表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/21

八話:水落石出・後 気の使い様


 壺中仙は、天仙の中でも身分が高い。


 天上の都を守護する結界の一端を担い、仙境を創り出して地を治め、更に気脈の管理も行うからだ。実力は間違いなく神仙の類である。しかし、代々天籍を好む変わり者が多かった。


 故に外出する事は稀である。


 ただし例外は居るもので、春中しゅんちゅうの地を封じる斑晶がその人だ。三日と経たずに月帝つきがみ廟社びょうしゃを訪れて、しかも長々と陳情をする。恨みでもあるかのように執念深い実力者は、もはや有名人となっていた。


 そんな渦中の彼が、最近は役府を訪れる。


 初めて声を掛けられた官吏かんりは、璃君をおそれてその場で失神。代理に就いた新人は、気安く話しだした為、見ていた先輩達を医務室送りにし、後日事実を知った本人は旅に出た。


「戸籍簿を。瑠璃の仙境だ」

「只今!」


 斑晶が声を掛けると、官吏達は真っ青になる。この事について本人は、先代も同じ対応をされていた為、気にも留めていなかった。倒れそうな顔色で帳簿を持って来るのも、何時も通りだ。


「こちらでございます」


 ただ長居すると、役人達は本当に倒れる。それだけは確かな事なので、斑晶は黙って必要な場所に目を通す。織実の名が記されているところだ。氏名以外は白紙の戸籍。そのはずが、何者かに文字を書き足されていた。


 天仙位。予想外の三文字だった。まさか、と嫌な予感が込み上げる。すぐに戸籍を閉じたところで、天界の隅に白慈の気配を感じた。


 胸が騒ぐ。仙境に異変は今も無い。火急の用であれば、何かあったのは住人だ。十中八九、織実だろう。斑晶は直ぐさま踵を返し、役府を出ると白慈を近くに呼び寄せた。




 ぼんやりと見える桃色の花。冷たい空気。織実は薄目をまたたいた。眩しい日差しに瞼を閉じると、うつつと夢が行き来して、気泡が虚しく昇っては、降る花びらの鮮やかな色。


「うぅ…………」


 日の高さ的には昼過ぎだ。起きて昼食を作らねば。そう思っても、身体が重くて動かない。近くに白慈を探したのだが、桃木ばかりの屋外だ。地面に見える光の波紋で、どうやら裏山だと渋面になる。


 何てところに置き去りに。白慈を見つけ次第、文句を言ってやりたい。寒くて凍え死にそうだ。


 せめて指先だけでも、と力をいれる。まるで何かに、押さえ付けられているような感覚がした。これが噂の金縛り? だったら念仏…………いや、幽霊に知り合いなんて居やしない。動かず出来て、暖かい…………璃君の顔が頭をよぎる。気とかいうアレなら、今の条件にぴったりだ。


 熱くて嫌な感じはするものの、凍えるよりはマシである。やる価値くらいは、あるだろう。


 一度死にかけたって、助かった。二度目の危機を諦めて過ごすなんて、もうしない。問題は、指先が熱くなる、なんて想像だけでは何も起きない事だ。料理中に垂れ流すならと、厨房を思い出してみても無反応。脳裏で璃君が、次、と無常な声を出す。


 こうなったら、回してみよう!


 スパルタ教師に叩き込まれた、右手から肩へ。左肩から左手に行き、指先から先に人は居ないが、右手の指先に繋がればいい。ともかく再現を試みる。


 文字も画像も、地球の裏まで飛ぶ時代。気だか何だか知らないが、人ひとり分の距離は飛んで欲しい。


 半ばやけくそ気味に、手の熱さを思い出す。肩に抜ける、息苦しさやもどかしさ。絶対やり返そうと睨んだ時の、璃君の涼しげな顔まで浮かび上がって、身体に力が入る。息、と何度も注意を受けた。空気は冷たい。出来るならば、吸わずに居たい。


