表明を行った。
ロキ様は目を見開いて、愕然とした表情で私を見上げる。
「アンジュちゃん、僕のことが嫌いになったの? この短時間で? 僕の何が悪かったのかな、そんなに出ていきたいと思うだなんて……。やっぱり無理矢理お子様ランチを食べさせて写真を撮りまくったのがいけなかったのかな、アンジュちゃんが可愛かったからついつい、出来心で……!」
「そのことについては、特に気にしておりませんわ。お子様ランチ、美味しかったですし。量も程良かったですし。クリームソーダも美味しかったです。私、別にロキ様が嫌いとか、そういうことではありませんのよ」
むしろ優しくしてくださってありがたいと思う。
ここまでしていただいているのにロキ様を嫌うなどあるわけがないし、もしそうだとしたら、問題があるのは寧ろ私の方だ。
「アンジュちゃん、良かった……! アンジュちゃんが僕のことが嫌いで出ていきたいって言ったら、しばらく立ち直れなかったよ……。優しくて爽やかなお兄さんであることを心掛けていたのに、どこが不味かったのかなって占い師さんのところに相談に行くところだった」
「この国にも占い師の方がいますのね。あのですね、ロキ様。私が自立したいと言ったのは、万が一ロキ様に彼女、というものができた場合、私は邪魔になりますでしょう?」
「できない」
即答だった。
昔はたいそう女性に人気があったというロキ様だけれど、女性と関わることに飽きてしまったのかしら。
その割には私の面倒はよく見てくれるのだけれど。
ロキ様にとって幼女と女性は違うのかもしれないわ。
「万が一ということがありますのよ。私を愛してくださっているとおっしゃっていたヴィオニス様だって巫女様とお子をお作りになりましたし……。何があるかわかりませんわ。それに、私にも彼氏、というものができるかもしれませんし」
「……アンジュちゃんに、彼氏……」
「ロキ様もおっしゃいましたわ。魔族の男性は見目麗しい方が多いから、良い方と巡り合えるかもしれないと」
「……アンジュちゃん。お父さんは許しませんよ」
ロキ様は、布団の上で膝を抱えて、小さく丸まりながら拗ねたように言った。
恋人を作れと言ったり、作るなと言ったり、忙しい方だわ。
「ロキ様は私のお父様ではありませんわ。プリシラさんがおっしゃっていましたの。ごうこん、というものをしようと。私の好みそうな男性の方々を連れて来てくださるそうですわ。そんなわけですから、私は少しでも自立できるようにしておきたいのです。この先何があるかわかりませんから」
「プリシラちゃんと合コンとか絶対駄目だからね。もしアンジュちゃんがどおおおしても行くっていうんなら、僕も参加する」
「そういったところに保護者同伴するのは、相応しくないと思いますのよ、私。よく知りませんけれど、多分」
ごうこんがどんな行為なのか分からないけれど、プリシラさんの言い方から察すると、それは王家の主催する花嫁選びのための舞踏会のようなものなのだろう。
舞踏会には保護者が同伴するわね。
だとしたら、ロキ様がごうこんに参加するのは正しいのかしら。
「保護者同伴して何が悪いの。僕の可愛いアンジュちゃんの恋人になる男なんだよ。僕がちゃんと品定めしないといけないでしょ」
「ロキ様は魔王様ですわよね。きっと、皆様ロキ様を恐れて、私の恋人になってくださらないと思いますのよ」
ロキ様と一緒にごうこんに参加するのはそうおかしくないのかもしれないと思いながら、私は首を傾げた。
「……というかさ、アンジュちゃん。ヴィオニスのことは、もう大丈夫なの?」
長い足を抱えるように座りながら、ロキ様が聞いてくる。
私は目を伏せて、ヴィオニス様について考える。
ヴィオニス様のことは愛していたし、巫女様とお子をお作りになったことについては衝撃だったし悲しかった。
でも、ロキ様に命を捧げて復讐をしようとしたほどの怒も絶望も、今の私にはない。
美味しいものを食べて、新しい景色を見たせいか、気が散ってしまったのかもしれない。
「なんだかあまり、……ロキ様とお買い物をしているときは、考えない時間の方が多かったですわ。考えてしまえば、悲しくなってしまいますけれど」
「思い出させちゃったね、ごめん」
「構いませんのよ。……では、私はまずは、お風呂をお掃除して、お湯を溜めてみますわね。待っていてくださいましね」
「……僕も一緒に」
「待っていてくださいましね」
ついてこようとするロキ様に釘を刺して、私はお風呂場に向かった。
説明を聞いた限りではとても簡単だったので、私にもきっとできるはずだ。
私はもう大人だし、学業の成績はどちらかというと良い方だった。
ヴィオニス様の婚約者として恥ずかしい姿は見せられなかったので、学園では成績は常に上位になるように努力を惜しまなかった。
素行も成績も、良かったと思う。
だから大丈夫な筈だ。
我が家のメイドたちにできて、私にできないことはない。
私は立派なメイドになるべく、脱衣所の扉から浴室へと足を踏み入れた。




