八話:水落石出・中 気の使い方
色のないの風景の中に、織実はぽつんと立っていた。モノクロの世界は妙に落ち着く。地面は白くひび割れていて、風もカラカラに乾いている。奇妙な音を立てるのは、枯れ枝を地面に突き刺したような細い木だ。
夢を見ている。
それに気付いて、辺りをぐるりと見回した。荒廃した土地の廃村のように寂れた場所だ。何処だろう?
覚醒が近いのか、自由に動ける。せっかくだから探索してみるか。
しかし村に人はもちろん居らず、遠山は白く霞むほど彼方だ。窓の隙間から家屋を覗いてみると、意外にも生活感が満載だった。壁に寄り掛かったら壊れそうな家で、まだ生活しているらしい。
変な夢だと思う。会話や感情に訴えるような物が、何もない。六軒ほど覗いて飽きてしまい、気まずくなって頭をかいた。まだ目は覚めない。空は真っ白で、恐らく晴れているのだろう。覚めない系の悪夢かと、頬を摘まんでみる。割と痛い。
「痛い?」
ぱちりと目を開く。そこは幕の閉じられた、寝台の上だ。すんなり起きられて安堵する。そう思う程に、意識がしっかりとしていた。
朝から重だるい上体を起こせば、水色の袖に目が留まる。璃君はどうやら、貸した上着をそのままにして帰ったようだ。うっすら寝汗をかいているので、まずはそれを脱ぐ。当然の結果だが、シワがすごい。
「…………」
少し悩んで、洗って返すと結論を出し、寝台幕を景気よく左右に開けた。やや高い日差しに、異国情緒あふれる部屋の極彩色が目に痛い。璃君が居るので頭も痛い。
「お、おはようございます」
「おはよう」
姿勢良く椅子に座っていた仙人様は、昨夜と同じ格好だ。まさか一晩中、と嫌な予感がわいてくる。彼に限って、心配だから、は無いと思った。思いたい。では何故居たか。
「夢見は?」
恐らく、悪夢を見ているのか観察されたのだ。織実は眉を寄せた。それなりにあったらしい一線は、彼の中で無くなったようである。もうスッパリと。
「魘されてました?」
「いや」
「見ない時もあるんですよー」
そういう事にしておこう。朱鬼ではあるまいし、魘されている姿が面白い、などとは言わないだろうが。寝落ちさせられた上に、就寝後まで観察されて、良い気分には決してなれない。むしろ、即追い出さないだけ寛大だ。
「如何程か」
寝台の上で、悶々としていたのが悪かった。璃君は立ち上がると、こちらにやって来て、躊躇なく寝台に腰掛けた。織実の逃走経路は、見事絶たれる。
「頻度は?」
視線を逸らす。一度目は、璃君に額を突かれた夜。二度目は昨夜。これを言ったら、また同じ目に遭いそうだ。
「二度」
璃君の声に、ぎくりと肩が跳ねた。青い瞳が細くなる。言い逃れは出来ないと、織実は諦めて頷いた。
「…………多過ぎる」
「もとからですって」
肩をすくめて答えると、座った目つきで睨まれる。悪夢とは、笑うしかないような付き合いだ。起きている時くらい、笑い事にしておきたい。
「今宵は」
璃君は、茶化そうとした織実をじっと見つめて、言い切った。
――――共に寝る。
とんでも発言を聞かされた織実は、氷室野菜の大盤振る舞いで朝食を終えると、調合部屋に駆け込んだ。
「白慈助けて!!」
「帰ってください!」
「今日こそヤバいって!」
「璃君に頼めば良いでしょう!?」
「璃君がヤバい!」
そこまで言うと、やっと作業の手を止が止まる。今日は何かを磨り潰していたらしい。毎日飽きもせず、よくやるものだ。
「何なのですか、今度は」
「あたしの、悪夢調査がしたいからって…………一緒に寝るって言われた。もう末期!」
思いの丈を白状すると、白慈は驚いたように目を見開いてから、納得顔で頷いた。
「問題ないのでは?」
「…………ま、まさか、知ってる?」
あの、璃君大好きっ子な白慈だ。怒り狂うと思った。あわよくば、止めてくれると思ったのに。
「ご夫婦で共寝、問題無いと思われますが?」
勝ち誇ったように笑われる。ヨロヨロと後ずさる織実に、彼はその分詰め寄った。そこからは、小姑のようなクレームの嵐だ。祖母から、小姑一匹鬼千匹と聞いた事を思い出す。
「え、えぇぇ」
