第5話「すとりーと」
いつもの公園のベンチに座りながら、先日のことを思い返していた。
陽菜のバイト先に行ったあの日。
自分の知らない場所で、自分の知らない顔をする陽菜。
店の人たちと楽しそうに話して、あの先輩と軽口を叩き合うその姿を見て、なんとなく置いていかれたような気持ちになったのを覚えている。
入り口の方から足音がした。
「颯太!」
顔を上げると、陽菜がこっちに向かって走ってきていた。
やたらテンションが高い。
「祭りに、すとりーと来るって!」
「……マジで!?」
思わず立ち上がった。
「うん! バイト先にポスター貼ってあって、さっき気づいたの!」
「うわ、すげえ……」
自然と声が漏れる。
すとりーとは、地元出身のお笑いコンビだ。
高校の同級生同士でコンビを組み、卒業後すぐ大阪へ出た。最近はテレビでも見ることが増えてきて、少しずつ名前が知られ始めている。
俺も陽菜も、昔からずっと好きな芸人だった。
「最近ほんと見るようになったよね」
陽菜が嬉しそうに言う。
「この前も普通にゴールデン出てたし」
「なんか変な感じするわ」
「わかる。昔はもっと近かった感じしたのにね」
陽菜がくすっと笑った。
「あの頃から、ずっと頑張ってたもんね」
「……まあ、昔から妙に負けず嫌いだったし」
「あー、それはあるかも」
陽菜が楽しそうに頷く。
「でも、なんだかんだあんまり変わってない気もする」
「そうか?」
「うん。テレビ出てても、“あ、昔のままだ”ってなる」
「まあ、変に気取ってないもんな」
「そこが好き」
即答だった。
なんか、その言い方が妙に陽菜らしくて、少し笑ってしまう。
「でも売れてきてよかったよな」
「うん」
陽菜が小さく頷いた。
「なんか、自分のことみたいに嬉しい」
少しだけ間が空く。
陽菜が何か思い出したみたいに笑った。
「それでタ——」
「盛り上がってんねー」
後ろから声が飛んできた。
振り返ると、莉央と玲央が立っていた。
「なに話してたの?」
「すとりーと」
陽菜が即答する。
「あー、祭りのやつ?」
「そう! 来るんだって!」
莉央が少し意外そうな顔をした。
「へえ。あんたら、お笑いとかそんな好きだったっけ?」
「すとりーとは別」
俺と陽菜の声が、ほとんど同時に重なった。
一瞬だけ顔を見合わせる。
「うわ、なに今の」
莉央が笑った。
「いや、なんか昔から好きなんだよ」
俺がそう言うと、陽菜も頷く。
「へえー」
莉央はあまりピンと来てなさそうだった。
玲央が「俺わかるかも」と口を挟む。
「最近めっちゃ売れてるよな」
「この前もCM出てたし」
そんな話をしていると、玲央が急に「あ」と声を上げた。
「そういやさ、あの喫茶店のお姉さん元気?」
「お姉さん?」
陽菜が首を傾げる。
「ほら、こないだいた人。めっちゃ美人だったじゃん」
「ああ、マイさん?」
「その人その人」
玲央がうんうん頷く。
「ノリよかったよなー。また会いたい」
「わかる。あの先輩もちょっとカッコよかったし」
莉央まで乗っかってくる。
俺は少しだけ眉をひそめた。
「……そう?」
「うん」
玲央が妙に真面目な顔で頷く。
「なんか“大人”って感じだった」
「それ!」
莉央が笑う。
「急に『キミ野球とかやってそう』とか言い出すの、ちょっとドラマみたいだった」
2人が先輩を褒めるのを聞いていると、なんとなく胸の奥がむずむずした。
「颯太?」
陽菜がこっちを見る。
「どうしたの?」
「いや、別に」
「なんか不機嫌じゃない?」
「気のせい」
莉央が「ははーん」とニヤついた顔をした。
「もしかして嫉妬?」
「違う」
即答した。
玲央が空気も読まずに続ける。