 もちろん無理な相談だ。


 だから吸うのは少しだけ。吐く時は無駄に長くして、呼吸の回数をちょろまかす。


 気というものは、ちっともサッパリ分からない。


 それでも集中したら、瞼の裏に夢は見ず、体温はいくらか上がったようだ。怠いながらも身を起こす。


「…………き、効いた?」


 スパルタ効果、凄すぎる。ただし、二度と受けたくない経験だ。自己鍛錬で頑張りたい。ともかく寒いので、覚束おぼつかない足取りながら下山する。


 すると下から、朱鬼とミカンが石段を登って来るではないか。彼らに限って、空腹という事は有り得ない。水の石切りに一直線だ。


「げ」


 構いたいのは山々だが、今はマズい。白慈はおそらく、璃君を連れて来るだろう。石なんて投げているところを見られたら、絶対に怒られる。罰として気功訓練などと言われた日には、いよいよ泣くかもしれない。


 織実は迷わず山道を外れて、桃木の裏に身を隠す。


 ところが獣の鼻は敏感だ。樒が居る、とミカンの弾んだ声がした。溜息が出る。仕方なく幹から顔を出し、ヒラヒラと手を振ってみた。


「見つけたぞ!」


 オレンジ色の小さな狐が、宙を駆けて飛んでくる。小動物に懐かれて、嫌な気分には、やはりなれない。しかし彼の好物は魂だ。そろそろ大根とかに、変わらないだろうか。


「樒、無事か!? 白慈に喰われたかと思ったぞ!」

「むしろ、あたしが喰う側だから」


 適当に言い返し、ミカンを両手で確保する。高い体温が心地良い。防寒に毛皮は摂理のようだ。


「ミカンあったか…………お昼食べなきゃ」

「俺はオマエの子分だぞ!」

「ミカンは食べない。朱鬼も」


 道に戻ってそう言うと、ぷっくりと膨れても美少女な朱鬼は、可愛い文句を言い出した。


「朝からうわの空だし、話も聞いてくれないし、勉強も見てくれないし、様子見に行ったら、担がれて裏山行っちゃうし!」

「ご、ごめん」

「樒なんて、食べられちゃえば良いのよ!」

「ごめんって、ほら、お昼にしよう?」


 機嫌を取りつつ背中を押して、ついでに肩を借りながら、何とか無事に下山する。厨房に向かいながら菜花を手折り、野蒜のびるを見つけて引っこ抜いく。


 ふと隣を見ると、朱鬼が蒲公英たんぽぽを摘んでいた。


「手伝ってくれるの?」

「これくらい出来るわ」

「朱鬼えらい!」

「俺だって!」


 ミカンが壁を越えて飛んでいく。何処まで行くのだろうか。不安になって空を見上げて、織実はそのまま固まった。上空に人影がある。不在の二人に違いない。


「朱鬼、璃君が飛んでる」

「えっ!」

「隠れる!?」

「気付かれてるわ」


 呆れ顔で言われた。それなりに距離がある上、まず行くなら裏山だろう。織実は性懲りもなく、桃木の陰に移動する。


「樒」


 しかし低い声に呼び止められた。速い。もっとゆっくり飛んで欲しい。


「は、はーい」


 愛想笑いで答えてみるが、璃君に隠し事は不可能だった。


「倒れたと聞いた」

「元気です!」


 ヤバいと言ったら、何をされるか分からない。無遠慮な視線に観察されて、笑顔が早くもりそうだ。後ろに控える白慈まで、疑いの眼差しを向けてくる。


 主従揃うと余計手強い。鬼に金棒。よし逃げよう。


「お、おひる時なので、用件は後程〜」


 我ながら苦しい言い訳だ。疲れのピークは、既に何個も越えている。余計な体力は使えない。地面に野蒜を探しながら、じりじりと後ろに距離を取る。


「まだ空腹を感じると?」

「そうですよ〜」


 実はその辺りが、微妙でとても残念だ。あのマズイ薬は、余計なところに効いている。


「白慈、氷室から白菜を」

「かしこまりました」

「樒」

「はい?」

「鍋物くらいなら、作れる」

「鍋くらい、あたしだって作れます!」


 璃君にやらせたら、何が混入するか分からない。薬湯の件は、しっかり深く、根に持っている。そもそも料理をするようには見えないし、彼が作って、一体誰が食べるのか。同じ事を思ったのか、朱鬼と目が合う。彼女の返事は否一色だ。


