23 白金の髪の人
(あ……)
すべてが、レティシアの心の中で、静かに繋がっていく。
レティシアの顔を、マーサがじっと見つめている。その瞳が、不意に涙でうるんだ。
「……レティシア」
マーサが、震える声でそう呼びかけてくる。
心臓が、痛いほど早く打ち始めた。
夢の中で、何度も聞いた声。まだ言葉も覚えていなかった頃、自分を抱きしめてくれた、あの優しい声。
「おかあさま、なのですか……?」
声が震えて、自分でも驚くほど小さくなってしまう。
それでも、マーサは、レティシアの呟きをしっかりと受け止めて、こくりと頷いた。
マーサの瞳から、ぽろりと、涙が零れ落ちる。
「ええ。よく、ここまで来てくれましたね、レティシア」
声を絞り出すようにそう告げたマーサこそが、レティシアの実の母親だったのだとようやく分かった。
マーサがゆっくりと両腕を広げる。その手は、震えていた。
レティシアの目には、たちまち涙が溢れる。考えるよりも先に、足が動いていた。長い間待ち焦がれていた場所へと、ためらわずに飛び込んでいた。
久しぶりに飛び込んだマーサの胸は、温かくてやわらかくて、どこか懐かしい花の香りがする。
「お、おかあさま……おかあさま……っ」
声を抑えることなんて、もう、できなかった。長いあいだ心の奥にしまい込んでいたものが、堰を切るように溢れ出してくる。
マーサが、母がレティシアを腕の中に強く抱きしめてくれる。
「レティシア。わたくしの、可愛いレティシア」
マーサの声も、涙で震えていた。レティシアの背を撫でる手のひらは、幼かった頃に何度も自分を抱き上げてくれたあの手とまったく同じ温度をしている。
「ごめんなさいね、ずっとずっと……ずっと、ひとりにしてしまって」
「いいえ……いいえ、おかあさま」
レティシアは何度も首を振る。
「今、こうして、マーサに……おかあさまに会えました。それで、十分です」
胸がいっぱいで、それ以上の言葉が出てこない。マーサもまた、何かを言おうとしては嗚咽に押し戻され、ただレティシアの名前を、何度も何度も呼ぶばかりだった。
ふたりが声を震わせて泣くあいだ、隣に立つバルナバスは、姿勢を正したまま空を見上げていた。秋の高い青空に、白い雲が静かに流れていき、その下で、屈強な騎士の喉仏が、こくり、と一度だけ動いて、それから動かなくなった。
その様子を見ていたアルベルトが、口元にやさしい笑みを浮かべて、バルナバスの隣に静かに立つ。男ふたりは、どちらからともなく空に視線を預けたまま、しばらく動かなかった。
──それから、レティシアとマーサは、これまでの空白を埋めるようにたくさん話をした。
アルメリア公国に起きた悲劇、グランチェスター王の執着、離宮に置き去りにせざるを得なかった幼いレティシアのこと。王に内緒で侍女の姿になり、レティシアに何度も会いに行ったこと。途中で露見してしまい、警備が厳しくなって会えなくなってしまったこと。
それから、政略結婚で嫁がされたレティシアが、ヴァルデンシュタインで幸せに暮らしていることを知り、自らもグランチェスターから離れると決めた、と教えてくれた。
話しながらマーサは何度も涙を拭い、レティシアもまた、それを抑えきれなかった。
それでも、こうして向かい合って言葉を交わせる「いま」のほうが、過ぎ去った悲しみよりずっと大きく、ふたりの胸を満たしている。
アルベルトは深く立ち入らず、バルナバスと共に屋敷の不備がないかどうかを確認している。
長い午後がいつのまにか夕闇に染まる頃、マーサがレティシアの手をそっと握って、にっこりと笑った。
「数日後に、ヴァルデンシュタインの秋祭りがあるのですってね。リューベルク家のご好意で、わたくしとバルナバスもお招きにあずかったの」
その言葉に、レティシアの胸が弾む。
「お母様も、ご一緒できるのですか?」
「ええ。あなたが良ければ……」
マーサはまだどこか不安そうな顔をしている。
レティシアを離宮に一人にしたことに負い目を感じているのだろうとすぐに分かった。
(お母様も、一人で闘っていたのだわ)
マーサはレティシアに色々なことを教えてくれるような豪気な侍女だった。そう、彼女一人ならきっと、すぐにでもあのグランチェスター城を抜け出せたはずだ。
でもそうしなかったのは、レティシアが城に居たからだ。
「もちろん、いいに決まっています! わたし、お母様ともっとたくさんお話をしたいですもの」
レティシアの素直な言葉に、マーサの目尻に、ようやく安堵の色が滲んだ。
差し出された母の手を、レティシアは両手で包む。
窓の外では、秋の夕闇が静かに深まり、家のランプが、穏やかに灯り始めていた。




