第5章 4
昼間のヤム国の活気はすさまじかった。
広場には屋台が並び、大勢の買い物客でにぎわう。
「こっちの色の方が鮮やかかしら」
色とりどりの布を見比べる婦人。
「待ってよー」
袋に入ったパンを抱える子ども。
「もっと塩かけてもらえばよかった」
串に刺さった肉を食べながら歩く若い男。
「こっちのほうが新鮮じゃないの?」
店頭で新鮮な野菜を買い求める中年女性。
「酒はまだかい」
「おじいちゃん、お酒は昨日、飲んだでしょ」
酒を買い求める高齢男性。
「この模様って、わたしっていう存在を抽象化したみたいじゃない?」
鮮やかな模様が映える陶器を見て回る夫婦。
「何言ってるのかしら。わたしでしょ?」
その夫婦に乱入する愛人。
「おまえの方がきれいだよ。俺ほどじゃないけど」
アクセサリーを選ぶ若いカップル。
「……あ、さかさまだった」
難しそうな顔をして店頭の本を眺める若い女性。
店も人も、様々だ。何なのか分からないものがたくさんある。見れば見るほど、本当に自分はこの世界のことをまったく知らなかったのだとルートは思い知らされた。
「次は、あのお店ね」
少し先の屋台を指さして、レルが言葉を続ける。彼女はフードを目深に被ったままだった。
「レル、おまえ、フード被らなくてもいいんじゃねえの? 今は人間の姿してるんだし」
「いいじゃない、別に」
「実は寝ぐせヤバいとかじゃないだろうな」
「…………」
ルートは思う。当たりかよ。
「……さっきのお店は、あんまりお腹いっぱいにならなかったからね。あのお店、人も多いし、きっと当たりよ」
話題そらしやがった。別にいいけど。
「じゃ、行くか」
二人は目的の屋台まで来ると、店頭の商品に視線を送る。店頭には焼いた肉が並べてあるが、どう見ても冷めている。炭火を近くに置いて保温しているようだが、肉の温度を保つのは、どう見ても無理だ。
店員は、客の注文を受けて肉を宙に投げると、下から勢いよく串を突き刺した。……はずだったが、当然刺さるはずもない。皿に落ちた肉を手で串に刺し直し、塩をパラパラと全体に振りかける。どうやらそういうパフォーマンスのようだった。
そのパフォーマンスが行われているすきに、ルートとレルは大きく深呼吸をした。客が肉を受け取り、お金を支払っている間に、二人は店から離れる。
「ちょっと。やっぱり、この作戦ダメなんじゃないの?」
「あんまりお腹いっぱいにならないな、これ」
「おまえが言ったんじゃない。パンが食べられないなら、匂いを嗅げばいいじゃないって」
「俺の世界に似たような言葉があるんだよ」
失敗だったかもしれない、とルートも認めざるをえない。屋台に並ぶ食べ物を見ると、当然食べたくなるが、二人にはお金がない。そこで、「匂いを嗅げばお腹がいっぱいになるだろう作戦」を実行に移したのだが、実際にやってみると問題が発覚した。
「レル、ここの屋台って何回か来たことあるんだろ?」
「あるわよ」
「屋台の料理の匂い弱すぎない? 今の肉もほとんど匂いしなかったし、さっきの腸詰も全然匂いしなかったし。いつもこんな感じ?」
「わたしもあんまり見て回らないから分かんないけど、いい匂いするって思ったことって、あんまりないのよね。あ、でも、さっきの魚の塩漬けは匂いしたでしょ」
「生臭かっただけだろ。あれ、絶対腐ってるって」
よく考えてみれば、屋台といっても調理しているわけではない。調理済みの食べ物が並んでいるだけだ。その場で調理できないのなら、あまり匂いは期待できそうにない。パンだって固くなっているだろうし、肉も焼き終わったものが並んでいるだけだ。
日本の屋台と同じ感覚でいたが、まったく違う。アニメで見ると、市場の屋台は、おいしそうな雰囲気だった記憶があるが、あれは視聴者サービスだったのだろう。
とはいえ、普段、草しか食べていないから、やはり見ているとおいしそうに感じるし、食べたくなってしまう。
「でも、そのうち、いい匂いのする食べ物に出会えるかもしれないわよね」
言うとレルは、次のお店を求めてスピードを上げようとする。しかし。
「……レル、ちょっと歩くの速い。ゆっくり歩いて」
「だらしないわね」
「誰のせいだと思ってんだよ」
「先行くわよ」
「おい」
気になる屋台を見つけたのか、レルはルートをおいて、足早に進む。
彼女の背中が遠ざかるのを見送りながら、のろのろと歩くルート。
はっきり言って、歩くのが、辛い。
肩が痛い。首が痛い。背中が痛い。腰が痛い。脚が痛い。一歩足を踏み出すたびに、身体の節々が痛む。
レルを運ばなかったブイアイは正解だったと、今さらながら思い知った。
