42:アルドリッジ家として
シャロンが去っていった薔薇の一角に、なんとも言えぬ沈黙が続く。
そんな中、レイラが溜息交じりに「お母様は……」と呟いた。
「お母様は、私達が居たからイヤリングの相手を探しに行けなかったのかしら……」
「レイラ?」
「だってそうでしょ? 15年間ずっと社交界に出られずに私達を育てていたんだもの。もしも私達さえ居なかったらお母様はイヤリングの相手を探しに行けたじゃない。イヤリングを渡した相手に出会って、お父様とわかれてその人と結ばれることだって出来たのよ」
レイラの言う通り、シャロンは15年間を子育てに費やしていた。
愛も情もないデリックとの夫婦関係に見切りをつけ、華やかな社交界から身を引き、押し付けられた二人の子供を第一に考えて育て上げたのだ。
双子の育児、それも10歳の幼さで押し付けられたとなれば、他のことに割く時間が無いことなど誰だって分かる。
『どこの誰とも分からない、たった一度のパーティーで会っただけの少年』などというあやふやな相手を探している暇はない。
だけど、もしも子育てが無ければ……。
記憶を頼りに少年を探し、再会を果たし、アルドリッジ家を捨てて恋に生きることだって出来た。
それを話すレイラは、家柄よりも恋を選ぼうとした身だ。いざとなればアルドリッジ家の名前を捨てる覚悟もあった。
自分が恋を選び、そして選んだうえで受け入れられ順風満帆に生活しているからこそ、それが出来ずにいたシャロンを想うと胸が痛む。
なにより、シャロンが時間を費やしてしまった子育ては他でもない自分の子育てなのだ。
シャロンをアルドリッジ家に縛り付けた張本人、そう考えると罪悪感が胸に湧く。
「私達がいたから……」
レイラがポツリと呟く。
それに対してフィルとイザベラが何かを言おうとし……、
「そんなことはありません」
と、はっきりとした断言が遮った。
エドワードだ。先程まで浮かべていた愛想の良い笑みではなく、今は真剣な表情をしている。
紫色の瞳には圧さえ感じさせ、困惑していたレイラが弱々しい声で彼を呼んだ。
「シャロン様にとって、レイラ様とフィル様は最愛の存在であり生きていくうえでの支えです。レイラ様が罪悪感を覚える必要はありません」
「でも……」
「シャロン様がお二人を心から愛しているのは誰が見たって分かります。それをまるで枷のように言っては、誰よりシャロン様が傷つくでしょう」
エドワードの声は優しく、それでいてどこかレイラの発言を咎めるような色合いさえある。
「それに、もしもシャロン様にとってレイラ様とフィル様が枷でしかなかったら……。その時は私が……いえ、きっとシャロン様を想う誰かが、とっくの昔に連れ出していたはずです」
自分がと名乗りかけ、エドワードが言葉を飲み込む。
そうして表情を和らげ、「そうでしょう」とレイラに同意を求めた。まるで子供を諭すような柔らかな笑みだ。
レイラが苦笑を浮かべ「そうね」と返した。その声は明るく、先程の悩みが多少晴れたと声だけで分かる。
不安そうに見ていたイザベラも安堵の表情を浮かべている。
彼女もまた政略結婚させられた身だ。そして夫と袂を分かった後は女手一つで娘を育て上げた。イザベラとルーシーの間には血の繋がりがありシャロンとは状況が違うが、それでも同じ『子を持ち育て上げた母』として思うところはあるのだろう。
「心配するのも分かるけど、今はシャロンを信じましょう。むしろシャロンがマルクの求婚をこっぴどく断れるよう、私達が演出してあげなきゃ」
「演出?」
「そうよ。シャロンが未練ごとアスタル家との縁を断ち切れるように、私達がその手伝いをしてあげるの」
そうでしょ、とイザベラが笑みを浮かべて同意を求めれば、レイラも気が晴れたのか頷いた。
