第30話
気づかないふりをしていたんだ。
『先生……なに、やってんだよ』
先生が転生して少し断った時のことだ。
彼女が首を吊ろうとしているところを見つけた。椅子の上に立って、首に縄を括ろうとしていた。
『――。――――。なぁんだよ、ガクか』
『なんだよじゃねえって……それ』
『あぁこれな。ちょっと屋根の柱が折れかかってたから縄でどうにかなんねえかなって』
『………あ、あぁ。まずは不動産に連絡しとけよ。たく、もう飯できたから来いよ』
横目に見た先生の机の上には『遺書』と書かれた白い封筒が置いてあるのが見えた。
信じたくないから、気づかないふりをした。
それ以来、見たくないものが頻繁に目に入るようになった。
先生の手首にちらつくリストカットの跡や、彼女の自室に置かれていた無数のドラッグ、戦闘中に見せるわざとらしい大きな隙。
すべてが、一つの結論に収束していく。
――先生は、死にたがっているんだ。
転生して以来、日に日に彼女の自殺行為は増していった。
転生によって生まれた得体の知れない何かが、先生を侵食している。
だけど、気づかないふりをした。
『なあ、ガク。最近楽しいか?』
とあるヴィランとの大きな戦いの後、死んでいった仲間の亡骸を眺めながら彼女は煙草を吸った。
『別に変わんねえよ。相変わらず辞めれるなら辞めたいね』
冗談っぽく肩をすくめた。笑ってほしかったから。
『……そうか。だよな、辞めたいよな。ごめんなアタシのせいで』
『…………ぇ』
最近先生の表情が暗くなった。目に輝きがなくなって、冗談を言うことも少なくなって、笑わなくなった。
『いや冗談だって……俺は先生に感謝してんだ。行き場のねえクソみてえな俺を先生が育ててくれたんだ……だから俺はここまでやってきたんだよ』
『あぁ、そうだったか』
『っ…………そうなんだよ! だから、最近は……ちっとは楽しいって思えてきてるし…………だから先生が謝る必要なんてあるわけねえんだよ!』
俺が必死に語り掛けるけど、先生には届いていないような気がした。
嫌だった。苦しかった。見てられなかった。
徐々に先生の心を食い破っていく悍ましい何かを恨んだ。
同時に、己の無力さを呪った。
『先生は…………楽しくねえのか?』
『アタシは……どうだろう。最近、なんか足が重てえんだ。仲間が殺されるたびに、救った人間からバケモンでも見るみたいな目を向けられるたびに…………なんか、全部どうでもよくなっちまうんだ』
俺はたまらなく悲しくなった。
『…………っ。あぁ、ごめん、ごめんなガク。そうだよな、お前が隣にいてくれるもんな……だから、アタシは最強だもんな』
泣きそうな俺を見て、先生は優しく俺の頭を撫でた。
違う。そうじゃないだろ。
その言葉は、そんな顔で言っちゃだめだろ。もっと笑いながら、言う言葉だろ?
『俺が先生を守るよ』
『え?』
『何度も言ってるだろ? 先生が楽しくねえって思うなら、先生は好きなことすればいいんだよ。前みたいに自分勝手に、周りの目なんか気にせず好きなことしてりゃあいい。先生は俺が守るから』
でも先生は認めないだろう。
だったら俺に何ができるのか。
俺は先生の刀を取り上げて、ぎゅっと握った。
『これは今から俺のだ! もう先生が握んなくていい! 俺が奪ったんだ!』
刀。先生が今まで振りかざしてきた正義の権化。戦いへの執念。
これがあるから、先生は戦ってしまう。
『これからはありふれてる面白みのねえスローライフ送ってくれよ! 煙草もたくさん吸えばいい。カワウソも飼えばいいし、婚活だって始めて、アメリカでブルーベリー農園開いてもいい。今度は俺が守るからさっ!』
先生は、酷く申し訳なさそうに、されど愛おしそうに笑った。
『あぁ、アタシは幸せもんだ』
『もっと幸せになるべきだよ』
『いや……もうっ、これ以上にねえくらい満たされてるよ……』
先生は俺を抱きしめた。
温かくて柔らかくて安心するけど、先生は震えていた。
『ごめんなぁ……守られてあげられなくて。やらねえとって思うんだよ。戦わねえとアタシがアタシじゃいられなくなる気がすんだ……だから、ごめんなぁ』
ごめんじゃなくて、ありがとうを聞きたかった。
だから、先生がピンチの時は俺が誰よりも先に助けに行こうと心に決めた。
(でも、俺は先生を殺すことしかできなかった)
俺は先生が壊れていく様をどうすることもできないままただ眺めていた。
(俺は、先生には笑っていて欲しかったんだ)
先生には、ただ幸せになって欲しかっただけなんだ。
だからきっと――あの少女に惹かれた。
先生と同じ境遇のはずなのに、あんなにも楽しそうに笑っていたから。
だから、最初は認めたくなかった。
あの少女の生き方を正解にしてしまったら、先生が間違いになってしまうから。
でも、あの曼殊沙華みたいにまっすぐな笑顔を見るたびに思うんだ。
先生もこんな風に笑って欲しかった。生きてて欲しかった。
(すべてを犠牲にしても。たとえ自分以外の全員を不幸にしても――先生には幸せになって欲しかったんだ)
