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Clause'bitches  作者: 巌百合彦
戦場の霧
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2/3

霧はこちらからも出ている

 翌日の放課後、生物準備室の黒板に図面が描かれていた。

 全長四メートル。車輪四つ。先端に鉄。

「先輩。これは」

「破城槌(バタリングラム)だ」

「なるほど」

「わかるか」

「わかりません。わかりたい気もおこりません」

 黎先輩はチョークを置いて、満足そうに黒板を眺めた。

 この人が満足そうにしているときは、だいたい誰かが始末書を書く。

 だいたい、わたしが書く。

「攻城戦と決まった以上、城門を破る手段が要る」

「決まっていません」

「決まった」

「昨日、誰も何も決まっていないと確認したばかりです」

「一晩考えた」

「新しい情報が入ったんですか」

「入っていない」

「では、何を根拠に」

「攻城戦のほうが面白い」

「先輩。それは考えたのではありません」

「では何だ」

「寝たのです」

 黎先輩は少し黙った。

 黙ったあと、うなずいた。

 うなずかれると困る。この人がうなずくのは、納得したときではなく、話題を終わらせたいときだ。


†


「そもそも先輩、攻城戦には城が要ります」

「校舎がある」

「校舎は城ではありません」

「石造りだ」

「鉄筋コンクリートです」

「似たようなものだ」

「似ていません。そして破ってはいけません」

「安心しろ。城門は正面から破るのが定石だ」

「その定石はどこで学ばれたんですか」

「深夜だ」

「時間帯を聞いたのではありません」

「アニメだ」

 わたしは黒板の図面をもう一度見た。

 先端の鉄の部分に、丁寧な吹き出しで「ここが一番いい」と書き添えてある。

 この人の戦術知識の出所は、九割がこれである。

 残りの一割がクラウゼヴィッツで、それも読んだのは序論だけだと本人が言っていた。

 そして残念なことに、この人は強い。

「唯。資材の見積もりを出せ」

「何の資材ですか」

「今朝、佐藤に発注書を回した分だ」

「・・・・・・見積もりは、発注の前に出すものです」

「では急げ」

 わたしは会計である。

 会計を通っていない発注書が、会計より先に生徒会を通っていた。

 そして会計の仕事は、それを後から辻褄の合う数字にすることらしかった。


†


「唯ちゃん、情報取ってきたよぅ」

 引き戸の隙間から、薄紅茶色の頭だけが入ってきた。

「ありがとうございます。どなたに聞いたんですか」

「三年の宮下先輩。演劇部の人」

「それで、なんて聞いたんですか」

「今年の対抗戦、攻城戦なんですかって」

「・・・・・・」

「そしたらねえ、たぶんそうじゃないかなあ、って」

「芙美ちゃん」

「なぁに」

「それは情報収集ではありません」

「じゃあ何だよぅ」

「流布です」

 芙美ちゃんは首をかしげた。

 本気でわかっていない顔である。この人が本気でわかっていない顔をするときは、たいてい本気でわかっていない。

「だってさぁ、宮下先輩、否定しなかったよぅ」

「知らないから否定できなかっただけです」

「知らない人が否定しないのは、知ってる人が肯定したのと同じくらいの情報だと思うけどねぇ」

「同じではありません。まったく同じではありません」

「あ、ついでに相沢くんの件も進めてきたよぅ」

「進めないでください」


†


「議事録がありませんのっ!」

 引き戸が敗北した。二日連続である。この戸はそろそろ交換したほうがいい。

「生徒会の書庫、全部あたりましたわ。過去三年ぶんも。部活動対抗戦の種目に関する決議は、一件もございませんの」

「では誰が攻城戦と言った」

「それが分かれば苦労いたしませんわ!」

 佐藤さんが手帳を開いて、次の頁で止まった。

「それどころか、そもそも学園祭実行委員会が、まだ発足しておりませんの」

「発足していない」

「発足は来週月曜ですわ」

 わたしは頭のなかで、順番を組み直した。

 種目を決める機関が、まだ存在しない。

 存在しない機関が決めていない種目について、この学校の三箇所以上で、すでに具体的な名前が流通している。

「佐藤さん。ひとつ伺っていいですか」

「なんですの」

「今朝、うちの部から発注書が回りませんでしたか」

「回りましたわ。木材と鉄材。承認いたしました」

「用途欄には」

「『攻城戦用』と」

「疑問に思いませんでしたか」

「思いましたわよ。思いましたけれど」

 佐藤さんは、少しだけ視線を下げた。

「戦争部がそう書いているのだから、そういうことなのだろうと」

 背中が冷えた。

 消火器のせいではない。


†


 わたしは生物準備室を出て、廊下の掲示板の前まで歩いた。

 学園祭実行委員会の準備告知が貼ってある。日程だけが印字されていて、種目の欄は空白のままだ。

 その前で、一年生らしい二人が立ち話をしていた。

「今年の対抗戦、攻城戦なんだってさ」

「なんでわかるの」

「戦争部がもう準備してるから」

 わたしはそこで足を止めた。

 情報の源流を遡っていたつもりだった。

 遡った先に、自分たちがいた。


†


 クラウゼヴィッツは、戦場の霧のなかで方向を見失わないことを指揮官に求めている。

 立派な要求だと思う。

 ただし彼は、霧を吸う側についてしか書いていない。

 吐く側については、一行もない。

 三日後、学園祭実行委員会が発足する。

 発足したその委員会が最初に処理することになる議題が、すでに校内で完成していることを、わたしたちはまだ知らない。

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