しばらく終わらないだろう。白慈は璃君が大好きだ。何を犠牲にしても優先するし、妻なら当然それくらいしろと言ってくる。敬愛も極まると崇拝だ。璃君教に洗脳されそうで、そっと目を逸らして怒られた。
勘弁して欲しい。いっその事、愚痴でも聞いてやろう、という上から目線で構えてはどうか。
「聞いてますか!」
「聞いてる聞いてる〜」
見事に、逆の耳から抜け出ているが。白慈はジトッとした目を向けてきた。
「え、なに?」
「貴女が黙っているなんて」
ふと我に返ったのか、気まずそうにそっぽを向いている。行動が、何となく璃君に似ていて面白い。少し笑ったら、また睨まれた。
「ごめんごめん。璃君好きだなぁって、思っただけ。他に言う事は? あたしは平気だよ?」
「…………平気」
「そ。だって、白慈の気持ちを聞いたって、あたしは、あたし。君は君。僕は僕ってね? 都合の良いやつしか好きになれないんじゃ、友達なんて作れませんよ〜」
「僕を友だと?」
「親戚でも他人でもなきゃ、友でしょ!」
「簡単に言って…………!」
彼のキレどころは、相変わらず不明である。織実は首を傾げた。
「だって簡単でしょう? 自分の気持ちだもん。白慈がそう思ってくれているかは、別問題」
言い過ぎたのか、今度は黙り込まれてしまった。仕方なく、おどけたように言ってみる。
「でも、怒るって事は、脈がありそう!」
「ありません!」
「そっかな〜?」
友を否定しない時点で、既にニヤけ笑いが止まらない。
そんな顔をしていたせいか、案の定再び睨まれた。しかし、ムスッとしながらも腕を組み、取り繕おうとするところは、ちょっと大人だ。切羽詰まっていなければ、からかいたいのに残念だ。
「…………で、どんな夢を見ているのです?」
「ゆ、夢? うーん、川作ってる」
何故に、それを聞くのだろうか。反撃なのかと思ったものの、璃君に同衾されるより、ここで解決すれば万々歳だ。
「臭し、痛いし、ドロドロになった川の水をさ、みんなで汲み出してるんだよね」
「それは本当に、川なのですか?」
「川。絶対に、川!」
「…………みんなと言いましたが、他の方は?」
白慈はちゃんと、真面目に考えているようだ。それは勿論有難いのだが、考えてどうにかなるのなら、こんなに苦労はしていない。
「他の人ねぇ…………すっごい痩せてて、ボロボロの着物みたいなの着てるけど」
正直言って、骸骨に皮と服を被せたような不気味さだ。思い出して溜息が出る。
「樒。今ここで、寝てみませんか?」
「眠くない!」
即答したら、白慈は少し考えてから手を打った。眠れる薬があります、と。まったく、人を何だと思っているのだろう。座った目を向けてしまったが、割と本気で、同衾はご遠慮願いたい。
気まずいし、それを誰かに知られて指摘されたら、どんな顔をすればいいのだろう。
「昼までには、起こしますから」
「うーん」
「気付けの香を焚きましょう」
「魘されてたら…………」
「なるべく早く起こします!」
織実は仕方なく頷いた。足取り軽く、白慈は薬箪笥の部屋に入って行く。乗り気過ぎではなかろうか? 複雑な気分だ。眠れば確実に見るだろう。
じっとして居るのも滅入るので、部屋の中をうろうろ歩く。逆さまに干された草や木の実。人参かゴボウのようなもの。それに交じって、干し柿や干し椎茸といった見慣れた乾物もぶら下がっている。
「お待たせしました」
白慈は何故か、香炉を持ってやって来た。けぶるような甘い香りが漂っている。
「それが気付け?」
「いいえ。これは冥府から送られて来た、香木でして…………」
ドボンと足が泥水に浸かった。痺れるような痛みに、何かが腐ったような悪臭がする。夢だ。織実は辺りを見回した。
白黒だった世界が、セピア色になっている。より現実味のある雰囲気に、何て事をしてくれたんだと、ゾッとした。
音や痛み、臭いもずっと鮮明だ。吐き気がこみ上げる。足元の川をよく見ると、土砂で流れをせき止められているようだ。空には暗雲。時々走る稲光。急げと男の声がする。
織実は何時ものように、素焼きの甕を手に持つと、そこに泥を押し込んだ。皮膚が赤黒く爛れていく。痛い。苦しい。早く流れを戻さなければ。焦燥に理性が支配され、狂ったように泥を掻く。
早く、早く。このままでは息が――――
「樒!」
