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君に贈るエピローグ  作者: 美雨
13/27

真実

四月に入り俺達は三年生になった。

教室も隣の校舎に移り、『3B』と新しい札が掛けられた。三年生になっても俺と凛子の日課は変わらず続き、この頃には凛子の右足のギプスも完全に取れていた。

俺は天文部に戻り、アルバイトも続けていたので、それなりに忙しい日々を送っていた。


今朝も俺達は土手に寝転んでいた。

「もうすぐ修学旅行だな」

「そうね、楽しみだなぁ」

「そういえば、俺と凛子って、一緒に写真撮ったことってなかったよな」

「うん。修学旅行ではみんなで写真、いっぱい撮ろうね!」

「そうだな。なぁ、それより凛子さぁ、大学はどうするんだ?」

俺は少し前から気になっていたことを切り出した。

「私はここの附属に行くつもりよ。明彦もでしょう?」

俺は迷っていた。

聖南学園に通う生徒の大半が、附属の大学へと進学する。凛子には黙っていたが、俺は父親との間に根深い確執があることや、天文を専門に勉強したいという気持ちから、海外へ留学することも視野に入れていた。だが、凛子のことを考えると、なかなか決心がつかずにいた。

「ここの大学もいいけど、俺、やっぱり天文に興味があるしさ。そっちも真剣に考えてみようと思っているんだ」

「えっ、じゃあうちの大学には行かないつもり?」

「そうじゃないけど、柴田先生にもちょっと相談しているんだ」

「じゃあ、明彦が違う大学へ行ったら、私達離れ離れになっちゃうの?」

凛子は急に上体を起こすと、不安げな顔で俺を見た。

「そうよね…そういうことだってあるよね」

「そんな顔するなよ。まだ何も決まってないんだから」

「だって私達、今まで当たり前のように、ずっと一緒にいたじゃない。明彦がいなくなるなんて、想像したこともなかった…」

「でも結局は、ここの附属に行くと思うけどな」

「本当に?」

「ああ…」

俺の胸は痛んだ。


その日の放課後はアルバイトがあったので、俺はバスに乗り、ガソリンスタンドへ向かった。制服に着替え、いつもの様に仕事を始めた。洗車、給油、精算、見送りなどの他に、仕事は山程あった。ひっきりなしにくるお客を捌き、俺は忙しく走り回っていた。

「有難うございました!」

帽子を取りお客を見送って顔を上げると、目の前に凛子が立っていた。

「ごめん、忙しい?」

「ちょうどこれから休憩なんだ。裏にベンチがあるから、そこへ行こうか」

そう言って、凛子を裏の休憩所へ誘った。

「明彦がどんな所でバイトしているのか、急に気になっちゃって…」

「ドロドロだろ」

「ううん、ちゃんと働いているのね。はいこれ、差し入れ。駅前のケーキ屋さんのマドレーヌ。何人いるのか分からなかったから、数は適当よ」

「有難う。後でみんなでいただくよ」

凛子は何か言いたそうだった。

いや、何かを言いにきたのだろう。だが、俺が腕時計を気にしているのを察すると、

「じゃあ、頑張ってね。明彦が働いているところを見られて嬉しかったわ」

と、満面の笑みを作り、小走りに走り去って行った。俺は立ち上がり、凛子の後ろ姿を見送るしかなかった。


それから暫くしたある日のことだった。アルバイトから家へ戻ると、母が珍しくダイニングチェアに座り込み、電話をしているところだった。

「本当に懐かしくって。長くなってしまって、ごめんなさい。じゃあ、次の日曜日、お会いできる?ええ、楽しみにしているわ」

俺はとにかく腹が減っていたので、制服のままキッチンの冷蔵庫から食パンを取り出した。適当にバターを塗り、リビングのソファにもたれながらテレビを付けた。その途端、リリーが尻尾を振って、俺の足元に纏わり付いた。この家で心を許せるのは、もうこの老犬しかいない。リリーは洋犬の雑種の雌犬で、俺が幼い頃、街を彷徨う捨て犬だった。

「明彦、お帰りなさい。昔のお知り合いと久しぶりにお話してたら、ついつい長くなっちゃったわ。ごめんなさい、今すぐ夕食の支度をするわね」

そう言うと、母はキッチンに戻り、夕食の準備を始めた。その時ちょうど玄関チャイムが鳴った。

「あら、お父さんかしら」

玄関へと走って行く母の後をリリーが追って行ったと思ったのも束の間、ドスッという嫌な音と耳をつんざくようなリリーの鳴き声が、廊下に響き渡った。俺は慌てて廊下に出た。廊下には息も絶え絶えのリリーが横たわっていた。

