第五十一話 単調な毎日
「ふー……。」
聖獣様方と対話をしてから幾年月、私は文献を漁る日々を過ごしていた、テンペシア様から許可されていた、ドラグニート秘蔵書物庫の中でも、持ち出しが可能である文献、をディーさんと幻夢君経由で受け取って、それを読んで纏めては返却する、という日々を送りながら、最後に船に乗ったのがもう何年か前になるのだろうか、バーデュボアが懐かしい、そう言えばディーさんともあれ以来顔を合わせていない、などという事が頭の片隅を流れては消えていく、そんな日々を私は送っていた。
私が他人と関わる事に対して消極的になってから数年が経った、という話にもなってくる、現在の私は、麓の村における仲介人、とは話をするが、蹴れども他の人間や存在とは会話すらしていない、私は言葉を失ったわけではないが、これではあの頃、フェルンにいてアンクウの職務をこなしていた頃とあまり代り映えがない、とも言えてしまうのかもしれない。
ただ、あの頃と今の私とでは、明確に違いがある、と言っても、誰にとっての都合で動いているか、という話になってきてしまうだけなのかもしれないが、あの頃の私は王家にとって都合のいい存在として生きていた、私に出来る事は何もない、私が成すべき事は何もない、ただ王家にとって都合のいい存在として、死の未来を視続けるだけでいた、そして現在は、その究極である世界の滅びに対するカウンターとして動いている、それが誰かにとっての都合なのか、それとも私自身の意思なのか、と問われてしまうと、誰かの意思が介在していない訳ではない、そもそもがキュリエの遺言だったり、テンペシア様やデイン様、他の国の施政者だったりと、彼らに色々と言われて動いている部分もある、詰まるところ「世界が滅ぶことを拒んだ存在達」の都合を請け負って動いている、という言葉になってくるのだろうか、ただ、私は私の意思で動いている、そうでなければ、キュリエへの手向けにはならない、キュリエが報われない、彼女は、誰よりも自分らしく在ろうとした少女が、最後に願った言葉、それに従っていると言えば従っている、そして私自身の願いとして、世界の滅びを止めたい、世界は醜くとも、守るべきなのだと。
「やれやれ……。」
世界は醜い、醜悪で、欺瞞に満ちている、私の出した結論はそこにあった、私にとって世界とは欺瞞に満ちていて、醜く、そして愛らしく、守るべき価値のあるものなのだ、しかし守るべきなのだ、それが私の出した結論だった。
私にとって世界がどうこう言った所で、それを論じた所で、彼らが何か変わるわけではない、世界に存在する神々が、私と言う個人の意見で何かを変える事はないのだろう、私と言う個の意見で世界と言う総意の意見が変わってしまったら、それこそそれは不敬極まる事だろう、私はそれを成すほどには愚かでもなければ、それを企てる程悪辣でもなく、そしてそれを成し遂げられる程勇敢でもなかった。
食事を作る為に台所に行って、ディーさんから仕入れていた卵とベーコン、それにパンを焼いて、少々少ないがこれで良い、という量のベーコンエッグトーストを焼く、私が子供の頃、フェルンにおいては鶏卵と言うのはぜいたく品だった、というよりは食べる妖精が殆どいなかった、ただ、ドラグニートにおいては事情が違っていたり、そもそも菜食主義がメインだったフェルンからしたら、肉食の文化と言うもの自体が珍しいという話にもなってくる、私の家では鶏卵を炒めたスクランブルエッグをパンに挟んで食べる、という行為、食事形態は基本だったが、テイラット達はパンをそのままか、ないしバターを塗ったり、果物のジャムを塗って食べるのが一般的だった、私の家系が村の重役だった、という証拠、でもないが、優遇をされていた結果に、私は鶏卵を食べ慣れていた、という事なのだが、それに気づくのも、そこを離れた後だった、どうして私の家が鶏卵を食べるのが当たり前で、テイラットやアリサ、トリムントスと言った探検仲間達が普段食べていなかったのか、当時から疑問に思わない事はなかったが、けれどもその答えに行きついたのは、私がロザウェルに行って暫く経ってから、の話だった。
