第7章 1
ヤム国の活気は相変わらずだった。
「お客さま、先日のものよりもいい布が入りまして」
婦人に声をかける店員。
「いっけなーい。遅刻、遅刻ー」
パンをくわえながら走る若い女の子。
「塩かけすぎだろ」
魚の塩漬けを食べながら歩く若い男。
「もう、店員さんったら。食べても全然なくならない草なんてあるわけないでしょ」
店員から、伝説の草の噂話を聞く中年女性。
「酒はまだかい」
「おじいちゃん、お酒は先週飲んだでしょ」
酒を買い求める高齢男性。
「店員さん、このナイフで愛人を刺すんだったら、身体のどこを狙えばいいのかしら?」
刃物を買い求める女性。
「すごくきれいな人がいると思ったら、俺じゃないか」
一人で鏡を選ぶ若い男性。
「……さかさまじゃないのに……」
難しそうな顔をして店頭の本を眺める若い女性
「ね、ルート」
「ん?」
「あの匂い、また嗅ぎに行きたい」
「ああ、上手くいったら、ご褒美にしようぜ」
ルートとレルは、再び商業協会を目指していた。
ルートの計画を進めるには、商業協会への加入は必須だ。上手くいくかは分からないけれど、ここがクリアできないと先に進めない。
そのために、ルートが最初にレルに頼んだのは、お金を借りることだった。彼女が拾って貯めた、わずかばかりのお金。そして、魔族のみんなが働いて魔王へと差し出したお金。そのお金が、どうしても必要だった。
ルートの申し出を受けて、当然レルは渋った。自分が拾った分ならよいが、みんなが働いて稼いでくれたお金を渡すわけにはいかないと。
「上手くいったら100倍にして返す」
「……上手くいかなかったら?」
「……すまん」
「おい。すまんですむなら、魔王はいらないでしょ」
警察かよと言いたくなる気持ちをこらえて、ルートはレルに頼み込んだ。
「でも、どうしてもお金が必要で」
「何に使うのよ?」
「服買いたい」
「服? なんで?」
「この前、商業協会に行ったとき、分かっただろ? 身なりで見下されてたの」
「そりゃ、ちょっとは浮いてる感じしたけど」
「身なりが整ってないと人間社会じゃ相手にしてもらえないんだよ」
「いい服着て行って、それでどうするのよ?」
「商業協会に加入する」
「お金足りなくて加入できないんじゃなかったの?」
「そこはちょっと、はったりをきかせる。レルにも協力してほしい」
「わたしが? 何やるの?」
「そこは後で説明するから。マジでお願いします。魔族を統べる威厳に満ち溢れた魔王様だけが頼りなんです」
「そ、そんなことで、妾が篭絡されると思うたか。みんなが働いて稼いでくれた、大切なお金じゃぞ」
「それは本当に分かってる。けど、今のままだと、いつまでたってもお金はたまらない。これは無駄遣いじゃなくて、投資なんだよ。みんなが笑顔で暮らせるための投資なんだよ。うまくいけば、魔王様の望む、みんなが幸せに暮らせる未来が待ってるんだよ」
「負ける可能性が高いと、ルートも言うておったではないか」
「ああ。負ける可能性のほうが高い。けれど、このままだとジリ貧なのは、おまえも分かってるだろ?」
「それはそうだけど……」
「本当にお願いします! ここで戦わないと、明日なんて、絶対にやってこないから!」
そんなこんなで頼み込んでお金を借り、さらにルートはレルに頼んで、再びヤム国へと連れてきてもらっていた。前回と同じようにヘッドとテイルとともに寝て、今朝はお店を散策し、さっき服を買って着替えたばかりだった。
服を買うときは、やっぱり悩んだ。この世界に来てから初めて買い物をしたので、相場がまったく分からない。レルに聞いてみたが、もちろん知るわけがなかった。
着替えて鏡を見たときに、お金の大切さを改めて思い知った。
お金のありがたさは、ルートも身をもって分かっている。特に今回は、魔族のみんなが一生懸命働いて稼いでくれたお金だ。大切に、感謝して使わないといけないと思うと、あまり高い服を選べない。できるだけ安く、最低限一般市民に見える服を選ぶしかなかった。
その気持ちと同時に、人のお金だからと気にせず使える性格だったらもう少し人生が上手くいっていたかもしれないという気持ちもわいてきて、服を選びながら笑ってしまった。
「なんかね……普段はこういう服って着ないから、どうしても違和感あるのよね」
「普段が露出度高すぎるんだよ」
二人が買った服は、そこまでいい服ではなかった。単純に、お金が足りなくて上質な服は買えなかった。
ルートが着ているのは、白いシャツに細身のズボンにベルト、シャツの上からベスト、革靴という一般市民程度の服。上質な生地ではないが、ベルトもきちんと締まっている。小奇麗な格好をしているので、見下される心配はない。
レルが着ているのは、同じく白いシャツに程よい丈のスカート、革靴。こちらも一般市民程度の服だが、洗い立てで整えてあり、小奇麗な格好をしているので、見下される心配はなさそうだ。
しかし。
広場を歩くうちに、別の懸念にルートは襲われた。
すれ違う人が、明らかにこっちを見ている。俺じゃなくて、レルを。
遠目にも、こっちを指さしている人が見える。もちろん俺じゃなくて、レルを。
街の喧噪の中から、俺たちの噂をする声が聞こえる。やっぱり俺じゃなくて、レルを。
前回はレルがフードを被っていたから目立たなかったが、今回は違う。フードを被っていない。人間に変身しているから、頭に角はない。