「この糞犬がっ!早く死んじまえ」

「おいっ、何てことすんだよ!」

父親だった。

俺はカッとなり殴りかかろうとしたが、母に強く制止された。

「お帰りなさい。あら、あなた飲んでいらっしゃるの?」

「ああ、今夜予定していた会議がなくなってな。部下を連れて銀座に繰り出したんだ」

「そうでしたの。お食事はどうします?」

母が背広と鞄を受け取りながら聞いた。

「食事は部下と済ませてきた。水だ、水をくれ」

そいつは千鳥足でリビングまで歩いて行った。ドカッというソファに横になる音が聞こえた。リリーを抱き抱えリビングに戻ると、酒の匂いが部屋中に充満していた。

「おい、明彦。そんな汚い犬はさっさと捨ててしまえ。新しいプードルでも買ってやるじゃないか。その方がお前にはお似合いだ」

母がキッチンから持ってきたグラスの水を一気に飲み干すと、そいつはネクタイを緩めながら渋面を作った。

「そういえばお前、ガソリンスタンドなんかでアルバイトしているそうだな」

「………」

俺はこめかみが激しく痙攣するのを感じていた。

「おい、聞いているのか?そんなみっともないアルバイトなんか、今すぐにやめろ」

その男は俺の事実上の父親だった。本当の父は、俺が中学に上がる頃、肺癌で亡くなった。働き者で家族思いの優しい父だった。

日曜日には家族で、浅草の花やしきへ良く行ったものだった。そんな父が突然他界し、母は途方に暮れ、銀座のクラブでホステスとして働き始めた。そこで知り合ったのが、目の前にいる新しい父親だった。父親は所謂エリートで、大きな不動産会社の重役をしていた。俺は新しい父親に馴染めず、何かに付けて衝突をした。

「そんな汚い仕事をやって、一体、一日幾ら貰えるんだ。金なら父さんに言えば、幾らでも出してやるじゃないか」

「あんたに父親面をされる覚えはない」

「まぁ、その話はまたゆっくりすればいいじゃないですか。さぁ、明彦、夕食の準備をするから、こっちに座っていて」

何かを察した母は、俺をダイニングへと呼び寄せた。

「お前がそうやって甘やかすから、こんなことになるんだ。おい、明彦、アルバイトは明日から禁止だ。そんなに金がいるなら、これからは父さんに言え」

そう言うと、ズボンのポケットから財布を取り出し、札束をテーブルの上へ放り投げた。

俺は弱ったリリーを廊下へ出してやると、テーブルの上の札束を手に取り、父親の顔をめがけて投げ付けた。憎悪と憤怒しかなかった。

「お前、何てことをするんだ!」

父親は慌ててソファから飛び上がると、いきなり俺を殴った。

俺は睨み付けながら言った。

「あんたはいつもそうだ。そうやって金さえあれば、何でも解決が付くと思っている。自分の面子がそんなに大事なのか?俺はバイトを辞めるつもりはない。俺は俺のやりたい様にやって生きて行く。こうしてドロドロになって働くことの何が悪い!」

「自分の父親に向かって、その口の聞き方はなんだ!お前がなに不自由なく高校に行っていられるのも、俺のお陰なんだぞ。忘れたのか!」

「ああ、あんたのお陰で俺は何ひとつ不自由なく、生活させて貰ってるよ。だけどな、それが嫌で、俺はバイトを始めたんだ。行く行くは働いて、今までの金も全部返してやるつもりだよ」

「何だと、この野郎!」

父親は声を荒げ、今度は俺の腹を足で蹴飛ばした。その衝撃で頭がテーブルの角にぶつかり、後頭部から血が流れた。

「あなた、酔っ払っているからって、やめてください!」

俺は立ち上がり、腹と後頭部を抑えながら言った。リリーが廊下で激しく吠えているのが聞こえた。

「あんたは最低だ。兄貴が死んだのだって、元はと言えばあんたのせいだ!あんたが外に女なんか作って、あの日それが元で兄貴と口論になったんじゃないか。兄貴はカッとなって自転車で家を飛び出して事故に遭ったんだ。母さんも黙ってないで、何とか言えよ!こいつは外に女を作って好き放題やっているんだぞ!」

