第2章 3
魔王城の離れで、軍隊を一撃で壊滅させられるほとの強さを誇る、魔族の王である魔王が、傾いたソファに寝そべる人間のおっさんに土下座していた。
「どうか、早まった考えだけは……」
「痛かったわー。高いところから落とされて身体中の骨が折れたわー。生きてるって辛いよなー」
「い、生きていれば、きっと、いいこともあると思いますので……」
「炎で焼かれたり、身体中切り刻まれたり、土で押し潰されたり、生きててもいいことないよなー」
「魔王城でのんびり暮らせるように、全力で努めてまいりますので……どうか、強い気持ちで前向きに生きていただければ……」
ルートは思う。怖かった。あんな高いところから落とされて、怖くない人間なんていない。
「こんな辛い思いするなら、窒息して気持ちよく死んだほうがマシだよなー」
「ひっ……」
「自分の死に場所を追い求め続けたいよなー」
「ひいっ……」
死をほのめかす言葉が彼の口から出るたびに、反射的にレルの尻尾がピクンと逆立つ。
「魔王様だもんなー。俺みたいな人間が逆らっちゃダメだよなー。俺にできることなんて、不死身になった身体で、地の果てまで契約の履行を迫り続けることくらいだよなー」
「ひぇっ……」
さんざんレルにいたぶられて、ひどい目にあわされた。さすがにキレていいとルートは思う。
けれど、それよりも、さっき空を飛んだときにひらめいた考えが彼の頭を支配していた。
胸の奥に芽生えた決意が、また熱を帯びる。
自分で考えたことを計画して、行動に移すのなんて、いつ以来だろう。この世界に来てからは、一度もない。日本にいた頃のことを考えても、さっぱり思い出せない。
本当にできるのか。それを確かめたい。
もしもできるのなら、可能性が広がる。まずは、協力を取り付けたい。
「……レル、反省した?」
「……しました」
「何でもする?」
「で、できる範囲で……」
「そうか。じゃ、土下座やめていいぞ」
顔を起こすと、レルは言う。
「痴れ者が。魔族の王である妾が土下座などすると思うておるのか」
「おい! なんでいきなり魔王語になるんだよ!? つーか、今、土下座してただろ!」
「あれは妾の魔力を魔王城に注入しておっただけじゃ」
「どこからその設定でてきたんだよ!?」
レルの尻尾がぴょこぴょこと揺れる。こいつ、すぐ調子に乗るなとルートは思う。いや、若干レルの頬が赤い気がする。恥ずかしがってるな、これ。
きっと、レルはこういう性格なんだろう。自分の感情に素直な性格なんだろう。
ルートはソファから身を起こすと、レルに言う。
「レル、話がある」
レルの尻尾が、今度はピクンと逆立った。
「無理ですっ! ごめんなさいっ! わたし魔王なんですっ! 魔族の王なんですっ! 威厳があるんですっ! だからっ! 本当にっ! あんな契約! 無理ですっ!」
「そっちの話じゃねえよ!」
恐怖に震える表情がレルの顔に貼り付く。
土下座したり、調子に乗ったり、恥ずかしがったり、ビビったり、忙しいヤツだ。気を取り直すと、彼女の顔を見据えてルートは口を開く。
「……お金を稼ごう」
予想外の言葉に、彼女は表情を失った。真意を測りかねているようだった。ルートは言葉を続ける。
「……そのために、魔族の力を借りたい」
「いいけど、何するの?」
ハッとレルは息を飲む。まさか。
「……人間を襲うってこと……?」
「んなわけねえだろ」
その言葉に、レルは安堵する。
「じゃ、お金を稼ぐって、どうやって?」
「その前に、いくつか聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「さっき、いろいろ魔法見せてもらったけどさ、召喚魔法って使えないの?」
「召喚魔法?」
「カーネル帝国って別の世界から人間たくさん召喚して、こき使って、自分たちは支配者層として暮らしてる。俺もそうだし、他にも召喚された人がたくさんいる。だから、魔族も召喚魔法ってあるんじゃないの?」
レルは首を振って答えた。
「召喚魔法って、わたしたちは使えない。帝国で使ってるのも召喚魔法じゃないと思う」
「え? どういうこと? 俺、召喚されたはずなんだけど」
「あれ、多分、魔法じゃなくて魔道具だと思う」
「魔道具? そんなのあるの?」
「正確に言うと、魔道具ともちょっと違うんだけど。昔ね、わたしも聞いた話だけど、転移魔法を研究してた魔族がいたらしいのよ。魔法陣を使って転移させられないかってのを研究してたみたいで」
彼女も実際に見たわけではないから、その魔法陣がどんなものかは知らない。記憶をたどりながら、レルは言葉を続ける。
