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君に贈るエピローグ  作者: 美雨
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12/27

再生

それから一週間後に退院が決まった。

私はその日の朝、母が誕生日にプレゼントしてくれた真新しいブラウスに袖を通した。着替えを済ませベッドに座っていると、母が顔を出した。まだ右足のギプスは取れていなかったので、母に荷物を持って貰い、私は松葉杖を突きながら母とナースステーションへと向かった。

「小川さん、退院おめでとう!」

山田さんが忙しい中、わざわざ見送りにきてくれた。

「娘が色々とお世話になりました」

「いいえ、凛子さんとはこちらこそ親しくさせていただいて…何だか、淋しくなります」

「山田さん、本当に有難うございました。私、これからも頑張ります」

「ええ、小川さんならきっと大丈夫。流星の人によろしくね」

「流星の人って?」

母が不思議そうな顔をした。

「ううん、何でもないの」

私と山田さんは互いにウインクをした。

一階で手続きを済ませロビーを出ると、春の柔らかな陽射しが、私の瞼を優しく照らした。病院の前の坂道は桜並木になっていて、舞い踊る桜の花びらは、私に小学五年生のクリスマスイブの夜を思わせた。


翌朝、私は久しぶりの制服に身を包んだ。鏡に自分の姿が映ると、まるで新入生の頃のようなくすぐったい気分が甦った。

私はベッドに腰掛け、読み古した『十二夜』の表紙を暫く眺めていたが、意を決し引き出しの奥へとしまった。代わりに、明彦から誕生日にプレゼントされた文庫本を鞄に入れ家を出た。


電車に揺られていると、懐かしさとともに緊張感が身体中を駆け巡った。

皆は果たして私を受け入れてくれるのだろうか?そんな不安が頭を過ったが、私は先日、美奈子の墓前で約束したことを思い出していた。何があっても美奈子の分まで生きるのだ、と。

学園前で電車を降り、土手に差し掛かると松葉杖を突きながら、左足で一歩一歩大地を踏みしめて歩く。

土手の途中までくると、明彦が大きくこちらへと手を振っていた。

「お帰りー、凛子!」

「ただいまー、明彦!」

ふたりの声がこだまのように、土手に響き渡った。

明彦が私の肩を支えてくれ、土手の斜面をゆっくりと降りた。

「気分はどう?」

「うん。何だか懐かしいわ」

私達は約一ヶ月ぶりに、ふたりで土手に寝転び、青い空を見上げたのだった。

土と芝の香りが懐かしく私を包み込み、充足した朝のひと時を過ごした。

「そうだ、これ。ちゃんともとの持ち主に返さなくちゃ」

私は上体を起こして、鞄からお守りを取り出すと、明彦に手渡した。

「そうだな、凛子が初めて俺にくれたプレゼントだもんな」

「それとね、これも」

「何?」

「これ、私からのお礼。明彦、私に入院中買ってきてくれたけど、まだ読んでいないでしょう?『流星の人』良かったら、読んでみて」

私は例の一節に予めマーカーでラインを引き、手作りの皮の栞を挟んでおいた。

「有難う。この栞、もしかして凛子が作ったのか?」

「そう」

明彦はパラパラと詩集をめくっていたが、栞のはさんであるページで目を留めると、真剣な面持ちでその一節を読んでいる。

「凛子…」

「明彦は私にとっての流星の人なの。私、明彦がいなかったら、今ここにこうしていられたかどうかさえ分からない。こうして全てを乗り越えられたのは、いつも明彦が傍にいてくれたから…本当に有難う」

私は、明彦の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「凛子がいない間、俺、毎朝ここで空を見上げながら、ずっと凛子のことを考えていたんだ。記憶が戻ることが凛子にとって、本当に良いことなのかどうかって…」

「あの晩、記憶を全て取り戻した時、胸が張り裂けるくらい苦しかった。美奈子のもとへ行ってしまおうって、本気で思った。でも、明彦言ってくれたでしょう、美奈子の分まで生きろって。だから私、この先何があっても絶対に生きるって決めたの」

「うん」

「私、職員室へ柴田先生に、挨拶に行ってくる」

「ひとりで行けるか?」

「大丈夫。この松葉杖にも慣れたものだわ」

私は右手の松葉杖を、明彦に向かって小さく振って見せた。


今回の一件で私は、柴田先生にも随分と迷惑を掛けてしまった。先生は私がこの学園に残れるよう、PTAや教育委員会にまで働き掛けてくれたそうだった。そのことで一部のPTAから反発を買い、一時は退職にまで追い込まれたのだと、明彦から聞かされていた。

私は職員室の扉をノックした。

「失礼します」

窓際に佇みコーヒーを飲む柴田先生の姿が見えた。

先生は私に気付くと、

「おー、小川、待っていたんだ。約一ヶ月ぶりだな。どうだ具合は?」

そう言いながら、私の傍まで駆け寄ってきてくれた。

「先生、ご無沙汰しています。今まで色々とご心配やご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした」