「立ち仕事など、今の其方には出来まい。朱鬼」

「っはい!」

「大鍋に湯を沸かして来なさい」

「分かりました!」


 ぎゃっという顔をした朱鬼は、脱兎のごとく逃げて行く。薄情者、と心の中で叫んでいると、衣をさばいて璃君がこちらにやって来た。呆れた溜息が降ってくる。


「碌に立てもせぬ身で、よくも下山したものだ」


 見ていたんなら、その時、声を掛けて欲しい。織実は負けじと睨み返した。


「昼抜きはゴメンです!」

「無駄に気を散じたな」


 こちらの話しなど、聞く気もないか。なのでもう一度、昼抜きはゴメンです、と主張する。溜息を吐かれたが、そんなものでは萎縮しない。昼抜きは、と三度言いかけたところを、片手を上げて制された。


「其方は、かたくな過ぎるぞ」


 相手も強情なのだから、釣り合いはきっと取れている。イライラしてきたので、璃君を放置し野蒜採集を再開しよう。球根は相変わらず小さいけれど、葉は若くて食べやすい。鍋なら、ニラの代わりに良いだろう。


「樒」

「…………はい」

「無理を重ねれば、身を崩す」

「食べて寝たら、治りますから」

「同じ様に眠れると?」


 考えたくない事を、突き付けられた。ただの悪夢が、死後の夢。そうと分かれば、寝るのに覚悟が要るだろう。


 だから目指すは爆睡だ。疲れで悪夢を退ける!


「樒」

「はいはい」


 呼ばれたが、視線は地面から動かさない。璃君よりご飯だ。この、堅い意志を見るがいい!


「其方は何故、庭草を好むのだ?」

「雑草みたいに、言わないで下さい!」


 聞き捨てならない事を言われて、言い返す。食せるのは知っている、と璃君は平坦に答え、隣に屈む気配がした。まさか手伝って、と淡い希望を抱いた織実は、地面から横抱きで引き離された。


「なっ、何するんです!」

「待てぬ」

「はぁ!?」


 絶句した。そこまで待たせても居ないのに。今すぐ暴れてやりたいが、摘んだ菜花と野蒜は身体の上だ。尊い犠牲になってしまう。


「ぐぬぬ」

「暴れぬように」

「分かってますよ!」


 その、やれやれという顔は何なのか。こちらは、一歩間違うと羞恥で死ぬというのに。別の事を考えようと目を閉じる。そのまま意識が、転がり落ちた。


 ドボリと両足が泥水を踏む。あの状態で即オチするとは、間抜けすぎて信じられない。


「くっそー! 夢がなんだー!」


 織実は猛然と泥を甕に掻きだした。死後の夢に悩まさるなど、辛すぎる。現世を生きるのだって、大変なのに!


「死ぬ前に、足掻けってのッ」


 死んでから助かりたいと、はた迷惑な置き土産。もはや、負の遺産ではなく、たたりか呪いに違いない。絶対に、助けてなどやるものか。


「うりゃゃゃー!」


 手に持つ甕に勢いを付け、池の方に投げ捨てる。こうなったら埋まるのを手伝う方が、数倍マシだ。断固抵抗を掲げ、骨皮ほねかわすじ右衛門も真っ青な夢の住人から、甕を奪って投げ捨てる。


 痛いし苦しい。皮膚が溶ける感覚もある。けれども今は、やるせない怒りの方が強かった。


「過去は大人しく、埋まってろーっ!」


 落雷のような轟音に、夢は白く焼かれて消えていく。眠れば何度も繰り返し、地獄の苦しみに襲われた。けれども今日からは、悪夢と気力が尽きるまで戦ってやる。織実は夢に対して、初めての全面抵抗を誓った。




 どれくらい繰り返しただろうか。疲れて麻痺した身体を、誰かがゆさゆさと揺らしている。


「樒、起きて下さい。樒っ!」


 見えた檸檬れもんの双眸が、安堵に緩んで離れて行った。


「白慈?」

「他の誰だと。ともかく、起きて下さい」


 そうは言われても、辺りは夜より真っ暗だ。白慈だけが、薄っすらと光ってよく見える。


「どこ?」

「夢の境目です」

「え、起きてないって事?」

「そうです。目覚めるよう、迎えに来ました」

「白慈すご! 今すぐ起こして!」


 そろそろ、気力がたないところだった。助かった、と喜びに両手もろてを上げて讃えていると、彼の機嫌は下がったらしい。何故だ。地雷原が広すぎて、話す度に踏み抜いている。