「ただ、上手くいかなかったみたいだけど。で、その魔法陣を研究してた土地が人間に奪われて、いつの間にか、そこに帝国ができた」
「じゃ、帝国の召喚魔法って、魔族が研究してた魔法陣を利用してるってこと?」
「多分、そう。どうやって完成させたのかは分からないし、転移魔法じゃなくて召喚魔法になっちゃったみたいだから、偶然の産物のような気もするけど。それに、人間って魔法使えないからね」
「魔道具ってのは、存在するの?」
「それも昔、研究してた魔族がいた。魔力が切れても、魔力をこめた道具が使えたら便利だと思ったみたいで。でも、成功したって話は聞いたことがない」
「おまえがやったらどう? 成功する?」
レルは悩んだ。魔道具の研究はしたことがない。仕組みも分からない。時間をかければ、あるいは。
「ちょっと断言できないし、できたとしても時間がかかりそう」
「そっか」
彼女は正座を崩した。座り直して、ルートの次の言葉を待つ。
「もう一個、聞きたい」
「何?」
「魔族ってみんな、空飛べる?」
「それくらいなら、誰でもできるわよ」
「あれって、魔力で飛んでるの? 翼じゃなくて?」
「魔物は翼で飛んでるわね。翼がない魔物は飛べないし。魔族はだいたい魔力で飛んでるわ」
「魔族なら、どっちでも飛べるってこと?」
「そうね。でも、魔族が翼を出すと服が破れるのよね。だから、みんなやらないけど。翼出しっ放しにしてても邪魔だし」
「邪魔って。意外と不便なんだな」
レルの言葉に、ルートは少し思案した。やがて。
「よし」
言うとルートは立ち上がる。
「レル、誰か他の魔族連れてきてくれない? 人間に姿を変えられる魔族。暇そうな人でいいんだけど」
「いいけど、何する気?」
「ちょっと試したいことがあるんだよ。お金を稼ぐために」
「何するの?」
「連れてきてくれたら説明する」
「それはいいけど、明日になっちゃうよ」
「明日でもいいけど、城の中にいないの?」
「人間との戦いが激しくなったから、若い子と魔力の弱い人は疎開させてるのよ」
疎開。その言葉にルートは耳を疑った。魔族にもそんな制度があるのか。レルは言葉を続ける。
「戦える魔族は残って戦ったけど、魔力が少なくなったら空を飛んで逃げるように言ってあったから、みんな外で戦って今は身を隠してるのよ。昨日、城の中にいたのなんて、わたしとクーロンだけよ」
そうだったのか。どおりで他の魔族を見ないわけだ。
「他の魔族たちは、そのうち戻ってくるの?」
「2、3日したら招集かけようと思ってるから、一回戻ってくると思うけど。みんな疲れてると思うから、あんまりすぐに呼ぶのも悪いし。急ぐなら呼びにいくけど。どこに隠れてるかはだいたい分かるから」
「急ぎでもないけどな。でも、早いほうがいいかも」
「どっちよ」
「じゃ、めんどくさくないなら一人くらい呼んできて」
「分かったわ。……けど、本当にお金稼げるの?」
「やってみないと分かんない」
「ちょっと。魔族に協力しろって言っておいて、分かんないって何よ?」
「だって、やったことないし」
「それなら、どうして急にそんな気になったのよ? 確実にお金稼げるなら、まだ分かるけど」
その言葉に、ルートは少し沈黙した。こんな話をレルにするのもはばかられる。けれど、協力を頼む以上、正直に話しておいた方がいいとも思う。疑われていたら、協力なんて頼めない。
彼は、ややあって口を開いた。
「……俺さ、前の世界にいた頃から、いろんなことがうまくいかなかったんだよ。ちゃんとした仕事に就くこともできなくて、けっこう貧乏だったんだよな。それで、貧乏から抜け出したくてもがいたけど、結局うまくいかなかった」
「……そう」
「本当、思い出すと笑えるんだけど。頑張ったって、頑張ったことを生かす機会が巡ってこないんだよ。だったら遊んでたほうがマシだったな。それでも、貧乏から抜け出すには頑張るしかなくて。けど、頑張ったところでどうにもならなくて」
レルはただ、耳を傾ける。
「友だちの結婚式とか行くの、惨めだったな。同窓会とか行かなくなったし。知り合いに会うのが嫌になって、会いたくないなって思うようになった。あ、同窓会って言っても分かんないか」
「結婚式なら分かるわ。魔族はやらないけど、人間が友だちとか知り合いとかたくさん呼んでやるんでしょ」
「そう。そこで、知り合いに会うと、自分の着てる安物の服と、知り合いが着てる高い服を比べちゃうし、今何してるかって話になると、何も話したくなくなるし。みんな、俺のこと見下してるんだろうなって思ってた」
