第6章 5
――頭の中でくらいお花咲かせたっていいじゃない
いつかのレルの言葉が脳裏をよぎった。
レルも自分の考え方が理想に過ぎないのは分かっているはずだ。それでも、その理想を現実に変えようとするために、必死に頑張ってきたはずなんだ。
その結果が、これなのか。
「違うだろ、それは」
いくらなんでも、それは違う。どうしてレルが苦しまなけれならないのか。
レルが悪いわけじゃない。誰が悪いわけでもない。社会構造に埋め込まれて、もがいて、手を伸ばして、それでも、抜け出せない。
人間と魔族の戦い。憎しみの連鎖。奪いあい、殺しあう構図。飢えと貧困の苦しみ。今の苦しさと300年後の未来。
レル一人で背負える話じゃないのに、あいつ一人で背負おうとして、限界にきている。
このままだと、あいつは俺と同じになってしまう。
誰にも救われなくて、すべてを諦め、消えたいと思っていた、日本にいた頃の俺。世界から色が失われていくなかで、無力感にさいなまれた日々。ただ、時間だけが過ぎていく。
尻尾をぴょこぴょこさせて自分の気持ちに正直なあいつが、消えたいと思う日々を過ごす羽目になるのか。
そんなの、やっぱり、間違ってる。
胸の疼きが、熱を帯びる。身体が、熱い。
言葉にならない想いがあふれそうになる。
……ああ、そうか、怒ってるのか、俺。
レルが追い込まれた、この社会構造に。
俺が社会に追い詰められたように、レルもまた、社会に追い詰められていく。
この社会構造はなんなんだ。
この社会に、一矢報いたいと思った。
だから、復讐しようと決意した。
それなのに、ここでレルを放ったままにして、すべてを諦めてしまったら。
それじゃ、まるで、俺を苦しめてきた社会構造の一員に、俺まで組み込まれているみたいじゃないか。
違うだろ。
そうじゃないだろ。
俺が復讐すべき社会の一員に、俺がなるなんて。
このまま俺一人で消えていくなら、まだいい。
けど、もう、違う。
レルの苦しみを知ってしまった。
何も知らなかった頃の俺じゃない。
お金を稼ごうと、俺から持ちかけた。
共犯者になってしまった。
俺が特別な存在かどうかは分からないけれど、クーロンの言うように、特別なタイミングで出会ってしまった。
レルを救いたいとか、そんな身の程知らずなことを考えているわけじゃない。
ただ、放っておきたくない。
このまま、あいつを苦しめる社会の一員のままでいたくない。
自己責任という言葉を投げかける社会の一員に。苦しんでいる人間がいるのを知っていながら何もしない社会の一員に。
そんなヤツらの一員として、終わりたくない。
このまま、すべてを終わらせることなんて、できない。
諦めることなんて、できない。
手が、震える。
吐息が、熱を帯びる。
くすぶっていた気持ちに、火がつくの分かる。
社会への俺の復讐心という火種は、消えていなかった。
「……どうしたら、いい……?」
つぶやいた声が、宙に消える。
自分を追い詰めた社会に復讐したかったのに、その復讐が何なのか、もう、分からない。
復讐心は残っていても、何をすれば復讐になるのかが、分からなくなっている。
俺を馬鹿にしてきたヤツら。搾取してきたヤツら。あいつらを痛い目にあわせてやりたいと思った。
けれど、あいつらは俺の顔なんて、覚えてもいない。俺の存在なんて、あいつらにとってはただの背景だった。
あいつらが俺のことを覚えていたのなら。
あいつらを痛い目にあわせてやることができたら。
……できたら、どうなるんだろう。
少しは、すっとするだろう。胸のつかえがとれるだろう。
それで、本当に俺は満足するのだろうか。
何かが違うと感じる。
俺を痛めつけてきたヤツらへの復讐は、もちろんしたい。
けれど、あいつらを痛い目にあわせて、すっきりして、それでどうなるんだろう。
