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第十一話「もう一つの鳳凰」

 それを発見したのは、ARIAだった。


 百四十七回目のワープの直後、ARIAが全館放送で静かに告げた。

「船長、野村博士、エレン博士。外部センサーに、未確認の物体を検出しました。航行指令室に来てください」


 野村が着いたとき、室内には全員が集まっていた。

「どこにある」とミンチェが訊いた。

「後方、距離七・三光時。クエーサー方向から来る光の陰になっていて、これまで検出できていませんでした。ワープ後の位置変換で角度が変わり、初めて捉えました」

「何が見えているの」とエレンが訊いた。

「映像を出します」


 モニターに映像が映し出された。

 野村には見えないが、室内の空気が変わったのがわかった。

 誰かが息を飲んだ。

 アマラが小さく「え」と言った。


「エレン」と野村は静かに言った。

「……金属の残骸」とエレンが、ゆっくりと答えた。

「大きな構造物の一部——船体に見える。引き裂かれている。バラバラになっている。でも——」

「でも?」

「形が」とエレンが言った。

 声が、微かに揺れた。

「形が——鳳凰に、似ているわ」


 室内が静まった。

 完全な静寂が、数秒続いた。


「ARIA」とミンチェが言った。

 慎重な、制御された声で。

「形状の一致率は」


「全体の残存割合が約三十八パーセントのため、精密な比較は困難ですが——推定一致率、六十七パーセント。誤差プラスマイナス十二パーセント」

「六十七パーセント」

「断定はできません。ただし、既知の宇宙船データベースの中で、最も近い形状は鳳凰です」

「どういう——」とアマラが言いかけて、止まった。

「多世界解釈だ」とエレンが言った。

 誰も返事をしなかった。

 野村は静かにヘッドフォンをつけた。

 外部センサーの重力波データを聴く。

 残骸の方向から、何か来ているか。


 来ていた。


 微弱だが——確かに、残骸から重力波が出ていた。

 天然の重力波とは違う。人工的な機器が発する、ノイズに近い何かだ。

 まるで、壊れた機械が最後の信号を出し続けているように。


「残骸から、信号が出ている」と野村は言った。

「弱いが、人工的なパターンだ」

「確認します」とARIAが言った。

「……確認。微弱な電磁波信号も検出しています。パターンは——」

「言ってくれ」とミンチェが言った。

「鳳凰の緊急ビーコンの周波数と一致しています」

「緊急ビーコン」とアマラが言った。

「それは——生存者がいるということか?」

「ビーコンは自動発信のため、生存者の有無は判断できません。ただ——ビーコンが発信されているということは、最後まで何らかの電源が維持されていたことを意味します」


「行くか」とミンチェが言った。

 全員に向かって。

 誰も答えなかった。


「俺は行くべきだと思う」とミンチェは続けた。

「あれが何であれ、確認する責任がある。だが、全員の同意が必要だ」


「行く」と野村は言った。

「行くわ」とエレンが続けた。


 アマラが、ゆっくりと深呼吸をした。

「……行く。怖いけど、行く」

 一人ずつ答えた。

 反対した者は、いなかった。


 残骸に近づくにつれて、野村には聴こえてくるものが増えた。

 壊れた機械のノイズ。

 金属が冷却して収縮する微振動。

 そして——宇宙の中で、その残骸が放つ孤独な信号。


「見えてきたわ」とエレンが、ヘッドセット越しに言った。

「船体の断面が見える。内部構造が剥き出しになっている——あ」

「どうした」

「配管の色。黄色と緑の縞模様の配管——鳳凰の生命維持ラインの色と同じだ。規格書で見た」

「それは、偶然の一致か」

「……わからない。でも、同じ設計思想から来ているか、あるいは——本当に同じ船だ」

「ARIAは何と言っている」

「ARIAは解析中で——ARIA、何か?」


「追加情報があります」とARIAが言った。

「残骸表面の金属組成を分析しました。鉄、ニッケル、チタンの比率が、鳳凰の船体外壁と〇・〇三パーセント以内の誤差で一致しています。地球上で同じ比率の合金が自然に発生する確率はほぼ零です」