遠目に、走ってきた子どもがレルにぶつかったのが見える。しゃがみ込み、子どもと目線を合わせて会話をするレル。
するとそこに、子どものお母さんらしき女性が現れ、レルと言葉を交わす。謝られているのだろうか。少しの間、言葉を交わすと、女性と子どもは立ち去った。
呆然とした様子で、レルがその場にたたずむ。
ようやく追いついたルートは、声をかけた。
「レル?」
「……え?」
「何ぼーっとしてんだよ」
現実に引き戻されたように、レルは声を出す。
「おまえが遅いからよ。身体なまってるんじゃないの?」
「おまえが重いんだよ」
「器が大きいの間違いじゃない?」
「一文字も間違ってねえよ」
昨日は初めて新聞紙で寝た。はっきり言って、寒い。床で寝ているようなものだから、身体も痛くなる。あれで寝ているレルが、正直、信じられなかった。何もないよりはマシだろうけれど、藁の方がはるかに暖かい。魔王城の離れが最高級だと言われた意味を実感してしまう。
しかも、新聞紙の紙質がゴワゴワしていて固い。よくよく考えたら、この世界に来てから新聞紙を見るのは、レルの部屋が初めてだった気がする。帝国にいた頃に、新聞紙を見た記憶がない。新聞紙が寝床にあったインパクトが強すぎて、違和感が吹き飛んでいた。
ヘッドとテイルはというと、この街で人間の姿に変身して働いていた。街のゴミ捨て場にたまっているゴミを、国の外れまで運ぶ仕事らしい。あまりお金の稼げる仕事ではないが、寝る場所が提供されるとのことだった。
話を聞く限り、ゴミを外に運ぶ仕事も、寝る場所の提供も、ヤム国が主体となって行っているようだ。寝床のない国民に仕事と寝る場所を提供して、街がきれいになる。公共事業のようなものだろうか。
ヘッドに聞いたが、国の外れに運んだゴミは、燃やしたり埋めたりせずに、そのまま放置されるらしい。匂いが厳しいとのことだった。貝塚かよって言いたくもなる。
昨日は、ルートもレルも、ヘッドとテイルに混じって、一緒に寝た。寝る場所といっても個室ではなく、集会所みたいな建物で雑魚寝をする。普段あそこで寝泊まりしている人たちは、なんとなく定位置が決まり、いつの間にか固有のスペースになるようだ。
あの中に混ざれば宿に泊まる必要はないが、寝具がない。大半の者が、床に藁を敷いて寝ている。
ヘッドもテイルも藁で寝ていたが、レルのためにテイルが大量の新聞紙を差し出し、レルは満足気に受け取ると、幸せそうに新聞紙にくるまって寝ていた。
ルートは思う。どんだけ新聞紙好きなんだよ、こいつ。新聞紙への愛があふれすぎだろ。
ヘッドとテイルは今日も朝から仕事へ出かけて行ったので、ルートとレルは街に繰り出して屋台を見て回っていた。
「なあ、レル」
「何?」
「今さらなんだけどさ、回復魔法とかないの?」
「回復魔法?」
「怪我が治ったりとか、身体が元気になったりとか、そんなの」
「そんなのあるわけないじゃない。どういう原理よ?」
「おまえが言うの?」
攻撃魔法よりも回復魔法のが、実生活だと絶対に便利なのに。
「……ヘッドとテイルってさ、戦いには参加してないの?」
「してないわね」
「全員参加ってわけでもないんだな」
「参加しなくていいって、わたしが言ったからね」
「え? なんで?」
「あの二人はね、あんまり魔法得意じゃないのよ。変身魔法なら大丈夫なんだけど、攻撃に使うような魔法は苦手みたいで」
「そうなんだ。顔は怖いのに」
「顔と魔法は関係ないでしょ」
レルは、小さく息を吐くと、言葉を続ける。
「……二人とも参加するって言ってくれたんだけどね。ただ、戦って怪我ですめばいいけど、命にかかわる危険もあるからね。だから、負けることはないから安心してって伝えたの。戦いが終わったら、また会いにくるからって言って、我慢してもらったの。それが二人を傷つけてなかったらいいんだけど」
人間との戦いといっても、疎開する魔族がいたり、参加しない魔族がいたり。同じ魔族でも、得意な魔法があったり、苦手な魔法があったり。魔法を使えること以外は、魔族も人間とあまり変わらないような気がしてしまう。
「二人とも、仕事頑張ってるっぽいな」
「本当にね。いつも稼いだお金渡してくれるからね。自分で稼いだお金なんだから、もうちょっと好きなもの買ったり、おいしいもの食べたりするように言うんだけど、自分のために使おうとしないみたい」
「それで、おまえの役に立ってるって思えるなら、傷つけてはないんじゃねえの? 頭撫でられて満足そうだったし」
「わたし、あれくらいしかできることないからね」
クーロン。ブイアイ。ヘッド。テイル。……あと、生足魔族。こいつの支持者って、クセ強いの多くない?
