41:本物の審美眼
「見え透いた嘘」というルーシーの発言を最後に、薔薇の一角がシンと静まり返る。
誰も彼女の疑問に答えてやれず、それどころかぎょっとして彼女に視線をやった。
だというのにルーシーは平然としており、シャロンが窺うように「まったくの別物ってどういうこと?」と尋ねれば、逆に不思議そうに首を傾げてくるではないか。
「どういうことって、そのままよ。むしろどうしてみんな分からないの? ルーペ使う?」
「いえ、使ってもきっと分からないわ。だから教えて。どこがどう違うの?」
「どこもかしこも全てよ。薔薇の飾りの作りかたも、宝石のカット技術も、金の彫り込みも違うわ。留め具に至っては別物を使ってるじゃない」
それに……とルーシーがあれこれと挙げていく。果てには「こっちは二年以内に作ったものね」と断言までしだした。更にはイヤリングを作った技術者そのものが違うと言い出すのだから、これには誰もが唖然としてしまう。
どうやらルーシーの目には、二つ並ぶイヤリングは『ただ同じデザインをもとに作られたもの』でしかなく、全く別の代物に映っているらしい。
シャロンが信じられないとルーシーを見つめる。だが彼女は自分の発言がどれだけのものかを分かっていないようで、手にしたイヤリングをレイラに見せつつ「ほらね」と同意を求めている。レイラが困惑しているのは、彼女も言われたところで違いなど分からないからだ。
レイラだけじゃない、この場にいる者はみな……いや、並大抵の人なら誰しも、見せつけられ違いを話されたところで分かるわけがない。
「技術は進化するし、ものは劣化する。15年前と似たものは作れても、15年前のものは作れないわ」
はっきりルーシーが断言し、二つのイヤリングをアクセサリートレイに戻した。
次いで紅茶に手を伸ばして飲み、シャロン達同様に呆然としているエドワードに「おかわりちょうだい」と声を掛けた。その仕草や口調は相変わらずで、彼女にとってイヤリングの真偽を見極めるなど造作もないことだと分かる。
娘の発言に言葉を失っていたイザベラが、はたと我に返ったようにテーブルの上に戻されたイヤリングを見た。――もちろん「お母様、ルーペ使う?」という娘の申し出は優しく断りつつ――
「イリオもまさか見破られるとは思ってないでしょうね。鼻を明かすにはちょうどいいわ。エドワード、アスタル家に関係する仕立て屋を片っ端から調べて、このイヤリングを作った人物を見つけて証言を取ってきてちょうだい」
「かしこまりました」
「どうせ緘口令を敷いているだろうけど、必要とあらばアルドリッジ家の名前を使いなさい。財政難のアスタル家とアルドリッジ家じゃ、どっちに着いた方が得か、考えるまでもないでしょう」
イザベラがエドワードに命じる。
命じられたエドワードは愛想良い笑みを浮かべ「頼もしい限りです」と返してはいるものの、瞳の奥は凍てついている。顔は笑ってはいるが一切心がこもっていない。静かで冷ややかな怒気だ。
そんな二人の会話を聞きながら、シャロンは小さく溜息を吐いた。
アクセサリートレイに戻されたイヤリングを取ろうとし……手を止める。
「シャロン様……」
「そう、やっぱり偽物なのね……。ルーシーってば凄いわ。私、驚いちゃって……」
しどろもどろでシャロンが話し、ルーシーに感謝を告げた。
だがうまく言葉が紡げない。仮にこのイヤリングが本物であっても今更な話だと思っていたのに、偽物だと知った今、心のどこかで傷ついている。
そして傷ついている自分に対して、期待していたのかと自虐的な考えが浮かんでまた傷ついてしまう。
まるで堂々巡りのようでじわじわと胸が苦しくなる。その苦しさを認められず、固いながらも笑って顔を上げた。
「イヤリングを手放す良い機会になったわ。イリオやマルクが二度と連絡を取る気にならないよう、皆の前で偽称を暴いて、鼻っ柱を圧し折ってやらなきゃ」
無理に笑って告げ、ありもしない闘志を偽ってみせる。
空回っているのは自分でも分かる。だがそれでも胸の苦しさを誤魔化すほかなく、部屋に戻ると誰にでもなく告げて立ち上がった。
アーチへと向かおうとし、背中越しに掛けられた「お母様……」という弱々しい声に足を止めた。振り返れば、レイラとフィルがこちらを見ている。
眉尻を下げ、なんて不安そうな表情をするのだろうか。いつもであれば駆け寄りすぐさま抱きしめただろう。だが今日だけはその気力すら起こらない。
二人の名を口にするので精いっぱいだ。その声も掠れて弱々しく、これでは二人の不安を煽るだけだ。
うまく取り繕えずシャロンの顔に困惑が浮かぶ。それを見たレイラとフィルが立ち上がりかける。
だが次の瞬間、エドワードが「レイラ様、フィル様」と二人を呼んだ。
「そろそろアップルパイが焼きあがる頃です。お持ちしますね。シャロン様にはお部屋に運ぶようメイドに申し伝えておきます」
エドワードが相変わらず見目の良い笑顔で告げてくる。明るい声だ。
まったくこの空気に合わず、下手をすれば空気を読まない無粋な発言に思われるだろう。今そんな話をしている場合ではないと叱責されてもおかしくない。
だがこの場において、誰一人として彼を叱責することはない。
エドワードのこの場違いな発言は、シャロンを引き留めようとするレイラとフィルを制止し、二人を宥めるためのものだ。行かせてやろう、今は一人にしてやろう、そんな彼の声が聞こえた気がする。
「そうね……。お母様、また後で時間が出来たらお茶をしましょう」
「疲れてるだろうし、あまり無理をしないで。もし何かあれば僕達が手伝うから」
レイラとフィルが椅子に座り直し、気遣いの言葉を掛けてくれる。
それに対して、シャロンは穏やかに微笑んで薔薇のアーチを潜った。