第5話「教室の距離」
学校は、いつも通りだった。
朝のチャイム、授業、休み時間。
吉塚柚須は、特に変わらない一日を過ごしているはずだった。
けれど、少しだけ違うことがあった。
視線だ。
気のせいかもしれない。
それでも、ふとした瞬間に誰かに見られている気がする。
教室の中。
福岡南は、いつも通りだった。
友達に囲まれ、笑っている。
その姿は、昨日駅で一緒にいた人とは少し違って見えた。
話しかけるタイミングはなかった。
いや、そもそも話す必要があるのかも分からない。
休み時間。
柚須は窓際の席で外を眺めていた。
校庭では部活の声が響いている。
その音が、妙に遠く感じる。
「ねぇ。」
不意に声がした。
振り返ると、同じクラスの男子が立っていた。
「吉塚ってさ、福岡と仲いいの?」
一瞬、言葉が止まる。
「別に。」
短く答える。
「ふーん。最近よく一緒にいるっぽく見えるけどな。」
それだけ言って、男子は去っていった。
柚須は何も言わなかった。
ただ、窓の外に視線を戻す。
放課後。
チャイムが鳴る。
いつもならすぐに立ち上がる時間。
でも今日は、少しだけ間があった。
教室の空気が、いつもと違う気がした。
視線。
気配。
何かを言いかけて、やめるような空気。
柚須はカバンを持ち、教室を出る。
校舎を出れば、またいつもの道だ。
博多駅へ向かう。
人の流れに紛れて、改札を抜ける。
2階から3階へ。
ICカード専用改札のあるフロア。
その横の広場に近づくにつれて、少しだけ呼吸が軽くなる。
そこに行けば、いつも通りになる。
そう思っていた。
ベンチの方を見る。
福岡南は、まだ来ていなかった。
柚須は少しだけ立ち止まる。
時計を見るほどでもない時間。
ただ、いつもより少し遅いだけ。
それでも、少しだけ落ち着かなかった。
やがて、足音が聞こえた。
「ごめん、ちょっと遅れた。」
福岡南だった。
いつも通りの顔。
いつも通りの声。
柚須は小さく息を吐く。
「別にいい。」
二人は何も言わずにベンチに座る。
本を開く。
それだけで、教室の空気は遠くなる。
駅の音が戻ってくる。
アナウンス。
足音。
人の流れ。
しばらくして、南が小さく言った。
「学校だと、あんまり話さないよね。」
柚須は少しだけ考える。
「話す理由がないだけかもな。」
「そっか。」
南はそれ以上聞かなかった。
それが少しだけ救いだった。
夕方の光がガラス越しに差し込む。
駅の中がゆっくり色を変える。
本を閉じる音が重なる。
「また明日。」
「また明日。」
それだけの言葉。
でも今日は、それが少しだけ違って聞こえた。
柚須はホームへ。
南は別の方向へ。
学校では交わらない距離のまま。
でも駅では、また同じ場所に戻る。




