第4章 3
終わった。
なんかもう、いろいろと終わった。
ルートは傾いたソファに寝転がると、天井を見つめた。シミでも数えようかなと思う。
あの後、廊下で魔族とすれ違うと、みんな道を空けてくれた。もちろん親切心からではなく、関わりたくないという空気。
すれ違う魔族が、ひそひそと俺のことを話す。
「あいつだよ、やべえヤツ」
「あいつ後頭部ぺったんこじゃね?」
「飽きるほど踏まれりゃ、そうなるよな」
「魔王様の魔力のハードなプレイに耐えきってるんだろ?」
「最近の下僕ってやべえな」
「あいつ不死身じゃねえの?」
「でも魔王様の一言で死ぬらしいしな」
「近寄りたくねえよな」
ドン引きされてるよ、これ。ただの危ないヤツになってるよ。しかも正解が混じってるし。勘弁してくれよ。
無意識にため息が漏れる。
「草でも食べるか」
いつの間にか食べ慣れた、草に手を伸ばそうとしたときだった。
コンコン。
ノックの音が響く。クーロンだろうか。夜ご飯はとっくに持ってきてもらっているから、今日はもう、用事はないはずだ。もしかして、デザートの草なのだろうか。
「あ」
そこで気付いた。最初の条件は三食おやつ付きだった。おやつなんて、一回も出たことがない。とうとうおやつの草が出るのだろうか。
「はい」
期待をこめて返事をする。ドアが開く。そこから顔を出したのは。
「……レル?」
「入るわよ」
「お、おう」
レルがノックをして入ってくるなんて初めてだ。一目で分かる。めちゃくちゃ機嫌悪そう。いつもみたいにキレながら入ってきてくれるほうが100倍マシだ。
こっわ。
テーブルの傍に、レルは腰を下ろす。
ルートはソファから身を起こそうとしたが、やっぱりやめた。身を起こしたところで、ソファが傾いているから身体が斜めになる。寝転がっていた方が楽だ。
寝転がりながら、レルの様子をうかがう。こいつ、何しに来たんだろう。露骨に機嫌が悪そうな魔王に、かける言葉を迷う。とはいえ、声をかけないわけにもいかない気がする。
「……草、食べる?」
「……食べる」
レルは草に手を伸ばすと口に運び、もにゅもにゅと噛みしめる。
「……お疲れ」
「……うん」
「あのセントスってのが、おまえと対立してる派閥のボスみたいな感じ?」
「そうね」
「どうしてあんなに仲悪いの?」
「考え方も違うし、先代の魔王の重臣だからね。わたしみたいな小娘が魔王になったのも気に入らないのよ」
小娘て。300歳近いのに何言ってんだよ。
「魔王って、どうやって決めるの?」
「先代の魔王が死んだときに、一番魔力の強い魔族がなるの」
そういう仕組みなんだ。世襲制でも選挙でもないんだ。
「魔力が強いって、どうやったら分かるの?」
「見れば分かるわよ、それくらい」
魔力があるかないかも見れば分かるみたいだし、そういうものなのか。
レルはテーブルの上の土器みたいな陶器を手に取ると、コップに緑色の酒を注いで、一息に飲み干した。
一瞬、未成年飲酒という文字がルートの脳裏をよぎる。そんなわけないのに。
「おまえ、お酒好きなの?」
「飲まないとやってらんない日もあるのよ」
こいつ、日本のサラリーマンみたいなこと言い出したぞ。
「クーロンさんにもらってくれば?」
「こんな時間に悪いじゃない」
ルートは、レルがこの部屋に来た理由を理解した。
「今日さ、ブイアイに拍手してたのが魔王派で、拍手してなかったのがセントス派ってので合ってる?」
「だいたい合ってる」
「魔族が半分ずつくらいに分かれてる感じ?」
「そうね」
一枚岩ではないと言ってはいたけれど、あれだと、ほぼ真っ二つだ。敵対勢力のボスは魔族全員の前でネチネチと嫌味を言ってきて、忠誠心のかけらもない。むしろ、表立って魔王に反抗することで自分をアピールするタイプなのだろう。
とはいえ、言っていることは正論だった。レルには効いただろうな。悔しかっただろうな。よく耐えたな。
結果的にブイアイのアレで、空気が変わってよかったな。ブイアイのことだから、狙ってやったとは思えないけど。しかも、俺が魔族社会的に死んだし。
レルはコップに酒を注ぐと、今度は一口ずつ飲む。
「……ねえ、どう思った?」
「何が?」
「セントスの意見。正しいと思った?」
「うーん……。正直に言っていい?」
「いいわよ」
「間違ってるとまでは思えなかった。俺は魔族じゃないけど、魔族の立場からしたら飢えてるわけで、それなら自分たちをこんな目に合わせてるヤツらから奪おうって考えてもおかしくはないと思った」
