第七話 小さな憧れ
いつも『もう一度、あなたの声を。~音を知らなかった少女の異世界譚~』を読んでいただき、本当にありがとうございます。
第7話では、シルヴィアがこの世界の新たな魅力に触れるお話になります。
前世では知らなかったもの。
家族との時間。
そして、魔法という不思議な力。
小さな少女の胸に芽生えた憧れが、これからどのような未来へ繋がっていくのか。
シルヴィアの成長を温かく見守っていただけたら嬉しいです。
それでは、第7話をお楽しみください。
窓から差し込む朝日が、私の頬を優しく照らしていた。
小鳥たちのさえずり。
風に揺れる木々の音。
遠くから聞こえる村人たちの話し声。
この世界で迎える朝は、今日も穏やかだった。
私はゆっくりと目を開け、ベッドの上で小さく身体を起こす。
「おはよう、シルヴィア。」
部屋へ入ってきたお母さんが、優しい笑顔を向けてくれる。
その笑顔を見ると、自然と私も笑みがこぼれた。
「……おかあさん。」
昨日よりもずっと自然に、その言葉が口から出る。
一瞬、お母さんは目を丸くした。
そして次の瞬間には、嬉しそうに私を抱きしめる。
「ふふっ、おはよう。」
「今日も言ってくれたわね。」
温かな腕に包まれながら、私は嬉しそうに頷いた。
ちゃんと伝えられる。
私の声で。
それだけで胸がいっぱいになる。
すると廊下から足音が近付いてきた。
「おっ、今日はもう起きてるのか。」
お父さんだった。
私を見るなり笑顔を浮かべ、ベッドの横へ腰を下ろす。
「シルヴィア。」
「今日は俺も呼んでもらえるかな?」
少し期待したような表情。
私はその顔を見つめる。
(おとうさん……。)
心の中では何度も言える。
だけど。
「……お。」
そこから先が出てこない。
恥ずかしくなって、お母さんの胸へ顔を埋める。
「あはは!」
お父さんは豪快に笑った。
「焦らなくていい。」
「昨日決めたばかりなんだ。」
「いつか呼んでくれたら、それだけで十分さ。」
その言葉に、私は小さく頷いた。
(うん。)
(絶対に呼ぶ。)
(今度こそ、お父さんって。)
その小さな決意を胸に、私は新しい一日を迎えるのだった。
朝食を終えると、お母さんは籠を手に取り、私へ優しく微笑みかけた。
「シルヴィア、お手伝いしてくれる?」
私は嬉しそうに何度も頷く。
「うん!」
まだたどたどしい返事。
それでも、お母さんは目を細めて喜んでくれた。
「ありがとう。」
私たちは家の裏にある小さな畑へ向かった。
朝露に濡れた草花が太陽の光を浴び、きらきらと輝いている。
風が吹くたび、花々が優しく揺れ、甘い香りが鼻をくすぐった。
(きれい……。)
前世では病室の窓からしか見られなかった景色。
こうして土の上を歩き、草花に触れられるだけで胸が温かくなる。
「今日は薬草も摘みましょうか。」
お母さんはしゃがみ込み、葉の形が少し違う植物を指差した。
「ほら、この葉っぱ。」
「丸い葉は食べられる野菜だけど、この細長い葉は薬草なの。」
私は真剣な表情で見つめる。
間違えないように。
一つひとつ、その形を頭の中へ刻んでいく。
お母さんが摘み方を見せてくれる。
「根っこまで抜かないで、ここだけ切るの。」
「そうすると、また元気に育ってくれるわ。」
私は小さな手を伸ばし、お母さんの真似をする。
ぷつり。
