第31話
東寺真賀人は、ぼんやりと《紅蓮の神器》を眺めていた。
(これをヒーロー共が扱うことで、どんな歪みが生まれるのか。それをオレは見たい)
だが、頭の中には一人の少年の顔が映る。
(もしかしたら――……あのガキが、とは思ったのだが。まったく、世界は思うようにはいかん)
少年、九十九ガクはもう挫けてしまった。あの場で逃げ出した時点で、もう期待するだけ無意味なことだ。
自分が信じていたものが間違いだったと知った時、人は絶望する。受け入れるにしても拒絶するにしても、立ち上がる勇気がなければ選べない。
「…………なんだ」
ふと、東寺の目の前に淡い光が漂い始める。
なんだ、これは。
異様な光景に判断が遅れる。
「これは……――」
ほどなくして光が散らばり、一冊の本が姿を現す。
漆黒に包まれた、一冊の本。
(これは確か……神父ネリッタの力の――)
「らああああああああああああああッ――――!!」
本のページから飛び出したのは――少年、九十九ガク。
血だらけでボロボロになりながらも、ただ一心に東寺を捉えていた。その瞳に、もはや陰りはない。
九十九ガクの胸の中には痛い気な赤髪の少女の姿。
振り上げられた漆黒の刀。揺れる少年の黒髪。粗削りながらも鋭い殺意。
「よもや――ッ!」
咄嗟に、能力によって召喚した『木の扉』から鋼鉄の盾を取り出しその斬撃を受けるが、想像以上に威力が強かった。
壁を二枚、三枚と破りながら吹き飛ばされていく。
(こんな力――なかったはずだ!)
すさまじい衝撃に痛む身体をなんとか起き上がらせて、対面する少年を睨む。
「――てめえを殺す。神器も奪う。全部は俺がしたいように」
少年の眼光。それは先ほどまでの弱さが一切ない、研ぎ澄まされた狂気に染まっていた。
「はははッ! 何をした、九十九ガク! 貴様にそれだけの力は残ってなかったはずだ!」
心臓が高鳴り始める。
期待だ。高揚だ。この少年に何かを魅せられているのだ。
「《准聖典》をこの街中にばら撒いた。神父がやってたことと同じだよ。呪いをかけてそいつらから力を吸い取ってるだけさ」
ぞわ、と鳥肌が立つ。東寺は目を見開いてて口角を吊り上げた。
「善悪の秤はどうした。オレが見るにその類の力は、搾取される側を犠牲にする」
「なんだ、もしかして心配してくれてんのか? 先生を穢しやがったてめえが」
「オレが言いたいのは――」
「――分かってんだよ。んなことは」
東寺の胸の中で、すさまじい幸福が弾けた。
(これだ。これが見たかったのだ! あまりにも歪んでいるではないか!)
