第三十六話 機関車
「旅と言っても、どこから赴けばよいのか……。」
「先生、ここってドラグニートでしょ?なら、サウスディアンが良いんじゃない?」
「キュリエは地理に詳しいのですか?サウスディアンは、どちらの国でしょうか。」
「えっとね、ここだったかな?」
テンペシア様の神殿を出て、拠点として貸し出していただけるという宿に移動している最中、私は馬車に揺られながら地図とにらめっこをしていた、キュリエは、何か知っているような様子を見せていて、サウスディアンの場所を指示した、私達妖精が、人間や亜人と同じ発音や意味の言語を使っているけれども、言語、書き言葉としては違う「妖精言葉」という言語体系を取っていたのだが、キュリエはドラグニートの言葉が理解できているらしかった、それにも驚いたが、キュリエは事情を呑み込めていない少女だと思っていたのにも関わらず、それを提案してきた事、にも驚いた覚えがある。
私はフェルン内の地理には詳しかったが、国を出るという発想が一切なかったため、フェルン以外にどんな国があって、どんな施政があって、というのは、勉学以上の知識が無かった、どんな国があるのか、ならばどこから回るのが正解か、それもわからないまま、私達は旅を始めた、そんな中、キュリエが世界地理に詳しいと言うのは、一つ有難い話だった。
「言語関係に関しても、私は君に頼る事になりそうですね。」
「へへん、勉強してきた甲斐があるね!あたし、いつか世界中を回りたいと思って、いろんな国の言葉を勉強したんだよ?」
「そうでしたか、それは心強い。」
ドラグニートでは、蒸気機関車という移動手段が最新の移動手段で、都市間を繋ぐ機関車が最近通行し始めたのだと、テンペシア様が仰られていた、そんな時期の話だ。
私達は、都市テンペシアから、中央都市である首都「エレメント」に向かって、そこから各地の竜神様に謁見をする、という算段を付けていて、テンペシア様の都市から機関車に乗って、景色を眺めながら中央都市に向かっていた、フェルンであれば二週間はかかるであろう移動距離を、たった数時間で済ませてしまうという画期的な移動手段、それが機関車だった、今でもそれは変わらない、帆船が蒸気船に変わったりはしたが、ドラグニートにおける主要な都市間移動手段と言うのは、今でも機関車だ、と認識している。
ただ、私達が旅を始めた頃、は新進気鋭の技術としてもてはやされていた、現在の様に魔力のこもった鉱石を使っているのではなくて、純粋に「都市ヴォルガロ」で出土した石炭を使った機関車、と言うのが、丁度私達が旅を始める頃、に完成したという話だった、まずは各地の竜神様、「灼竜ヴォルガロ」「雹竜ブリジール」「岩竜マグナ・マイン」「輝竜クェイサー」「濁竜フラディア」「閃竜ボルテジニ」「暗竜テスカトロ」の七柱の竜神に謁見をする事、を目的として、その後に何処に行くかを悩んでいた、その際に、キュリエが話していたサウスディアンと言う国に行こう、と決めた、そんな記憶が残っている。
「まあ、まずはエレメントと言う都市に行かなければ、何も始まらないのですから、それを果たさなければですよ。」
「そうね!でも、楽しみだなぁ、国を回って、色んなご飯を食べて、あたし、そう言う事をする為にずっと頑張ってきたから!」
「君は純真で愛らしい方ですね。」
「ほ、褒めたって何も出てこないんだよ?」
キュリエは紫色の肌をほんのりと赤らめて、と言っても、見る者が見ないとわからない程度、日本の理と赤らめながら、私の言葉に嬉しそうに笑っていた、そんな彼女がどうして死んでしまったのか、どうして私が殺めるに至ったのか、それに関しては、もう少し先の話、もう少し旅をつづけた先の話だった。
「先生、ほら景色が!」
「綺麗ですねぇ。」
巨大な運河の横を通っていた機関車、夕陽に照らされる川、と言うのを私は見た事が無かった、心を奪われる美しさ、澄んだ輝き、と言うべきか、澄んだ美しさがあった、そんな美しい景色を、心に焼き付ける様に、キュリエはじっとその景色を眺めていた。