一枚だけ摘み取ることができた。
「できた……!」
「ええ、上手よ。」
頭を撫でられ、思わず笑みがこぼれる。
籠の中へ薬草を入れ終えると、お母さんは近くに置いてあった空のじょうろを持ち上げた。
「さて、お水をあげましょう。」
私は首を傾げる。
近くに井戸はない。
どこから水を持ってくるんだろう。
そう思った次の瞬間だった。
お母さんは静かに息を整え、右手をじょうろへ向ける。
穏やかな声が辺りへ響いた。
――詠唱。
昨日聞いたものとは、また少し違う響きだった。
私は思わず息を呑み、お母さんの口元をじっと見つめる。
(また……。)
(詠唱が違う。)
だけど、不思議と怖くはない。
胸の奥が、期待でいっぱいになっていく。
(魔法……。)
(今日も見られるんだ。)
お母さんは静かに目を閉じる。
右手をじょうろへ添え、優しく息を吸い込んだ。
「清らかなる水を司る精霊よ。
我が魔力に応え、その恵みをここへ。
渇きを潤し、命を育む清流となれ。
《ウォーター》」
詠唱が終わると同時に、淡い青色の魔法陣が一瞬だけ足元へ浮かび上がる。
次の瞬間。
透き通る水が空中から現れ、じょうろの中へ静かに流れ込んでいった。
ちゃぷん……。
心地よい水音が辺りへ響く。
(すごい……。)
私は目を輝かせた。
何もない場所から、水が生まれた。
まるで奇跡を見ているようだった。
お母さんはいっぱいになったじょうろを持ち上げ、畑へゆっくりと水を撒いていく。
朝日に照らされた水滴が宝石のように輝き、葉の上を転がっていく。
「お野菜さんも、お花さんも嬉しそうね。」
優しく微笑むお母さん。
私は畑を見渡した。
確かに、さっきまで少し元気がなかった葉が、生き生きとして見える。
(魔法って……。)
(人を助けるだけじゃない。)
(植物も笑顔にできるんだ。)
私の中で、魔法という存在が少しずつ変わっていく。
強い力。
怖い力。
そんなものではない。
誰かの暮らしを支え、誰かを笑顔にする優しい力。
私はその光景から目を離せなかった。
すると、お母さんが私の視線に気付き、小さく笑う。
「シルヴィアは、本当に魔法が好きなのね。」
私は何度も頷いた。
「まほう……。」
その一言に、お母さんは少し驚いたような表情を見せ、それから優しく頭を撫でる。
「そうね。」
「魔法は素敵でしょう?」
「でもね。」
お母さんは空を見上げながら続けた。
「魔法は便利だから使うものじゃないの。」
「誰かを助けたり、誰かを守ったり、誰かを幸せにするために使うもの。」
その言葉は、幼い私にも不思議なくらい胸へすっと入り込んできた。
私はもう一度、畑へ視線を向ける。
揺れる花々。
風に乗る優しい香り。
そして、穏やかに微笑むお母さん。
(私も……。)
(いつか、こんな魔法を使えるようになりたい。)
その小さな願いは、誰にも聞こえないまま、静かに胸の奥へ刻まれていった。
薬草を摘み終えた頃には、籠の中は色とりどりの草花でいっぱいになっていた。
「今日はこれくらいで十分ね。」
お母さんは満足そうに微笑む。
私は少しだけ名残惜しく、畑を見つめた。
もっと見ていたい。
もっと、この世界を知りたい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
家へ戻ろうとした、その時だった。
ヒュッ。
