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第1話

第一話だけちょっと長いです。


――ヒーローを辞めて、二年が経った。


 ここは《ナキ食聖教》の教会、その地下牢獄。ナキ食聖教に歯向かった罪人、および儀式の生贄を監禁するための空間と言ってもいい。

 手足を鎖で拘束された俺は死臭まみれの空気を吸うことしかできないでいる。


『やばいの! ガクが死んじゃうのっ!』


 右耳に付けた小型無線機を介して、ぎゃんぎゃんと女の子の声が聞こえてきた。


「…………ヌン、少し静かにしろ」


 本名不明、年齢不詳の正体不明ロリハッカー――ヌン。バカみたいな理由で国家機関システムをハッキングして一か月間、国を大混乱を招いた全国指名手配中のテロリストだ。


「口ん中にクソねじ込まれた気分なんだよ。なぜだかわかるか?」


 黙り込んだヌンの代わりに答える。


「昨日からずっっっと、頭おかしいじじい共に好き勝手遊ばれてるからだよ。おかげで体中痛くて痛くて仕方ねえんだ」


 昨日、ここに潜入した俺はヌンのバカげた指示に従った末にまんまと捕まり、怒り狂った信者たちに拷問され続けている。バカげた支持というのは掘り下げはしないが、こいつが俺をゲームの操作キャラかなんかだと思ってることがよく分かった。


先ほどようやく拷問が終わり、こうしてヌンと通信する暇ができたわけだが、もはや満身創痍だ。


「お前が今からすべきことはなんだ?」


 俺一人ではこの状況から抜け出すことは難しい。


『か、隠れ家! 新しい隠れ家探さないとっ!』


 マジかこいつ。だがヌンのクズさも今に始まったことではない。自分の身が一番かわいいこいつには、つまりは脅しが効く。


「そーかそーか。それでも俺はぜんぜんいいけどよ、このまま痛めつけられたらうっかりお前の居場所ゲロっちゃうかもなー。明日からはリアル鬼ごっこ編が始まるな、よかったな」


『にゃっ! ヌンは無限引きこもり編なの!』


 どうどうと引きこもんな。


「もう一度聞くぜ。お前はこれからどうすんだ?」


 しばし沈黙した後、ヌンは答える。


『…………ガクが逃げられるように手助けするの』

「初めからそう言え、ばか」


 保身が第一のくずだが、裏を返せば脅しが一番効く。この言葉は信じていいだろう。


『でも、まだ《紅蓮の神器》見つかってないの……』

「あぁ、宝物庫にはなかったし神父も持っちゃいなかった。たく、どこにあんだよ……」


『……もう諦めた方がいいんじゃ』


「諦めるわけねえだろ!」


 思わず大きな声が出てしまった。だめだ、疲労でイライラしている。一度深呼吸して心を落ち着かせた。


「…………諦めねえよ。また情報集めからだ」


成果のない現状に挫けそうになる。


『ガク、そろそろ壊れちゃうの……』


 ヌンの声はわずかに震えていた。壊れる、か。それは少し違う。俺はもう壊れてる。きっと俺のすべては、先生を失ったあの日に全て壊れてしまった。


「鎖で《異能》も使えねえし解くのは厳しい。だが多分儀式の時だけ自由が生まれるはずだ。お前はその一瞬で混乱を生みさせすりゃあいい。後はいろいろがんばって脱獄してやらあ」


 抽象的な作戦だが問題はない。ヌンはこれでも腕だけはある。


 ヌンは「……うん、死んだら社会的に殺すの」と言って通信を切った。無線機の充電も底を付きかけている。充電が切れてしまえばヌンとの意思疎通はできなくなり、脱出の可能性はぐっと落ちる。