「ええっと、褒められるの、嫌?」


 今後の参考に聞いておく。白慈は気まずそうに視線を彷徨わせてから、肩を落とした。


「貴女と居ると、心が動くのです。不快で仕方ありません。やり過ごせたものが、上手くいかない」

「やり過ごすって、ダメでしょそれ」


 何故、みたいな顔をしないで欲しい。心をフル活用して戦った後に、トドメを刺しに来た悪魔のようだ。こちらの苦労を語りたい。


「うーん」


 ただ、白慈が素直に話す事は珍しかった。怒る元気も、今はない。何か言えと無言で訴える彼に、織実は少し悩んだ。


「えっとねー、何て言えばいいかな。ほら、考えて動けるって、良いと思わない? 納得するのも、悩みを消化出来るのも。心が動かないって、疲れてるだけでしょ? 最近あたしも手伝ってるし、仕事に余裕が出来たとか」

「冗談はやめて下さい」

「えー、重い話は得意じゃないし。動くものは動くで、良いんじゃないの?」

「…………本当に貴女は、素直ですね。いっそ憎らしいです」

「どうして!」


 頑張って励ましたのに、八つ当たりをされるとは。やっぱり、見た目通りの年齢なのかな。仙人じゃないと言うのだし、もう子ども扱いで、良いような気がしてきた。


「白慈はさ、人の為に仕事しないで、自分時間でも作ったら? 趣味でもあると、人生楽しいよ?」

「趣味など必要ありません」


 心底嫌そうな白慈の顔を見て、織実は肩を竦めた。


「手伝ったげる。趣味はいいよ。あたしの趣味は」

「嫌がらせ」

「違う!」


 なんて事を言うんだ。確かに、可愛い性格ではないけれど。それが自分であって、好きな生き方を選んだ結果。好かれる人格に矯正したって、きっと何処かで壊れてしまう。自傷趣味は断じて無い。


「器用に生きるなんて、あたしじゃないの。一匹狼になったって、自分の生き方を、自分で否定したくない。白慈だって、そうじゃないの?」

「僕は…………」

「見た目が九割! 見せてる性格は、外見です!」

「本当に口が減りませんね!」

「黙っていたら死人と同じ」

「先程、死屍(しし)に鞭打つとこをろ、見ましたが」

「死んだ自分に、散々悩まされてたのかと思ったら、頭きた」

「…………」


 何故に黙るのか。白慈だって、割と口が減らないくせに。無自覚か?


「ひとまず、そろそろ起きたいです」


 寝ていて気疲れ、割に合わない。悩める白慈には、ぜひとも起きてから悩んで欲しいところだ。提案すると、彼は首を横に振った。


「璃君に、少し寝かせるよう言われています」

「どういうこと?」

「夢を抑えていれば、少なくとも魘されはしません」

「あたしって、今どうなってるの?」

「正房の長椅子で眠っています」

「えっ」


 言葉に詰まる。起きたら、また寝る事になってしまう。布団まで璃君に、強制連行されるのはイヤだ。一緒に寝たって、多分何も起こらない。彼は先に寝息を立てるくらい、こちらの事など気にしないだろう。