「そっか」
「ああ。けど、おまえが間違ってるとも思えなかった。奪って、恨まれて、奪われて、恨んで。いつまでたっても終わらないし、作物育てたり家畜飼ったりできれば一番いいんだろうけど、それも難しい。それなら、作物とか家畜とかお金出して買おうってのは、自然な発想だと思う」
「……問題は、お金がないことよね」
「結局、そうなるよな。お金がなくても、同じくらいの価値があるもの差し出して交換するって方法もあるけど、何か出せそうなものなんて……」
レルは静かに首を振る。
「……ないわね」
「だよなぁ」
いつの間にか、レルのコップは空になっていた。彼女はコップに三杯目のお酒を注ぐ。飲むの速いな、こいつ。
「けどね」
ドンっと、レルはコップをテーブルに叩きつける。
「それじゃダメなのよ! その時だけお腹がいっぱいになっても、この先同じこと繰り返すだけじゃない!」
「お、おう」
「セントスはいいわよ。どうせあと200年もしたら寿命がくるんだから。けどね、それじゃ300年後とか500年後とかどうするのよ!?」
スケールでかすぎるだろ。そんな未来、想像もつかねえよ。
「なんなのよ!? あいつ! 自分が生きてる間だけお腹いっぱいになれば、魔族なんてどうでもいいってわけ!?」
今日の集会を思い出す。300年後、500年後を思い描くレルと、今、飢えから解放されたいセントス。
「おまえもセントスも、やっぱりどっちも正しいな」
「何よ、どっちも正しいって」
「ずっと先のことを考えてるおまえはすごく正しいと思うけど、やっぱりセントスの言うことも間違ってないと思うな。今、お腹が減ってて、今、飢えから解放されないと、未来にたどり着けないって考えてるのかもしれないし」
「セントスの肩持つって言うの!?」
「どっちかの肩持ってるわけじゃないんだけど。今、飢えてて困ってるんだから、今お腹いっぱいにならないと、明日なんてこないし。でも、今お腹いっぱいになることだけ考えてたら、この先もずっとお腹すいたままだし。だから、見てる時間の長さとか、やり方とかが違うだけで、目的はそんなに変わらないんじゃねえの?」
「そうかもしれないけど」
「飢えから解放されるのが目的で、そのための手段としてお金を稼ぐのがおまえの考え方で、人間から奪おうってのがセントスの考え方なんだから、お金を稼いでみんなが豊かになれば、目的が達成されてセントスだって従うんじゃねえの」
「……そうかなあ」
「セントスがどのくらい人間に敵対心持ってるかは分かんないけどな」
「それはそうね」
話していて思う。日本にいた頃の立場で考えると、間違いなく自分はセントス派だ。明日なんて見えなかった。将来なんて描けなかった。そのまま、未来なんてものが存在しない年齢になった。俺は、今、困っている。ずっとそう思っていた。
けれど、将来世代にツケを回すのが正しいわけではないことくらい分かっている。
将来世代のためと現役世代のため。どちらも満たす方法があるなら、それが一番いいと思う。
レルは、三杯目のコップを空けると、四杯目のお酒を注いだ。
「どっちにしろ、俺たちのやることは変わらない」
「そうね。お金を稼ぐ。稼ぎ続ける」
結局、やることは同じのままだ。
「わたしね……思ったんだけど」
「ん?」
「魔族タクシーみたいな発想なかった」
「そりゃ、魔族が人間抱きかかえて空飛ぶとか、魔族のおまえだと思い付かないよな」
「そうじゃなくて。お金稼ごうと思ったら、人間社会に混じって働くしかないと思ってたけど、もっと自由に考えてよかったんだって思った」
「ああ、そういう」
「ヤム国行ったら、何か思い付くの?」
「見てみないと、何とも言えない」
「行くわよ、明日」
「おう。よろしく」
いつの間にか、レルのコップが空になっている。彼女は五杯目のお酒をコップに注ぐ。
「おまえ、飲みすぎじゃね?」
「うっさい!」
ドンっ! 再びレルは、コップをテーブルに叩きつける。
「思い出してもムカつくわ!」
「レル、ちょっと落ち着け」
「は? 落ち着いてますけど?」
ルートは思う。ダメだ、こいつ。目が据わってる。