搾取される構造は何も変わらない。
誰もがそのまま同じような生活を続ける。何一つ変わりはしない。
そうじゃない。虚しさしか残らない。
俺が本当に復讐したかったのは、社会のはずだ。
俺を苦しめてきた社会に。俺には価値がないと断言してきた社会に。
個人だけを痛めつけても、あまり意味がない。個人だけを痛めつけるのであれば、闇討ちでもすればいい。
けれど、そういう発想になったことは、一度もない。
違う、と思う。
俺がやりたかった復讐は、それじゃないはずだ。
何をすれば、俺は満足するのか。
否定したかったんだ。この社会の仕組みを。搾取され、苦しむ人間がいることが前提になっている、この構造を。
日本にいた頃、ずっと思っていた。チャンスが欲しいと。這い上がるチャンスが欲しかった。就職して正社員になるチャンス。スキルアップできるチャンス。やりたい仕事に挑戦できるチャンス。
そんなチャンスは、俺には一度も回ってこなかった。搾取される側から、抜け出すことはできなかった。
面接で職務経歴書を鼻で笑われるたびに、俺が面接官なら、そんな態度はとらないと思っていた。
俺がプロジェクトマネージャーなら、商流が下の人間に理不尽に押し付けたりせず、メンバー全員が実力を発揮できるようなマネジメントを試みるのにと思っていた。
俺が元請企業の社員なら、中抜きしている会社なんてすっ飛ばして、実際に仕事をしている人間と直接契約するのにと思っていた。
……そうか。
俺は、あいつらと同じ立場になって、関わる人間を満足させることで、自分ならもっと上手くできることを証明したかったんだ。
俺がプロジェクトマネージャーになって、プロジェクトを最高品質で完遂させて、メンバーを全員満足させる。そうすることで、プロジェクトマネージャーを見下せる。
俺が元請企業の社員になって、中抜きしてるヤツらを排除して、実際に手を動かしている人間を尊重して適切なお金を渡す。メンバーのモチベーションを上げて、プロジェクトを最高品質で完遂させる。そうすることで、中抜きしているだけの人間を、おまえらの存在なんて害悪でしかないと見下せる。
末端の人間を安い給料でこき使うなんてことではなくて、全員に適切な給料を支払うことで、関わっている人間を満足させる。
おまえではできなかったことを、俺なら余裕でできる。この程度のことを、おまえはできないの? と侮蔑する。
一人ひとりがスキルアップできて、やりたい仕事をできて、経済的にも余裕が生まれて、誰もが羨む会社になることができたなら。
搾取される人間がいることを前提とするのではなくて、一人ひとりがチャンスをもらえて、努力を生かすことができて、報われる組織を作ることができたのなら。
その組織に魅力を感じた人間が集まって、搾取を前提とする組織が崩壊していくのなら。
搾取することしかできない経営者に、きっと、俺はこう言う。おまえの会社は、この程度の経営もできないの? 社員すら満足させられないの? 無能すぎない? と。
自己責任なんて言葉を投げかけるヤツらを、搾取されて苦しんでいる人間を見殺しにするヤツらを、おまえら何にもできないの? 座ってるのがお仕事? と馬鹿にする。
それが、俺にとっての復讐だったんだ。
社会に対しての復讐だったんだ。
この世界に来てからもそうだ。奴隷に鞭を打って働かせたりせずに、実際に働いている人間に適切な給料を支払うことで、生産性を上げて、葡萄酒の品質を上げて、関係者の懐が潤って、誰もがここで働きたいと思えるような農場になったのなら。
他の農場から人が集まって、他の農場が次々と潰れていったのなら。
商人貴族を、この程度の経営もできないの? と見下すことができたのなら。
そうすることで、相手に屈辱を与えることができたのなら。