一本の木の枝が、風を切る音とともに庭の向こうへ飛んでいく。
思わずそちらへ目を向けると、お父さんが木剣を振っていた。
鋭く、それでいて無駄のない動き。
一振りごとに空気が揺れ、葉が舞い上がる。
(すごい……。)
私は自然と足を止めていた。
お母さんも私の視線の先に気付き、くすりと笑う。
「また始まったわね。」
「朝の日課なの。」
お父さんは木剣を振り下ろすたび、小さく息を吐く。
何度も。
何度も。
同じ動きを繰り返す。
その姿は決して派手ではない。
けれど、一つひとつの動きには迷いがなかった。
しばらくすると、お父さんも私たちに気付いた。
「あれ、見てたのか。」
少し照れくさそうに頭をかく。
私は何度も頷いた。
「すごい……。」
まだ上手く話せない私の言葉に、お父さんは優しく笑う。
「ありがとう。」
そう言って木剣を地面へ立て掛けると、私の目線までしゃがみ込んだ。
「シルヴィア。」
「お母さんの魔法もすごいだろ?」
私は「うん」と頷く。
すると、お父さんは庭の向こうを見つめながら静かに言った。
「魔法も剣も、強くなるためだけのものじゃない。」
「大切な人を守るためにある力なんだ。」
その言葉を聞いたお母さんも、小さく微笑む。
「ええ。」
「力は誰かを傷つけるためじゃなく、守るためにあるものよ。」
二人の言葉は、幼い私にはまだ難しかった。
それでも、その声はとても優しくて、不思議と胸に残った。
(守る……。)
(大切な人を……。)
私はお父さんとお母さんの顔を交互に見つめる。
そして、心の中で静かに誓った。
(私も、いつか。)
(お父さんみたいに。)
(お母さんみたいに。)
(誰かを守れる人になりたい。)
その小さな決意は、まだ誰にも知られない。
けれど確かに、私の心の中で新たな一歩を踏み出していた。
お父さんは立ち上がると、木剣を手に取り、再び構えを取った。
「せっかくだ。」
「少しだけ続きを見ていくか?」
私は目を輝かせながら、大きく頷く。
お母さんは苦笑しながらも、小さくため息をついた。
「あなた、張り切りすぎないでくださいね。」
「分かってるさ。」
お父さんはそう答えると、一歩前へ踏み出した。
その瞬間。
ヒュンッ――。
木剣が空気を裂く。
一振り。
二振り。
三振り。
無駄のない剣筋はまるで風のように滑らかで、私は瞬きすることすら忘れて見入っていた。
(速い……。)
前世では、剣なんて物語の中でしか見たことがなかった。
だからこそ、その一つひとつの動きが新鮮だった。
やがてお父さんは剣を止めると、地面へ軽く突き立てる。
「剣は力任せに振ればいいものじゃない。」
「大事なのは、相手をよく見て、自分の心を乱さないことだ。」
私は真剣な表情でその言葉を聞く。
まだ意味はすべて理解できない。
それでも、お父さんの言葉には不思議な重みがあった。
「いつかシルヴィアが剣を持つ日が来るかもしれない。」
「その時は、お父さんがちゃんと教えてやる。」
優しく笑うお父さん。
私は嬉しそうに笑みを浮かべ、小さく頷いた。
その様子を見ていたお母さんが、少しだけいたずらっぽく笑う。
「でもその前に、文字のお勉強も頑張らないとね。」
「えっ……。」
お父さんが思わず苦笑する。
「そうだったな。」
「剣も魔法も、知識がなければ扱えない。」
私は首を傾げた。
(文字……?)
