第9話「同じ顔」
部活が終わると、いつもの公園へ向かった。
陽菜とは、バイトが終わる時間に合わせてここで待ち合わせる約束をしていた。
正確には、俺の方から「話したいことがある」と送って、時間を作ってもらった。
ベンチに腰を下ろし、何度も頭の中で言葉を並べる。
——ちゃんと謝ろう。
昨日の自分が、どれだけ子供だったか。
一晩経って、ようやく冷静になれた。
陽菜は試合を見に来てくれた。
仕事まで休んで、応援してくれた。
そのあと送別会へ向かったのも、先輩の大切な日だったから。
誰かを選んだわけでも、誰かを優先したわけでもない。
ただ、どっちも大切だったから、両方行ける方法を考えただけだった。
そんな当たり前のことに、昨日の俺は気づけなかった。
遠くから足音が聞こえた。
顔を上げる。
陽菜が歩いてくる。
いつもより少しだけ表情が硬い。
「お疲れ」
「お疲れ様」
隣に腰を下ろす。
少しだけ距離が空いていた。
その距離が、妙に遠く感じる。
「あのさ」
先に口を開いたのは俺だった。
「昨日、ごめん」
陽菜は何も言わず、静かにこっちを見た。
「陽菜は何も悪くないのに、勝手に拗ねて、勝手に当たって」
苦笑する。
「最低だった」
「……うん」
責めるでもなく、かばうでもなく。
ただ受け止めるような返事だった。
「あと」
少し息を吸う。
「正直、焦ってた」
「焦ってた?」
「陽菜がバイト始めてから、知らない名前がどんどん増えてさ」
少し笑う。
「先輩とか、マスターとか、マミさんとか、マイさんとか」
陽菜は黙って聞いている。
「楽しそうに話すたびに、自分の知らない場所が増えていく気がして」
言葉にすると、本当に情けない。
「置いていかれるような気がしてた」
風がゆっくり吹き抜ける。
「だから先輩のことも必要以上に気になったし、試合の日も、来てくれたことより、そのあと帰ったことばっかり考えて」
自嘲気味に笑った。
「ほんと、ガキだった」
しばらく沈黙が続いた。
葉っぱが風に揺れる音だけが聞こえる。
「……そっか」
陽菜がぽつりと言った。
「そんなこと考えてたんだ」
「言えなかったから」
「うん」
少しだけ笑う。
「でも、聞けてよかった」
その笑顔を見て、ようやく肩の力が抜けた。
「もういいよ」
そう言って笑う陽菜を見ながら、俺も少し笑った。
でも。
その笑顔の奥に、まだ何か引っかかっているものが見えた。
ほっとしたような。
それでいて、まだ苦しそうな。
その顔に、見覚えがあった。
※※※
小学三年の夏。
近所に住んでいた十歳上のタケシ兄ちゃんが、芸人の養成所に通うために地元を離れることになった。
昔からよく遊んでくれた人だった。
キャッチボールも、自転車も、最初に教えてくれたのはタケシ兄ちゃんだった。
だから陽菜は、あの日ずっと元気がなかった。
別れ際。
陽菜は泣きそうな顔を隠すみたいに、わざと強く言った。
「芸人なんて、なれるわけないじゃん」
タケシ兄ちゃんは、一瞬だけ寂しそうな顔をした。
陽菜も、言った直後にはっとした顔をしていた。
でも、そのまま何も言えずに走って行ってしまった。
あの時の顔。
自分の言葉で誰かを傷つけたと気づいているのに、どうしたらいいかわからない。
泣きそうで、困っていて。
それでも素直になれない顔。
——今の陽菜は、あの時と同じ顔をしていた。
※※※
「陽菜」
「うん?」
「先輩と、ちゃんと話したいんだろ」
陽菜の表情が止まる。
少し俯いてから、小さく頷いた。
「……うん」
「だったら行ってこいよ」
「え?」
「同じ顔してる」
陽菜が不思議そうに俺を見る。
「タケシ兄ちゃんの時と、同じ顔」
その言葉に、陽菜の目が少しだけ見開かれた。
しばらく黙っていた。
やがて、小さく笑う。
その笑顔は、少しだけ泣きそうだった。
「……覚えてたんだ」
「忘れるわけないだろ」
少しの沈黙。
「ありがとう、颯太」
陽菜が立ち上がる。
そのまま、喫茶店の方へ走り出した。
俺はベンチに座ったまま、その背中を見送る。
姿が見えなくなっても、しばらく動けなかった。
「……何やってんだろ、俺」
自分で送り出した。
それでよかった。
ちゃんと、そう思える。
それなのに。
胸の奥だけは、少しだけ痛かった。




