第6章 3
コン、コン。
ノックの音に、ルートは顔を上げた。こんな時間に誰だろうと思う。レルくらいしか心当たりがない。気が変わって、俺を殺してくれるのだろうか。
開けっ放しのドアから姿を見せたのは。
「食事をお持ちしました」
クーロンだった。こんな夜更けに。
「……ごめん、食欲ないから」
「食べてください」
有無を言わさぬように語気を強め、彼女はテーブルに皿を置く。釣り鐘状の蓋を取ると、そこには。
「これ……どうしたの……?」
ここに来て初めて見る、パンと魚料理とスープだった。見た目だけなら、テレビで見るフランス料理のようだ。
「食べてください」
「せっかくだけど、ごめん、食べる気が……」
「食べてください」
クーロンに聞く耳をもってもらえない。仕方なく、ルートは思ってもない言葉を口にする。
「……後で食べるよ」
「魚を獲ってまいりました」
「魚って……どこで?」
この辺りに、魚が獲れる場所なんてないはずだ。だからこそ、魔族は飢えている。
「魔族の領土の外へ出て、人間の領土まで行きました」
「え? どうして?」
「ブイアイさんに言われたのです。筋肉が足りなくて、魔王様の期待に応えられなかった。だから、トレーニングに付き合って欲しいと。私を抱えて空を飛ぶ練習がしたいと」
ブイアイが、そんなことを。
「……ブイアイさんの筋肉不足は、栄養不足が大きな理由です。ですから、私がお願いしました。せっかくトレーニングをするのなら、人間の領土に食材を獲りに行きたいと。栄養のあるご飯を作ることができれば、少しは私もお役に立てますので。それで、ブイアイさんが私を抱えて、人間の領土まで飛びました。人間の領土まで行ったことが魔王様にバレると叱られるので、魔王様のいない隙にですが」
「そこまでして……」
「ブイアイさんは、言っていました。今はルートさんに忠義で負けていると。ですから、筋肉をつけて、魔王様とルートさんの期待に応えることで忠義を示すと」
どこまでもブイアイは真面目だ。忠義を貫こうとしている。
「このご飯は、私からルートさんへの感謝の気持ちと、お願いです」
「感謝?」
「はい」
ルートは自虐的な笑みを浮かべた。
「感謝されるようなことは、できなかったけど」
そう。レルに対しても、クーロンに対しても。何も、できなかった。
「ルートさん。私からのお願いです」
クーロンはルートを見据えると、言葉を続けた。
「レル様を、一人にしないでください」
ルートは戸惑った。言葉の意味が分からない。
「どういう……」
「ルートさんはおそらく気付いていないと思いますが、私には魔力がほとんどありません」
「えっ?」
「もちろんゼロではありません。魔族ですから。でも、ほとんどありません。私にできることは、空を飛ぶことだけです。それも、うまく飛べません。宙に浮くといったほうが正確なくらいです」
クーロンにはコンプレックスがあると、いつかレルが言っていたことルートは思い出した。おそらく、このことだったのだろう。
「魔族の世界では、魔力が絶対的な意味を持ちます。魔力のほとんどない私は、幼い頃から、周りから蔑まれ、見下されてきました。昔は魔族の領土ももっと広く、動物や魚がいました。けれど、魔力のほとんどない私では、動物や魚を仕留めることができません。ですから、昔から植物を調理して食べていました」
この枯れ果てた土地ではなく、豊かな土地に魔族が住んでいた頃。どのくらい昔かなんて、見当もつかない。
「一人でいるときは、それでもよかったのです。ですが、他の魔族に見つかると、格好の的でした。他の魔族は、私に魔法で攻撃を仕掛けてきます。私では、防ぐことも反撃することもできません。震えながら、逃げ回ることしかできませんでした」
伏し目がちにクーロンは話す。思い出したくないことを話しているのが分かる。
「ある日、その日も私は、他の魔族から魔法で攻撃をされて、逃げ回っていました。私が作った料理も燃やされ、逃げる先に土で壁を作られて、壁の上まで飛ぼうとしても、私では壁の上まで飛ぶのには時間がかかります。宙を浮いているときに攻撃を受け、私の身体は土の壁にめり込みました。動くこともできなくて、息が苦しくて、ここで私は終わるのだと思いました。……そのとき、絶大な魔力を持つ魔族が近づいてきました」
クーロンは小さく息を吐く。
「その魔族は、攻撃を受けている私を見て、他の魔族を一瞬で追い払いました。先ほども言いましたが、魔族の世界では魔力が絶対的な意味を持ちます。絶大な魔力を前にして、他の魔族は恐れをなして、逃げ出しました。その魔族は、土の壁を壊し、私を抱えて地面に下りると、私の心配をしてくれました。……それが、私とレル様との出会いでした」