白慈の声に飛び起きる。胸が早鐘を打っていて、荒い呼吸に、涙で視界がぼやけて見えた。
「死夢ではありませんか!」
無理やり身体を起こされて、水の張られた茶碗を、押し付けられるように持たされる。いいから飲めと強めに言われ、一気に喉へと流し込んだ。清涼な風が吹くように、不快感が飛ばされていく。
「神水です。すぐに落ち着くでしょう」
「あんがと」
擦れた声が出た。織実は自身の喉を撫でてから、呼吸の自由を噛みしめる。死ぬかと思った。いくら泥を掻き出したって、苦しいわけだ。川下には大きな池がある。そこから水は逆流し、辺り一帯を泥の海にしていた。
山から流れたであろう、大きな岩や流木。そして大量の土が、川と池を襲ったようだ。土砂崩れだろう。それに流され、埋まってしまった。
「前生の思念でしょう…………貴女は、あの池の底で亡くなっていますよ」
白慈が苦々しく言う。助けて欲しくて泥を掻く、死に際の執念が見せる夢なのだと。強烈な訳だ。
「どうしたらいい?」
「現在の場所を特定し、清めるのが良いでしょう…………ですが僕には、そこまでの力はありません」
「…………璃君に言うしかない?」
「確実です」
「代案!」
結局、同衾問題が解決しない。いっそ、朱鬼の部屋にでも行ってしまおうか。ミカンなど薄情なもので、朝の「璃君デリバリー」が始まって以来、朱鬼の部屋から帰って来ない。
「あ」
そこで思い出した。今朝は、薬を飲まされていないのだ。仙の薬などと言ってはいたが、効かない事に気付いたのだろうか。何故?
「白慈って、どうやって人の夢を覗いたの?」
「額を合わせれば、大抵は」
「仙人こわい」
愕然とした。つまり昨晩、夢を覗かれた可能性がある。それで薬を中止したと?
「僕は仙ではありません」
ぐぬぬと悩んでいると、白慈までおかしな事を言ってきた。彼はどう見たって、翡翠に青い紐飾りのある佩玉を下げている。白慈と自分、璃君にミミ。全員お揃いだ。それを指さして首を傾げる。
「これは天籍を示すものですよ。人ならば仙、獣でも仙となる事はありますが」
「どういうこと?」
「璃君に仕えているので、天籍もある、というだけの事です。僕はそういう者なので」
「え? 教えてくれないの?」
「秘密にすると決めました」
「いつ!?」
「今」
「なっ!」
普段の仕返しを、こんなところで。気になって白慈を見詰めるが、仙人にしか見えない。白っぽい長髪に、透けるような黄色の瞳。朱鬼みたいな毒々しさは見当たらず、ミカンのように獣でもない。色彩的に人外な、ミミとも違う。
「じゃぁ、仙人って事にしとくから!」
精神衛生上、それが一番だ。今更、実はバケモノですとか知りたくもない。本人も言う気が無いのだし、好きにさせて貰おう。
「貴女は、変なところで素直ですよね」
しみじみと言われたが、大きなお世話だ。日の高さから、そろそろ昼の支度時である。
「今日はありがと、お昼良かったら来てもいいから!」
「行きません」
普段通りの即答だ。少し安心して力が抜ける。そのまま視界が傾いた。
「樒ッ!」
叫ぶ白慈の声を最後に、織実の意識は暗転していった。もう夢は嫌なのに。起きようとする意志を、深い闇が飲み込んでいく。
「樒! しっかりして下さい!」
白慈は抱きとめて叫ぶ。蒼白になって、すぐに織実と額を合わせた。先程はすんなり入れた夢の世界。しかし入る事すら出来ずに、弾き出される。明らかに格上の神力だ。
「これは」
手に負えない。すぐに抱きかかえて部屋を出た。運の悪い事に、璃君は現在留守である。蝕む死夢から、少しでも守ってやりたい。その一心で裏山に駆け登った。清すぎるが故に封じられた場所は、彼女にとって最適だろう。
「樒」
もう一度呼びかける。普段の生意気な口は閉じられていて、気になりもしなかった、顔色の悪さに気付いてしまう。何かあったからでは遅いのだ。知っていたのに。
山の頂に織実を寝かせ、白慈はすぐさま人の姿を解いた。真珠のような鱗をもつ、巨大な蛇が現れる。仙境の外に出られる姿。それも天界に行くのなら、確実な方がいい。主と同じ姿を取れない事を、悲しむ余裕はもう無かった。
ゆらりと鎌首をもたげて空を見る。
白蛇が空を飛ぶ姿は、龍と見紛うように美しかった。




