第4話「年上の脅威」
『喫茶StoneRiver』
その店の看板の前に、俺はまた立っていた。
二週間前、ここでバイト募集の張り紙を見つけて陽菜に教えたのは俺だった。今はそのことを、少しだけ後悔しているのかもしれない。
「これ、なんて読むの?」
玲央が看板を見上げて言った。
「ストーンリバー。イギリスの言葉で石と川って意味だよ。マスターの石川夫婦の名前から取ったんだって。」
「へえー、カッケー!」
「英語じゃないのがオシャレだね」
「英語だよ」
「え?」
「イギリスの言葉って、結局英語のことだから」
「英語ってアメリカじゃないの?」
「インチキじゃんウケるー」
「あはは、面白いでしょ?うちのマスターの鉄板ネタなんだ。じゃ、入ろっか」
うちのマスター、か。
なんとなく引っかかりながら、俺は陽菜の後について暖簾をくぐった。
※※※
暖簾をくぐると、コーヒーの匂いがした。
あの日と同じ匂いだ。でも、あの日はすぐ出てしまったから、ちゃんと見ていなかった。
カウンターに六席、窓際にテーブルが三つ。壁にメニューが貼ってある。奥にはまだ知らない扉がある。
「こっちこっち」
陽菜が、自分の部屋に招くみたいな顔で窓際のテーブルへ向かった。
俺たちはその後をついていく形になった。
そのままテーブルに座るとしばらくして、奥から女の人が出てきた。
二十代くらい。長い髪で、笑顔が自然で、はっきりした顔立ちの人だった。
「あ、マイさん、来てたんですね」
陽菜が声を上げた。
「陽菜ちゃんのお友達、見たくてね。何にする?」
「私、ミックスジュース!」
「お、上手く言えるようになったね」
マイさんと呼ばれたその女の人が、少し嬉しそうに笑った。
「君たちは?」
莉央、玲央、俺の順番に注文を聞いて、マイさんがカウンターに戻っていく。
隣で玲央がぼんやりした目で見送っていた。
「……綺麗な人だな」
「おい」
「うん?」
「なんでもない」
俺は莉央の方を向いた。
「ほら、女の人じゃん」
「おかしいなー」
莉央が素直に首を傾げた。
「でもまあ——あんな人なら、陽菜が憧れるのもわかるわ」
それはそうかもしれない、と思った。仕事ができそうで、話しやすそうで。陽菜が楽しそうにしているのも納得できる。
少し気持ちが落ち着いた。
改めて店の中を見回す。カウンターの中でマスターらしき男の人がコーヒーを淹れている。壁に貼られたメニュー。窓の外の商店街。
ここが、今の陽菜のいる場所。
「お待たせしました」
静かな声がして、トレーを持った人がテーブルに近づいてきた。
「あ、『先輩』! 突然来てすみません」
陽菜の声に、俺は反射的にそちらを向いた。
落ち着いた雰囲気の、大人びた男の人が立っていた。
「全然構わないよ。みんな陽菜ちゃんのお友達?美男美女揃いだね」
軽口を言いながら、ドリンクをテーブルに置いていく。その動きに無駄がない。様になっている。
「え、なにそれ」
莉央が笑った。
「いきなりそういうこと言う感じなんだ」
「いや、まあ……見たままというか」
莉央が初対面の人にこういう絡み方をするのは、気に入った時だけだ。俺はそれを知っている。
「こっちの二人はオシャレだし。センスいいね」
「ふーん、ありがと」
玲央が素っ気なく返事をする。さっきからまだマイさんの方に気持ちが向いているらしい。
ちょっと感じ悪くね?と思ったが、先輩はそれを気にする様子もなく、自然な流れで俺の方に目を向けた。
「で、キミは——いい体してるね。野球とかやってそう」
一拍、遅れた。
「え、何で? わかるんですか?」
「まあ、なんとなく」
あっさり言い切られた。見た目でわかるのか。それとも慣れているのか。頭の中でぐるぐるしている間に、口から出たのはこれだけだった。
「……すごいっすね」
我ながら語彙がなさすぎる。
先輩がテーブルに小さなプリンを置いた。
「あ、これサービスね」
「いいんですか、ありがとうございます」
「お代は陽菜ちゃんのバイト代から引いとくから」
「え、ちょっと先輩、それひどくないですか?」
「冗談だって」
「絶対ちょっと本気でしたよね」
「そんな事ないって」
笑いながらやり取りが続く。
俺たちは三人とも、その輪に入れないまま黙って見ていた。
「あー、はいはい。じゃあごゆっくり」
そのことに気づいたのか、先輩はそれだけ言って話を切り上げて軽く手を上げて去っていった。押しつけがましくもなく、そっけなくもなく、ただ自然に。
カウンターに戻っていく背中を、なんとなく目で追った。
「ねえ」
莉央が少し身を乗り出した。
「あの人が先輩?ちょっとカッコよくない?」
「そうかなぁ?」
陽菜が首を傾げる。
「仲良いじゃん、二人」
玲央がぽつりと言った。
「そう見える?」
陽菜が少し嬉しそうに返した。
俺は黙って自分のグラスを見ていた。
「颯太はどう思った?先輩のこと」
陽菜が俺の方を向いた。
「……なんか」
動揺を隠しながら、言葉を探す。
落ち着いた動き、自然な余裕、大人びた雰囲気。さっきから見ていて感じていたものが、頭の中でひとつにまとまっていく。なんとなく、この人には敵わない。そんな気がした。この感覚は初めてじゃない。これは、そう——
「タケシ兄ちゃんみたいだなって思った」
「タケシ兄ちゃん?」
莉央が首を傾げる。
「昔、近所に住んでた10歳上のお兄さん。小さい頃よく一緒に遊んでたんだ」
陽菜は何も言わない。少し考えるような顔をしている。
「今はなにしてんの?」
「地元出てって、まあ……頑張ってるみたい」
陽菜がゆっくり口を開いた。
「……そっか、タケシ兄ちゃんか」
その顔が、少し嬉しそうだった。
「だから最初から気軽に話せたのかも」
完全に墓穴だった。言わなきゃよかった。




