第六十一話 守護者の生まれいずる頃
「そろそろ誕生する頃、ですかねぇ。」
また何年かを文献を読み漁る日々を送って、そろそろ聖獣の守護者達が生まれいずる頃、竜神暦は九千九百九十七年、に近づいてた。
それぞれの守護者の誕生日まではわからないが、十六歳十七歳でやってくる、という事は知っていた、私は明確に滅びの予言をした身だ、それ位の事はわからなければ困るというものだ。
それぞれがそれぞれに産声を上げる頃、運命を定められてしまってる青年達の産声は、それは祝福に満ちているのだろう。
「……。」
私は、最終的に世界の滅びを視る事が出来なくなりかけていた、私がそれを防ぐ為に動いているのもそうだが、竜神様であられるテンペシア様をはじめとした竜神様方と謁見をして、そして世界各国の王や施政者と謁見をして、デイン様を拝謁して、その頃にはもう、私は世界の滅びのヴィジョンを明確に視る事は出来なくなっていた、それがどういう事柄を意味するのか、ならば私がその時点で視えなくなったから「滅びを避けられる」のか、と問われると、私はそこまで楽観的な思考回路の持ち主ではない、が答えだ。
「やれやれ。」
彼らには生きた道があるのだろう、この世界に来たとしても、セスティアで生きた痕跡を消される様な事はないのだろう、オンブル地方ゾキュペ村、という、存在自体を消されてしまった村と違って、彼らには還るべき場所がある、未だ生まれ落ちぬ彼らには、そろそろ生まれいずる彼らには、還るべき場所がある。
私と美咲さんは、還るべき場所を失った、美咲さんはルポセ村に戻ろうと思えば戻れなくはないのかもしれない、クレール地方には帰る事があると言っていたし、そもそもクレールというワインを仕入れるのに、直接蔵に赴いているのだから、そう言った意味では還る場所があるのだろうが、私にはそれすらない、オンブル地方と言う地方自体は残っている、その地方ごと私が滅ぼしたわけではない、地方としては健在なのだろうが、私の住んでいた村、ゾキュペ村という村は、明確に消されてしまった村だ、一説によると、まだ残っている建築物はあるらしい、ウィアデストロイドと名を変えたその村には、ゾキュペ時代の建築物は残されている、という話を何処かで聞いた事があった、魔力を籠められた建材で作られた村の建築物は、それこそ何千年と手入れをし続ければ使い続けられる程度には頑強で、再利用されている可能性は十分にある、一から開拓した土地、という触れ込みではなく「ダークエルフに一度滅ぼされたが、そこから復興した村」という触れ込みで十人を募っていたのだから、それも不思議ではないだろう。
「そう言えば……。」
ディーさんの息子、レイン君には直接会った事がなかった、テンペシアの都市郊外にあると言う、アルノ地方出身だと仰られていたディーさんは、もう引退をして隠居を楽しむ日々だ、といつだったかの手紙に認められていた、「外園君も隠居できる日が来ると良いね。」という、彼らしい気遣いの言葉と共に、だいぶ老けてきて、マズルの皺が濃くなってきたよ、と認められていたディーさんは、後どれ位生きるのだろうか、後どれ位、彼らと関わり続けるのだろうか、それもわからない。
私が滅びを予言した事を知っているのは、各国の統治者達と、美咲さんとディーさんだけだ、彼ら彼女らが他に吹聴をしていなければ、の話ではあるが、それ以外の存在は「世界が滅ぼうとしている」こと自体を知らない、知らされていない、知る由がない。
ならば、美咲さんとディーさんにも告げるべきではなかったのかもしれない、ただ、そこに関しては私の弱さだ。
ディーさんはテンペシア様から直接私とのやり取りを命じられた竜人、という事もあって、テンペシア様から詳細な事を聞く機会があったかもしれない、という仮定はあれど、美咲さんに関しては私の落ち度だ、私が漏らしてしまった言葉、酒の席で溢してしまった言葉、が原因で美咲さんに世界の滅びの予言を伝える事になった、それに関しては、かん口令を敷いている側の私からしても、申し訳ないと思う事柄だ。