「もう本当に大丈夫なのか?お母さんからも、何度も学校に連絡を貰ってな。相当、心配していたぞ」

「はい。自分でも一時はどうなるのか不安でしたけれど、もう大丈夫です。後はこの右足さえ良くなれば完璧です!」

「そうか」

先生は大きな声で笑った。

あの日から今日まで、先生も相当大変だったに違いない。

教え子の死、PTAとの摩擦、そして自身の進退と、私には計り知れない労苦があっただろう。少し白髪が増えたように見えた。私は先生にどんなに感謝をしてもし尽くせなかった。

「お見舞いにも行ってやれんでごめんな」

「そんなことないです。私、山口君から色々と聞きました。先生がクラスのみんなや親御さん達にも、随分と私のことで尽力してくださったって。先生がいなかったら、私、この学校を辞めていたかもしれません」

「色々あったな。でも、もう大丈夫だから、安心していいぞ」


それから暫くして始業を告げるベルが鳴ると、私と柴田先生は2Bの教室へと向かった。教室の扉の前に立つと、さすがに私の膝はガクガクと震えた。

「じゃあ、入るぞ」

「はい…」

柴田先生が扉を開けた。

「おはよう。はーい、みんな静かに!今日は久しぶりに小川が戻ってきた。小川、入りなさい」

松葉杖を突き、教室の中へと入った途端、あちこちから歓声が上がり、皆が拍手で迎えてくれた。明彦も拍手をしながらこちらを見て微笑んでいる。

やっと戻ってきた、戻ってきたんだ…。

胸に熱いものがこみ上げ、涙ぐみそうになるのを必死に堪えた。

拍手と歓声はいつまでも鳴り止まず、柴田先生が私を席へと促してくれた。

私は松葉杖を窓際に立て掛け席に着いた。

後ろの美奈子の席はそのままになっていた。

美奈子との思い出が甦り、再び目頭が熱くなる。美奈子はもうここにはいない。だが、私の心の中でこれからもずっと、笑ったり泣いたりするのだろう。


一時間目の数学の授業が終わると、結衣と博美が私の席にやってきた。

「凛子、退院おめでとう。入院中はお見舞いにも行けなくてごめん…」

博美が深々と頭を下げた。

「ううん、カードや誕生日のプレゼント、凄く嬉しかった。有難う」

「あたしと博美でね、今までのノートまとめたんだ。良かったら使って」

結衣が表紙に花柄がプリントされたノートを手渡してくれた。

「わぁっ、有難う。これふたりで作ってくれたの?」

「うーんとね、実を言うと、輝と中原君にも手伝ってもらっちゃった」

私達は高らかに笑い合った。


昼休みは久しぶりに結衣に博美、そして明彦と純也に輝、皆でテーブルを囲んだ。

「ねぇ、ひとつ聞きたいことがあるの」

「何?凛子」

結衣は大きな口にロールパンを頬張っている。

「あのね、渡辺さんてあれからずっと学校にきてないの?」

「うん、そうなんだ。柴田先生と一緒に俺達も何度か家へ行ってみたんだけど、いつも彼女のお母さんが出てくるだけで、本人には会えなかったんだ」

純也が言った。

「女子の間では転校するんじゃないかって、もっぱらの噂だよね、結衣」

「うん。みんなもうこないんじゃないかって言ってる」

「そうなの…心配ね」

「凛子が心配することじゃないよ、あんなに酷いことされたんだから」

相変わらず結衣は、パンを頬張っている。

「はい、これ。あたしもう食べられないから、あげる」

そう言って、博美が自分のロールパンを結衣のトレイに乗せた。

「でも、気になるな…ねぇ、明彦、今日の放課後、一緒に付き合ってくれない?」

「いいけど、俺達じゃ、会ってくれないだろ」

「とにかくこのままじゃ、いけない気がするの。私だけが学校に戻って、渡辺さんがこられないなんて、何かおかしいわよ。みんなが私と明彦を受け入れてくれたように、彼女のこともきっと受け入れてくれる筈だわ。来月には修学旅行もあるのよ。クラス全員揃って行きたいじゃない、高校生活最後の思い出なんだから」

この学園では一年から三年まで一度もクラス替えはない。そして大学受験で忙しくなる前の、三年生になってすぐの四月に修学旅行がある。

「凛子、何だか逞しくなった」

一足先に給食を食べ終えた博美が言った。

「そうかな?ただ、渡辺さんときちんと向き合って、決着を着けたいだけ」

「そうだよな。あんな一件があって、やっぱりこのままなんておかしいよ。俺達、一年の時からずっと一緒にやってきたんだ。渡辺さんだって、本当は戻りたいって思っているんじゃないかな?」

輝はそう言って、腕組みをして椅子にもたれ掛かった。

「じゃあ、あたし達も協力する。ねぇ、博美」

「うん。今日の放課後は何もないし、あたしと結衣が呼びたしてみるっていうのはどう?」

「そうだな。お見舞いにきたってことにして、近くの公園で俺達が待っているから、そこへ彼女を連れてきてくれないか?また何かあるといけないから、純也と輝も一緒に付き合ってくれないか?」