だから、もう、気づかないふりはやめよう。
俺はあの少女を助けた。
ただ笑って生きて欲しかったから。幸せになって欲しかったから。
だから俺は、先生から取り上げたかった刀を今、握ってるんだ。
*
倒れこんだエルマをヒーローたちが囲んでいた。
俺はゆっくりと立ち上がった。
おもむろに右手に刀を握る。
「――」
振り返ると先生が立っていた。
彼女は酷く悲しそうに眉を下げて、こちらを睨んだ。
まっすぐ、『そんなことはやめろ』とでも言いたげな目だ。
(そうだよな…………あんたはきっと怒ってるよな)
彼女はこんなこと望んでいない。
そんなのは分かっている。
(もう一度、先生に会いたいよ……先生がいないと、楽しくないよ)
生きてて欲しかった。
あぁ…………ほんとに死んでほしくなかったな。
もう一度、笑顔を見たかった。叱って欲しい。一緒に飯を食って、遊んで、頑張って、支え合いたかった。抱きしめてほしい。守ってあげたかった。助けてあげたかった。
(ほんとに――生きてて欲しかったなぁっ)
現実ではない、白昼夢だと分かっていても、彼女の顔が見れて嬉しかった。
(ごめん……だから、許せないんだよ。先生を罠にはめて、台無しにした奴らを殺したくて仕方ないんだ)
俺は前を向いた。
これから歩む道のり。それがいきつく先は地獄だろう。
正解はなんだ。間違いはどれか。
ずっと考えてきた。
だけど、もういい。
――そんなの、どうだっていいや。
何がしたいのか。どこに行きたいか。
すべては自分の感情が赴くままに。
刹那、袖が引かれた。
行くな、と言われている。
「――」
咥えていた煙草が、唇から零れ落ちた。
あの時のすべてが詰まった、あの香。
俺が何よりも欲した、過去。
「――俺、行ってくるよ」
煙草を踏みつぶして前へと進む。
引かれた袖を振り切って、刀を握った。
エルマを拘束しようとしているヒーローを視界の真ん中に捉えて――地を蹴った。
「――」
もう迷わない。もう止まらない。
悪を切り伏してきた刀。正義のために行ってきた戦闘。
先生から取り上げたかった刀。
俺の後悔が詰まったそれで。
――俺は、ヒーローを斬った。
血しぶきが上がる。みな、何が起こったのか分からないでいた。
「――なっ」
俺はエルマを抱え、ヒーローたちと距離を取る。
もう、戻れない。
こっちは真っ黒だ。紛れもない間違いだ。
「くひひ…………がくだぁ、やっぱりガクだぁっ」
俺の胸に頬をこすりつけて、エルマは愛おしそうに笑った。
「ガクっ……そっちに行っちゃだめ……戻れなくなるっ」
ミスイは届くはずもないのに、こちらに手を伸ばした。
分かってる。お前らは正しい。
だけど、正しいだけじゃ、救えない人だっているんだ。
「ごめん、エルマ。俺迷ってばっかだ」
「うん」
「お前が思うより俺は弱いし、小さくて、ちっぽけなんだよ。守りてえもん守れずに、のうのうと生きてきたからこんな様だ」
エルマを大切に大切に抱きしめる。
壊れてしまわないように、この笑顔を誰かに汚させやしないように。
「だけど、もう負けねえ」
「えへへ…………プロローグは終った?」
「あぁ、なっげえプロローグだったよ」
俺はヒーローたちに刀を向ける。
「アタシね、幸せになりたいの」
「あぁ」
「邪魔なもの全部殺して、笑って、それで幸せになるの」
「…………あぁ」
「ガクに抱きしめられるの好き。髪を乾かしてくれるの好き。ガクの目が好き。唇も耳もとっても美味しくて好き。なんだが…………ガクがいると幸せになれそうなの」
「……そうか」
「だから、ガクも一緒に幸せになってほしいンよ」
エルマはまるで猫みたいに俺の顔に頬を擦りよせた。
「ヴィランの掟。忘れないでね」
無駄な躊躇は捨てよう。
文字通り、すべてを賭けよう。
不要なものはかなぐり捨てて、この仮初の人生のすべてを賭けよう。
たった一つ、俺がしたいことだけを叶えるために。
「ありがとう、エルマ」
ありがとう、先生。
ありがとう、おまえら。
「【聖典第零章】」
これから始まるのは、一方的なテロ行為だ。
「ぐあぁっ――!」
頭が焼き切れそうなほどの痛みが走る。
処理しきれていないんだ。膨大な情報体を無数に召喚すること。それを、右腕程度で負担できるはずがない。
狂いそうになる頭を、そっとエルマが抱いた。
「【錆を喰らう(エルミ・イータ)】」
直後、その痛みが和らいでいく。
(食べているのか……俺の痛みを)
苦しそうに顔を歪めるエルマをもっと強く抱きしめる。
「――【聖典・配布】」
この街に生きる人々の目の前に、漆黒の本が出現した。人々は、それを恐る恐る、興味本位に開く。そして、呪いにかかる。
それは《ナキ食聖教》の准聖典だった。
約3,900文字
第30話を編集
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加茂川かもがわの水
加茂川の水
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