かくいう私もその景色に心を奪われていた、綺麗な水面、と言うのを見たこと自体はあった、村の中を流れる川の煌めき、と言うのは美しかった、ただ、私達の村には柵があって、夕陽が入ってこない仕組みになっていた、だから、夕陽と言う夕暮れの美しさは知っていても、あの煌めきは知らなかった、だから、私も心を奪われていた。
「この景色を守る為にも、先生、頑張ろうね?」
「……。はい、そうですね。」
私には、選択肢がないだけだと思っていた、フェルンにいた頃も、そして旅を始めた頃も、私にはそれしか選ぶ道がないのだ、私には、それ以外の道が用意されていないのだ、と考えていた、ただ、今は違う、キュリエの意思を継ぐ為にも、村の彼らに対する贖罪という意味でも、そして、私自身が未来を見てみたい、という意味でも、今私は、自分の意思で歩いている、自分の意思で世界を守る術を見つけようとしている、それは事実だ。
ただ、あの頃の私は、流されるままに生きていた、流されるままにアンクウとして生きて、そして流されるままに世界を守る手伝いをすることになって、自分の意思を通した事、と言ったら、キュリエを救いたい、死なせたくない、という事だけだった。
所謂「誰かの都合」で生きていた私が、こうして自分の意思で立ち上がって、自分の意思で動く様になった、それはキュリエからしたら喜ばしい事だっただろう、彼女は、それを尊んでくれる子だっただろう。
ただ、そのきっかけは皮肉な事に、キュリエの死だった、キュリエを殺めて、そして私が生きる意味を見失って、彼女の意思を継ぎたいと願う様になるまで、私は誰かの都合で生きていた、それは間違いが無いだろう。
「綺麗……。」
「ですね。」
美しい景色を眺めながら、機関車に揺られている、という事の尊さを、今でも覚えている、あの頃、私が何もかもを諦めていた頃、キュリエは何処までも純粋だった、キュリエは、何処までも純真だった、私の腐り切った心に潤いを与えてくれた、根腐れをしていて、水の枯れていた私の心、ともすれば逆の事柄、水を与えすぎる事で起こる根腐れ、そして水が枯渇する事で起こる枯れるという現象、その二つを内包していた私の心を癒してくれたのは、紛れもなくキュリエの純粋さだ。
紅い瞳をきらきらと輝かせ、運河の煌めきを見ていたキュリエを見て、私はこの子を守るという選択を取ってよかった、殺すのではなく、守るという事を選択してよかった、と心底感じていた、一歩間違えていれば、私はキュリエをあの場で殺めていただろう、ロザウェルの駒として、私が何も感情を動かさなければ、あの場あの時にキュリエを殺めていただろう、それは間違いない、純然たる事実だ。
ただ、それをしなかった事、私がキュリエを結果として殺める事になった事、については今でも思う事はある、熟考しなければならない事である事もわかっている、ただ、あの日のダークエルフの集落の近くでキュリエを殺めなかった事、それがすべての始まりで、それがすべてのきっかけで。
私にとっても、世界にとっても、それは意味のある事だったのだ、と今でも信じている、ならば、キュリエの死にも意味があるはずだ、死の未来を視ないで欲しいと願ったキュリエが、ウィザリアで死んでしまった事、それにも意味はあるはずだ、と私は考えている。
「お客様、サンドイッチはいかがですか?」
「頂きましょうか、キュリエも食べますか?」
「あたし、サンドイッチって食べた事ないんだ!食べてみたい!」
「では、二個頂いても?」
「かしこまりました。」
機関車内での販売、サンドイッチを食べるという事ですら、キュリエからしたら新しい事で、目を輝かせる様な事で、それに心が傷んだ覚えがある、この子は、私達にとっては当たり前の事、食事ですら経験したことが無かったのか、と。
「美味しー!」
「そうですね、美味しいです。これはハムと卵ですかね?」
ハムと卵のサンドイッチ、それを食べながら、キュリエは景色を眺めていた。
私も、キュリエを邪魔しない様に、景色を眺めながら、当時で言うのなら二百年後の滅びを、どうすれば回避できるか、ならば、回避した後には何をすればいいのか、を考えていた。