少年がやっていることは、もはや東寺が行ってきた悪行と変わりはない。
それを気づいていながら、少年は東寺を断罪しようとする。棚上げなんて陳腐なものじゃない。これは半ば――自傷行為だ。
「小僧、来いッ! 貴様の復讐相手がここにいるぞッ!」
少年の殺気が迫りくる。
東寺は高揚した心持のまま、刀を取り出して斬り合う。
先ほどであれば、技術面で東寺に分があった。東寺がなん十年もかけて培った技術が猿真似の刀に後れを取るはずがない。
だが少年の斬撃は、かつての模倣とはかけ離れていた。
「ふっ――」
少年の刀は、変幻自在。
型など存在せず、そこに先人が培った知恵は介在しない。
ただ、自由に、まるで刀を自分の身体の一部のように振り回す。
時には刀を片方の手へと持ち替え、時には逆手に、時には柄から手を離すことさえある。
ただ一心――東寺真賀人の命を刈り取ることだけのために、襲い掛かる。
この少年は、何か大事なものを捨てたのだ。それがこの刀に表れている。
「ははッ!」
自然と口から笑いがこみあげてきた。
この刹那で決まる土壇場で、もはや東寺の技術ではこの奇怪な動きを覆すことはできない。
「いいぞッ! すごくいいぞッ! これでこそ日幸サガリの弟子だ! 英雄殺しだッ! 測り難い美しさだ!」
しかし、東寺の持つアドバンテージ。
それは――異能だ。
「くッ! だが――」
漆黒の刀が、自分の右耳を切り落とす。
痛みを顔に出すこともなく、生まれた隙を狙って刀を握っている手とは逆。
左手を『木の扉』に突っ込む。
(あぁ、惜しいな。オレの方が強い)
左手で確かに剣の柄を掴む。
がその時、少年の頬が吊り上がった。
「【教典前章・移転扉】」
これは、信者たちを召喚する詠唱だ。
ではどこに? どこに召喚するというのだ。
疑問を残しながらも東寺は『木の扉』に入れた左手で剣を引っ張り出す。
「おわりだッ!」
確かに剣を振った。
だが、あまりにも『重かった』ため、剣が少年に届くことはなかった。
「なっ」
剣には、白い聖衣を着た男が触れていたのだ。
召喚前に、剣に触れていた男もろとも召喚してしまったのだ。
「や、やめてく――」
刹那、見知らぬ男が声を上げる。
「ハッ!」
少年は男もろとも、東寺を斜めに切った。
おびただしい血が流れる。切られた男は真っ二つに割れていた。
「貴様ッ……なにを」
「宝物庫に准信者どもを送った。てめえの能力、武器に触れてるものも一緒に連れてきちまうんだろ。ヌンに宝物庫の場所を特定してもらって助かった」
なぜそれを、と言いかけて合点が行った。
そもそも少年を境地に追いやったのは、神器もろとも彼を召喚したからだ。
「ぐはっ……」
東寺の口から血がこぼれる。
「終わらせる。罪を悔いながら俺に殺されろ」
「く……貴様は信条を捨てたというのか」
「あぁ。無駄なもん、いらねえもん、大事だったもん、全部必要ねえもんは捨てちまう」
「それはもはや正義を全うする復讐者ではない」
少年は頷いて、ゆっくりと刀を構える。
「分かってる。もう気づかないふりはやめたんだ」
少年は一度刀に目を落として、そして、こちらを強く見据えた。
「俺は――ヴィランだ」
東寺はまんべんの笑みを浮かべながら、刀を握った。
(これは、よもや……よもやだ! なんと測り難いことか!)
この少年は立ち上がれないと思っていた。染まらないと思っていた。堕ちていかないと思っていた。
抱えた良心を無下にできないと確信していた。
――たかが外れた、か。
もはや能力は使い物にならない。
傷もすさまじい。
ここが正念場だと本能で理解した。
九十九ガクも、東寺真賀人も。
この決闘が己のすべてを決めるのだと。
命を懸けたこの一刀。
すぐそこに終わりが転がっている。
「――掟に、従わねえとなぁ」
少年は小さくつぶやいた。
九十九ガクは――笑みを浮かべた。
苦しそうで悲しそうな顔をしていた少年が。
至極楽しそうに、小さな子供の様に、この命を賭した戦いに胸を躍らせているのだ。
「――これが、俺の呪いか」
少年のつぶやきをかき消したのは、東寺の叫びだった。
「来いッ!」
「殺してやらあッ!」
すさまじい速度で交差する煌めき。
刀の斬り合いに、もはや音すらも無駄となった。
無音の中、両者は背を向け。
「か――」
東寺の右腕が落っこちた。
倒れこむ東寺は、零れていく命を眺めながら思う。
(死ぬのか……オレは)
理解した。怖くはない。悔しくもない。
だが、心残りがある。
(まだ……死ねない)
刹那、東寺の身体が禍々しい赤色に包まれる。
「まだ……死に難い」
東寺の無くなったはずの右腕には、《紅蓮の神器》が煌めいていた。