「明彦、お母さんのことはいいのよ。だからもうやめて!」

母は俺に縋り付き泣くばかりだった。

「外に愛人なんか作るような奴に、とやかく言われる筋合いはない!俺はあんたを父親だなんて思ったことは一度だってないさ。俺は俺のやりたい様にやって生きて行く」

「明彦、お願い!もうやめて」

「こいつ、言わせておけば好き勝手なことを言いやがって!お前なんかこの家にはいらん、出て行け!」

「ああ、あんたに言われなくても出て行くさ。もうあんたとこの家で一緒に暮らすのなんてまっぴらだ!」


俺は二階の自分の部屋へ駆け上がった。階下で母が何やら叫んでいたが、耳には入らなかった。ボストンバッグに当面必要な荷物を詰めた。隣の兄貴の部屋に行き、段ボール箱に入っていたアルバムから、何枚かの写真を抜き取った。その時、床に白い物が落ちた。見ると小さな白いミトンの手袋だった…。俺はハッとしてそれを拾い上げ、写真と共にブレザーの内ポケットに入れた。滑る様に階段を降りると、一目散に家を飛び出した。


家を出たものの、行く当てなどなかった。

俺は気が付くと携帯電話で、凛子の番号をプッシュしていた。

「もしもし、明彦?こんな時間にどうしたの?」

「ごめん、こんな遅くに電話なんかして。急に凛子の声が聞きたくなってさ。悪い、もう切るわ」

「ちょっと待って、どうしたの?何かあったの?」

「………」

「明彦、今、何処にいるの?私、すぐに行くから、場所を教えて!」

「こんな時間に出られないだろ」

「大丈夫よ、明彦のことだったら、うちの母も知っているんだし。じゃあ、うちの近くの大和川公園までこられる?」

「うん」

「じゃあ、そこにきて!今から二十分くらいしたら家を出るから」

「迷惑じゃないか?」

「何言ってるのよ、そんな声をして。心配で私が眠れるとでも思うの?必ずきてね、待ってるから」

電話越しに彼女の優しい声が響いた。俺は凛子の明るい声に救われた。


既にバスは最終時刻を過ぎ、俺は大通りに出て仕方なくタクシーを拾った。タクシーに揺られていると、後頭部に鈍痛が走った。俺はバッグからタオルを取り出し頭に当てた。幸い傷は思ったほど深くはなさそうだった。その時突然、学生鞄の中の携帯電話が鳴り出した。見ると母からだった。俺は電話には出ず、


母さん、突然家を飛び出してきたりしてしまってごめん。悪いけど、暫くは帰れない。友達の家にでも泊めてもらうから心配しないで欲しい。リリーを頼む。

明彦


とだけ、メールを送った。

大和川の駅でタクシーを降りると、近くのコンビニエンスストアで公園の場所を聞き、そこから十分ほど歩いた。その間も俺は凛子にどう事情を説明すれば良いのかを考えていた。

