第6章 7
魔王城の一室、魔王の部屋で。
土下座をしたおっさんが、寝具の端に腰かけた魔王に、後頭部を踏まれていた。
レルはいつもの服に着替えている。クーロンにいつもの服を持ってきてもらい、ようやく新聞紙から出ることができたのだった。
「……つまり、おまえが用があったのは、わたしのおっぱいではなく、新聞だと?」
「……はい。おっしゃるとおりでございます……」
「じゃ、もう、わたしのおっぱいに用はないわよね?」
「……いえ、最終的にはもちろん大ありなのですが、今だけは新聞が優先だったと言いますか……」
窓に貼られた新聞紙は無残にも破れ、もはや意味をなしていない。窓から入ってくる夜風が、ルートの身体を冷やす。
寒くてじっとしているのが辛い。けれど、お許しがでていなので動くに動けない。あの後、けっこう本気で怒られて、誠意を見せろと言われたので思わず土下座をしてしまった。
首を切り落とされたり、風魔法で外へぶっ飛ばされたりしたのはこっちなのに、怒られるのは理不尽なような気もするとルートは思う。
とはいえ、初めからおっぱいに迫っていたのなら、ざんざんやっているので罪悪感は微塵も感じないだろうけれど、今回は勘違いさせてしまったので、こっちが悪いと言われれば、その通りと言うほかない。
まさか、こんなところで人生初の土下座をする羽目になるとは。
「だいたい、なんで、さっきとあんなにテンション違うのよ?」
「あの後、ちょっと思いついたことがありまして、それを確かめようと思いまして」
「それが新聞に書いてあるってこと?」
「その通りでございますです……」
土下座をしたままのルートの耳に、足音と話し声が届く。
「皆さま、こちらです」
廊下から聞こえる、クーロンの声。それに続いて。
「うわ……」
「マジで頭踏んでもらってるわ……」
「あの人間の忠義ヤバすぎだろ……」
「さすがにひくわぁ……」
おい。なんだこれ。見世物じゃねえぞ。立ち上がろうとしたルートだったが。
「ふぐ……」
レルに踏みつけられて、再び床に頭を押し付ける羽目になった。
「さすが魔王様に命を捧げてるだけあるよなあ……」
「魔王様の魔力で押し潰されちまうよ……」
「ルート殿! さすがの忠義であるな! 我も負けてはおれぬ!」
「魔王様の生足だ……。いいなぁ……」
生足魔族。いたのかよ。どんなツラしてるんだよ、こいつ。
「では、魔王さま。わたしたちはこれで」
「うむ」
ドアの閉まる音が聞こえ、話し声と足音は遠ざかる。何しにきたんだよ、あいつら。クーロンの差し金か? そうなのか? あの人、さっきのいい話はなんだったんだよ。
「……ルート、反省した?」
「……しました」
「何でもする?」
「で、できる範囲で……」
「じゃ、土下座やめていいわよ」
頭から足がどけられた。立ち上がると、レルに向かってルートは言う。
「はぁぁぁ!? 土下座なんてしてませんけどぉ!?」
土下座って、思った以上に恥ずかしい。あのときレルが恥ずかしがっていた理由がルートにも分かった。
「今、してたじゃない!」
「土下座じゃないですぅ。魔王城に人間力を注入してただけですぅ」
「人間力って何よ!? 魔力注入の設定パクんないでよ!」
頬が緩みそうになるのをこらえ、レルは言葉を続ける。
「で、新聞ってどれなのよ?」
「さっき、おまえのおっぱいにくっついてたやつなんだけど」
「覚えてないわよ」
「ちょっと探すわ」
寝床に積み重なった新聞紙から、ルートは「窒息しそうなほど芳醇! 今年の葡萄酒は、50年に一度の出来栄えと称された昨年を上回る当たり年」と書かれた、例の新聞を探す。
新聞紙をあさって目的の一枚を見つけると、彼は寝具の端に腰かけて読みふけった。
夜風が吹き、積み重なっている新聞紙をパサパサと揺らす。
「レル」
「何?」
「すげえ寒い」
「……ぶっ飛ばしていい?」
「なんでだよ!?」
「誰のせいで窓なくなったと思ってるのよ!?」
「俺をぶっ飛ばしたのおまえだろ!?」
「しょうがないじゃない! 無理に決まってるでしょ! あんなの!」
「おまえが人の話聞かないからだろ!?」
「単語しかしゃべれてなかったじゃない!」
確かにその通りだけど。
「あ……そうだ」
にやにやとした笑みを浮かべ、尻尾をぴょこぴょこさせながら、レルが言う。
「暖めてあげようか?」
嫌な予感しかしない。
「遠慮します……」
「なんでよ? くらってよ」
「くらってよじゃねえだろ! おまえ、殺す気しかねえだろ!」
「大丈夫よ。死なない程度に火であぶるだけだから」
「拷問じゃねえか!」
「寒いって言ったのおまえでしょ?」
「燃やせとは言ってねえよ!」
ドSなのかサイコパスのなのか、もはや分かんねえぞ、こいつ。
新聞を読み終わると、ルートはしばらく思案した。
全部ではないけれど、欲しかった情報はある程度載っている。主要な葡萄酒農場はどれか。どの農場が豊作なのか。どこに出荷するのか。葡萄酒農場の細かい場所までは書かれていなかったから、それは調べる必要がある。
そして、この世界でも葡萄酒の解禁日は決まっている。11月の第三木曜日みたいなものだ。宗教上の理由なのか、協会の取り決めみたいなものなのか、理由は知らない。けれど、今回はそれがカギになる。
あと一ヶ月もない。あまりのんびりしていられない。
やっぱり勝算は低いと思う。それでも、戦える。自分の復讐そのものともやり方はズレる。けれど、最初の一歩だ。俺は、正義の味方でもヒーローでもない。この社会構造を悪用してやる。そして、復讐に繋げてやる。
ルートは新聞をたたむと、レルに向き直った。
「レル。話がある」
「ひっ……!」
反射的に、彼女の尻尾がピクンと逆立つ。両腕で胸を抱えるように覆うと身をよじる。
「ま、待って! 生きてるって、本当に素晴らしいことだと思うわ! 思わず歌いだしそうだわ!」
「そうじゃねえよ」
「……違うの?」
「戦えるかもしれない」
「戦う?」
「俺の復讐は、終わってなかった」
「どういうこと?」
「勝ち目はかなり低い。負ける可能性のが高い。けど、可能性はゼロじゃない。だから……」
ルートは言葉に詰まった。さっき共犯関係は終わりだと自分から言った。それなのに、こんなことを言うのは身勝手だと思う。
勝算が高いのなら、まだいい。けれど、そうではない。正直、頼みづらい。
それでも。
「……もう一度、力を貸して欲しい」
その言葉に、頬を緩ませてレルは答えた。
「忘れたの? 共犯者でしょ、わたしたち」




