第五十四話 決別
「せんせい……、あたし……、よだれ、とまってる?」
「……。残念ですが、まだ垂れていますよ、キュリエ。」
「そっか……、そっか……。」
ウィザリアに到着して早々に、私達はウィザリアが「非独立国家」と言われている所以を知った、私達がフェルンから来たと思っているのか、それともドラグニートや他の国からの潜入者だと思われているのか、そこに関してはまちまちだが、私達は着いてそうそう、襲撃を受けていた。
キュリエは涎を抑えるのにそれどころではなく、私一人が戦闘を行っていた、私一人でも、フェルンでは指折りの実力者、と言われていたのだから、それで足りていたレベルではあった、フェルンから侵略に来た妖精も、マグナから侵略に来た人間も、私のレベルには及んでいなかった、だから目下のところは私達は安全だ、と言えただろう、言いきれなかったが、そう言えるだけの実力を私は持っていた、魔法だけでもそれが出来るのだから、リヴォルビングランタンやインソムニアを使った際には、さらに私と彼らとの実力派差がつくだろう、ただ、私もそれどころではなかった、一刻も早く「キュリエをマナの源流のある場所」に連れていかなければ、キュリエが涎を垂らし続けて苦しむ事になる、あの頃の私は、致命的なミスに気づかずに急いでいた。
と言っても、もうキュリエの運命は決まっていた、ダークエルフの化け物として生きていくか、私に殺されるか、それとも他の誰かに討伐されるか、その三択しか残されていなかった、キュリエには、多くの選択肢はなかった。
それを知ってかしらずか、キュリエは私に何かを訴えかけようとしていた、そんな記憶が残っている、彼女は涎、つまり飢えと渇きに苛まれながら、私に何かを伝えようとしていた、ただ、私にはそれを聴くだけの勇気も、用意もなかった、あの頃はただ、「キュリエの涎を何とかしたい」という一心で動いていた、その為にわざわざウィザリアまで赴いたのだから、当時の私は無知だったなりに動いていた、と言えるだろう。
「キュリエ、こちらへ。」
「う、うん。」
キュリエの眼差しの違い、に気づいていなかったか、と問われると、私はそ知らぬふりをしていた、キュリエの眼が「獲物を狙う眼」に変わっていた事、について何も感じなかったのか、と問われたら、私はそれを「知らないと思い込む」事で、本能的に感じるキュリエに対する恐怖、を取り除いていた、妖精は暴走したダークエルフを恐れる様に出来ている、それはフェルン創設から変わらない歴史だ、というよりは、その頃から私達妖精には「ダークエルフを恐れる」という感情が組み込まれていた、暴走していた方なら尚更の事、私達は「本能的にダークエルフを恐れる」という意識の中で暮らしていた。
ジェライセさんがその対象外だったのは、「私達妖精を助ける」という好意的な行動によって、ダークエルフを恐れるという本能をかき消していた、だけだった、私達がジェライセさんに「助けられた」という認識を持っていたから、だからこそ本能的な恐怖を回避できていたのであって、それはキュリエには当てはまらない事だった、尚の事、キュリエはもう、いつ暴走してもおかしくない状態だった、私達他種族の存在を「獲物」として認知し、いつ襲うか、いつその首筋にかみついて、血肉を啜るかと、それに頭の中を支配されてしまっていた瞳、それがあの頃のキュリエの、所謂「末期症状」と呼ばれる状態だった、と今の私は知っている。
キュリエを攻撃から庇いながら、私は本能的な恐怖から目をそらして、どうにかこうにかキュリエの「涎」を止めようとしていた、ただ、全ては遅かった、そう、遅すぎたのだ。
「もうすぐ、島の中央で……。」
「うう……、うがぁ……!」
「キュ……、リエ……?」
「が……!ぐがぁ……!」
何日かを島で過ごしている中で、ドンドン酷くなっていくキュリエの涎と、低下する言語能力、私はその時初めて、キュリエはもう、とっくのとうに限界を超えていたのだ、と知った。
そう、島の中央付近、私達が入ったのが南端からで、そこから近代的な街並み、研究所が立ち上る場所に到着するかしないか、そこがキュリエのタイムリミットだった。