公園に着くと凛子は既に先にきていて、子供の様に足をぶらつかせながら、ブランコを漕いでいた。

俺がきたのに気が付くと、

「明彦ー!ねぇ、見て。満月がとってもきれいよ!」

と、夜空の月を指差した。

「本当だ。でも、満月までにはあと少し足りないな」

凛子はひょいっとブランコを降りると、俺のもとに駆けてきた。

「さすがは天文部ね!ちょっと嫌だ、そのタオルどうしたの?血だらけじゃない」

そう言って、俺の手からタオルを奪い取った。

「ちょっとテーブルの角にぶつけて切ったんだ。もう血は止まってるから大丈夫だよ」

「駄目よ、うちに帰れば救急箱があるから、行こう」

強引に連れて行こうとする凛子を制して、俺は言った。

「少し座らないか」

「でも、大丈夫なの?」

凛子は後ろから俺の肩に掴まり背伸びすると、後頭部にそっと手で触れた。

「もう血は止まっているみたい。傷もそんなに深くなさそうだわ。でも、後でちゃんと手当てしなくちゃ」

「うん、分かった」

俺と凛子は並んでブランコに揺られた。

「さっきはごめん、急に電話したりして。家、大丈夫だったか?」

「うん。母にはちゃんと言ってきたから大丈夫。ねぇ、明彦、家でてきたんでしょう」

「どうして?」

「そんな大荷物持ってたら、すぐに分かるわよ」

「ばれたか、やっぱり凛子には敵わないな」

「一体、何があったの?」

「実は父親と大喧嘩して、家を飛び出してきた」

「お父さんと?」

「父親っていっても、本当の親父じゃないんだけどな」

「それ、どういうことなの?」

「凛子には話してなかったけど、俺の本当の父さんは、俺が中学に上がる前に亡くなっているんだ」

「そうだったの…」

「母さんは俺と兄貴を育てるために、銀座のクラブでホステスとして働いていたんだ。それで、その時に客として知り合って再婚したのが、今の父親って訳さ。そいつは、大きな不動産会社の重役でさ、何不自由なくでっかい家で俺達を育ててくれたよ。欲しいものは何でも買い与えてくれたし、高校にも通わせてくれた。でも俺は、そんなに裕福じゃなかったけど、毎週のように花やしきに連れてって行ってくれた父さんが、大好きだったんだ」

「ねぇ、お兄さんて、どういうこと?明彦、一人っ子だって言ってたじゃない」

「今は一人っ子さ、兄貴は去年、事故で死んだ」

「そうだったの…」

「そいつは母さんが何も言わないのをいいことに、外に何人も女を作って、金さえあれば、世の中どうにでもなるって思っているような、最低の奴なんだ。そいつに言われたよ。そんな汚いバイトをして、一体、一日幾ら貰えるんだって…」

俺はいつの間にか、凛子の前で泣いていた。

「明彦…」

徐に凛子の胸が背に当たった。彼女は後ろから、俺を強く抱きしめていた。

「こうしていると、温かいね。あの日、私が記憶を全て取り戻した時も、屋上で明彦がこうして抱きしめてくれたでしょ。憶えてる?」

「ああ、憶えているよ。俺、凛子が壊れてしまうんじゃないかって、不安で堪らなかったんだ…」

「私もね、今、同じ気持ちよ」

凛子は細い指で俺の髪をそっと撫でた。頭に温かいものがポタポタと落ちた。

「明彦、土手で出逢った次の日、私に言ったでしょう。私達は似ているって。私の父はね、私が十歳の時に外に女の人を作って、家を出て行った。前にも少し話したけれど、小学校五年生の時。父と駅前で缶コーヒーを飲みながら、最後の会話をしたの。別れ際に、硝子でできたプードルの置物をくれたわ。父は私がずっと犬を欲しがっていたことを憶えていたのね。それ以来、父とは一度も会ってない」

