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Clause'bitches  作者: 巌百合彦
戦場の霧
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3/3

霧は晴れるともかぎらない

 月曜日、学園祭実行委員会が発足した。

 視聴覚室に各部の代表が集められ、パイプ椅子が足りず、後ろのほうは立ったままだった。

 わたしは書類を持っていた。

 三枚である。

 一枚目に、生徒会書庫に該当する決議が存在しないこと。二枚目に、資材発注書が種目決定より先に提出されていること。三枚目に、噂の伝播経路を矢印で図示したもの。

 我ながら、よくできていると思った。

 始末書で鍛えた能力が、はじめて前向きな用途に使われた瞬間である。


†


「つまり、まだ何も決まっていない、ということです」

 わたしは説明を終えて、書類を委員長の机に置いた。

 実行委員長は久我山先輩という三年生で、疲れた顔をした人だった。学園祭の実行委員長というのは押しつけられる役職なので、たいていの年の委員長は疲れた顔をしている。

 久我山先輩は三枚を順番に見た。

 わりと真面目に見てくれた。

「よくわかりました」

「ありがとうございます」

「じゃあ、攻城戦じゃないんですか」

「違います」

「でも、資材はもう発注されてるんですよね」

「されています」

「それ、いま止めたらどうなるんですか」

 わたしは口を開いて、閉じた。

 隣で、佐藤さんがすっと手を挙げた。

「キャンセル料が発生いたしますわ」

「いくら」

「木材と鉄材で、およそ四十万二千円ですの」

「学園祭の予備費は」

「三十万円ですわ」

 視聴覚室が、少し静かになった。

「あと」

 佐藤さんが続けた。

 わたしは、続けないでほしいと思った。

「発注した資材を使わずに廃棄した場合、その分は来年度の各部予算の査定に響きます。会計処理上、無駄な支出として計上されますので」

「じゃあ攻城戦でいいんじゃないですか」

 久我山先輩は、そう言った。

 悪意はまったくなかった。

 むしろ、疲れた人が最短距離を選んだだけだった。


†


 議案は、その場で承認された。

 第一号議案、部活動対抗戦種目の件。原案どおり可決。

 わたしは議事録の作成係が書き取るのを、横から見ていた。

 原案。

 その原案が、そもそもどこから来たのかを、この部屋の誰も知らない。

 わたしだけが知っていて、そのわたしが、たったいま止めそこねた。

 書類は三枚とも正しかった。

 正しさは、何の役にも立たなかった。


†


 生物準備室に戻ると、黎先輩が黒板の前に立っていた。

 図面は昨日より増えていた。

「唯。どうだった」

「正式に決まりました。攻城戦です」

「そうか」

 黎先輩は少しだけ胸を張った。

「霧が晴れたな」

「晴れてません」

「決まったのだろう」

「決まりました。ですが晴れてはいません」

「では何だ」

「固まったんです」

 黎先輩は、うなずいた。

 やはり、話題を終わらせるほうのうなずきだった。

「やったねぇ、唯ちゃん」

 芙美ちゃんが後ろから抱きついてきた。この人は勝敗に関係なく、状況が動いたというだけで機嫌がよくなる。

「宮下先輩に、当たってましたねって報告してくるよぅ」

「行かないでください」

「なんでぇ」

「あの人は当てていません。芙美ちゃんが渡したものを、そのまま返してきただけです」


†


 佐藤さんは、窓際で紅茶をいれていた。

 この人は生徒会の備品でいれた紅茶を、なぜかうちの部で飲む。

「涼波さん。あの三枚、よく書けていましたわ」

「ありがとうございます」

「わたくしが会計でなければ、あれで止まっていましたのよ」

「・・・・・・はい」

「申し訳ないとは、思っておりますの」

 思っていない顔だった。

 いや、思ってはいるのだと思う。ただこの人は、思っていることと、処理することを、完全に別の引き出しに入れている。それができるから、この学校の会計の九割を握っていられる。

「でも、四十万二千円ですのよ」

「わかっています」

「四十万二千円は、四十万二千円ですの」

「わかっています」

 わかっている。

 わたしも会計だ。


†


 黎先輩が、黒板を叩いた。

「では、城を決めるぞ」

「先輩」

「校舎は破ってはいけないのだろう。ならば作る」

「先輩」

「材木は届く。鉄も届く。あとは高さだ」

「先輩」

「なんだ」

「そもそもこれは、来年度の部費のためであって、攻城戦のためでは──」

「唯、四メートルと五メートル、どちらが破りがいがあると思う」

「五メートルです」

 答えてしまった。

 わたしはもう一度言おうとして、やめた。

 いま言っても、この部屋の誰にも届かない。


†


 クラウゼヴィッツは書いている。

 戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である、と。

 つまり戦争には、それを始めるだけの理由が、必ず先にあるということだ。

 理由が先で、戦いが後。

 順番が逆になったものを、彼は戦争とは呼ばなかった。

 わたしたちの攻城戦には、それがない。

 噂が先にあって、決定が後からついてきた。

 こうして戦争部は、この学校で唯一、正しい競技の準備をしている部活動になった。

 ただし、正しいのは競技だけである。

 その日の夕方、業者から連絡があった。

 破城槌の車輪が、一つも届いていなかった。

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