 投獄された死にかけの人間の息遣いと鼻を突く死臭。割れた頭から滴り落ちる血と全身に走る鈍い痛み。


 ポッケをまさぐってぐにゃぐにゃに折れ曲がった煙草を一本咥える。火をつける手段がないがこれだけでも心は紛れる。


「――火、付けたげよっか?」


 向かいの牢から声がした。跳ねるような少女の声だ。


「ほら、ちょっとこっち来て」


 小さく手招きしたのは、制服の下にパーカーを着た少女。こんな終わってる場所ではかなり場違いな格好だ。フードの隙間から赤い髪の毛がちらつく。

話しかけられたのは初めてだ。ここにいる人間はみんな死んだように息をひそめているから。


「ライター持ってんの?」


「もちろん。肉って焼かないと臭くて食えたもんじゃないでしょ」


「ライターで肉焼く奴なんて見たことねえよ」


 少女はどこからか取り出したライターをこちらに投げた。どこにでも売ってるプラスチックのライターだ。火をつけて煙草を吸う。

 煙草を大きく吸い込む。懐かしい薫りが肺の中を駆け巡る。どこか胸が軽くなる。


「煙草は身体に悪いから吸うなってテレビでゆってた」


「良薬は口に苦しっつー言葉知らねえのか」


 少女は、ほへー、と感心したような声を上げた。ただの馬鹿なのかもしれない。

 興味を持ったのか、彼女は楽しそうに笑った。


「アタシもそれ、吸ってみたい♪」


「身体に悪いから吸うもんじゃねえよ」


「ちっちっち、アタシは騙されないよ。りょーやく、アタシ絶対吸うもん。ちょっと待って」


 話を聞かずに少女は口をもごもごと動かし始め、「ごりっ」と鈍い音を鳴らした。そして、『それ』を俺へと吐き捨てた。


 俺の肩に当たったそれは、石畳の上に落ちた。


 歯だ。乳白色の『犬歯』が一本。彼女は自分で歯を折って飛ばしてきたのだ。


「え」

「やっほ」


 至近距離で少女の声が聞こえた。しかし少女は向かいの牢獄の中。およそ五メートルは離れている。

 声の方を見た。


――――口だ。俺の肩に少女の口が生えていた。


 生身の俺の肌から、他人の口をむりやり移植させたような、そんな異様な光景だ。

 先ほど彼女の犬歯が直撃した部分から生えている。


「うわ、え、キモ……っ!」


「キモくないもん! かわいいでしょ」


 パクパク動く口。かなりキモいぞ。


「こんな《異能》見たことねえ……」


「ちょっと違うよ」


 少女がフードを下ろした。頭から血を被ったような赤色の瞳と髪。とても綺麗で可愛らしい子だ。しかし特筆すべきは――――頭に生えた二本の角。


「あぁ……転生症候群か」


 表情が歪むのを自分でも感じた。


  *


 転生症候群――――一度死んだ人間が、類まれに異形となって蘇る現象のこと。


 事実として、転生症候群への風当たりは強い。それは半ば差別に近いだろう。


 一世紀前、突如世界は異世界と重なった。同時にそれを人々は『異世界事変』と呼んだ。

 世界各地に異世界の産物が出現し――人類は《異能》と《転生症候群》、二つの力を手にした。


 そんなカオス極まる世界で、第一次異能大戦の火蓋は切られた。


 国は多くの異能者を軍事利用し、死者数が時を断つごとに膨れ上がる中で、各戦場で転生者が現れるようになった。異能とは異なる、どこか邪悪な力を持つ転生者は戦況を左右する不確定要素として危険視されるようになった。各地で転生者は『英雄』として持ち上げられ称賛の対象になるのも自明の理だった。


 だが、その蜜月は「笑顔の虐殺」によって終わりを告げる。

 