つまり。
傾国の美少女が、人通りの多い街を歩く羽目になる。
ルートは思わずため息を漏らした。
めちゃくちゃ人目ひいてるよ、こいつ。
それなのに、本人は、気付きもしない。
なんか上機嫌で鼻歌歌ってるし。何の歌だよ、それ。しかも、どう聞いても音程外れてるし。
普段がアレすぎて忘れてたけど、こいつ、そういえば、とんでもない美少女だった。
やっぱりフードを被ってもらったほうがよかったかもしれない。
「レル、ちょっとうつむき加減で歩いたほうがいいかも」
「え? なんでよ?」
「顔隠すほうが都合がいいんだよ」
「こんなところに帝国の兵士がいるわけないでしょ。わたしの顔知ってる人間なんていないわよ」
「そういう話じゃねえんだよ」
こいつに、おまえの顔がかわいいから目立つなんて正直に言ったら、絶対、調子に乗る。言いたくない。
とはいえ、今はまだ、あまり目立ちたくない。なんとか誤魔化して伝えたい。
「……溢れ出る威厳に、道行く人が恐れをなして注目しちゃうんだよ」
その言葉に、レルはにやにやと笑みを浮かべる。
「それなら、堂々と歩かないとね」
しまった。逆効果だ。
「あんまり目立ちたくないんだよ」
「どうしてよ? 何もしてないのに目立つわけないじゃない」
こいつ。何もしてないのに目立つから困ってるんだよ。
「レル、そっちの基準は分かんないけど、人間の基準だと、おまえは目立つんだよ」
「どういうこと?」
「見た目の問題」
「見た目? 何それ?」
「目立つ顔してんだよ」
「何? 褒めてるの? けなしてるの?」
「めちゃくちゃ褒めてるっつーの」
ルートの言葉に、レルはしばし思案した。ややあって。
「へえぇぇ。ふううぅん。そおぉぉ」
にやにやと、彼女はルートの顔をのぞきこむ。やっぱり、調子に乗りやがった、こいつ。
「分かったんなら、目立たないように歩け」
「理由をちゃんと言ってくれたら、そうしてあげる」
うぜえ。ラブコメじゃあるまいし。中年のおっさんと300歳近い魔王だぞ、俺たち。
「おまえ、俺にそんなこと言われてもうれしくないだろ」
「当たり前でしょ。全然うれしくない」
「なんなんだよ!? だったら、別に言わなくてもいいだろ」
「……でも、おまえに嫌がらせできるのは楽しい」
「おい」
「おまえの弱み握って言いなりにできるのも楽しい」
「…………」
くそうぜえ。変なところで魔王の片鱗見せつけてきやがって。
「わたしに言うことあるんじゃないの?」
にやにやとした笑みを浮かべ続けるレル。
「……おまえ、マジでロクでもねえな」
「おまえがそれ言うの? 契約を盾に、わたしにさんざん迫ってきたおまえが?」
それを言われるとぐうの音も出ない。
けど、このままじゃ、商業協会に着く前に囲まれるかもしれない。いいことをしようとしているなら目立ってもいいけれど、今回は逆だ。
はったりをきかせて、詐欺みたいな方法で商業協会に加入しようとしているから、後ろめたさがある。
頼むから、誰も声をかけてくるなよ。
「ね、ルート。まだ?」
めんどくせえ。
「……はいはい、かわいい、かわいい」
その言葉に、レルはむうっと頬を膨らますと、正面を見据えて歩く。
「おまえ、言ったんだから下向けよ」
「そんな言い方じゃ聞こえませーん」
こいつ、マジで。
「……あの、お嬢さん、旅の方ですか?」
見知らぬ声に、立ち止まる。男は、次の言葉が出てこないようだった。傾国の美少女を前に、一瞬、言葉を失ったようだった。
「……よ、よろしければ、あの、ご案内しますよ。お連れの方もご一緒に」
若い男性だった。一目で分かる、上質な服装。つーか、お連れの方ってなんだよ。
「え? あ? え? えっと……」
声をかけられることを予期していなかったらしく、しどろもどろになるレル。その様子に見惚れる男性。だから言ったのに。
「慎ましやかなところも素敵ですね」
テンパってるだけなのに、善意で解釈してくれる男性。
一方、レルは。
「……あっ……えっと……その……」
すでに涙目になって、必死にこっちに目線で助けを求めてくる。
この前、商業協会に初めて行ったときもそうだったけど、アウェーになるとマジでクソ雑魚だな、こいつ。
妹の誕生日に食べ物を盗んだって言ってたけど、どうやって人間とコミュニケーションをとったんだろう。ナンパとかじゃなくて、震えて泣いているところを助けてくれた親切で優しいおっさんから食べ物を盗んだとかいうオチじゃねえだろうな。
仕方なく、ルートが代わりに返事をした。
「折角ですけど、先を急ぐんですよ。お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます」
「……そうですか。残念です」
これじゃ、芸能人とマネージャーじゃねえか。足早に、俺はその場を離れる。慌てて追いかけてくるレル。
「ま、待つがよい。妾を誰じゃと思うておる」
「いきなりテンパってんじゃねえよ」
「わ、妾がテンパることなど、ありえぬわ」
「だったら、次から、おまえが返事しろよ」
「……ルートよ。妾の代わりに返事をする権利を授けてつかわそう」
「いらねえよ。置いてくぞ」
「ま、待つがよい……。待ってってばあぁぁ」
ルートは思った。
次に来るときにそなえて、後で帽子を買おう。こいつの顔を隠すしかない。でないと、ひたすらめんどくさい。お金足りるかな。




