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第5章 1

 雄大な大自然だった。空から見るこの世界は、テレビでしか見たことのない光景だった。


 草原。森林。山脈。湖。巨大な川。ルートは改めて、自分がとんでもない世界にいることを実感した。


「あんまり身を乗り出すと落ちるわよ。落ちても拾ってあげないから」

「へーい」


 レルに言われ、ルートは少し身体を引っ込める。この高さから落ちるのは怖い。


 ルートとレルは、空を飛んでいた。レルが土魔法で土を固めて板状にし、そこに腰の高さ程度の壁を作った。広さは三畳ほど。蓋のない箱のような空間だった。その固めた土を空気を圧縮した魔法を下からぶつけることで宙に浮かせ、風魔法で飛ばしていた。


 魔法を使えないルートでも、それがどれだけ大変で器用なことかくらいは分かる。きっとこんなの、魔王であるレルくらいしかできない。


 これが使えれば魔族タクシーが実用化できるのにな、と思う。


「レル、おまえ、ずっと座ってるけど、それで魔法使えるの?」

「魔法なんて、どんな格好でも使えるわよ」

「この前、右手振り上げたりしてなかった?」

「そうやらないと上手く魔法が使えない魔族もいるけどね。わたしは、ああやった方が狙いがつきやすいってだけ」


 おい。あのとき狙ってたのって、俺じゃねえか。


 レルは壁にもたれかかって座っていた。普段どおりならもうちょっと動き回っていてもよさそうな気がするのに、ずっと座っているということは、やはり魔法を使うのが大変なのだろう。


 彼女は珍しく、全身を覆う薄手のマントのようなフード付きの服を着て前を閉め、身体を隠している。人間の街に行くときは、毎回クーロンにこの服を借りるとのことだった。さすがにいつもの露出度の高い服を着ていくのはよろしくないという程度の分別はあるらしい。


 ルートも今日はマントを着ていた。魔族タクシー用にクーロンから作ってもらったマントをせっかくなので着ているが、エプロンと同じような生地なので、あまり暖かくはない。


「これさ、下から道を歩いてる人に見られたら、ビックリされない?」

「されてもいいでしょ。わたしたちの姿は見られないんだし」


 UFOの正体も、意外とこんなものなのかもしれないと思う。


「……それで、ヤム国に着いたらどうするのよ?」

「とりあえず、屋台とか見て回って、どんな物が売られているかとか、人気あるかとか見てみて、それから商業協会行ってみようと思うんだよな」

「商業協会って、この前も言ってた気がするけど。何するとこなの?」

「何するっていうか、商売する人が協会に加入するんだよ」

「加入しないとできないの? 魔族タクシーとかも?」

「いや、加入しなくても商売はできる」

「できるの? じゃ、どうして加入するの?」


 聞かれて、ルートは少し思案した。自分もすべてを知っているわけではない。あくまでも聞いた話と、商業協会で見た話になってしまうし、推測も混じる。しかも、レルは人間社会のルールをあまり知らない。どこから話せば伝わるだろうか。


「物を売ったり買ったりするときだけど、物とお金を交換するだろ?」

「うん」

「で、例えば葡萄酒をたくさん買う場合だけど、量が多いと金額が多くなるから、お金がたくさんいる。そうするとたくさんお金を持っていって交換することになる。ただ、ぶっちゃけめんどくさい」

「めんどくさい?」

「葡萄酒の樽が一個で15000デスマだとすると、20個買ったらいくらになるか分かる?」


 このデスマというお金の単位。いまだにルートは慣れない。日本にいた頃にうんざりするほど関わった、違う単語を思い出してしまう。


「20個も買うの?」

「中規模の商人だとそれくらいだけど、大規模商人だともっと買うんだよ。葡萄酒農場から商人が100個くらい買って、いろんな国の酒場とかお店に売るんだよ」

「それって、酒場とかお店が直接、葡萄酒農場から買っちゃダメなの?」


 こいつ、即座に直接取引に気付くとは。


「それでもいいけど、やっぱり問題があって。葡萄酒農場は自分で買ってくれる人を探して個別に交渉しなくちゃいけなくなるし、酒場とかお店とかは自分で売ってくれる葡萄酒農場を探して、やっぱり個別に交渉しなくちゃいけなくなる。そうなると手間がかかって大変だし、他の仕事も手が回らなくなるかもしれない。それなら代わりに間に入ってくれる商人がいれば、葡萄酒農場は確実に全部売れるし、酒場もお店も確実に買える」

「そういうもんなんだ」


 間に入る人間が増えれば中抜きの問題が出てくるけれど、さすがに今は触れない。中抜きなんて言葉にいい思い出もないし。 


「で、20個買ったら30万デスマでいいの?」

「そう。話戻るけど、30万デスマって銀貨300枚だけど、世の中で一番出回ってるのって銅貨らしいんだよ」


 この世界に来てから、実際にお金のやり取りをしたことがない。だから、聞いた話と推測しか話せない。


 ルートは記憶をたどる。確か、銅貨1枚で10デスマ。銀貨1枚が銅貨100枚だから1000デスマ。金貨1枚が銀貨10枚で10000デスマのはずだ。銅貨1枚でパンが一個買えると聞いたから、多分、銅貨1枚=10デスマ=100円くらいなのだろう。


 ルートは言葉を続ける。


「……だから、金貨なら30枚ですむし、銀貨なら300枚ですむけど、銅貨だと30000枚になる。銅貨30000枚って、数えるのめんどくさいだろ」

「途中で間違えそうね。っていうより飽きるわね。10枚目くらいで」


 もうちょっと頑張れよ。


「……飽きるってのもあるかもしれないし、お金をたくさん持ち歩くと盗賊とかに襲われる危険もある。だから、紙に書いて渡すんだよ。この人に300000デスマ支払いますって」