「でもあの店いいよな。また行きたくなった」
「わかる。プリン美味しかったし」
「でしょでしょ!」
陽菜まで楽しそうに乗っかる。
……なんなんだよ。
少し笑い声が落ち着いたところで、玲央がふと思い出したように言った。
「ていうか祭り、みんなどうせ行くんだろ?」
「あ、行く行く!」
陽菜がすぐに反応する。
「すとりーと見たいし」
「じゃあ四人で回ればよくね?」
玲央が軽い調子で続ける。
「いいじゃん、それ」
莉央も頷く。
陽菜がこっちを見る。
「颯太は?」
「……別にいいけど」
そう答えると、陽菜がぱっと笑った。
「やった」
結局、そのまま四人で祭りに行く事になった。
「じゃあ早めに集合しよ」
陽菜が楽しそうに言う。
「前の方で見たいし」
「気合い入ってんね」
「だって絶対人多いもん」
そんなふうに話している横顔を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
……まあ、陽菜が楽しそうだからいいか。
***
祭り当日。
待ち合わせ場所の神社前には、すでに人が集まり始めていた。
屋台の明かりと祭囃子の音をぼんやり眺めながら、スマホを見る。
待ち合わせ時間を少し過ぎたところで、
「颯太ー!」
聞き慣れた声が飛んできた。
顔を上げると、三人が並んでこっちへ歩いてくる。
「遅」
近づいてきた莉央に向かって言うと、
「女子の準備時間なめんな」
当然みたいな顔で言い返された。
「知らねえよ」
呆れながら返しつつ、隣へ視線を向ける。
そこで、一瞬だけ言葉が止まった。
陽菜が、少し照れくさそうに立っていた。
薄い水色の浴衣に、小さな白い花柄。
髪もいつもより少しだけ整えられていて、耳元には小さな飾りが揺れている。
……浴衣自体は見慣れている。
毎年みたいに一緒に祭りへ行っていたし、陽菜は昔から浴衣が好きだった。
でも、今年は少し違った。
「……なんか、雰囲気違くない?」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
陽菜が少し目を逸らす。
「え、そう?」
「私がメイクしときましたー」
得意げに莉央が割り込んできた。
「陽菜、素材はいいのに全然活かしてないんだもん」
「素材って言うな」
陽菜がちょっと恥ずかしそうに抗議する。
改めて見る。
いつもより目元が少しだけ大人っぽく見えて、唇にも薄く色が乗っていた。
別に派手じゃない。
でも、その少しの違いのせいで、妙に目が離せなかった。
「颯太?」
陽菜が不思議そうに覗き込んでくる。
「さっきから固まってない?」
「……いや」
玲央がニヤッと笑った。
「見惚れてた?」
「違う」
即答した。
「いや絶対そうだったって」
「うるさい」
莉央まで面白そうに笑い始める。
「へえー。颯太ってそういう顔するんだ」
「しない」
「してたしてた」
陽菜が困ったように笑った。
「もういいから、行こ?」
境内の方から、祭囃子が聞こえてくる。
人混みと屋台の明かりの向こうで、夏祭りがもう始まっていた。
※※※
会場に着くと、ステージの前にはすでにそこそこ人が集まっていた。
「前の方、取れるかな」
陽菜が人混みを見ながら言う。
「行こう」
気づいたら歩き出していた。特に考えていたわけじゃない。ただ、さっきから隣の陽菜の方をうまく見られなくて、前を向いて歩く方が楽だった。
「ちょっと、早いって」
後ろから声がして、裾をぐっと掴まれた。
「莉央たちが離れるじゃん」
振り返ると、莉央と玲央が少し後ろで苦笑しながらついてきていた。
「……悪い」
ペースを落とした。陽菜はその裾を掴んだまま、後ろをついてくる。