「キュリエ!私です!」
「がう……!がぁ……!」
「キュリエ……!」
キュリエが私に噛みつこうと、首筋を狙って攻撃をしてきた、それは理解した、ただ、それ以上の事が情報とし手処理出来なかった、私がキュリエの肩を抑えて、必死にかまれない様にと抵抗している中、私に覆いかぶさって噛みつこうとしていたキュリエは、涎を私にだらだらと垂らしながら、キュリエは涙をこぼした。
「せ……ん、せい……。あた、しを……。こ、れいじょ、う……。あた、しが、あたし、でいられ、なく、なるまえ、に……。」
「キュリエ……!まだ、何か方法が……!」
「あだ……じが……、せん、ぜい……。」
キュリエは、覚悟を決めていたのだろう、あの日、あの場所だったかどうか、の是非については知らない、知り得ないが、しかし、彼女は理解していたのだろう、自らの命運を、自らの終わりを、自らの幕引きを。
私へと向けて涎をだらだらと垂らしながら、彼女は泣いていた、それは、己の終わりに対する涙だったのか、それとも私に罪を背負わせる事に対しての涙だったのか、それとも、別れを拒む涙だったのか。
「あだじ、を……。ごろ、じで……。」
「キュリエ……!」
殺して。
その言葉には、キュリエの尊厳を守ってほしい、私を守りたい、ここで終わったとしても、ダークエルフの怪物にはなり果てたくない、そんな想いが籠っていた、私はそう推察をしている、彼女が死んでしまっている以上、それを証明する者はいない、真実の言を知っている存在はいない、ただ、そうではなかっただろうか、私は層希望的加速を今でも持っている。
「ぜ、んぜ、い……、おねが……い……。」
「……。はい……、はい……!それが、君の最期の願いなので、あれば……!」
決意、とも違っただろう、私は決意などしていない、ただ、キュリエの最期の言葉に従っただけだ、それは今でもそうだ、彼女の今際の言葉、それに従って今を生きているのだから、私にとって、その言葉はとても重たくて、大切な言葉で、キュリエの尊厳を守る為には必要な事柄だ、と私は信じている。
「リヴォルビングランタン……!」
キュリエを突き放して、蹴り飛ばして、少し距離が空いたその隙を使って、私は大鎌であるリヴォルビングランタンを転移で取り出した、私が持ちうる殺害の方法の中で、最も痛みと苦しみを少なくする方法、最も安寧の中で逝ける方法、それは大鎌による「弱点」への攻撃だった。
弱点、それは生きとし生ける者すべてが持ちうる、それぞれに付随した急所、そこを穿てば、苦しみや痛みを最小限にして逝かせる事が出来る、私はそう教わっていた、弱点を見破る方法も、また同時にロイスに教わっていた。
それを使う事になったのは、今でもあの時だけだ、私が弱点を見出してまで、苦しみや痛みを忘れさせて逝かせよう、と願ったのは、あの時だけだ。
「……。良い、のですね。」
「がぁ……!」
「もう、言葉も話す事が出来ないのですね……。キュリエ……。……、私は、君を愛していましたよ。だから、さようなら。」
自我の欠片も残っていなかっただろう、キュリエが私に向けて牙を剥き出しにして襲ってきた。
私は大鎌をふるう、私は、キュリエを救う為に、キュリエを殺すために、私の武器を、アンクウとして与えられていたそれを、初めて生ける者へと振るった。
「せん、せい……。」
「キュリエ……。」
「せん、せい……。あたし、も……。せんせい、のこと、だいすき、だったよ……。だから、きっと、せかいを、せかいを、まもって、みせて……。せかいを、あいして……。あたしに、あいをくれた、みたいに……。せかいを、あいして……。」
「はい……、きっと……!だから、キュリエ……。どうか、安らかに……。どうか、安寧の中に、居られる様に……。どうか、神木へと……。」
雨が降る中、私は涙を流せなかった、私の代わりに、天が泣いているかの様に、雨はその激しさを増していく。
キュリエは、全てから解放された、そんな喜びからだったのだろうか、それとも、飢えと渇きが結果として消えたから、それを喜んでいたのだろうか。
笑顔で、私の頬に、血で染まった唇を添えて。
そして、消えた。