私達はこうして作戦を練ると、午後の授業に戻った。


放課後、私達六人は朋子の家のある駅へと向かった。博美と結衣が彼女の自宅を訪ね、残りの四人は近くの公園のベンチでふたりが朋子を連れてくるのを待った。

「渡辺さん、くるかな?」

輝は先程から気が気ではない様子で、辺りをうろうろしている。

「大丈夫よ。その辺はあのふたりが、きっと上手くやってくれる筈よ」

「凛子は、気持ちの整理、付いているんだよな?」

横で明彦が真剣な声でそう言った。

「うん。心の準備はきちんとできてる」

「小川さん、変わったな。本当に逞しくなったよ」

純也が眼鏡を直しながら私を見た。

公園の入口に三人の姿が見えた。何か話をしている。私達は徐にベンチを立ち上がると、三人のもとへと近付いて行った。

「ちょっと、これどういうこと?あたし帰る!」

朋子は大声を上げて踵を返そうとしたが、両脇を博美と結衣が摑み制止した。

「一体、何のつもり?みんなであたしに仕返しにきたって訳」

朋子が吐き捨てるように言った。

「違うわ。今日はきちんと渡辺さんと決着を付けるためにきたの」

「決着?」

「そうよ」

私はそう言いながら、右手の松葉杖を明彦に手渡した。明彦が不思議そうに私を見た。


“パンッ”


そしてもう一発、朋子の左頬を打った。

「ちょっと、何すんのよ!」

朋子は抑えられていた両腕を振り払い、私に摑み掛かろうとした。

「凛子!」

「小川さん!」

明彦と純也が同時に叫んだ。結衣と博美と輝は呆気に取られている様子だった。

「一発は私の分。そしてもう一発は、美奈子の分よ」

「………」

朋子は左の頬を抑えて黙ったまま、地面に視線を落とした。

「痛いでしょう?でもね、美奈子の心はもっとずっと、私達には想像が付かないくらい痛かった筈だわ」

私は冷静だった。

「いきなり叩いたりしてごめんなさい。でも、渡辺さんならきっと分かってくれると信じてる。あの日、事の発端を作ってしまったのは、私と明彦だわ。けれど、みんなの前で有ること無いことを喋った渡辺さん、あなたにも責任はある筈よ。何故、逃げたりするの?美奈子の死は事故だった。だけど、私達に全く責任がないとは言えないわ。逃げることなんてできないの。ちゃんと受け入れて、一生責任を負って生きて行かなくちゃいけないの」

「………ごめんなさい」

朋子が口を開いた。地面にポタポタと、大粒の涙が落ちた。

「あたしも美奈子と同じ、山口君のことが好きだった。だけど、凛子と山口君が親しそうにしているのを見て、頭にカッと血が上ってしまったの。本当に取り返しのつかないことをしてしまった…」

そう言って、朋子は力なくしゃがみ込んだ。

私は彼女に右手を差し出した。

「渡辺さん、学校に戻ってくれるよね?来月一緒に、みんなで修学旅行に行こう」

朋子は私の差し出した右手を取り、立ち上がった。

「あたしね、あんなことがあって、もう学校へ戻ることなんてできないと思った。柴田先生やみんなが心配して訪ねてきてくれたけど、会わせる顔もなくて…本当にごめんなさい」

「クラスのみんなもきっと受け入れてくれる筈よ。だから、ちゃんと明日から学校へくると約束して」

「そうだよ、朋子。あんたがいなくちゃ、何にも始まらないんだから」

結衣が力強く朋子の肩に手を置いた。

「有難う…みんな」

私は再び彼女の手を取り、固い握手を交わした。


翌朝、私と明彦は土手にいた。

「渡辺さん、今日ちゃんとくるかな?」

「くるわ、必ず。私達、昨日約束したんだもの」

「長かったな、この約一ヶ月…」

「うん。本当に長かった」

「色々あったけど、俺達、これで良かったんだよな」

「分からない。でも、沢山のことを乗り越えて、少し成長できた気がする。私ね、記憶を失って、初めて気付いたことがあるの」

「どんなこと?」

「自分がいかに弱くて狡くて卑怯だったかってこと」

「………」

「あの日、美奈子が屋上から落ちたのを見て、私、そのことから目を背けてた。記憶を失うことで、現実から逃げていたのよ。美奈子が亡くなったのは、自分のせいじゃないって、心の何処かできっと思っていたの。私は、そんな弱くて狡くて卑怯な人間」

「そんなふうに自分を責めるなよ」

「責めてるんじゃないの。私が記憶を取り戻した時、明彦言ったでしょう?現実から目を逸らさずに生きて行くしかないんだって。その時、初めて目が覚めたの」

「そうか」

「私ね、人としてもっと強くなりたい。今はそう思うの」

「うん…」

ふたりはいつものように土手に寝転んだ。

私は、真っ青な空に揺るぎない光を放ち続ける、太陽のような自分になりたいと、その時強く思ったのだった。






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