凛子はそう言ったきり、何も言わなかった。一体、どれほどの時間が経っただろう。俺達は、何か大切なものを壊さないかのように、黙ってブランコに揺られていた。

「さぁ、そろそろ帰ろうか」

「えっ?」

「傷の手当てもしなくちゃいけないし。嫌だ、頬も腫れているじゃない」

凛子が俺のボストンバッグに手を掛けた。

「今日は特別にうちに泊めてあげる。廊下かもしれないけどいい?」

「そんないいよ。純也か輝にでも泊めて貰うから」

「心配しなくても大丈夫よ。うちのお母さん、ヤマグチ君のこと、大好きだから」

「冗談きついな」

「そう?」

凛子は公園から家へと電話をした。凛子のお母さんがどうしても俺に電話を変わるように言っているらしかった。俺は緊張しながら電話に出た。

「あの…山口です。こんな夜分遅くにすみません」

「あら、山口君!お久しぶりね、その節は凛子が色々とお世話になって。そんな所にいないで、早く帰っていらっしゃいよ。廊下で良ければ、泊めてあげてもいいわよ」

横で会話を聞いていた凛子が、舌を出して笑った。


そしてその晩、俺は小川邸にお世話になることとなった。

家へ着くと、凛子のお母さんが玄関から顔を出して待っていた。

「お帰りなさい。狭い所だけど、さぁ、どうぞ上がって」

そう言って、快く俺を迎え入れてくれた。

「本当にいいんでしょうか?」

「もう、山口君ったら、変な気を遣わないで、早く上がりなさいな。お夕飯、まだなんでしょう?」

「はい…すみません。じゃあ、お邪魔します」

「お母さん、明彦、頭に怪我をしているの。うちに救急箱、あったよね?」

凛子が俺の学生鞄を持ち、右手を引っ張りながら、リビングへと通してくれた。

「あら、大丈夫?ちょっと見せて」

凛子のお母さんは俺をソファに座らせると、後頭部にそっと触れた。少し照れ臭く俺は苦笑した。

「もう血も止まっているし、傷もそんなに深くないみたいだから大丈夫よ。一応、消毒して、ガーゼを貼っておきましょう。凛子、押入れに救急箱があるから、持ってきて!」

「分かった。後は私がやるから大丈夫!」


俺はリビングのソファで、凛子のされるがままになっていた。

「いてっ、滲みる!」

「もう、男の子なんだからこれ位、我慢しなさい!」

凛子は手早く消毒をし、薬を塗ってガーゼで傷口を止めてくれた。

その間、凛子のお母さんは食事の支度をしてくれた。

「こんなものしかなくて、ごめんなさいね。山口君のお口に合うかしら?」

出てきたのは、かぼちゃの煮っころがしと、茄子とピーマンの肉詰め、それに大盛りのご飯と味噌汁だった。

「こんなにまでしていただいて、本当に有難うございます。さっそくいただきます」

俺はとにかく腹が減っていたので、あっという間に全てをたいらげた。

「茄子とピーマンの肉詰めは、私が作ったの。どう、美味しかった?」

「うん。どれも美味しかったよ」

「本当に?」

その頃には、凛子のおばあちゃんと弟までが、リビングに集まってきていた。

「あんた、本当にいい男だねぇ。凛子にはもったいないくらいだわ」

「ちょっと、おばあちゃん、失礼でしょう!」

「ねぇ、お兄ちゃん、凛子の恋人?」

「もうっ、違うの。明彦はただのクラスメイト!」

「本当か?付き合っているようにしか、見えないけどな」

「君が凛子の弟か、名前は?」

「俊太郎!」

「俊太郎か、俺と凛子は同志なんだ」

「どうしって、何?」

「お互い心と心が同んなじ方向を向いていることを言うんだ」

「ふーん、それで凛子のどのへんがいいんだよ」

「そうだな、強くて逞しくて優しいところかな?」

「凛子は学校でも強いんだな。俺にもいっつも怒るんだぜ。どうしかぁ、男と女って良く分からないよな」

「どうしは男同士だっていいんだぞ。君と俺も同志になるか?」

「うん、なるー!」

俊太郎はそんな生意気なことを言って、みんなを笑わせた。凛子は顔を真っ赤にさせながら大慌てをし、家中に笑いが沸き起こった。俊太郎は俺に良く懐き、一緒にプロレスごっこをして遊んだ。

こんなに賑やかなひと時を過ごすのは、一体何年振りだろう。俺はいつの間にか、懐かしく優しい時間に包まれていた。


ふと時計を見ると、もう十一時半を過ぎていた。

「山口君、お風呂変えておいたから、良かったらどうぞ」

「本当に何から何まですみません…皆さんも、僕に気を遣わずに、もう休んでください」

そう言って、ボストンバッグからTシャツとスエットを出そうとした時、床に何かが落ちた。

「山口君、これ落ちたわよ」

「すみません」

それは家を出てくる時に、急いでブレザーの内ポケットに入れてきた写真だった。

「これ、僕の昔の家族の写真なんです。それは父と、亡くなった双子の兄です」

「えっ、明彦って、双子だったの?」

「うん。そうなんだ」

凛子が頭の上から写真を覗き込んだ。

家の門前で、父が兄貴を肩車して写っている写真だった。

「村田って…ねぇ、明彦のもとの名字って、村田っていうの?」

「ああ」

「ねぇ、明彦、ちょっと写真貸して」

そう言って、凛子は俺の手から写真を受け取ると、暫く食い入るように見つめていた。

「お母さん、これ、和君じゃない?こっちは、和君のママ…」

「えっ?」

「ほら、ここに写っているの、うちの昔の家…」

「本当だわ。これ、恵子さんじゃない。ちょっと、この写真、私が撮ったものだわ」

「あの…どういうことなんでしょうか?何故、僕の昔の家族のことをそんなに良くご存知なんですか?」

凛子のお母さんは、ソファに深く腰掛けると話し始めた。

「ねぇ、山口君。この写真に写っているの、あなたのお兄さんなのよね?」

「はい、そうですけど…」

「山口君、この頃、杉並に住んでいなかった?」

「はい、そうですけど、それが何か?」

「実はね、私達一家もこの頃杉並に住んでいて、うちのお隣に双子のご兄弟がいらっしゃったの….そのご家族は、村田さんといってね、上のお兄ちゃんが和君、下の弟さんが明君といったわ…」

