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第5章 5

 商業協会。


 一人の人間として入ると少し緊張するな、とルートは思う。


 今までは仕事で、というより奴隷労働でしか来たことがない。ブドウを運んだり、葡萄酒の樽を運んだり、あくまでも従者だった。


 今日は違う。一人の人間として来ている。仕事はあるか、仕事のネタはあるかを探さなければならない。この雰囲気、経験がある。


 そう、これは。


 ハローワークだな。


 受付で番号札をもらって端末を借りて、求人検索の画面を30分くらいクリックし続けて、ハンコ押してもらう流れだな。


「レル、おまえ、キョロキョロしすぎだろ」

「だって、しょうがないじゃない。何か雰囲気違うし」


 それはそうだろう。ここに来る人間なんて、お金を稼ぐのが目的の商人ばかりだ。生活がかかっている。屋台を楽しく見て回る雰囲気とは違う。


「とりあえず、おとなしくしてろよ」

「わ、わ、妾を誰じゃと思うておる」


 なんでこのタイミングで魔王語になるんだよ。緊張しすぎだろ。


 まずは受付に行って、加入条件を聞くことにする。


 受付には、若い女性が座っていた。


「すみません、商業協会への加入条件を知りたいんですけど」

「はぁ……」


 受付の女性は、俺とレルを一瞥すると気のない返事をする。


 あ。


 俺たち二人とも、お世辞にも上質とは言えないマントをまとっているし、身なりもきれいとは言えない。貧乏感が漂っている。商人には見えない気がする。


「……どこか、他の国の商業協会には加入していますか?」

「いえ。初めてです」

「……そうですか。当協会の会員の推薦状はお持ちですか?」

「それもないですね」

「それでしたら、一番階級の低い三級商人になりますので、10000デスマの保証金になります。あとは年会費が3000デスマですね」


 ランク制かよ。しかも、10000デスマってマジか。金貨1枚。銀貨10枚。銅貨でも1000枚。そんなお金ないぞ。


「……ちなみに、信用度って、どんなランクがあるんですか?」

「他の国の商業協会に加入している方か、当協会の会員の推薦状のある方なら、二級商人として加入できるので、50000デスマの保証金ですね。年会費は10000デスマになります」


 50000デスマて。金貨5枚。銀貨50枚。銅貨5000枚。大金すぎる。


「あの、一級商人なら?」

「当協会の会員二名以上の推薦と100000デスマの保証金になります。年会費は20000デスマになります」


 100000デスマ。金貨10枚。銀貨100枚。銅貨10000枚。この世界の金銭感覚がいまいちわかってないけれど、なんか遊んで暮らせそうな気がしてくる。お金を稼ぐのにお金が必要なのは、この世界でも同じか。


「これ、なんとかなったりしませんか?」

「なんとか、というのは?」

「加入金がお安くなったり」


 俺の言葉に、受付の女性は一瞬イラっとした様子を見せたが、すぐに平静を取り戻した。


「当協会は、円滑な取引を促進して、トラブルを防止するのが役目ですので。当協会の意義をお分かりなら、そのような言葉は出てこないと思いますが」


 正論パンチ。


「そうなんですけどね。ただ、これから商業を始めようとする人間からすると、若干お高い気がどうしてもしてしまうんですけど」

「当協会に加入しなくても商業自体は可能ですよ。広場で屋台を出している方で、当協会に加入している方なんて、ほとんどいないと思いますが」

「それはそうかもしれませんが」

「逆に、当協会に加入しなければ商業が始められないのであれば、そもそも向いていないと言わざるを得ませんし、商業に向いているのであれば、当協会に加入しなくても商業を始めて利益を上げることで、保証金のお支払いが可能となるはずですが」


