第6章 6
夜の魔王城に、ルートの靴音が響き渡る。
そんなに長い距離ではないとはいえ、全力で走ると息も上がるし、脚もパンパンに張り詰める。昨日レルをおんぶして歩いたせいで、身体が痛いのも治っていない。
それでも、彼は走らずにはいられなかった。
まだ、戦えるかもしれない。その想いが、ルートを走らせていた。
目的の部屋にたどり着くと、彼はノックもせずに、勢いよくドアを開けた。
その室内には。
「え……? 何……?」
新聞紙にくるまった魔王が、寝具の上に座っていた。
ルートは目を走らせて、目的のものを探す。自分の記憶が間違っていなければ、どこかにあるはずだ。
「ちょっと……どうしたの……?」
どこだ? どこにある? レルの言葉に返事もせず、目を走らせ続けて、ようやく見つけた。
あった。あれだ。「窒息しそうなほど芳醇! 今年の葡萄酒は、50年に一度の出来栄えと称された昨年を上回る当たり年」との文字。あの新聞だ。ちょうどレルのおっぱいの辺りに貼り付いてる、あの新聞だ。
おっぱいに貼り付いている新聞紙を見せて欲しい。
ルートはレルに近寄る。しかし、走ったせいで息が上がり、言葉が出てこない。
「……ハァハァ……おっぱい…………見せろ…………」
「ひっ!」
ハァハァと荒い息を吐きながら下半身(※注 もちろん脚です)をパンパンに膨らませて、迫るルート。レルは悲鳴を上げて、座ったまま後ずさった。
その様子を無視して、ルートは彼女に迫る。
「……ハァハァ……おっぱい……」
「ひいっ!」
「……ハァハァ……見せろ……」
「ま、待ってっ! どうしてさっきとそんなにテンション違うのよっ!?」
「……ハァハァ……」
よりによって全裸のレルは、立ち上がることすらできない。
「お、落ち着いてっ! あんな契約、無理だからっ! わたし威厳のある魔王なんだからぁっ!」
荒い息を吐き続けながら、ルートは思う。多分、何か勘違いをされている。息が上がって声が出ないから、おっぱいしか言葉になっていないような気もするし。
おっぱいという単語がマズい気がする。こっちが用があるのは新聞だ。おっぱいに用があるのは、もっと後だ。
今は、その新聞が読みたい。「窒息しそうなほど芳醇! 今年の葡萄酒は、50年に一度の出来栄えと称された昨年を上回る当たり年」との文字が書かれている、その新聞を読ませてほしい。
さらにルートは、レルに迫る。
「……ハァハァ……窒息し…………ほしい……」
「ひぇっ……!」
新聞紙にくるまったままレルは寝具の上を座ったまま後ずさるが、とうとう寝具の端まで追い詰められた。
レルは思う。素直にクーロンの服を借りればよかった。これほどまでにクーロンの申し出を断ったことを後悔したことはない。
「……ハァハァ……」
「待って! わたしもさっきは言い過ぎたからっ! 一方的に押し付けてたと思うからっ! だから、ね? 落ち着いて? ね?」
「……ハァハァ……窒息し……」
レルの必死の説得。しかし。目的に向かって邁進する今のルートの耳には届かない。
「も、もっと、すごいことするからっ! あの、ほら! そう! と、とろっとろがぬるっぬる! みたいな!」
「と、と、とろっとろっ! ぬるっぬるっ!」
「なんでそこだけ会話が通じるのよっ!?」
コンコン。
開け放たれたままのドアがノックされ、声が響く。
「魔王様、お待たせしました。服を……」
部屋に一歩足を踏み入れたクーロンだったが、即座に固まった。彼女の目に映ったのは、寝具の端で新聞紙にくるまったまま震えるレルと、荒い息を吐きながら彼女に迫るルートの姿だった。
一目ですべてを察したかのように、彼女は居住まいを正す。
「……失礼しました」
そのまま部屋を出ると、クーロンはドアを閉めた。
「待ってぇ! クーロン! お願いぃ! 見捨てないでぇ!」
クーロンを見送ると、ルートは再びレルに迫る。
彼は思う。どうもおかしい。新聞が読みたいだけなのに、息が整わないから、なかなか伝えられない。
これならいっそのこと、新聞紙を丸ごと奪い取った方が早い気がする。新聞紙がなくなって寒いかもしれないけれど、少しの間我慢してもらうだけだ。
ルートは、ハァハァと荒い息を吐き続けながら、レルの身体を覆う新聞紙に手を伸ばす。
「ひいぃぃっ……! 待ってっ! あんな契約、無理だからぁっ! わたしのおっぱい清らかなんだからぁっ!」
本能的に、レルが差し出した右手。その右手から、風魔法が放たれた。
「あ……やっちゃった……」
刃となった風魔法によって、首と胴体を切断されるルート。床に倒れた胴体の隣を、切り落とされた首が転がる。首と胴の断面から滴り落ちる血が、床を朱に染める。
しかし。すぐに首と胴が繋がると、復活した彼はレルへと這い寄る。
ペタ、ペタ、ペタ。
怪談でお化けが歩くときのような音が響く。
「ひいいいぃぃぃぃっ……!」
ハァハァと荒い息を吐き続け、おっぱい、窒息死などと本来の願望を口にしながら這い寄ってくる不死身のおっさんの姿が、レルの目前に迫る。
全裸のレルは、これ以上、逃げようがない。
「あんな契約、無理だってばぁぁぁ! 心の準備があるんだからぁぁぁっ!」
またもや本能的に放たれた風魔法。その風に飲み込まれ。
「あ…………」
ルートの身体は、窓ガラスの代わりに貼られた新聞紙を突き破り、夜の闇に、消えた。