レルを支持している魔族は、魔力が絶対の価値観をもつ魔族社会から爪弾きにされている者が多いとクーロンは話していた。
人間だって、そうだ。プログラミングが得意な人間もいれば、ドキュメンテーションが得意な人間もいる。ログの確認が得意な人間もいれば、コミュニケーション能力が高い人間もいる。
そういうメンバーを適材適所で配置して、最大の利益を上げることで、他のマネジメントをしている者たちを見下して、馬鹿にする。
おまえが見限った者は、俺のところで活躍してるけど? おまえは人の能力を見極めることもできないの? 無能すぎない? と侮蔑する。
それが、俺にとっての復讐だったんだ。
やっと、気付いた。
思わず、笑いがこぼれる。
なんて暗くて下品な復讐だろう。
正義の味方とかヒーローとか、そういう存在とは真逆だ。
本当に、自分らしくて笑える。
とはいえ、復讐なんて、きっと、こんなもんだ。
憎い相手を直接痛めつけたところで、一瞬で終わる。
そうじゃない。
相手のプライドを傷つけて、人間性を馬鹿にして、見下して、侮蔑して。おまえが馬鹿にしていた人間は、おまえが見下していた人間は、実はおまえよりもはるかに仕事ができました、優秀でしたと見せつける。
俺みたいな人間には、そういう復讐がお似合いだ。
気付くのが遅すぎた。
日本にいた頃にそう思っていたなら、どうなっていたんだろう。会社を立ち上げて、社員が満足できる会社になるように努力しただろうか。資金もスキルもないから、諦めていただろうか。
この世界では、どうだろうか。同じ発想で復讐ができるのだろうか。
俺が働いていたところよりも、収益を上げられて、働いている人間が満足するような葡萄酒農場を作ることができたなら。
別に、葡萄酒農場でなくてもいい。きっと、何だっていい。収益を上げられて、働いている人間が満足できて、他の経営者を見下すことができたのなら。優秀な人材が他のところを見限って、俺のところに集まるような組織を作ることができたのなら。
見下してやりたい。
おまえは、この程度の経営もできないの? おまえが鞭で打って働かせていた奴隷は、俺のところで笑顔で働いていて、しかも効率100倍だけど? と侮蔑してやりたい。
直接、痛い目にあわせてやれれば、それに越したことはないのかもしれない。もしかすると、闇討ちして満足してしまうかもしれない。
けれど、やっぱり違うと思う。
相手の能力を否定する。人間性を否定する。あんな奴隷の作った会社以下だと見せつけて、歯噛みさせる。
俺の復讐って、きっと、こういうことだったんだ。
搾取を前提とした組織ではなく、搾取されない組織を作る。その組織に魅力を感じた人間が集まり、搾取を前提とした組織は潰れていく。おいしい思いをしていたヤツらが路頭に迷い、搾取されていた人間から馬鹿にされる。
社会構造を作り変え、相手に敗北感を与え、屈辱を与えることで、心を折ることが、俺の復讐だったんだ。
相手に自分のことを覚えられていなくても、俺の復讐は、変わらないじゃないか。
レルの言葉を思い出す。
――夢……見させてよ……
レルの夢。
見下されたり、蔑まれたりすることなく、一人ひとりに価値があると信じている、彼女の夢。
憎しみあったり、奪いあったり、殺しあったりすることなく、魔族みんなが笑顔で明日を迎えること。
俺の復讐。
見下されたり、蔑まれたりしている搾取される側の一人ひとりが活躍できて満足できる組織を作ることで、搾取する側に敗北感を与えて、屈辱を与えたい。見ているだけで何もしないヤツらを馬鹿にしてやりたい。
なんだ、これ。
俺の復讐は途中まで、レルの夢と同じじゃないか。
お金を稼ぐだけの共犯関係だと思っていたのに、目的まで半分同じだった。
ただ、それに気付いたところで、どうすればいいのだろうと思う。
思っていたより規模の大きい話になってしまった。政治家じゃあるまいし。