手を繋いでるわけでもない。ただ裾を掴まれているだけだ。なのに、なんだか幸せだった。
このまま、ずっとこのままでいられたらいいのに。そう思った瞬間。
すっと、手が離れた。
「康介先輩!」
思いがけない名前だった。
陽菜が向いている方を見ると、人混みの中に、あの先輩が立っていた。
「あ、陽菜ちゃん。奇遇だね」
先輩が笑いながら言う。
「先輩も来てたんですね!」
陽菜が嬉しそうに笑いながら手を振った。
さっきまで俺の裾を掴んでいた手で。
「あ、陽菜のバイトの先輩じゃん。こないだはどーも。まじカッコよかったっすよ」
莉央がさらっと言う。
「いや本当に。ねえ」
玲央に話を振ると、玲央が「うん、なんか大人の人って感じがした」と頷く。
俺は黙って先輩の方を見ていた。
褒められても調子に乗らず、落ち着いた雰囲気で自然に笑う姿に余裕を感じる。
陽菜が楽しそうに話すのも、莉央と玲央が褒めるのも、なんとなくわかる気がして、それが余計に腹立たしかった。
「妬いてんの?」
莉央がこっちを向いた。
「何が」
「顔に出てるよ」
「出てない」
ぷいと顔を逸らした瞬間、先輩と目が合った。
「……どうも」
「どうも」
一瞬、妙な間ができた。
このままじゃまずい気がして、口から言葉が出ていた。
「すとりーと好きなんですか?」
「まあね。昔から見てたから、最近ようやく売れ始めて——嬉しいような、寂しいような」
昔から。
俺だって昔からだ。
「どのネタが好きですか?」
「うーん、どれも好きだけど……やっぱりあれかな。駄菓子屋のやつ」
その答えに、なんとなく口が動いた。
「あれいいですよね。あの駄菓子屋、緑町の丸井屋が元ネタなんですよ。KENが子供の頃よく行ってたところで」
言ってから、少し後悔した。
知識を披露したかっただけだ。自分でもわかっていた。
「え、そうなの?」
先輩が驚いたような声を上げた。
「すごいな」
その反応が、あまりにも素直すぎて、余計に恥ずかしかった。
そこでステージから歓声が上がった。
司会に紹介されて、スーツ姿の二人組がステージに現れる。会場がどっと沸いた。
久しぶりに見る顔だった。テレビで見るのとは違う、生の二人。なんか、懐かしいな、と思った。
隣で陽菜が口を少し開けたまま、まっすぐステージを見上げている。
きっと陽菜も今、同じことを感じている。
ずっと一緒に好きだったんだから、当たり前か。そう思いながら、ステージの2人のネタに耳を傾けていった。
※※※
ライブが終わった瞬間、興奮冷めやらぬまま振り返った。
最初に目に入ったのが先輩だった。
「面白かったですね!」
気づいたら声をかけていた。
「新ネタのあのくだり、緑町の公園のことだよな?」
「分かりました?俺も昔よく行ってたんで懐かしかったです」
「あそこ、今もあるのかな」
「どうですかね、変わってそうで怖いですよね」
気づいたら普通に話していた。さっきまでの妙な緊張感は、どこかに消えていた。
「ねえ二人とも」
陽菜の声がした。
「仲良くなってる」
嬉しそうに笑っている。
その顔を見た瞬間、我に返った。
何やってんだ俺。
「ちょっと颯太」
莉央が隣に寄ってきた。小声で、でもはっきりと言う。
「仲良くなってどうすんの」
「うるさい」
そのとき、ドンと音がして、空が光った。
「わあ」
陽菜が空を見上げた。
花火だった。
去年も一緒に見た。その前の年も。ずっと二人で見上げてきた花火。
今年は、そこに先輩がいる。
悪い人じゃない。今話をしていて、本当にそう思った。それでも、陽菜の隣に先輩がいるのを見ると、胸の奥がざわざわする。
そんな自分が少し情けなかった。




