↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの子のいる場所  作者: 水無月菜乃花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/10

第6話「優先順位」

「最後の一人は——坂本」


監督のその声が、部活が終わった今も耳に残っている。


今日、新チームのメンバーが発表された。三年生が引退し、新しいチームが始まる。


一年から選ばれたのは、俺ひとりだった。


しかも来週の練習試合から出場することになった。


嬉しくないわけがない。


でも、その知らせを聞いた瞬間、真っ先に頭に浮かんだのは——陽菜の顔だった。


早く伝えたい。


誰よりも先に、陽菜に聞いてほしい。


着替えを済ませてグラウンドを飛び出した俺は、いつもの公園には向かわなかった。


気づけば、陽菜が働く喫茶店へ向かって走っていた。


※※※


商店街が見えてくるころには、さすがに息が上がっていた。


店の前で少しだけ足を緩める。


ガラス越しに見える店内。


カウンターの向こうに、陽菜の姿があった。


ほっとしたのも束の間、その隣にいる先輩の姿が目に入る。


二人は何か話しながら笑っていた。


……別に、おかしなことじゃない。


同じ店で働いているんだから、楽しそうに話していて当然だ。


頭ではわかっている。


それなのに、ドアノブに伸ばした手がほんの少し止まった。


胸の奥が、ちくりと痛む。


深呼吸をひとつ。


そして俺は、ゆっくりとドアを押した。


店に入ると、コーヒーの匂いが鼻をくすぐる。


「あ、颯太! どうしたの、いつものとこで待っててくれたらよかったのに」


陽菜がカウンターの向こうから声を上げた。


――いつものとこ。


その言葉が胸の奥にじんわりと広がる。


俺たちにとって当たり前になった場所。


そう思うと、さっきまであった緊張が少しだけ和らいだ。


そのままふとカウンターの中へ視線を向ける。


先輩と目が合った。


一瞬だけ、さっき店の外から見えた光景が頭をよぎる。


そのまま視線を逸らし、陽菜へ向き直った。


「どうしても早く言いたくて」


そう答えると、陽菜は少し不思議そうに笑った。


「あと三十分くらいで上がれると思うんだけど――」


「もう上がっていいぞ、陽菜」


奥からマスターの声がした。


「今日は暇だし、どうせすることもない」


「え、いいんですか?」


「構わん」


「ありがとうございます! じゃあ着替えてきますね」


嬉しそうに頭を下げると、陽菜は奥へ消えていった。


俺はそのままカウンター席に腰を下ろす。


「アイスティー、一つお願いします」


先輩が少し困ったように笑った。


「あ、すぐ戻ってくると思うんで、大丈夫ですよ」


「走ってきたんで。喉、カラカラなんです」


「じゃあすぐお持ちしますね」


氷の音が静かな店内に響く。


グラスを受け取り、一口飲んでから俺は口を開いた。


「陽菜、頑張ってますか」


「もちろん。最初はミックスジュースも満足に言えなかったのに、今じゃ常連さんの顔と好みも全部覚えてますよ」


ミックスジュース。


公園で嬉しそうに話していた陽菜の顔が浮かぶ。


「初日に言えるようになったの、すごく喜んでたんですよ」


あの日の笑顔。


でも、その喜びの隣には、この人がいたんだ。


なんとなく胸の奥がちくりと痛んだ。


「そうなんだ」


先輩が話を続ける。


「真面目ですよね。メモもしっかり取ってて」


「……でも、あれ小さすぎて読めないでしょ」


思わず口から出た。


先輩が少し驚いたような顔をする。


陽菜の字が小さいこと。


ノートの端にぎっしり書き込むこと。


そんなことは昔から知っている。


俺だけが知っていることだと思っていた。


「昔からそうなんです。やりたいことができると一直線で」


気づけば言葉が続いていた。


「小学校のときも児童会長やるって言い出して、本当に立候補して、当選して、最後までやり切って」


「へえ。あの子らしいね」


先輩は素直にそう言った。


その返事を聞いた瞬間、急に恥ずかしくなった。


――何やってるんだ、俺。


祭りのときと同じだ。


自分だけが知っていることを並べて、知らない相手に勝った気になろうとしている。


そんなことをしたって、何も変わらないのに。


奥から足音がして、陽菜が戻ってきた。


「お待たせ! 何の話してたの?」


「陽菜の小学生の頃の話」


「何それ!? 颯太、変なこと言ってないでしょうね」


「言ってないよ」


「ほんとに?」


「ほんとだって」


陽菜がじとっとこちらを見る。その顔がおかしくて、少し笑ってしまった。


陽菜が先輩の方へ視線を向けた。


「先輩、ご迷惑おかけしました。じゃあ行きます」


「お疲れ様」


「お疲れ様でした!」


深くお辞儀をして、陽菜が歩き出す。俺も急いでカウンターに小銭を置いて、その後に続いて店を出た。


※※※


外に出ると、夕方の風が少しだけ涼しかった。


並んで歩き始めると、陽菜が隣で首をかしげる。


「で、何を早く言いたかったの?」


「新チームのメンバー発表があって。一年で入れたの、俺だけだったんだ」


「え、ほんとに?」


「来週の二十九日に練習試合があるんだけど、出られることになった」


陽菜の顔がぱっと明るくなる。


「すごいじゃん、颯太!」


その笑顔を見て、胸の奥が少し軽くなった。


ちゃんと喜んでくれている。


それが嬉しかった。


「見に来れる?」


言ったあとで、少しだけ緊張した。


陽菜はすぐには答えなかった。


「……ごめん。その日シフト入ってて。一回聞いてみないといけないんだよね」


「この前は絶対行くって言ってくれたのに」


口から出た瞬間、しまったと思った。


陽菜が少し困ったように目を伏せる。

挿絵(By みてみん)

「……休めないか聞いてみるね」


「いや、いい。無理しなくて」


「聞いてみる」


それだけ言うと、陽菜は前を向いた。


言わなきゃよかった。


仕事なんだから、そう簡単に休めるはずがない。


そんなことはわかっている。


それでも、夏休みの初日。


同じことを聞いたとき、陽菜は一秒も迷わなかった。


『絶対行く』


あの言葉を思い出す。


バイトが始まって、陽菜の毎日は少しずつ変わった。


それが悪いことじゃないのはわかっている。


それなのに、どこか置いていかれたような気持ちになっていた。


※※※


その夜、陽菜からLINEが届いた。


『行けることになった!』


思わず顔がほころぶ。


来てくれる。


その一言だけで、夕方から胸につかえていたものが少し軽くなった。


『仕事休むの大変だったろ。ごめん』


すぐに返信する。


既読がつくのも早かった。


『私もどうしようかなって思ってたんだけど、先輩に相談したら、前もって言ってもらえれば全然大丈夫って言ってくれて。気が楽になった!』


画面を見つめたまま、指が止まった。


大人気ない一言で陽菜を困らせたのは俺で、その陽菜を安心させたのは先輩だった。


情けない。


でも、そのおかげで陽菜が試合を見に来てくれることになったのだから、そこは素直に感謝しよう。


とにかく余計なことは考えず、来週の試合に全力を尽くそうと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。