「また明日」
眠い。
眠たすぎて、あくびが止まらない。
昨日は、あまり眠れなかった。
何時に寝たのかは分からない。
少なくとも、いつもより遅かったのは確かだ。
眠りについた瞬間のことも覚えていないから、たぶん途中で急にシャットダウンしたのだと思う。
授業はひとまず、ノートを取ることだけに専念した。
理解しようにも、今の頭ではまともに働いてくれそうにない。
今日のところは記録だけ残して、理解する作業は明日以降の私に全てを任せることにした。
今日が午前授業でよかった。
午後まで続いていたら、たぶん耐えられなかったと思う。
いや、もしかしたら傍から見れば、すでに耐えられていないのかもしれないけれど。
ノートの字も、いつもより少し揺れている気がする。
その判断すら、今の私には危うかった。
視界の端に、四つ折りにされた小さなメモが入った。
飛んできた方向からして、右隣の彼――水瀬くんだ。
メモを開くと、そこには『寝ろ』とだけ書かれていた。
そのあと、水瀬くんが小声でひと言。
「ノートは取っておくから」
その言葉に安心したのか、張りつめていた何かがぷつりと切れた。
次の瞬間、目の前が真っ暗になった。
次に意識が戻ったのは、その授業が終わったあとの休み時間だった。
チャイムが、今日の私の目覚まし時計だった。
「おはよう、葉月さん。よく眠ってたね」
話しかけてきたのは、隣の席の彼の友達――櫻葉だった。
水瀬は頬杖をつきながら、こちらを見ていた。
「うん。おはよう。水瀬くん、ごめんね。迷惑かけちゃった」
「いや……頭が上下に揺れすぎて気になっただけ。俺の気が散るから」
「蒼、言い方っ」
「ううん、大丈夫だよ。事実だろうし」
「葉月さん、優しすぎ……。言い返してもいいんだよ?」
私は苦笑いを返した。
「少し寝たから、スッキリしたよ。ありがとう」
「四十五分、ガッツリ寝てたからな」
そう言って、水瀬はノートを手渡した。
ノートには授業の内容がきちんとまとめられていて、字も綺麗だった。
彼の性格からは、少し意外に思える筆跡だった。
「字、綺麗でしょ。意外じゃない? こいつの性格的に、もっと雑な字を書くイメージあるでしょ」
「おい」
私の心を見透かしたように話す櫻葉に、少し驚いた。
「あ、ビンゴ?」
ニヤリと笑う櫻葉の隣で、水瀬はため息をついた。
「はいはい。所詮、俺は雑でダウナーでクソ人間ですよ」
「そこまで言ってないじゃん」
「思ってないとは言ってない」
「揚げ足を取るな!」
また始まった二人の掛け合いを見ていると、なんだか心が落ち着いた。
昨日とは、大違いだ。
彼らは、私が寝不足になった理由を聞かなかった。
そして、私も何も言わなかった。
出会ってからまだ数日しか経っていないからかもしれない。
けれど、それは彼らなりの気遣いだったのかもしれない。
ノートは、写真に撮らせてもらった。
写すためにずっと借りているのは申し訳ないし、彼の勉強に支障が出てしまうのも嫌だった。
「写真撮らせてもらったから、返すね。ありがとう」
「ん」
「今日、大丈夫? 一人で帰れる?」
「うん。大丈夫だと思うよ」
「そっか。気をつけてね」
授業開始のチャイムが鳴り、櫻葉は急いで自分の席へ戻っていった。
次の授業は自習だった。
どうやら担当の先生が、インフルエンザにかかったらしい。
「よかったな。寝られるんじゃない」
隣から、こそっと声がした。
「ううん、もう大丈夫。だいぶ寝たから。……あの、さっきの授業で先生、私に何か言ってなかった? 大丈夫だった?」
「いや、特に。他にも寝てるやついたし、スルーしてたと思うけど」
「そっか」
よかった、と言うのも違う気がするけれど、見逃してくれたのは助かった。
あの時間がなかったら、今こうして起きていられなかったかもしれない。
ノートを写し終えたあとは、その内容を読み込んだ。
授業初日ということもあって内容はまだ薄く、それほど時間はかからなかった。
隣の彼は、机に突っ伏して寝ていた。
先生はいないので気兼ねする必要もなく、堂々と睡眠を貪っている。
それぞれが思い思いに時間を使いながら、自習の時間はゆっくりと過ぎていった。
放課後。
周りの生徒がぱらぱらと教室を出ていく頃、隣の席には櫻葉が来ていた。
「今日どこ行くー?」
「あー……とりあえず飯。腹減った」
「ラーメンでも行きますか」
「ん」
その会話を聞いているうちに、私もラーメンが食べたくなった。
最近はこってりしたものを食べていなかったし、ちょうどいい。
家に帰る前にスーパーへ寄って、ラーメンを買う。
今日の帰宅ルートは、それで決まった。
私は鞄を持ち、二人に声をかけた。
「今日はありがとう。また明日」
二人はこちらを向き、それぞれ返事をしてくれた。
「うん、また明日」
「おう」
私は教室を出て、バス停へ向かった。
バスはちょうどよく、私が到着してすぐに来てくれた。
車内は、同じように帰路につく学生たちで溢れかえっていた。
座席には座れなかったため、ほかの人と同じように通路に立っていた。
車内に鳴り響くエンジン音。
不規則に揺れる車内が、今の私には心地よかった。
気を抜いたら、また眠りに落ちてしまいそうな気がした。
私の心は、家に帰ればゆっくり眠れるという安心感と、ここで寝るのはまずいという危機感とで、なんとも複雑な状態になっていた。