 それは戦場の休憩地点。疲弊した兵士たちが休まる後方の安全地帯。


 そこで、一人の転生者が――突如殺戮を始めた。


 転生前、彼は虫も殺せぬ臆病者だったというが、故郷が守れるならと志願した心優しい兵士だった。戦場で死に、そして《銃器の転生者》として蘇り、戦場を駆け回った英雄。


 そんな彼が、夜な夜な旧友と思い出話に花を咲かせていた、その最中――――彼は笑顔を浮かべながら、旧友の脳天に弾丸をぶち込んだ。


 体中の穴という穴から銃弾を発射し、毛穴から血潮を噴き出しながらなおも仲間を殺した。


 それを始まりとして、転生症候群の暴走は次々に起こった。


 以後、世界は学んだ。

 転生とは、「魂の再生」ではない。人間という肉の器を借りて、異世界の「欲望」が芽吹く現象なのだ。


 彼らは蘇ったのではない――――別の何かに、中身を食い破られただけなのだ。


  *


 まったくふざけた話だ。反吐が出る。


「ほら、ちょーだい。アタシ、煙草はじめて♪」


 胸に沸いた憐憫に蓋をする。こんな感情、抱くだけ意味がない。

 無責任な感情を誤魔化すように俺は煙草を差し出した。


「いただきまーす♪ すぅぅう……」


タバコの吸い方も知らず、大きく吸い込み始めた。大丈夫かこいつ。


「ぼえっ、げほうえっ! なんこれぇっ!? 毒だ毒だぁっ! うぅ、アタシこれ好きくないぃ!」


 口をへの字に曲げる彼女を見てなんだか和んでしまう。俺は彼女が吐き出した煙草を拾って咥える。


「こんなのがおいしいの?」


「美味さは求めてねえよ」


「じゃあなんで吸うん?」


 少女は可愛らしくきょとんと首を傾げた。


「落ち着く……ただそれだけ」


 少女はへー、と何も理解していなさそうな返事をした。


「アタシはね、こっちの方が好き♪」


 突然、少女の温かい吐息が頬に触れる。彼女の口から伸びた細長いピンク色の舌が、頭から滴っている俺の『血』へ触れる。掬い取るように、頬を伝う血を舐め回していく。


「え、ちょっ、まっ!」


「んぁっ……あぁ、いきかえるっ♡」


 彼女の吐息と滑らかな生暖かい唾液、くすぐったい感触。状況を把握した途端、どき、と胸が跳ねる。


「ややや、やめろって!」


「わっ」


 思わず舌を手で払いのける。なんか声が上ずったし。


「なにやってんのおまえ!」


「なんか顔赤いよ?」


「べべべべ、別に恥ずかしいわけじゃねえからっ! ニコチンが血管極細にしてる弊害だからっ!」


 彼女は不思議そうにこちらを見てくる。顔が熱くなって目を逸らす。女の人に顔を舐められるなんて……そんな経験あるはずないから。


「あじみだよ」

「人の血なんて舐めて頭おかしいんじゃねえのかっ!」

「しょーがないじゃん。それしか食べられないんだもん」

「それしかって……ぁ」


 あぁ、そうか。この子は『転生者』なんだ。


「ねえ、もう少し」


「……なんか、居たたまれねえんだよ。もういいだろ?」


「…………いや、むしろ――キミを食べたくなってる」


 ぎょっとして肩を見るともうそこに口はなかった。


「でも、つんつんしてるキミがなんだか可愛いからやめとく」


 少女は向日葵みたいに笑った。


「それで、どうしてあんなにボコボコにされてたの? よっぽど悪いことしたんでしょ」


 穏やかな笑顔だった。なんだかここがどこか忘れそうになる。


「悪人をぶっ殺すことが悪い事って言うなら、相当悪いことをしちまった……おまけにいい気分じゃなかったしな」


 個々に潜入してから、合計十四人殺した。


「ザイアクカンってやつ?」


「そうかもな」


「アタシ、ザイアクカン分からない。ねえねえどんな感じなの?」


 この子の生い立ちも境遇も俺は何も知らない。だが、きっと酷いものだったろう。転生して人間しか食べられない身体になって、そんなの普通に生きることの方が難しい。


 だからきっと、彼女が「ふつう」を知らないのは仕方のないことなのだろう。


「胸の中に糞を敷き詰められた気分だよ」

「うげっ! ばっちぃ!」


 大げさに鼻をつまんだ彼女のリアクションに、また和んでしまう。


「あんたは?」


「アタシ? アタシはね、生きるために仕方なくなの。初めは一人やっつけたんだけどお仲間さんが出てきてね、だったら一人だけもう会えないなんて可哀想でしょ? だからみんなやっつけてあげたの」


 罪悪感の悪意もこれっぽっちも感じられない。つまり、彼女は悪意を持たずに純粋な心で人を殺したのだ。


「なるほど、やっぱ頭イかれてんだな」


 彼女の思考回路が理解できなかったから、茶化すみたいに肩をすくめた。

 だが、少女の反応は想像とは少し異なり、悲しそうに眉を下げるだけだった。


「アタシはただ幸せに生きたいだけなのに。それなのにみんなアタシをみたら襲ってくる。人は幸せに生きるために産まれてくるんじゃないの? それを邪魔してきた人を殺すって、だめなことなの?」


「……わかんねえよ、俺には」


 正しいとか正しくないとか。この少女の存在自体を正しくないとしたら、きっと大勢の人間を正しいということにできてしまう。


(だけどそんなの…………あまりにも可哀想じゃねえか)


