第3話「その先輩、男?女?」
8月上旬。
今日は陽菜たちとカラオケに来ていた。
俺の部活に加えて、この夏からは陽菜のバイトも始まった。前みたいに気軽に遊べる時間は減っていて、こうして休みが重なるのも久しぶりだ。
だから今日は、思いっきり楽しもうと朝から気合を入れていた。
——そのはずだった。
「あー、喉乾いたー」
お決まりの曲を全力で歌い切った陽菜が、マイクを置いて戻ってくる。
テーブルと俺の間の狭い隙間を通るとき、肩が触れそうなくらい距離が近づく。その一瞬で、心臓が跳ねる。
……何年一緒にいるんだよ、俺。
十年以上の付き合いなのに、こういうのだけは一向に慣れない。むしろ、前よりひどくなってる気さえする。
「あ、ここのはアイスクリームなんだ」
クリームソーダのグラスを覗き込みながら、陽菜が楽しそうに言う。
「うちの店のはソフトクリームなんだよね。コーンに巻くのはできるようになったんだけど、グラスに乗せるのはまだ難しくてさ。先輩はすごい上手なのに」
——また、バイトの話。
最近の陽菜は、何を話していても自然とそこに繋がっていく。
それだけ楽しいんだろうし、実際、話してるときの表情はすごくいい。
……いいんだけど。
胸の奥に、小さく引っかかるものが残る。
「ちょっとトイレ行ってくるね」
そう言って、また俺の前を通り抜けていく陽菜を見送りながら、気づけば小さく息を吐いていた。
「颯太くん、寂しそうですねー」
向かいから、玲央がのんびりとした声で言う。
「いや、別に」
「大好きな陽菜ちゃんがバイトの話ばっかするから、拗ねてるんでしょ」
間髪入れずに莉央が被せてくる。
「拗ねてねえよ」
即答したつもりだったけど、自分でも少しだけ間があったのがわかった。
七瀬莉央と七瀬玲央。高校で同じクラスになった双子の姉弟だ。
派手なメイクに明るい髪、アクセサリーも多めでいかにもギャルな見た目の莉央と、そんな姉に引っ張られるようにノリは軽いがどこかマイペースな玲央。最初は正直、あまり関わるタイプじゃないと思っていた。
でも話してみると気のいい奴らで、気づけばこうして四人でいる時間が当たり前になっている。
——ただ、この二人にはひとつだけ厄介な点がある。
妙に、人の心を見抜くのがうまい。
俺がずっと隠してきた陽菜への気持ちも、あっさり見抜かれて、それ以来ことあるごとにこうしてからかってくる。
「10年も一途ってさ、普通にエモいけどさ」
莉央がストローを回しながら言う。
「陽菜ちゃん、新しい世界入ってるんだからさ。ぼーっとしてたら普通に誰かに取られるよ?」
「だから、そういうんじゃ——」
言いかけて、言葉が止まる。
「いやいや、少年マンガだったら幼馴染は鉄板でしょ」
玲央が軽く笑いながら言う。
「最後はちゃんと報われるポジションじゃん」
「甘いって」
莉央が首を振る。
「少女漫画なら幼馴染はだいたい負ける側。安心してる間に、ぽっと出のイケメンに全部持ってかれるやつ」
「だから——」
「それこそさ」
莉央が少し身を乗り出す。
「バイト先の”先輩”。あれ、完全にその枠でしょ」
「……え?」
思わず聞き返した。
「仕事できて、優しくて、尊敬してて。条件揃いすぎ」
「でも先輩って、女の人じゃないの?」
玲央が首を傾げる。
「いや、あれは男でしょ」
莉央があっさり言い切った。
「なんとなくわかるって」
「なんだよそれ」
根拠はないはずなのに、不思議と否定しきれなかった。
“先輩”が男か女か。
思い返してみると、一度も明言された記憶がない。ただ勝手に、女の人だと思い込んでいただけで。
もし。
毎日一緒に働いて、色々教えてもらって。
陽菜があんなふうに楽しそうに話す相手が男だったら——
「顔に出すぎ」
莉央がにやっと笑う。
「出てない」
「出てるって」
「じゃあさ」
そこで玲央がぽつりと言った。
「見に行けばいいじゃん」
「……は?」
「そのバイト先。行けばわかるでしょ」
「いいじゃんそれ」
莉央がすぐに乗っかる。
「気になるし、普通に行ってみたい」
「いや、陽菜に聞けば——」
「それじゃつまんないでしょ」
即座に却下される。
「ていうかさ」
莉央が続ける。
「話聞いてる感じ、普通に楽しそうじゃない? そのバイト先」
「あー、それは思う」
玲央も頷く。
「ちょっと気になってたんだよね」
『楽しそう』
その一言が、妙に引っかかった。
俺の知らない場所で、俺の知らない誰かと一緒に。陽菜はもうそこに居場所を作っている。
「お待たせー」
戻ってきた陽菜に、三人の視線が一斉に向く。
「ねえ陽菜ちゃん」
莉央が自然な流れで言う。
「バイト先さ、話聞いてたら楽しそうだなって思って。今から行ってみてもいい?」
「え、今から?急だね」
陽菜が驚いた顔をする。でも、その目が少しだけ輝いていた。
「……ちょっと聞いてみるね」
スマホを取り出して、しばらく操作した後、顔を上げた。
「今なら大丈夫だって。ちょうど空いてるみたい」
それから少し照れくさそうに笑った。
「実はみんなに一度来てほしかったんだよね、うちの店」
「よし、決まり!」
莉央が立ち上がる。
流れに押されるように、俺も立ち上がる。
——ただのバイト先だ。
そう思いながらも、頭の中には、まだ見ぬ”先輩”の姿ばかりが浮かんでいた。