「そりゃね、セントスもそうだし、他の魔族も、みんな飢えてるの分かってるわよ。わたしがみんなをお腹いっぱいにさせられてないのよ。わたしなんてどうせ、ダメダメ魔王ですよ、そうですよ。けどね、これ以上人間から奪ったら、また戦争になるじゃない! 子どもたちが逃げなきゃいけないじゃない! 子どもに未来を選ばせられないなんて、そんなの魔王失格じゃない!」
レルの言葉が熱を帯びる。
「そうやって未来の魔族のことを真剣に考えずに、その場しのぎで奪って奪われてを繰り返して問題を先送りにしてきたから、何も解決してないんでしょ! 何十年も前にこの土地に追いやられて、それからずっと貧しい暮らしをしてきてるんでしょ! もっと早く手を打ってればよかったのよ!」
言うと、彼女はコップの中のお酒を一息で飲み干す。
「何よ!? 魔族より人間の方が大切って! そんなわけないじゃない!」
レルはコップを空にすると、六杯目のお酒を注いだ。
「わたしが魔族のこと考えてないとか、本気で言ってんの!? わたしを誰だと思ってんの!? 魔王よ!? わたし! 死んだり怪我したりした魔族がいるかもしれないって、ずっと不安だったのに! 今日、みんなの顔見れて、どれだけ安心したと思ってるのよ! みんな無事で、どれだけうれしかったと思ってるのよ!」
ルートは聞くべきか迷った。けれど、酔っ払ってる今の方が、本音が聞けるかもしれない。
「……レル、おまえさ」
「何!?」
「あのとき、玉座の間で軍隊殺さなかったの?」
「殺すわけないじゃない! どうして殺しあったりしなきゃいけないのよ!?」
「全員吹き飛ばして、いい感じに着陸させたって」
「はいはい、しましたよ。みんな怪我ですむように調整しましたよ。それなのに……。あれがどれだけ大変だと思ってんのよ!? 魔力のコントロールどれだけ大変だと思ってんのよ!? どれだけ魔力使うと思ってんのよ!? 大技ぶっぱなす方がはるかに楽よ!」
やっぱり、殺してなかった。あのとき、全滅したと思っていたのに。誰も死んでいなかった。
「……セントスのヤツ……。たまたま近くに落ちてきたって、そんなわけないじゃない! 魔族の領土より外まで飛ばしたのに! あいつ命令無視して人間追いかけやがって!」
もう、これ、完全に自棄酒モードだ。
「けど、おまえさ、俺に死に方選べとか言ってなかった?」
「だって、しょうがないじゃない! 残ってる人間いると思わなかったし! 慌ててもう一回魔法使ったら、おまえが魔王がテンパってたとか言いふらすかもしれないし! 魔王の威厳保ったまま余裕を見せて、おまえだけぶっ飛ばす作戦に切り替えたのに!」
殺す気なかったのか。俺のことも。いや、待て。
「おまえ、その後、俺のこと殺しまくっただろ」
「あんなの無理に決まってるでしょ! 気持ち悪すぎるわよ! しかも殺しても死なないし! 全身血まみれで、わたしのおっぱい目指して這い寄ってくるし! ホント、何なのよ! なんで、あんな気持ち悪い契約言い出すのよ!? おかげで魔王の威厳、台無しじゃない! だいたい私、知らない人と話すの苦手なのよ! それなのに、いきなり、あんな、訳分かんない話する羽目になるし!」
今だって台無しだって、伝えてやりたい。酒飲んでべろんべろんになってる魔王とか、聞いたことねえよ。配下の魔族が見たら、泣いちまうよ。
「……レル、おまえは優しいな」
「なに、それ、嫌味? セントスにもさんざん言われたけど。はいはい、どうせわたしはダメな魔王ですよ、そうですよ。人間殺すのも嫌で、魔族同士で喧嘩するのも嫌で、みんなで仲良く暮らしたいなんて思う、頭にお花畑咲いちゃってるダメダメ魔王ですよ」
いじけちゃったよ。
「でもね、いいじゃない。こんな枯れ果てた花も咲かないようなところで暮らしてるんだから……頭の中でくらいお花咲かせたっていいじゃない……」
言うと、レルは、テーブルに突っ伏した。
コップ六杯をハイペース。こいつ、そうとうストレスたまってたんだろうな。
それにしても、草のお酒、おいしいのかな。口に合わなくて、まったく飲む気しないんだけど。
「……お金……稼ごうよ……」
うわ言のように、レルが言う。
「……わたしも……できることするから……。任せっきりに……しないから……そしたら……みんなできっと……幸せに暮らせるから……。お金があったら……魔族同士で争うことも……なくなる……から……。できること……わたしも……やるから……。だから……」
その背中に向けて、ルートはつぶやいた。
「分かってるよ。共犯者だろ、俺たち」