レルがクーロンを助けた。それが、二人の出会いか。
「それから何度も、レル様は私を助けてくれました。いつしか、他の魔族は私を攻撃しなくなりました。私は、せめてもの感謝の気持ちを伝えたくて、植物で作った料理をレル様にお渡ししました。木の実で作ったパン。野菜を煮込んだスープ。レル様はいつも、おいしい、おいしいと言って、尻尾をぴょこぴょこさせながら、笑顔で食べてくれました。私はそれが、とてもうれしかったのです」
その光景が、容易に想像できる。
「いつしか、レル様が捕まえた動物や魚も私が調理するようになりました。何を作ってもレル様はおいしいと言って、尻尾をぴょこぴょこさせながら食べてくれました。私の料理が世界で一番おいしいと、そう言ってくれました。私にとっては幸せな時間でした。初めて他の人から必要にされた気がしていました。初めて自分が認められ、価値があると言われたような気がしていました」
クーロンの自己肯定感の低さ。レルが言っていた、クーロンを誉めろとの言葉。その根底にあるものが分かったような気がする。
「当時から、レル様の絶大な魔力は魔族でも随一でした。次の魔王になることは、事実上決まっていました。レル様本人も、それを分かっていました。ですから、レル様は私に言ったのです。自分が魔王になったら、魔王城に来て欲しいと。ご飯を作って欲しいと。そして……」
拳を握りしめると、クーロンは続けた。
「……レル様が魔王になった日、私はレル様の前から、姿を消しました」
予想外の言葉に、ルートは困惑した。
「……どうして、そんなこと」
「……先ほども言いましたが、私には魔力がほとんどありません。若くして魔王に就任されたレル様に反感を持つ魔族も少なくありませんでした。それなのに、魔力のほとんどない魔族が傍に仕えているとなると、魔王様の沽券に関わります。魔王様の足手まといになるくらいなら、二度と目の前に現れない方がよいと、魔王様にご迷惑をかけたくないと、そう考えたのです」
思い詰め過ぎていると、ルートは思う。けれど、それがクーロンなりの感謝のしるしだったであろうことも、理解できる。
「それから私は、一人で僻地のあたりで細々と暮らしていました。魔族の数が随分減っていたので、私一人で暮らしていても、他の魔族に見つかって攻撃を受けることはありませんでした。けれど、何年も経ったある日。レル様が私の前に現れました。魔力のほとんどない私を魔力を頼りに探すのは、いくらレル様といえども無理です。レル様は、領土内を飛び回って、私を探し出したのです」
レルなら、そうするんじゃないかと思う。
「私はレル様にひどく叱られました。魔王城でご飯作ってくれるって約束したのにと。二度とどこにも行かないでと。私は、魔王城に行くことに決めました。きっと、どこに隠れても、レル様は私を探しにきてしまうと思ったからです」
ああ、そうだ。あいつは、そういうヤツだ。
「それでも、私に魔力がほとんどないことに変わりはありません。ですから、せめて、私は魔王様の身代わりになろうと、そう決めました。もしも魔王様に危険が迫ったら、代わりにこの身を差し出そうと、そう決めました。そこまでは魔王様には伝えませんでしたが、何があってもお傍にいると、そう伝えました。ですが……」
クーロンは唇を噛むと、言葉を続ける。
「……日が経つにつれ、魔王様から笑顔がどんどん消えていきました。感情を見せなくなっていきました。人間と争わない方針を掲げる魔王様に反対する魔族は大勢います。そのような魔族の反発を抑えるには、魔王としての仮面を被り、鎧を身にまとうしかなかったからです。魔王様であり続けなければならない重圧が、魔王様を孤独にしていきました」
ルートは魔族の集会を思い出した。玉座の間で魔族を跪かせ、魔族に号令をかけるレル。魔族の半数はレルの方針に従いたくないと考えている。それなのに魔族を従わせるなら、圧倒的な力で押さえつける魔王であり続けるしかない。
「魔王様は、誰にも本音を話さなくなりました。辛い表情を、悲しい表情を、見せることはなくなりました。感情そのものをなくしてしまったかのようでした。魔王様がレル様に戻れるのは、妹さんの前だけになりました。けれど、魔王という立場上、妹だからといって特別扱いすることもできません。本心を打ち明けることのできる相手は、どこにもいなくなっていました」
クーロンの声が、震える。
「……私なんかでは、ダメだったんです。私みたいな弱い魔族の前では、魔王様は弱さを見せることなんてできません。私にできることは、魔王様のお傍に仕え、身の回りのお世話をすることだけだったんです」