「そんな紙もらっても、どこかで300000デスマもらうんでしょ? 同じじゃないの?」

「俺も実際には知らないから、推測にはなるんだけど、それを商業協会が帳簿で管理してるはずなんだよ。葡萄酒を買った人のお金が300000デスマ減って、売った人のお金が300000デスマ増えるように。で、お金の実物が欲しいときは、商業協会にもらいに行く」

「なんかピンとこないんだけど、それなら紙に300000デスマもらいますって書いて持って行ったら、わたしでももらえるってこと?」


 詐欺じゃねえか。いきなりなんてこと考えるんだ、こいつは。


「実物見てないから分かんないけど、多分こういうのって、正式な契約書だったり、商業協会指定の書式じゃないとダメだったりすると思う。だから、紙に書いて持って行くだけだと相手してもらえないだろうな」

「そっか。新聞紙じゃダメなんだ」

「なんで新聞紙でいけると思ったんだよ?」


 レルは小首を傾げて言う。


「ややこしい仕組み考えるのね。人間って」


 そりゃそうだよなと思う。仕組みは銀行取引と同じようなもんだけど、魔族が知るわけないし。


「とりあえず、商業協会に加入しないと、大きい取引は難しいってこと。取引相手だって、どこの誰か分かんないやつと大きな取引したくないけど、商業協会に加入してる人だったら安心して取引できるし」

「なんかよく分かんないけど、そういうもんなんだ」


 自分で話していて、ルートにも疑問がわく。お金をたくさん稼ごうとすると商業協会に加入するしかない。けれど、仕組から考えると、加入するには加入金とか保証金とかを支払う必要があるはずだ。そんなお金もないのに、どうすればいいんだろうか。


 魔族タクシーも実現させるのは、すぐには難しい。売れるものもない。加入金を稼ぐ方法がない。商業協会に行って情報収集でもできればと思っていたけれど、行ったところでどうにもならないかもしれない。


 それはそうと、さっきから少し気になる。


「レル、さっきからちょっと揺れてない?」

「……気のせいじゃない?」


 気のせい。いやいや。


「どう考えても揺れてるよな?」

「……心が揺れてるんじゃない?」


 何言ってんだ、こいつ。よく見ると、レルの顔色がおかしい。もともと色白だけど、それ以上に白いというか、青白い。


「レル、おまえ、体調悪い?」

「別に。普通よ」


 もしかして、魔法の使いすぎで負荷がかかっているのだろうか。魔王城を出てからここまで、半日近く経つ。その間ずっと、土魔法で作った箱に、空気を圧縮する風魔法を下からぶつけ続けている。さらに、この箱を風魔法で飛ばし続けている。


 いくら魔王だって、魔力には限界があるはずだ。無理をしているのだろうか。俺が、無理をさせてしまっているのだろうか。


「レル、無理するなよ。ヤム国にだいぶ近付いてるはずだし、一回下りて休憩したっていいと思うし」

「そんな無理なんてしてないわよ」

「でも、おまえ、どう見ても顔色悪いぞ」

「そんなことないわよ。気のせいでしょ」


 変なとこで意地張るな、こいつ。俺に気を遣わせないようにしているのだろうか。魔力の仕組みはよく分からないけれど、体調やメンタルの影響を受けてもおかしくないと思う。


 昨日の魔族の集会でメンタルに影響が出たのだろうか。会社だって同じだ。プロジェクトマネージャーが会議で部下から反旗を翻されたらメンタルに影響が出る。しかも、正論で刺されたら、当然苦しい。だからレルだって、昨日、自棄酒をしていた。


 自棄酒。


 おい。まさか。


「……レル、正直に言え」

「何?」

「二日酔いだろ、おまえ」

「…………」


 黙りやがった。


「……妾を誰じゃと思うておる。アルコールなどに屈しぬわ!」

「おまえ! 魔王語になってる時点で認めてるようなもんだろ!」

「そちはおかしなことを言うのう。少し頭が痛くて吐き気がして動く気がせぬだけじゃ」

「思いっきり二日酔いじゃねえか! だからずっと座ってたのかよ!」

「……大きい声出さないで……。頭痛い……」

「おいっ!」


 嫌な予感がする。空を飛ぶたびに毎回落とされる。三回目は嫌だ。いくら不死身とはいえ、怖すぎる。


「一回降りろ! これ以上、落ちたくねえんだよ!」

「…………無理」

「何がだよ!?」

「き゛も゛ち゛わ゛る゛い゛……」


 言うとレルは両手で口を押さえて立ち上がる。


「ちょっ! こっち来んな!」

「無理……」


 一歩ずつ、レルはルートに歩み寄る。


「ひっ! 来るなよっ!」

「限界……」


 逃げたいおっさんと吐きたい魔王の図、ここに完成である。


「あっち行けって! マジでっ!」


 しかし、レルはルートの言葉を無視して歩み寄る。わずか三畳ほどのスペースに、逃げ場などない。


「日頃の恨み……」

「ひいっ! ごめんなさいっ! 俺が悪かったからっ! 魔王様っ! あっち行って!」


 迫られるのが、こんなに恐ろしいことだと、ルートは初めて知った。


「契約の恨み……」

「ご、ごめんなさいっ! 調子乗ってましたっ! こっち来ないでくださいっ!」


 レルはルートに走り寄る。


 レルの突撃を交わし、彼女が土の壁から身を乗り出すような姿勢で抱えるルート。


 次の瞬間。


 キラキラと輝く放物線が、魔族を統べる王の口から放たれた。その放物線は、傾いた日の光を浴びて、雄大な大自然を美しい七色の虹で彩った。

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