 同情なんて彼女は望んでいない。だからといって、こんな境遇でまっとうに生きろなんて言えるわけない。それはあまりにも身勝手で無責任だから。


「でもね、アタシには憧れがあるの! だから、どんなに邪魔されても、酷いことされてもへっちゃら!」


 紅い瞳がキラキラ輝いた。少女は人差し指を点に掲げ、堂々と胸を張った。


「アタシ、アニメが大好きなの!」


「…………は?」


「アニメだよ、あ・に・め。知らないの?」


 いや知ってるけど。


「アタシね、ヴィランが大好きなの! だってだって、ヒーローが何人襲ってきても一人で立ち上がってにっこにっこ笑って戦うんだよ! 自分の信念のために世界を敵に回すんだよ! そんなのとってもかっけーじゃんっ!」


 夢見る子供みたいな透き通った笑顔だ。


「それがアタシの憧れ。だからアタシは生きるの」


 綺麗だと思った。眩しいとさえ思う。こんな境遇で笑っていられる彼女を間違っているなんて思いたくない。『先生』もこんな風に笑えていたら……。


「キミにはないの? あこがれ」


 問われて、心が痛くなった。


(憧れなんて…………語る資格はもうない)


 かつて憧れた姿とおよそ対極にいるのが今の俺だ。そんな俺に憧れは語れないし、必要もない。

 だから、憧れを語る代わりに、俺は生きる理由を言葉にした。


「俺はただ…………大切な人から何もかもを奪ったやつらをぶっ殺せればそれでいい。それが、俺のやるべきことなんだ」


 煙草の先端が灰になって崩れていく。


「か」

「か?」

「――かっこいい! そんなのとってもとっても、すんごくすんごくかっこいいじゃんっ!」

「は?」


 少女の反応は予想していたもののどれとも違った。馬鹿げていた。


「それがキミの譲れない信念なんだ! 世界を敵に回してもいい理由なんだ! 人生をすべて賭ける価値があるんだ!」


 少女は頬を赤らめて胸に手を当てて、酷く愛おしそうに笑った。


「いいなぁっ♪ アタシも、そんなおっきくてまっすぐで素敵な信念が欲しいなぁ!」


 目をキラキラ輝かせながら笑う少女を見て、毒気が抜かれてしまった。


「…………あんた最高に狂ってんな」


「悪い?」


「いいや、嫌いじゃねえ」


 俺は頬を緩ませると、少女はそれを見て嬉しそうに笑った。


「決めた! アタシも譲れない信念、探すよ。それで楽しく生きるために、最高のヴィランになるために精一杯がんばるの。がんばってがんばって、邪魔な人全部やっつけて幸せになるの!」


 希望に満ちた笑顔に目を奪われた。この目に焼き付けておきたいと思った。


「痛い思いしても、死にそうになっても、死にたくなってもアタシは幸せになる。なって見せる!」


「…………それで誰かが不幸になっても、か?」


 思わず聞いてしまった。少女はぽかんと俺を見てから答えた。


「? 当たり前じゃん。だって世界は――――アタシかアタシ以外でできてるんだから」


 紅い瞳が俺を捕らえた。どこか悲しそうに笑顔だった。


「ねえ、だからキミも楽しんで、笑って、笑い飛ばせばいいの。楽しまなきゃダメだと思うの。きっとキミとアタシは同じ。同じところに向かってるはずだから。みんなが否定してくるはずだから。真面目に頑張って生きてると死にたくなるくらい終わってるから」


「楽しむって…………そんなこと」


 いつしかの『先生』の言葉と重なる。


(楽しむ……楽しむだって? そんなことできたらとっくにやってる)

 出来ないから苦しいんだ。辛いだ。悲しいんだ。


 生きるのがつらくて、死んでしまえたらどれだけ楽だろうって何度も何度もくじけそうになって。だけど、俺がこのままのうのうと死んじまったら、先生のすべてが穢されたままになるんだ。それがどうしようもなく納得できなくて頭にくるから、俺は頑張ってるんだ。


(……俺だって、できることなら)


 彼女のように――。


「――できるよ。だって、ヴィランは追い詰められた時にこそ、にっこにっこ笑うンよ」


 少女は人差し指で頬を吊り上げて、にっと歯を見せて笑顔を作った。


 すると、ぎぎ、と牢屋が開く音がした。


「こいつだ、連れてけ」


 俺の牢屋に入ってきた数人の聖職者は俺を強引に牢屋の外へと連れ出す。その最中も、俺は彼女から目が離せないでいた。


「次はさ、キミが心から笑ってるところ見たいな」


 別れ際の一言が頭の中に居座った。見透かされているような気がしたから。


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