ずっと傍にいたはずのクーロンにすら弱さを見せられない。レルをおんぶしたときのことを思い出す。あの小さな身体で、たった一人で重圧に耐え続けていた。
「……そして、先日、魔族と人間との戦争が起こりました。あのとき、私は玉座の間の隣で待機していました。魔王様に危険が迫ったら、この身を魔王様の盾とするためです。しかし、そこで見たのは予想外の光景でした」
あのときの光景を噛みしめるように、彼女は言葉を続ける。
「……ルートさんが魔王様と契約を結び、ルートさんに迫られた魔王様が、泣きながら逃げ回っていました。その光景を見て……」
クーロンの眼差しに、優しさが灯った
「……私は、うれしかったのです。魔王様ではなく、レル様の姿を見たのはいつ以来か分かりません。それだけではありません。ルートさんを楽しそうに魔法で攻撃したり、調子に乗って、謝って、甘えて、逃げ回って、涙目になって……尻尾をぴょこぴょこさせる、そんなレル様を見れたのが、うれしかったのです」
ルートは思い出す。それは、紛れもなく、自分がここに来てから見てきたレルの姿だ。機嫌がいいと、すぐに尻尾をぴょこぴょこさせる。調子に乗って、土下座して。涙目になって、笑顔になって。それが、自分が知っているレルの姿だ。
「本来は、レル様はああいうお方なのです。感情がすぐ表に出て、ころころ変わって、自分に正直なお方なのです。ルートさんとの出会い方が特殊過ぎたおかげで、魔王様はルートさんの前でだけは、魔王の仮面を外すことができます。魔王の鎧を脱ぐことができます。レル様に戻ることができます。ですから……」
クーロンは、一呼吸おくと、言葉を続けた。
「……レル様を、一人にしないでください。勝手なお願いだということは分かっています。ルートさんに私のお願いを聞く義理がないことも分かっています。それでも、お願いさせてください。レル様でいられる時間を、居場所を、どうか、作ってあげていただきたいのです」
クーロンの話は理解はできる。けれど、ルートは思う。
「ごめん、クーロンさん。俺には、もう……」
「ルートさんだけなのです。魔王様がレル様でいられるのは、ルートさんと一緒にいるときだけなのです」
「出会い方が特殊だったけど、別に俺である必要はないよ。俺が特別なわけじゃない」
「それは分かっています。ですが、それなら私だって同じです。あのとき私を助けてくれたのがレル様だったから、私はレル様のお傍にいたいと思いました。きっと、あのとき別の魔族に助けられていたら、私は別の魔族の傍にいたいと感じたことでしょう。それでも、あのとき、私を助けてくれたのは、レル様でした。ですから……」
クーロンの言葉に、熱がこもった。
「……特別なタイミングで出会うことは、特別である理由になると、私は考えています」
特別。俺がレルにとっての特別であることなんて、あるのだろうか。確かに特殊な契約を結んではいるが、一時的に共犯関係になったに過ぎないのに。
「私だけではないのです。ヤム国に行ったのなら、ヘッドとテイルに会ったはずです。あの二人も、あまり魔法が得意ではありません。昔から、周りから見下されて生きてきました。しかし、二人とも魔王様に言われたのです。魔力しか価値がないなんて、誰が決めたのだと。そのままでよいと。今のままで十分だと。もしもできることや得意なことがあるなら、それを生かせばよいと。ですから、あの二人も、魔王様をお慕いしているのです」
ヘッドとテイルを思い出す。頭を撫でられて、忠誠を誓っていた光景を。稼いだお金を自分のために使わず、レルに差し出しているという話を。
「……ご存知でしょうが、魔族は魔王様派とセントスさん派に分かれています。そして、魔王様をお慕いする魔族の中には、私たちのように、魔力が弱かったり、魔法があまり得意ではなかったり、火炎魔法だけは得意だけど他の魔法が苦手だったり、氷結魔法は得意だけれど他の魔法はあまり使えなかったり、そういった魔族がたくさんいます」
レルに聞いた話だ。魔族でも得意な魔法や苦手な魔法があると。
「本来であれば、見下され、蔑まれる者を、魔王様は大切にしてくださいます。一人ひとりと向き合って、声をかけてくださいます。魔力とは関係なく、わたしたち一人ひとりに価値があると認めてくださいます。受け入れてくださいます。お優しい方なのです。ですから私たちは、魔王様に忠誠を誓っているのです。魔王様のお役に立ちたいのです。ですから……どうか……」
絞り出すように、クーロンは言葉を紡いだ。
「……どうか……お願いします。レル様を、一人にしないでください」




