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第1章 3

「は……? 貧乏……?」


 今度はルートが聞き返す番だった。言っている意味が分からない。貧乏? 魔族が? 人間を滅ぼすほどの力を持つ魔族が?


「わたしたち、食べるものがないのよ。飢えてるの」

「だから、人間を襲って食べてんの?」

「食べないわよ! 人間なんて」

「だったら、魔族って何食べるんだよ?」

「人間と一緒よ。肉とか魚とか野菜とか果物とか」

「同じじゃねえか」

「だから、同じだって言ってるじゃない」


 ますます意味が分からない。人間と同じものを食べるなら、飢えるなんてことがありえるだろうか。


「だったら、作物でも育てて食べればいいだろ」

「ここ来るときに見たでしょ? こんな土地で作物が育つと思う?」


 言われてルートは、魔王城までの道のりを思い出す。魔王城に近づくほど、土地はやせ細り、枯れ果てていった。城の近くでは、木も草も見かけなかった。けれど、それは。


「そんなの、魔族の魔力かなんかで土地が枯れただけじゃねえの?」

「違うわよ! どうしてわたしたちがそんなことするのよ? 作物育たなくなるのに」

「じゃ、元からこの土地がやせてたってこと?」

「そうよ」

「だったら、どうしてこんなとこ住んでるんだよ」

「……追われたのよ、わたしたち」

「追われた? 誰に?」

「人間よ。決まってるでしょ」

「人間? 魔族が人間に追い出されたってこと?」

「そうよ」


 とてもじゃないが、信じられない。ルート自身、魔王の一撃で軍隊が壊滅するのを先ほど目にしたばかりだ。魔族が人間に追い出されるなんて、いくらなんでも無理がある。


「魔族が人間に負けるなんてこと、ありえる?」

「初めは魔族のが強かったのよ。けどね、人間の繁殖スピードと文明の進化は、わたしたちの想像をはるかに超えてた」


 唇を噛むと、レルは続ける。


「わたしたちの魔力だって無限じゃない。特に、大きい魔法を使うとしばらく動けなくなることだってある。人間が遠くから一斉に弓矢を射かけてきて、こっちも魔法で防御するけど、そのうち魔力が尽きて、その後、一斉に襲われたら、とてもじゃないけど防ぎきれない」


 とつとつと、彼女は言葉を紡ぐ。


「わたしたちは、土地を追われた。逃れた土地も人間に攻め込まれて、どんどん追われて、作物の育たないようなこの土地まで追いやられた」


 彼女は、胸を隠すように覆っていた両腕で、ぎゅっと自分の身体を抱きしめた。自分を、自分たちを、守るかのように。


「寒くて、乾燥して、荒れ果てたこんな土地じゃ、家畜だって飼えない。魚だって獲れない。肉も魚も、穀物も。食べるものなんて、何一つない」


 魔族の悲しい歴史。語っている内容が真実だとすれば、魔族が被害者にすら思えてくる。


「だったら、魔物でも食えよ」

「は? 本気で言ってんの? どうしてわたしたちが、あの子たちを食べなきゃいけないのよ!? バカ言わないで!」


 魔物を食べろというのは、レルの気に障ったようだった。ルートは話題を変えた。


「魔族なら、魔法が使えるんじゃねえの? 石ころをお金に変えるとかできないの?」


 彼の言葉に、レルは静かに首を振る。


「無理よ。魔法だって万能じゃない。わたしたちって自分の姿は変えられるけど、物の形は変えられない」

「自分の姿を変えられるんなら、魔族みんなで人間の姿になって働けばいいだろ」

「働いたわよ、わたしだって。今も人間の姿をして働いてる魔族だっている。けどね……」


 言葉に詰まりながら、彼女は続ける。


「……おまえも人間だから分かるでしょ。働いたところで、たいしたお金なんて手に入らない。魔族も魔物も、みんなで暮らせるお金なんて、手に入らない」


 そんなの、ルートだって身をもって分かってる。この世界に来てから、お金が自分のものになったことなんて、一度もない。


「……それにね、自分の姿を変えられるのだって、魔族みんなができるわけじゃない。魔族でも自分の姿が変えられなかったり、ちゃんと話すことができなかったり、自分の考えを表現できない子だっている」