俺の立場からできることは何だろう。組織を作るにしても、お金が必要な事実に変わりはない。
ヤム国の商業協会には加入できない。他の国での商業協会でもそうだ。お金がない。
お金がないと、信用を得られない。信用を得るには、お金がいる。ここから抜け出せない。
それでも、思う。
「まだ、終わりじゃない」
相変わらず窓ガラスが、カタカタと音を立てる。今日は風が強いのだろう。
考えているうちに、お腹が減ってきた。こんな状況でもお腹が減る事実に苦笑する。
ご飯を作って持ってきてくれたクーロンに感謝しなければいけないと思う。
すっかり冷めてしまったスープ。口に運んで、言葉を失う。クーロンの料理は絶品だとレルが言っていたのもうなずける。
高級な料理なんて食べたことはないし、味覚だって子どものままだけれど、それでも分かる。スプーンを口に運ぶ手が、止まらない。素材の味を生かしながら、全体として調和させて、一皿としてまとめあげている。
パンもそうだ。何から作ったパンかは分からない。多分、小麦じゃない。今まで食べていたパンとは、味わいが違う。冷たくなっているのに、表面はカリっとしていて香ばしく、中はふわふわで甘味を感じる。
続いて魚料理。何の魚かは分からないが、白身魚のムニエルのような料理。口の中で、とろける。濃厚なソースが口内を満たし、その中で、魚が泳ぐ。
さっきまで食欲なんてなかったのに、止まることなく完食してしまった。
普段、草しか食べていないから、あまりのギャップに驚愕する。
この世界に来てから初めて食べる、ちゃんとした料理。日本にいた頃と合わせても、ここまでおいしい料理なんて、最後に食べたのがいつなのか分からない。
感謝の気持ちとお願いとクーロンは言っていたけれど、それでも、こんなにおいしい料理を、俺に作ってくれる人がいる。
もともとレルに頼まれてご飯を作ってくれていただけなのに、今回は、自分の意思で、俺に、料理を作ってくれた。
こんなおいしい料理を作れる人が、魔族社会で迫害されていたなんて。
クーロンも、生まれる時代と場所を間違えたとしか思えない。日本に生まれていれば、間違いなく一流シェフになれたのに。
テレビで見る高級フランス料理を思い出す。スープ、パン、メインの魚。サラダとか肉とか。あとはワインなんかもついていた。
ワイン。葡萄酒。どうしても葡萄酒農場の商人貴族を思い出してしまう。奴隷の俺を、熱が出るまで鞭で打った商人貴族。イニットという名前だった。
ヤム国で会うなんて考えてもみなかった。多分、去年の今頃、俺も葡萄酒をヤム国の商業協会まで運んだはずだったのに。
今年もそうなのだろうか。葡萄酒を商業協会まで運んで、試飲していたのだろうか。
……何かが引っかかる。
引っかかるというよりは、パズルのピースがはまらないと言った方が近い。
何だろう。
もう少しで、戦えるような気がするのに。
どこかで、見た。
必要な情報が、どこかにあった。
戦えそうな気がするのに、思い出せない。
最近のはずだ。誰かに聞いたのか? いや、違う。葡萄酒農場の話をしてくる人間なんて、いない。
どこかで見た。どこだ?
記憶をたどる。今日したことは、何なのか。昨日は。一昨日は。その前は。
「……っ!」
その記憶に、たどり着く。
必要な情報が載っているのか? 載っていたとして、どうなる? 勝てるのか?
勝算は極めて低い。いろいろな条件がクリアできないと、勝ち目はない。はったりを効かせる必要がある。運という条件も多大な影響を及ぼす。
それでも。
ゼロじゃない。
今までの人生で、勝ったことなんて、一度もない。負けたことしかない。
だから、戦える。敗北しか知らない人間は、敗北の恐怖なんて知らないから。
立ち上がると、俺は走り出した。
「まだ……戦える……!」




