刑務所内自殺人事件 5
「正直に言うね。グォシュヌイのアレを飲むなんて君は大馬鹿者以外の何者でもないよ」
医師の真っ当すぎる指摘に、ユイはお腹を抑えたまま項垂れる。
隣にいる護衛のレナートもほら見ろ、と言わんばかりの呆れた視線を向ける。
ヤコブ警部やロッソは医務室全体を観察していた。キェシェニは刑務に戻るよう指導しているため、この医務室には医師と作家と護衛、警察看守それぞれ二人ずつしかいない。
刑務所『ヤド』の医務室にいる医師は信じられないものを見るような目でユイを見るが、否定できないほど信じられない行動をしていたため、誰もユイを庇わない。
当然な感情を向けられたユイは素直に謝りながら薬をもらった。
「胃酸を抑える薬を出しますから、常温のお水で飲んでくださいね。冷水は胃を刺激するのでダメですよ。
ミルクを飲んだりして胃壁を保護したり、消化に良いものを食べたりしてくださいね」
医師は魔術で浮かしたペンをカルテに走らせながらユイに薬を差し出した。
お腹を抑えながらユイは片手で受け取る。
「パヴェウ先生、ありがとうございます」
名札を見ながらお礼を言うユイに、医師——パヴェウはどういたしましてと形式じみた言葉を返す。
「そっちの君は大丈夫なのかい? 君も飲んだみたいだけど」
ユイと一緒に劇物珈琲を飲んだレナートにもパヴェウは状態を確認する。
彼のこうした対応が、この刑務所内で「何もなくてもお話がしたい」と話しかける受刑者がいるほどの人気を得ているのだろう。まあそんなふざけた連中は看守で追っ払っているが。
「ご心配なく、変換で対応済です。お気遣いありがとうございます」
レナートの返事を聞いたパヴェウの焦茶色の目が細くなる。
笑うような細さではない。相手の一挙一動を身逃さない、と警戒するような鋭い細さだ。
「君……あの『黒い悪魔』だね?」
「私のとーっても優秀な護衛ですよ」
「こんなのをとっても優秀って評する時点で君頭おかしいでしょ。彼が何をしたのか知らないの?」
「戦争を終わらせたよ。四百年も続いた戦争をね」
パヴェウは唇をまっすぐ横に閉じ、机に置いていた飲み物に口をつける。ユイの言うことは事実なのだが、パヴェウが欲しいものではなかったみたいでユイから目を逸らした。
恐らく、黒い悪魔としての所業を言いたかったのだろうが、偉業を言われて何も言えなくなったのだろう。確かにその偉業を言われたら何も言い返せない。
ユイは持参していた水筒で薬を飲み、椅子に深く座り直す。
「グォシュヌイの珈琲について、知っているようだけど……注意したりはしなかったの?」
「いや、彼かなりの頑固者だったからね。下手に抑え込んでも意味がないから、一回それで痛い目を見るまでは様子見でいたんだよ。従弟みたいに八十九回も刺されたくはないからね」
空気が、しわを無くすための布みたいにピンと張られた。看守間の中では既に知っている情報だが、警察やユイは初耳だ。この空気は、彼らが生み出したものだ。
「グォシュヌイの被害者の、親戚だったのかい?」
「ええ。許してはいませんが、彼のことは恨んでいません。あいつはへらへらしていて、約束事に関して非常にだらしのない男でした。グォシュヌイの許容範囲が狭すぎる、と何度も愚痴っていましたが……」
パヴェウは、目線を右に左に揺らす。唇を噛んで、何かを躊躇っているようだ。
迷っていた心が決まったのか、パヴェウの閉じた口が開いたのは、時計の秒針が一蹴した頃だった。
「……従弟を殺した奴を知りたくて、適当に情報提供の手紙を書いてかかりつけの病院に出したことがあるんです。
返ってきた手紙を見て……最初は驚きました。彼の性格がああなるのも納得の酷さでしたから。咳や喘鳴が酷く、チアノーゼや呼吸困難などの重傷発作が頻繁に起きていたと。そのせいで入退院をしょっちゅう繰り返してた。簡単に言えばですけど、そういったことが書かれていました」
「家計圧迫してそー……」
率直すぎるユイの感想に、保険適応でそこまででかかっていないと思う、とパヴェウは真面目に返す。
医者であるパヴェウが驚くほどだ。異常な回数の入退院は本人にとってかなりの負担だったのは間違いない。
——彼奴の人格形成に大きく影響を与えるのは確かだ、て遺族が納得するほどのものだった、てことか。
「失礼。質問だけど、小児喘息って改善するものじゃないの? 私の知り合いに喘息症状が改善した、て部下を何人か見ましたよ」
「警部さんの見解も正しいですよ。でも、小児喘息、て大人になっても再発する可能性があるんです。あれだけ苦しい思いを小さい頃嫌というほど経験しているんです。そうなりたくないのは、当然の思考なんですよ。故に、掃除に無頓着だった従弟とは全く合わなかった」
「何で一緒に住んでいたんだよ」
ロッソの指摘はごもっとも、と言えるほど当然のものだった。
「確か、勤め先の社員寮で同室だった、て聞いた。部屋替えを依頼したが、あまり相手にされなかったみたいだ。殺すまでに何度もルームメイトに頼んでいるし、診断書の依頼もしていた」
調書で理由を知っている自分が答える。ユイ達を案内するためにあの決定から寝ずに読み返したのだ。つっかえることなく言葉が出てきた。
「でも、私みたいな改善するものだ、て認識のせいで通用されなかった。……悲しい事件ね」
ヤコブ警部が目を伏せ、言葉を落とす。事実を受けとめているようだが、彼の声には過ぎてしまったことに対するやるせない感情が見えた。
ユイの顔がヤコブ警部に向く。黒眼鏡をかけているから表情はよく分からない。
分からないけれど、彼を見る彼女の顔は、怖いと思った。思ってしまった。
ヤコブ警部を見るユイの顔は無機物を見ているような、人としての温度が全く見えなかったから。