 小さく息を吐くと、彼女は言葉を紡ぐ。


「魔物なんて、そもそも知性があんまりないんだから、こっちの言うことは聞くけど、言葉をしゃべることだってできない。魔族も魔物もみんなで平和に暮らすことなんて、お金がなくてできないの」


 異世界に来てまでお金の問題に直面するのは、世知辛すぎる。ルートも日本にいた頃、さんざん苦労した。


「奪うしか、なかったの」


 震える声で、レルは続ける。


「戦いたかったわけじゃない。ただ、魔族と魔物とみんなで、幸せに暮らしたかっただけなの。平和に暮らしたかっただけなの。……お金が、必要だったの」


 俺だってそうだとルートは思う。満足のいく給料なんて、受け取ったことはない。生活に余裕があったことなんてない。日本にいた頃は、ずっとそうだった。


 そして、この世界に来てからも、それは変わらない。ただ、搾取されるだけの日々。それは自分が異世界から召喚されて捨て駒にされる使い捨ての奴隷だからだと思っていた。


 けれど、違うのかもしれない。きっと、ほとんどの人間がそうだ。一部の王族、貴族、資本家が富み、他の人間が搾取され続ける。ここの世界も、日本も、搾取の構造は変わらない。


 きっと、魔族も同じなのだろう。食べ物を手に入れることもできず、働くこともできず、お金を手に入れることもできない。人間の姿になったところで、お金がないと何も買えない。奪うしかなかったというのは、レルの本心なのだろう。


「…………」


 ルートは言葉を失った。ずっと搾取され続けてきた彼には、その辛さは、痛いほど分かった。


 とはいえ。


 ルートは静かに首を振った。まるで、同情しかかった心を振り落とすように。目覚め始めた罪悪感を消し去るかのように。


 彼は決意を固める。俺が同情することに意味はない。自分にできることなんて、きっとない。今まで、俺がどれだけ絶望していても、誰も手を差し伸べてはくれなかった。だから、俺だって誰の期待にも応えられない。


 ただ、ただ思う。最期くらい、欲望のまま、自分のために生きて、そして、死にたい。


「レルが辛い想いをしてきたのも、魔族が苦しい立場にいるのも分かった」

「でしょ? だったら」

「でもな。俺には関係ないからな。契約を履行してもらおうか」

「な、なんでよ?」

「なんでじゃねえだろ。契約は契約だろ」

「だって、さっき気持ちは分かるって」

「気持ちは分かるけど、契約は別だ。俺の望みは変わらない」

「変わってよ!」

「うるせえ! 早く窒息死させろ!」

「ま、待って! 無理! 無理! わたし魔王だからっ! 威厳のある魔王だからぁっ! そんな契約、無理だからぁっ!」

「誰が待つかっ!」

「ひいっ……! お願いっ! あんなことも! こんなことも! するからっ!」


 尻尾がレルの身体を覆うように動く。彼女の声が涙色に変わる。この状況から逃げたい。その一心だった。ただひたすら必死だった。


「じゃ、今やれっ!」

「ま! 待って! やめるからっ! 人間滅ぼすのやめるからっ!」

「今から死ぬ俺に、人類の存亡なんて関係あるかっ!」

「じゃ、住んでいいからっ! 魔王城に住んでいいからっ! 離れ提供するからっ! のんびり暮らしてもらっていいからっ! だから、今すぐ死ぬ必要なんてないでしょ? ね? 契約なんて、また今度でいいでしょ? ね?」

「知るかっ!」

「ご飯出すから!」


 ご飯。その言葉で、ふと、ルートは我に返った。よく考えてみれば、魔王城の一室でご飯が出てくる生活というのは、悪くないのかもしれない。


「……三食出る?」

「出す! 出す! 三食出す!」

「おやつは?」

「毎日出す!」

「お酒は?」

「好きなだけ出す!」

「かわいい子は?」

「魔族から、選りすぐりの子連れてくるからっ! だから、今は生き延びよ? ね?」


 魔王城で三食おやつ付きのスローライフ。悪くないかもしれない。


「……だから、わたしのおっぱいは勘弁してぇっ!」


 魔王城に魔王の悲鳴が響き渡った。まるで、断末魔のように。

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