レルの表情が歪むのが分かる。こいつ、感情が表に出過ぎなんだよなとルートは思う。
「……実際はさ、誰も俺になんか興味ないんだよ。見下す対象にすら入ってない。住んでる世界が違うから関わらない存在としか思われてない。そいつらと比べてもしょうがないんだけど、でも……」
ルートは小さく息を吐くと、言葉を続ける。
「そいつらと俺と、何が違ったんだろうって思う。生まれる時代なのか、環境なのか、タイミングなのか、何が原因なのかは分からないけど、少しでも何かが違ったら、何やっても無駄ってことはなかったんじゃないかって、努力が無駄になることもなかったんじゃないかって。一方的に奪われて、搾取されるだけの人生じゃなくて、人並の幸せをちょっとは手に入れられたんじゃないかって」
そう、だから、これは。
「……復讐なんだよ、俺にとっては。魔族と同じで……って、一緒にされるの心外かもしれないけど、奪われて、踏みつけられてきた人間が、奪ってきたヤツらに、踏みつけてきたヤツらに、一矢報いる復讐劇なんだよ。おまえのおっぱいで死ぬまでの不死身の時間を使って、世界に報復する復讐劇なんだよ」
「そっか」
「だから、わりと自分勝手な理由だけどな。俺の復讐劇に魔族を利用したい」
「……それなら、わたしも利用させてもらう。魔族のお金稼ぎに、おまえを利用させてもらう」
頬を緩めながら話すレル。つられてルートも小さく笑った。
「ああ。利用しろよ、俺のこと」
「……ただね、魔族っていっても、一枚岩じゃないからね。あんまり言いたくないけど、わたしのこと嫌ってたり、反発してる魔族だっている」
予想外の言葉に、彼は戸惑った。
「え? 魔王に逆らう魔族とかいるの?」
「逆らうって言っても、戦いを挑んでくるとかじゃないからね。わたしより魔力の強い魔族なんていないし。ただ、わたしの方針を否定したり、指示に従わなかったりする魔族はいる。わたしの目の届かないところで、わたしの命令とは違うことやってたりする魔族だっている」
「マジか。とんでもねえな」
「本当にね」
言うとレルは、寂しそうに笑う。
「……だからね、わたしを支持してくれてる魔族はみんな協力してくれると思うけど、魔族全員の協力は難しいかも。もしも失敗したら、魔族同士で戦いが始まるかもしれない」
「え? マジで?」
「可能性の話よ。絶対じゃない。ただ、均衡が崩れる可能性はどうしてもあるわね」
「……これさ、思ったより、俺の責任重くない?」
「今さら気付いたの?」
「あの、やっぱりさっきのなしに……」
その言葉に、尻尾をぴょこぴょこさせて、レルはにやにやと笑う。
「申込みと承諾の意思表示が合致すると、契約は成立するんじゃなかったの?」
「おまえ、余計なこと覚えてやがって……」
「魔族が協力する代わりに、お金を稼いでくれる契約なんでしょ?」
「お、俺が稼ぐんじゃないからな!? おまえも稼ぐんだからな!?」
「いいわよ、それで」
ビジネスパートナー。そんな言葉がルートの脳裏をよぎる。いや、違う。自分たちがやろうとしていることを考えれば、適切な言葉は。
「共犯者だな、俺たち」
「魔王と人間の共犯関係なんて、聞いたことないけどね」
契約で脅す関係だったのに、別の契約が成立してしまった。これ、前みたいに身体から文字が浮かんできたりしないだろうな。
「レル」
「何?」
「お金稼いだら、ふかふかの寝床がほしい」
「それくらい、買えばいいじゃない。先にわたしの買うけど」
「おまえの服も、俺が買ってやる」
「どうしたのよ? 急に親切になって」
「ふかふかの寝床で、俺が選んだ服で、おっぱいで窒息死したい」
ルートの言葉に、レルはジト目で返す。
「……そういえば、まだ、とっておきの魔法があるんだけど」
「いや! いいですっ!」
「わたしが発明した魔法って他にもあってね、拷問に使えると思うのよね」
「間に合ってますっ! お気持ちだけで十分ですっ!」
くらいたくなったらいつでも言ってと言い残してレルは部屋から出ていく。どうして見たくなったらじゃなくて、くらいたくなったらなんだよ。
今日は朝から何も食べていない。さすがにお腹がすいた。ルートはテーブルに置かれている草に手を伸ばす。空腹が最高のスパイスだと言うのなら、この草だっておいしく食べられるはずだ。
おそるおそる草を手に取り、口に運んで噛み締める。もにゅもにゅという歯ざわり。やっぱりソースはおいしい。けれど。ソースの味がなくなると、青臭さだけが口の中に残る。
「……やっぱり草だわ、これ」