「あの店、ちょっと並んでるわね」
レルの指さした屋台は、他の店よりも客が多い。
「気になるな。行ってみるか」
お店のすぐ近くにたどり着くと、二人は顔を見合わせた。はっきりと分かる。甘い匂いが風に乗って漂ってくる。客の隙間から店頭をのぞくと、店員がフリッターのような揚げ物に、シロップのような液体をかけていた。
揚げ物を子どもが受け取り、指についた液体を舐めとる。笑顔の子ども。子どもと手をつなぐ、母親らしき女性。その様子を見て、注文しようとする客が店員に群がる。
セレブどもめ。
ルートとレルは、今日一番の深呼吸をしてお腹を満たすと、屋台から離れる。
「何だ、あれ。すげえいい匂いしたけど」
「木の蜜を煮詰めたのだと思う。昔、クーロンが作ってくれたの。久しぶりに匂い嗅いだわ」
「へえ」
メープルシロップみたいなものだろうか。それなら、いい匂いがするのもうなずける。間違いなくおいしいだろう。
「……人間って、あんなおいしそうなもの食べて、みんなで笑顔になれるのね」
ふと漏れ聞こえた声に、思わずレルを凝視した。その声が、あまりにも寂しそうだったから。
きっと、今のはあまり聞かれたくない言葉だっただろうなと思う。努めて明るい調子で、ルートは声をかけた。
「お金ないんだから、匂いで我慢しろよ」
「……ちょっとなら、お金持ってるわよ」
「え? ヘッドとテイルにもらった分?」
「それとは別」
「どこから持ってきたの?」
「街に働いてくれてるみんなに会いに行ったり、情報収集に行ったりすることがあるんだけど、そのときに拾った分ためてあるの」
拾ったのかよ。それなら、あんまりないだろうな。
「ちょっとはお金あるなら、街に行ったときに、何か買って食べてもよかったんじゃねえの」
「わたしはいいわよ。みんな苦しい思いしてるのに、わたしだけ楽しむのも気が引けるし」
こいつは、そういうやつだよな。
さすがに俺も、おいしいもの食べたいからお金出してなんて言えない。
この世界に来てから、何かを買って食べたことなんで一度もない。いや、日本にいた頃からそうだ。外食なんて、最後にしたのはいつだろう。牛丼もファストフードも、俺からしたら高すぎる。カフェの飲み物を持ち歩いている人なんて、セレブにしか見えなかった。
仕事に行くときも、お弁当を持って行っていた。料理が得意というわけではなかったけれど、土日にまとめて作ってタッパーに入れて冷凍していた。夏は朝から、冬は前の夜から解凍して準備していた。
お昼は昼寝をしたいから、買いに行くのも食べに行くのもめんどくさいと周りに言って、タッパー弁当を食べて机で寝ていた。商流が上の人たちが外に食べに行くのを、羨ましいという気持ちを押し殺して眺めていた。
この世界に来ても、食べ物を買うお金がないことに変わりはない。
どこまでいっても貧乏だなと思うと、少し笑えてしまう。
「レル、もう一回、さっきの匂い嗅ぎに行こうぜ」
ルートの言葉に、レルは頬を緩めた。
「賛成」