「彼らの誕生を祝して、そして世界の滅びを防いでくれると信じて。」
私は、いつ飲むか決めてすらいなかった、八十年以上熟成させていたクレールを開ける事にした、誰かの祝いで飲むというのであれば、それは守護者の誕生か、それとも「守護者が世界を守った末」か、どちらかだったのだろう、今の所、未来は確定していない、未来はどうなるのか、私に視える未来と、現在進行形で世界が進んでいる未来は乖離してしまっている、だから、飲む機会があるとしたら、それは守護者達の誕生を祝って、その産声を想いながら、だろう。
「……。良い深みですね。」
八十年ぶりに飲んだクレール、それこそ、旅の道中ではよく飲んでいた、美咲さんがクレールを仕入れるタイミングと私が船に乗るタイミングが合致した際には、必ず飲んでいたクレールだったが、これほどに深みのある味わいではなかった、どちらかと言うと、クレールはフレッシュさが売りなワインだった、その年その年に葡萄踏みをして、半年ほど熟成して、それを神酒という祭事に捧げる酒として献上して、それを地方全体の村民達で分け合い、精霊の加護を頂戴する、それがクレールの元来の役割だ、とみさきさんは仰られていた、ならば美咲さんがクレールをバーに持ち込めた理由、については、余剰分だったから、そもそもがその年に飲み切らなかった分を田畑の栄養とする、その分を買い取って美咲さんは提供して入る、という話だった。
その「余剰分」をフェリアに変える手段、と言うのを、地方の元老議員は思いつかなかったのだろうか、それとも、知っていて蒙昧無知なふりをしていたのだろうか、兎にも角にも、美咲さんという個のバーテンダーが「買い取って店で出す」という回答を出すまで、クレールのあまりは全て田畑に還していたらしい。
今でも、美咲さん以外にクレールを扱っている妖精はいないらしい、クレールという祭事様に使われている酒、と言うのを、何も知らない人間や妖精に扱わせるのは、流石にまずいと判断されたのだろう、美咲さんと言う「クレール地方出身者」だからこ祖、このワインを品物として扱えている、それは間違いない事だ。
「んん……。」
味わいと余韻の違いを判断する、あの頃飲んでいたクレールは、フレッシュな味わいで甘みよりもすっきりさが特徴的だった、良くも悪くもすっきりとした後味、が特徴的な赤ワインだった、ほかの地方にはない独特な酸味の葡萄に、熟成によるアルコールの苦み、甘みが加わって、それはそれは完成された味わいだった、しかしこれはどういう事か。
八十年と言う月日を私と共に過ごしてきたこの一本は、深みがあって余韻も長い、甘みが強く酸味が少しなくなっているだろうか、どちらかと言うと、ノースディアンにおける長期熟成のワインにも似た味わいだ。
「どちらも捨てがたい……。」
長期熟成の甘みも、その時その時のフレッシュな酸味も、どちらも捨てがたい、クレールの正しいの味方としては、その年に頂いたものを飲む、という形が自然なのだろうが、私の趣味嗜好としては、この深みのある熟成された味わい、と言うのも好ましい、要するに、好みの問題だろう。
「生まれいずる者達は……。」
クレールを注ぎながら、デキャンタージュと言う技術を美咲さんは扱っていただろうか、渋みの強いワインを一度専用の容器に移す事で、澱を取ったり渋みをまろやかにしたり、という作業があって、というお話をされていた事があった、流石にそれをするだけの技術は私にはない、器具も無ければ技術もない、が正解な中で、澱も楽しむ、生まれいずる者達への祝福を、これから先、過酷な未来を背負わなければならない魂への手向けを、私は捧げた。