躊躇いや不安そうな色はもう無い。自分を諭してくれたエドワードとイザベラに感謝を告げる声も明るい。
そんな中、「それだけじゃ駄目だ」と低い声が割って入った。
レイラとイザベラ、そして紅茶を飲んでいたルーシーまでもが揃えて視線を向ける。
声を発したのはフィルだ。テーブルの上に残されたイヤリングをじっと見つめており、その鋭い瞳も先程の声も普段の彼らしくない。
漂う重苦しい空気を感じ取り、レイラが名前を呼んだ。
「フィル、それだけじゃ駄目ってどういう事?」
「イリオの事だよ。いや、アスタル家って言ったほうが良いかな。いくらお母様がはっきりと断ったとしても、それだけで済ませるわけにはいかない」
そうだろ、とフィルが自分を見る者達に同意を求める。怒りを漂わせ、それを押しとどめようとしている声だ。落ち着き払った態度と静かな声色だからこそ、彼の怒りの度合いが窺える。
イリオ達に対する苛立ちを抑えきれないのかイヤリングを見つめる瞳も鋭さを増しており、これにはレイラやイザベラはもちろん、エドワードまでもが目を丸くして彼を見た。誰もが意外だと言いたげな顔をする。
フィルは温厚な性格をしており、シャロンやレイラを一歩下がって見守っていることが多い。消極的とまでは言わないが、それでも感情を露わにすることは極まれだ。
そんなフィルが、今は怒りを露わにしている。
「今回の件、お母様は一個人として、不義理を働くマルクやイリオに対応しようとしている。それは勿論良いことだ。……だけど、それだけでは終わらせられないよ」
「それだけではって、どういうこと?」
「アスタル家はお母様を侮辱した。それはアルドリッジ家夫人を侮辱したことでもある」
先程シャロンは、イリオ達が二度と馬鹿な事を考えないよう鼻っ柱を圧し折ってやると言っていた。マルクの求婚を断れば、当てが外れたイリオ達はさぞや悔しがるだろう。
だがそれはあくまでシャロン個人の話だ。政略のために嫁に出され、そして今もまた利用されかけている『シャロン』という一人の女性が、受けた侮辱を返すだけに過ぎない。
だからこそ……。
「アルドリッジ家夫人が受けた侮辱は、アルドリッジ家次期当主である僕が返す」
断言するフィルの口調はまるで罪人を前に裁くかのようだ。
だが事実、今回のイリオの行動はアルドリッジ家夫人への侮辱でもある。親子だの思い出だのと絡んでいるが、それを抜きにすれば『身分を偽り格上の夫人を騙して求婚した』という詐欺だ。
そして夫人への侮辱は家への侮辱。格下のアスタル家が許されるものではない。
そう厳しい表情でフィルが話し、己の決意を固めるかのように深く息を吐いた。纏う空気も声も、普段の彼らしからぬ、それでいて名家を背負う男の重みがある。
「フィル、貴方立派になったのね。アルドリッジ家は貴方が継げば安泰だわ」
イザベラが甥の成長に感動の吐息を漏らす。
「頬を撫でてもいい?」と軽く手を上げるも、さすがにフィルが首を横に振って断った。
隣で話を聞いていたレイラも「フィルの言う通りだわ!」と怒りと同時に同意を示し、ルーシーもどうするのかとフィルに尋ねる。
もっとも何をするのかと問われても、フィルには具体的な考えは無いという。途端に普段の彼らしい表情に戻り、先程の威厳もどこへやら肩を竦めて「これから考えるよ」と苦笑を浮かべた。
そんなやりとりを眺めていたエドワードが「よろしいでしょうか」と発言の許可を求めた。
誰もが視線を向け、彼の続く言葉を待つ。
「アスタル家の事を調べていて、とある噂を耳にしました。真偽は定かではありませんが、確かめる価値はあるかと」
口角を上げ冷ややかな笑みを浮かべ、エドワードが『噂』の内容を話し出した。




