霧は晴れるともかぎらない
月曜日、学園祭実行委員会が発足した。
視聴覚室に各部の代表が集められ、パイプ椅子が足りず、後ろのほうは立ったままだった。
わたしは書類を持っていた。
三枚である。
一枚目に、生徒会書庫に該当する決議が存在しないこと。二枚目に、資材発注書が種目決定より先に提出されていること。三枚目に、噂の伝播経路を矢印で図示したもの。
我ながら、よくできていると思った。
始末書で鍛えた能力が、はじめて前向きな用途に使われた瞬間である。
†
「つまり、まだ何も決まっていない、ということです」
わたしは説明を終えて、書類を委員長の机に置いた。
実行委員長は久我山先輩という三年生で、疲れた顔をした人だった。学園祭の実行委員長というのは押しつけられる役職なので、たいていの年の委員長は疲れた顔をしている。
久我山先輩は三枚を順番に見た。
わりと真面目に見てくれた。
「よくわかりました」
「ありがとうございます」
「じゃあ、攻城戦じゃないんですか」
「違います」
「でも、資材はもう発注されてるんですよね」
「されています」
「それ、いま止めたらどうなるんですか」
わたしは口を開いて、閉じた。
隣で、佐藤さんがすっと手を挙げた。
「キャンセル料が発生いたしますわ」
「いくら」
「木材と鉄材で、およそ四十万二千円ですの」
「学園祭の予備費は」
「三十万円ですわ」
視聴覚室が、少し静かになった。
「あと」
佐藤さんが続けた。
わたしは、続けないでほしいと思った。
「発注した資材を使わずに廃棄した場合、その分は来年度の各部予算の査定に響きます。会計処理上、無駄な支出として計上されますので」
「じゃあ攻城戦でいいんじゃないですか」
久我山先輩は、そう言った。
悪意はまったくなかった。
むしろ、疲れた人が最短距離を選んだだけだった。
†
議案は、その場で承認された。
第一号議案、部活動対抗戦種目の件。原案どおり可決。
わたしは議事録の作成係が書き取るのを、横から見ていた。
原案。
その原案が、そもそもどこから来たのかを、この部屋の誰も知らない。
わたしだけが知っていて、そのわたしが、たったいま止めそこねた。
書類は三枚とも正しかった。
正しさは、何の役にも立たなかった。
†
生物準備室に戻ると、黎先輩が黒板の前に立っていた。
図面は昨日より増えていた。
「唯。どうだった」
「正式に決まりました。攻城戦です」
「そうか」
黎先輩は少しだけ胸を張った。
「霧が晴れたな」
「晴れてません」
「決まったのだろう」
「決まりました。ですが晴れてはいません」
「では何だ」
「固まったんです」
黎先輩は、うなずいた。
やはり、話題を終わらせるほうのうなずきだった。
「やったねぇ、唯ちゃん」
芙美ちゃんが後ろから抱きついてきた。この人は勝敗に関係なく、状況が動いたというだけで機嫌がよくなる。
「宮下先輩に、当たってましたねって報告してくるよぅ」
「行かないでください」
「なんでぇ」
「あの人は当てていません。芙美ちゃんが渡したものを、そのまま返してきただけです」
†
佐藤さんは、窓際で紅茶をいれていた。
この人は生徒会の備品でいれた紅茶を、なぜかうちの部で飲む。
「涼波さん。あの三枚、よく書けていましたわ」
「ありがとうございます」
「わたくしが会計でなければ、あれで止まっていましたのよ」
「・・・・・・はい」
「申し訳ないとは、思っておりますの」
思っていない顔だった。
いや、思ってはいるのだと思う。ただこの人は、思っていることと、処理することを、完全に別の引き出しに入れている。それができるから、この学校の会計の九割を握っていられる。
「でも、四十万二千円ですのよ」
「わかっています」
「四十万二千円は、四十万二千円ですの」
「わかっています」
わかっている。
わたしも会計だ。
†
黎先輩が、黒板を叩いた。
「では、城を決めるぞ」
「先輩」
「校舎は破ってはいけないのだろう。ならば作る」
「先輩」
「材木は届く。鉄も届く。あとは高さだ」
「先輩」
「なんだ」
「そもそもこれは、来年度の部費のためであって、攻城戦のためでは──」
「唯、四メートルと五メートル、どちらが破りがいがあると思う」
「五メートルです」
答えてしまった。
わたしはもう一度言おうとして、やめた。
いま言っても、この部屋の誰にも届かない。
†
クラウゼヴィッツは書いている。
戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である、と。
つまり戦争には、それを始めるだけの理由が、必ず先にあるということだ。
理由が先で、戦いが後。
順番が逆になったものを、彼は戦争とは呼ばなかった。
わたしたちの攻城戦には、それがない。
噂が先にあって、決定が後からついてきた。
こうして戦争部は、この学校で唯一、正しい競技の準備をしている部活動になった。
ただし、正しいのは競技だけである。
その日の夕方、業者から連絡があった。
破城槌の車輪が、一つも届いていなかった。