この世界にも、本がある。
文字がある。
そして、それを覚えなければ読めない。
前世では当たり前だったこと。
でも、この世界では一から学び直さなければならない。
それでも、不思議と嫌だとは思わなかった。
知らないことを知る。
できなかったことができるようになる。
その一つひとつが、今の私には楽しかった。
風が優しく吹き抜ける。
木々が揺れ、鳥たちが空へ羽ばたいていく。
私は青く広がる空を見上げ、小さく微笑んだ。
(この世界には……。)
(まだ、知らないことがたくさんある。)
(だから私は、一つずつ覚えていこう。)
(焦らなくていい。)
(ゆっくりでもいい。)
(今度こそ、この人生を大切に生きるために。)
家へ戻ると、お母さんは摘んできた薬草を机の上へ並べ始めた。
「乾かしておけば、お薬にもお茶にも使えるのよ。」
私は興味津々で薬草を見つめる。
葉の形。
色。
香り。
一つひとつが少しずつ違う。
「この世界には、まだまだたくさんの植物があるわ。」
「覚えるのは大変だけど、きっとシルヴィアなら大丈夫。」
そう言って、お母さんは私の頭を優しく撫でた。
(もっと知りたい。)
魔法だけじゃない。
植物も。
動物も。
この世界のことを全部知りたい。
そんな気持ちが、胸の中で少しずつ膨らんでいく。
すると、お父さんが部屋へ入ってきた。
「二人とも、お疲れさま。」
「今日はよく手伝ってくれたな。」
そう言って私を抱き上げる。
高く持ち上げられた景色に、思わず笑い声が漏れた。
「あははっ!」
その笑顔を見て、お父さんもお母さんも嬉しそうに笑う。
「その笑顔を見ると、疲れも吹き飛ぶな。」
「ふふっ、本当に。」
二人の笑顔を見つめながら、私は思う。
(この時間が……。)
(ずっと続けばいいのに。)
前世では、当たり前ではなかった日常。
家族と笑い合い、同じ時間を過ごせること。
そのすべてが、私には何よりも大切だった。
窓の外では、夕日が村を優しく茜色に染めている。
穏やかな風が吹き、木々が静かに揺れた。
私はその景色を目に焼き付ける。
(今日も幸せだった。)
(明日も、きっと。)
そう信じながら、私は家族の笑い声に包まれて、小さく微笑んだ。
夕食を終え、暖炉の前で家族三人が穏やかな時間を過ごしていた。
薪がはぜる音。
ゆらゆらと揺れる炎。
その温かな光が部屋を優しく照らしている。
私は暖炉の炎をじっと見つめていた。
今日、お母さんが使っていた魔法。
畑で見た透き通る水。
お父さんが話してくれた、剣も魔法も誰かを守るための力だという言葉。
どれも私の心から離れなかった。
(魔法って……。)
(すごいな。)
(私も、いつか……。)
気付けば、小さな手をぎゅっと握り締めていた。
その様子を見ていたお母さんが、優しく笑う。
「そんなに魔法が気になるの?」
私は何度も頷いた。
お母さんは私の隣へ座り、暖炉の炎へ視線を向ける。
「魔法はね、とても便利で、とても素敵な力。」
「でも、それだけじゃないの。」
「使い方を間違えれば、人を傷つけてしまうこともある。」
お父さんも静かに頷く。
「だからこそ、魔法も剣も、まずは心を育てることが大切なんだ。」
私は二人の言葉を静かに聞いていた。
まだ全部は分からない。
でも、一つだけ分かることがある。
お父さんも、お母さんも。
この力を誰かを守るために使っている。
だから私は二人を尊敬しているんだ。
(私も……。)
(こんな人になりたい。)
その想いは、少しずつ憧れへと変わっていく。
暖炉の炎が静かに揺れる。
私はその温かな光を見つめながら、小さく心の中で誓った。
(いつか私も――。)
(魔法を覚えて、大切な人を守れる人になろう。)
その夜。
小さな憧れは、シルヴィアの胸の奥で静かに灯り始めた。
まだ誰にも見えない、小さな炎。
けれど、その炎はこれから先、決して消えることなく、彼女の歩む道を照らし続けることになる。
第7話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
今回は、シルヴィアが初めて魔法という存在を強く意識する回でした。
魔法はただ強い力ではなく、誰かを助けたり、誰かを守ったり、日常を豊かにするためのもの。
お母さんやお父さんから教わった言葉が、これからのシルヴィアの考え方にどのような影響を与えていくのか、楽しみにしていただけたら嬉しいです。
まだ小さな憧れに過ぎないかもしれません。
しかし、その小さな想いがいつか大きな一歩へ繋がっていきます。
これからもシルヴィアの人生を丁寧に描いていきますので、応援していただけると励みになります。
次回、第8話もよろしくお願いいたします。
――藤田慎二