「それって、まさか…」


“明君”


俺は幼い頃、母からずっとそう呼ばれていた。

「和君と凛子は保育園が一緒だったから、しょっちゅう親しくしていただいて。あなた、三歳の頃、心臓を悪くして入院してたでしょう?」

「はい。かなり悪かったそうで、生きるか死ぬかの瀬戸際だったそうです」

「あなたのお見舞いにも、三歳の凛子を連れて行ったわ」

「それ、本当なんですか?」

「こっちの恵子さんに抱かれている写真が、山口君、あなたなのね?」

「はい。生まれてすぐの僕です」

「あなたと凛子は、三歳の頃、あなたの入院していた病院で、すでに出逢っていたんだわ…」

凛子のお母さんは信じられないといった様子で、いつまでも写真を見つめていた。

あの土手で凛子に出逢った時、俺は何か特別なものを彼女に感じていた…それよりもずっと前、三歳の頃にふたりがすでに出逢っていたなんて。

「他の写真が何処かにある筈よ。きっと、凛子のアルバムだわ」

そういえば、今日家を飛び出す前、母が昔の知り合いと長電話していたことを急に思い出した。

「今日うちの母が電話していた相手って、もしかして、お母さんだったんですか?」

「どうやらそういうことみたいね。恵子さん再婚なさって、今は山口という姓に変わったと言ってらしたわ」

「明彦、ちょっときて!」

凛子に腕を引っ張られ、俺は二階の彼女の部屋へと連れて行かれた。

部屋に入るなり、クローゼットから一冊の古いアルバムを出してきて、俺の目の前に差し出した。

アルバムの表紙には、凛子のお母さんが書いたのだろう、


“凛子 三歳”


と、書かれていた。

俺と凛子はベッドに座り、アルバムのページを一枚ずつめくっていった。

「見て、和君よ。去年、事故でなくなられたって聞いた。私、前に明彦のお母様にも、偶然スーパーで会っているのよ。和君のこともその時に聞いたの。それなのに、全然、気が付かなかった。だって明彦、一人っ子だなんていうから。まさかあの村田夫人が、明彦のお母様だったなんて…」

「ごめん。嘘を突くつもりじゃなかったんだ。だけど去年、兄貴が亡くなってから、俺、今までずっと兄貴の死を受け入れられずにいたんだ。兄貴は今の父親と喧嘩をして、家を飛び出して事故に遭った。自転車に乗っていて、トラックと正面衝突をして即死だった…」

「そうだったの…」

アルバムには兄貴と凛子が、追い駆けっこしている写真があった。他にも兄貴が何かいたずらをして凛子が泣いている写真、一緒にプールで水遊びをしている写真、保育園だろうか?ふたりで眠っている写真まであった。

そしてそのページの一番下に、鼻からチューブを入れられている少年と、凛子と思われる少女がふたり並んでベッドの上で写っている写真があった。俺だと思われるその少年はパジャマ姿で、青い折り紙で折られた兜を頭に被っていた。


“五月五日 端午の節句 明君の病院にて”


と、下に小さなシールが貼られていた。

「三歳の頃の俺だ。そういえば、これ…」

俺はブレザーの内ポケットに突っ込んできた、白いミトンの手袋を凛子に差し出した。

「これ…どうして明彦がこれを…」

「兄貴の部屋の段ボールに入ってた…」

「もしかして、小学校五年生のクリスマスイブに公園で出逢ったのって和君だったの…嘘、信じられない」

凛子は手袋を握り締め涙を流した。

「和君があの少年だったなんて…」

「ああ…」

「明彦が転校してきた朝、土手で出逢ったのも、偶然なんかじゃなくて必然だったのよ。全ては今日へと繋がっていたんだわ」

「そうだったのかもしれない」

「きっと和君が、こうして再び私達を引き合わせてくれたんだわ」

凛子は立ち上がると机の引き出しから、二冊の本を取り出した。

一冊はボロボロに表紙の擦り切れた『十二夜』、もう一冊は俺が彼女の誕生日に贈ったものだった。

ふたりはベッドに腰掛け、暫く二冊の本を眺めた。






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