鶏卵を食べる、という行為自体が、上流階級の仕草だった、私はゾキュペ村においては重鎮の家系だった、村長の一つ下の階級、それが父のしていた「村における教育係」という立場だった、フェルンにおける洗脳教育、という枠組みの中で、だが、教育者と言うのは立場が高かった、と言うのがフェルンにおける常識だ、これがならばドラグニートにおける話では、学問を修めた「教授」と呼ばれる存在が教鞭をとっていて、立場ではなく学問に優れているかどうか、が教育者として相応しいかどうかの基準、という話だった、各国において、その立場は変わってくる、ならばソーラレスにおいては、教育者と言うのは「高僧」と呼ばれる位の高い信仰者が担うものだった、など、国によってその在り方は違う。
「コーヒーは……。」
この時間はまだ飲酒をするべきではないだろう、まだ昼間、時計は午後の二時を示している、この時間から飲酒をすると言うのは、少々頂けない事柄だ、と誰かに言われた覚えがある、だれに言われたのかは覚えていないが、バーデュボアには昼間から入り浸っていた私だったが、けれど一人の時にはそれを守っていた、というよりは、私は美咲さんと言う相手がいるからこそ、そして美咲さんが昼間からバーを開けていて、客があまり来ないという事を知っていたから、彼女とじっくり話をする為には「昼間に飲みに行く」という行為が一番てっとりばやい、と思って向かっていただけだ、ある意味、あれは飲みに行くという口実を以て、美咲さんに会いに行っていた、と言い換えても良いのかもしれない。
やかんで湯を沸かして、コーヒー豆をミルで挽いて、フィルターを通してコーヒーを注いで、マグカップとベーコンエッグトーストの乗った皿を持って、リビングに向かう。
「……。頂きましょうか。」
フェルン式の祈りは捧げなくなってしまって久しい、フェルンにおいては、食事の前に祈りを捧げる時間があったが、私はその習慣を捨ててしまった、祈りからは逸脱した存在だ、そもそも、その習慣は地方において行われている習慣だった、首都ロザウェルにおいては「古い習慣だ」と言われていた事柄で、ロイスにも「するだけ無駄だ」と言われていた、だから私は、祈りを捧げる事を辞めてしまった、という経緯があった。
確か、美咲さんは今でも習慣として祈りを捧げる事がある、と言っていただろうか、そもそもが祭事に使われていた酒であるクレールを輸入する時、村のしきたりに従って祈祷をする時間がある、ルポセ村に伝わる祭事、クレール地方に伝わる祭事、その二つを行って、初めてクレールを持ち出す事を許されるのだ、と。
ただ、美咲さん自身、それは苦ではないと言っていた、美咲さんを売り飛ばした両親の事を、ではなく、村に住んでいこた頃、葡萄踏みをして歌っていたあの頃を思い出す、と言っていた、美咲さんにとっては、それは大切な思い出なのだろう。
「……。」
黙って食事を食べる、それにも慣れてきたものだ、旅をしている中で、私はがやがやとした喧騒の中で食事をする事が多かった、ただ、ここに行きついてからは、基本的には食事は独りで食べる事しかない、ジパングを回っていた頃は、まだ村の方々と食事を共にすることはあったが、けれどこの数年、それもなくなっている。
寂しくないのか、と問われれば寂しいと答えるだろう、慣れていないのか、と問われれば慣れたと答えるだろう、私にとって、孤独とはそういう事柄だ。
慣れてはいる、それこそ、数百年と言う年月を、私はアンクウとして殆ど独りで過ごしてきた、給仕係こそいたものの、話す事も殆どなかった、そう言った背景からして、私にとって孤独は当たり前の隣人だ、ただ、キュリエと旅をしていたり、美咲さんやディーさん、幻夢君、家族や探検仲間と言った面々と共に過ごした時間を考えるに、私に孤独は重た過ぎた、そんな感情だ。
「ふむ、味が変わらないというのは、有難い話ですねぇ。」
ベーコンの塩気の塩梅が変わらない、同じ店から仕入れているのだから当たり前なのかもしれないが、その時その時によって味の変化がない、と言うのは、ある意味有難い話だ。
味が変わらないという事は、献立に関して悩む必要が無いという事だ、味が変わらなければ、味付けを変える必要がない、そういう意味で、私にとってはそれは僥倖と言えるのだろう。
トーストを食べ終わって、コーヒーを飲み干して、そしてまた、文献を纏める作業に戻る。
あと九十何年か、世界の滅びなのか、それとも救済の福音なのか、それを決めるのは私ではない、ただ、それを変える為に私はいる、滅びを福音に変える為に、私は生き残った、それだけ覚えておけば、問題はないだろう。