 それでも嫌だと思う気持ちが、理由の分からない不安を呼んだ。


「…………寝てる」


 璃君に対しては怖じ気付く。初めは家主、最近変だと心配になり、探った結果は夫と言われ。どう向き合ったら正解なのか。頭をかかえる。


「璃君の何が不満なのです?」

「白慈はさ、あたしと一緒お布団入って平気なの?」

「平気も何も、璃君のめいがあればそうします」

「だったら朱鬼は?」

「命じられれば」

「ミミ!」

「構いませんが」

「情緒!!」


 見事に話が通じない。ぐしゃぐしゃ頭をかいて、項垂れる。やはり起きよう。璃君に貞節を訴えた方が、まだ会話になりそうだ。この問題は、一人でどうにかなりそうもない。


「貴女は寝ても覚めても、変わりませんね」


 呆れたような顔で、白慈はつぶやいた。夢の中では理性が鈍く、性格を飾る事は出来ないと。それで彼は、普段よりも話すのか。納得したが、自白剤を飲まされた気分だ。


「やっぱり起きる。もう起こして」

「…………まだ眠るよう言っています」

「んん? 璃君に、ここの会話が聞かれてるの?」

「いいえ」

「お腹減ったから、起きたいって言って!」


 白慈は少し黙ってから、こちらに近寄り、手首をガッジりと掴んできた。そのまま引かれた織実は、声無き悲鳴を上げならが飛び起きる。手首をすぐに確認だ。痕はない。


「掴まれたのか」


 静かに聞いてきたのは、璃君だった。一つ頷いてから、部屋を見回し、正房の居間だと安堵する。白慈は、長椅子の端に突っ伏して眠ったままだ。


「あの、ありがとう、ごさいました」

「休めたなら良い。礼は白慈に言うことだ」


 璃君は白慈を抱き上げて、大きな机の向こう側、奥の長椅子に寝かせに行った。長椅子と言っても畳一枚分はある大きさだ。ゆっくり休めるだろう。


 ふと窓の外をみると、既に真っ暗だった。今日は遂に二食抜き。それでも空腹を感じないとか、だいぶ人外じみてきた。


「どうなるんだろ…………」


 漠然とした不安は、何時もある。気が抜けた時、するりと何処かから入り込む。


「樒」

「はい?」


 呼ばれて顔を上げると、璃君はこちらにやって来た。が近い。逃げようとしたところで、抱き上げられる。


「お、降ろしてください!」

「裏山へ行く」

「今から!?」

「そうだ」

「そうだ、じゃないです! 寒いんですよ、あそこ!」


 璃君はスタスタと部屋を出て、触れもせずに扉を開くと内院にわに出る。逃がさない、という意思を感じた織実は、いよいよ青くなった。


「せめて昼間に! 死にそうなくらい、寒いんですって!」

「其方は、仙境との親和性が高い。故に、あの場は最適だ」

「適してません! 寒いんですよ!」

「身の調和が崩れている。それを正し、過去の因縁を全て絶つ」


 恐ろしい程、話が噛み合わない。璃君はふわりと浮かび上がって、屋根を蹴ると裏山に一直線だ。吹く風に氷の粒が混ざるような、鋭い冷気が肌を刺す。


「さ、さむい」

「歯の根が合わぬか?」


 そう言われると、口に異常は見られない。だが本当に寒いのだ。


「性質と身が合わぬ。故に、形を一度解き、内外の質を整える」


 話の内容まで、分からなくなってきた。もう遠慮もしていられず、璃君の首に腕を回してしがみつく。


「風邪引いたら、恨みますから!」

「薬なら幾らでも」

「いりません!」


 本気で言ったのに、吐息が笑う。しかも、着いたから離せと言ってきた。頼んでも降ろさなかった人の意見は、断固聞けない。抱きつく腕に力を込める。


「樒」

「寒いんですよ」

「こうしていても、暖は取れぬぞ」


 やれやれという璃君の声音に、白星を取った気分になった。嬉しくなってそのままでいると、突然ぎゅっと抱きしめられる。


「成程。其方は暖かい」


 囁かれて、寒さがどこかに吹き飛んだ。まさかやり返してくるなんて。歩幅すら合わせてくれない、あの璃君が!


 慌てて腕を離す。しかし体勢を変えられて胸に抱き込まれた。スルリと髪を撫でられれば、もう頭は真っ白だ。


「まっ、まいりました!」


 即、白旗を上げる。これ以上何かされたら、自分がどうにかなってしまう。しかし相手は璃君だ。簡単に引き下がりはしなかった。


「術が満ちるまで、待て」

「このまま!?」

「そうだ」

「寒いんですか?」

「寒かったのは、其方であろう」


 諦めが悪い。しかもこの状況を、何とも思っていないのだ。体格差は大人と子供。色めいた嫌がらせなんて、しなければ良かった。初めから勝ち目が、何処にもない。


「もう寒くないので、離してください」

「逃げられては困る」

「は?」

「其方は、術の中心に居なくてはならない」


 抱擁ではなく捕獲だった。璃君が力づくの時に、良かった事など一度もない。火照ほてった顔から、血の気が引いた。


「な、なにをするんですか!?」

仔細しさいは、因縁いんねんの中で話す」

「なぜ!」

「…………」


 黙った。何か言えば、即反撃の璃君が! いよいよマズいのではと身構えた時、辺りが明るく輝き出した。振り向きたいのに、璃君の袖が視界を隠す。


「其方はただ、眠っていれば良い」







水落石出すいらくせきしゅつ


物事の隠れていた実体が、はっきりと分かるようになること。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