 沈黙。


「ARIA」とエレンが言った。

 声が低かった。

「これは鳳凰の残骸だと断定できるか」

「断定はできません。ただ、同一製造ロットの可能性が極めて高い」

「同一製造ロット」とミンチェが言った。

「どういうことだ?」


「製造時のばらつきの範囲内で一致しているということです。もし別の時間軸、あるいは別の可能性の世界から来た鳳凰であれば——同じロットで製造されたことになります」


「……同じ俺たちが作った船が、別の可能性で来て、失敗した」とアマラが言った。

 声がかすれていた。

「それが——あそこにある」


 野村はヘッドフォンで残骸の信号を聴き続けていた。

 壊れた機械の音。

 でも、その奥に——


「乗組員の気配はないか」と野村は言った。

「生体反応は検出できていません」とARIAが答えた。

「……そうか」


「野村博士」とARIAが続けた。

「残骸の内部から、別の信号が検出されました。弱い。極めて弱い。ただ——重力波のパターンです。人工的な重力波のパターンが、残骸の内部から出ています」

「観測機器か」

「その可能性が高い。鳳凰と同型であれば、観測区画の機器が残存している可能性があります」

「つまり」と野村は言った。

「あの船の観測機器が、今も宇宙の鼓動を記録し続けているかもしれない」

「……そういうことになります」


 沈黙。


「少しの間、黙っていてくれ」と野村は言った。

 全員に向かって。

 誰も何も言わなかった。


 野村はヘッドフォンに集中した。

 残骸から来る、かすかな重力波のパターン。

 それを拾って、ソノグラム変換する。


 流れてきたのは——

 ノイズの中に、確かな構造があった。


 四層の信号だ。

 俺たちが三ヶ月かけて解析してきた、あの四層の構造が、残骸の機器にも記録されていた。

 それは当然かもしれない。

 同じ宇宙空間にいれば、同じ信号を受け取るはずだ。


 だが、その中に——

 別の何かが入っていた。


 俺たちのデータにはない、第五の何かが。

「エレン」と野村は言った。

「何?」

「あの船は、俺たちより遠くまで行った」

「……どういうこと?」

「あの残骸の観測データに、俺たちがまだ受け取っていないパターンが含まれている。あの船は——俺たちより先に、もっとクエーサーに近づいた。そこで何かを受け取った。その記録が、まだ残っている」

「データを回収できる?」とミンチェが言った。

「ARIAに訊いてくれ」

「ARIA?」


「理論上は可能ですが」とARIAが言った。

「残骸との距離、信号強度から計算すると——データ回収には宇宙服での船外活動が必要です。リスクは相当あります」

「やるべきか」と誰かが言った。


 野村は少し考えた。


「やるべきだ」と彼は言った。

「あの船が行ってきた場所に、俺たちも行く。でも先にあの船が見たものを知っておいた方がいい。あの船の失敗を、俺たちが繰り返さないために」

 エレンが、低い声で言った。

「行ったのに、帰れなかった。何が起きたんだろう」

「わからない」と野村は言った。

「でも——」

「でも?」

「俺には見えないから、怖くない」


 それは以前にも言った言葉だった。

 だが今回は違う意味を持っていた。

 あの残骸が見えない野村には、あの破滅の映像が視覚として入ってこない。

 だから、恐怖の入口が一つ、閉じている。


 エレンが少し笑った気配があった。

 緊張を、一センチだけ解く笑いだった。


 船外活動は、ミンチェとアマラが担当した。

 四時間かかった。


 野村は観測区画で待ちながら、残骸の信号を聴き続けた。

 壊れた機械が出すノイズの中に、確かにある第五のパターン。

 それを耳で追いながら、何かが見えそうで見えない感覚を抱えていた。


 エレンは隣で計算を回していた。

「解析が進んだわ」と彼女は言った。

「残骸のデータに含まれる第五のパターン——周波数域は、これまでの四層より高い。これは人間の可聴域を完全に超えている。あなたのソノグラムでも変換できないかもしれない」

「どういう種類の信号だ」

「量子レベルの干渉パターンに近い。重力波というより、重力波と量子場の境界にある何か。理論的には——」エレンが少し止まった。

「理論的には、ビッグバンの特異点に最も近い場所でのみ生成される信号に合致する」

「あの船は、ビッグバンの近傍まで行ったのか」

「行ったと思う。そして——何かを受け取った。それが第五の信号。内容はまだわからない。でも、この信号の複雑さは——」

「複雑さは?」

「今まで見てきたどの信号より、情報密度が高い。素数列の何千倍もの情報量がある可能性が。それが何であるかは——もっと近づかなければわからないわ」

「もっと近づけばわかるか」

「わかる、と思う。あの船が辿った先まで行けば」

「行こう」と野村は言った。

「……行こう」とエレンが繰り返した。


 データが手元に来たのは、その夜だった。

 アマラが観測区画に入ってきて、濡れたように汗をかいた顔で、メモリユニットを野村の手に置いた。

「取ってきたわ」と彼女は言った。

「あの船の中を見た。言いたくないけど——誰かがいたような気がした。痕跡が、あった」

「痕跡?」


「食堂に、コーヒーカップが倒れていた。アームレストに、何かを握った跡があった。壁に——数式が書いてあった。手書きで」

「どんな数式だ」とエレンが言った。

「写真を撮った」とアマラは言った。

「でも、見た瞬間に——」

「なんだ」

「泣きそうになった。なぜかわからないけど」


 エレンが画像データを確認する音がした。

 長い沈黙。


「野村」と彼女は言った。

「何だ」


「この数式は——あなたが、今から十年後に発展させるであろう、ソノグラム解析の発展形だ」

「なぜそれがわかる」

「あなたの論文の数式のスタイルと——記法が、全く同じ。これは、あなたが書いた」


 野村は動かなかった。

「つまり」と彼は言った。ゆっくりと。

「あの船には——未来の俺が乗っていた」


 エレンは何も言わなかった。

 だが、否定もしなかった。


 宇宙の外側で、鳳凰の残骸が静かに漂っていた。

 あの壁に書かれた数式を書いた手が、今どこにあるのかを、誰も知らなかった。

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