 冷たすぎない、この人? カスハラでもしてやろうか。とはいえ、ごもっともすぎて、何も言い返せない。


「そうですよねぇ。あはははは……」


 取り付く島もない。俺たちは受付から離れる。向こうからしても、きっと、大勢の加入希望者に同じような質問をされているはずだ。イラっとされても仕方ないかもしれない。


「何? どうなったの?」


 レルに聞かれる。


「お金がないから加入できないってこと」

「じゃ、どうすんの? 加入しないと、相手から信用されないんじゃなかったの?」

「そうなんだけどなあ。加入するお金ないしなあ」

「ちょっとならあるわよ」

「気持ちはありがたいけど、絶対足りないな」

「そうなんだ」


 手詰まり。とはいえ、手ぶらで帰るのもしゃくだ。せっかく来た以上、何か成果が欲しい。


「ちょっと俺、ここで様子見て、何かできそうなことないか探ってみようと思うけど、レル、おまえ、どうする?」

「どうって?」

「多分、ここにいても退屈だと思う」

「手伝えること、なさそう?」

「正直、俺も何していいか分かってないんだよな。屋台の匂い嗅いで回ったほうが楽しいと思う」

「じゃ、広場回ってくるわ。お腹いっぱいになったら戻ってくるから」

「うす」


 レルが建物から出ていくのを見送って、俺は手近な椅子に座る。


 耳をすませると、景気のいい話が聞こえる。質のいい陶器が手に入った。今年は小麦で儲かった。今年のブドウはいい。あそこの農場が家畜を増やした。よその国が新しい宮殿の建設を始めるから、木材も石材も食糧も売れるようになる。などなど。


 知らない情報ばかりで新鮮ではあるけれど、それをどう生かせばいいのかが分からない。そもそも、文明レベルが違いすぎる。日本の常識なんて、どう考えても通用しない。


 この世界は一次産業の占める割合が大きい。生産手段を持っている人間が、圧倒的に強い。葡萄酒農場や小麦農園もそうだ。農業にしても畜産業にしても、土地がないと大量生産なんてできない。地主が人を雇って働かせているか、帝国みたいに奴隷を働かせているか、地主と小作農みたいな関係かのどれかだろう。


 こういう状況だと、商人の主な仕事は、多分転売だ。といっても、転売ヤーではなく商社だろうけれど。


 どこかの農場から仕入れるにしても、信用とお金が必要になる。お金に関しては支払いを先延ばしにして、仕入れた商品を売ってから支払う方法もあるだろうけれど、それを成立させるにも信用が必要になる。どこの馬の骨とも分からない人間に、商品を売ってくれる人も支払いを先延ばしにしてくれる人も、まずいないだろう。


 信用を手に入れるには商業協会に加入するのが正攻法だが、そのためにはお金がかかる。お金がないと信用を手に入れられない。信用がないと、お金を手に入れられない。


 あれ? これ、詰んでない?


 状況は思っていた以上に厳しいかもしれない。俺も現実逃避して、心ゆくまでおいしいものの匂いを味わいに行けばよかった。


 後悔しながら盗み聞きを続けていたけれど、自分にでもできるお金を稼ぐ方法なんて、見つかりそうにない。


 今ならネットで見つけた怪しい副業にでも引っかかってしまいそうだ。


 仕方ない。決めた。自分から声をかけよう。


 そう思って商業協会に出入りしている人たちを眺めてみても、目ぼしい商人が見当たらない。優しそうで、人当たりがよくて、何でも親切に教えてくれて、ついでにご飯でもおごってくれそうな人。そんな都合のいい人材を探してみても、見つかりそうになかった。


 仮にそんな都合のいい人材が見つかったところで、何と声をかければよいだろうか。


 いい儲け話ありますか? お金がなくても稼げる仕事知ってますか? 何も言わずにこの推薦状に署名をしてもらえますか? ちょっとお金を貸してくれますか? 次会った時に、必ず三倍にしてお返ししますから。


 ……どれも、怪しすぎる。


 これ以上待っていても仕方がないと思う。今から数えて三番目くらいに通り過ぎる人に声をかけてみようか。


 一人目。足早に歩くおっさん。目つきが感じ悪い。


 二人目。高そうな服を着たおっさん。従者を連れている。貴族商人なのだろう。自分が働かされていた葡萄酒農場も貴族商人だった。何かムカつく顔してるな、あいつ。


 三人目。来た。ルートは椅子から立ち上がりかけたが、見なかったことにして座った。通り過ぎたおっさんは、ガタイがよすぎた。しかもスキンヘッド。頬に十字傷。怖すぎるだろ。何者だよ。商人どころが堅気でもねえだろ、あいつ。


 やっぱり、あと三人待とうか。そう思ったときだった。近くで立ち話をしている声が耳に届いた。


「……今年、いつもより寒くなるの早そうだから、今のうちに準備しようと思って」

「寒くなると、マント売れますよね。今年儲かりそうですね」

「生産計画立てなきゃいけないんだけどね。間に合うか心配だからね」

「計画立てても予定どおりいかなかったりしますよね。この前、小麦仕入れた農場も収穫が予定どおりいかなかったって愚痴ってましたよ」


 生産計画。ちょっとは話にからめるかもしれない。


 俺は椅子から立ち上がると、話をしている二人の男性へと歩み寄った。

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