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作家と軍人  作者: 藤戸 嘉太郎
刑務所内自殺人事件
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刑務所内自殺人事件 4


「思ったより狭いな」


 ユイが独房に入った開口一番がかなり正直なものだった。手を横に伸ばして壁を測っている行動でよく分かる。


「三メタと四メタ……かなり狭いですね。寝台が半分占めてますよ」

「その寝台のせいで広くなったんだよ。布団ならもうちょい狭かっただろうね」

「ふとん?」

「柵や脚、台がない寝台みたいなものです。純粋に布だけだから折り畳めるんです」


 へぇ、とユイ以外の全員が感嘆の声を上げる。

 空間を確保できるのはいい。今度調べて看守長に報告しよう。場合によっては導入するかもしれない。

 ヤオも目を丸くしてもう使われなくなった寝台を見ていた。


「東武民族のきみなら、知ってたんじゃないか?」

「いや、移動民族とかじゃないので、普通に一軒家の寝台で寝てましたよ」

「いやでも、着物とか着るんだろう?」

「確かにそういった民族衣装はありますが……それとふとん? と何の関係があるんですか?」


 ヤオの問いにユイは黙って黒眼鏡の橋を中指で押し上げた。くそったれ、て言葉が聞こえたが嘘だと思いたい。ヤオの言葉のどこにキレる要素があったんだ。

 ユイはそのまま引き出しを開けて中を物色し始める。手袋をしているから指紋の問題はないが、遠慮と言うものが全く見えない。


「彼、最近医務室に行ったりしたのかい?」

「記録を見ましたが、ありませんでした。何故です?」

「いや、あんだけカフェインをとっていたら、体調を崩すだろう。胃薬とかもらっていないか、と思ってね。——全くねぇなこの野郎。胃袋鉄壁かよ」

「長期的に飲んで平気になったのではないですか? 私の変換みたいに」


 それで体が丈夫になったら世の中苦労しねぇよ。

 唇を固く閉じて言葉を消した。こんなこと言って変な問題を起こしたくない。


「重度のカフェイン中毒にしても、あの珈琲はちょっとやりすぎじゃない?」


 ヤコブ警部が右手で頬を押し当てながら寝台の下を覗き込む。ロッソは資料を見ていた。


「レックさん。キェシェニさんとグォシュヌイ、どっちが長いんですか?」

「収容歴ならキェシェニだ」

「俺がツィホを案内したからな」


 ロッソの赤い瞳がキェシェニを捉える。猛禽類染みたその鋭さにキェシェニの喉仏が大きく上下した。


「彼が初めて食堂を使ったとき、珈琲を飲んだと思います。そのときから十杯ほど入れていましたか?」


 キェシェニの淡い緑の目が上を向く。当時の記憶を思い出しているのだろう。だがそれは一瞬で終わった。


「そうですね。その場に居合わせた奴ら全員悲鳴をあげるくらいだったからな。よく覚えている」

「それは妙だな」


 ユイが声をあげ、こちらを見る。二人の話を聞いていたレナート達も、皆キェシェニを見る。視線を一気に浴びたキェシェニはレックの後ろに隠れた。何でだ、と聞きたくなったがこの四人、想像以上に圧があるのだ。ヤコブ警部は特に。柔和そうな雰囲気漂わせておいているのに、その圧は獲物に狙いを定めた蛇並だ。自分は蛙じゃないと言いたくなる。


「粉末珈琲は出している会社によって結構味が違うんだ。会社って言うより、豆かな。ああいう嗜好品は風味などが結構大事なんだ。彼が濃い目の珈琲が好きで、濃くしようとして入れる量が増えていって、結果的に十杯になったのではなく、最初から十杯も入れた。キェシェニくんが入れたときは、その味の濃さが好きなのか、て思っていた。でもそうじゃない。濃さを確かめたりせず、最初から十杯入れていた。

 まるで一種の決まりみたいだ」

「粉末珈琲ならある程度濃度は分かります。それならば最初から十杯入れてもおかしくないのでは?」


 ロッソの指摘ももっともだ。グォシュヌイの珈琲中毒は最初から異常だった。聞いてもいつもこれくらい入れている、としか言わないし、変える気もなかったらそのままにしていた。八十九回も人を刺す奴を下手に刺激したくなかった、ということもある。

 ——ああいう我が強いタイプは、下手に抑え込んでもその分反発するだけで意味はない。


「その濃さを見るためにも、最初は調節するはずなんだよ。だって食堂にあるのは洋盃で彼自身が使っていた珈琲碗じゃない。大きさが違うかもしれない。初めて使うなら、濃さの調整はするはずなんだ。だけど、キェシェニくんから聞く話だと、全くその様子は見えない。だからおかしいんだ」


 ——確かに、それを考えたことはなかった。

 (カップ)の大きさはそれぞれ違う。最初から珈琲が作られているならともかく、ここにあるのは粉末。自分で調節する形だ。ならば、最初は様子見するはずだ。砂糖やミルクの量を味見して確認するみたいに。

 ヤオも自分と同じく盲点だったみたいで、目線を下げていた。ユイから聞いた話を自分なりに整理しているのだろう。受刑者には見せない動揺が、彼女の顔にあった。


「それに関してなら、何となくですが想像がつきます」


 思考による沈黙が埋まった独房内で、意外な声が上がった。

 レナートだ。

 全員が見ていることに気付いていない——どうでもいいのかもしれない——彼はまだ手に持っていたカフェラテをゆらゆら、ゆっくり揺らしながら口を開く。


「珈琲には、皆さんご存知のカフェインが含まれています。このカフェインには、一時的にですが気管支を拡張する作用があります。効果はかなり弱いですけれどね。自律神経によって動いている筋肉……平滑筋だったかな。そこに働きかけることで気管支を広げるんですよ。

 カフェインそのものが、自律神経に働きかけるものですからね。

 彼の年齢と当時の戦争・経済状況を考えると何度も病院に運び込まれたことは家庭やグォシュヌイさん個人に相当な負担をかけたはずです。

 民間療法みたいなものですが、それで予防していたのでは?

 それが行き過ぎて、スライムみたいなものになってしまった。あの珈琲は、幼い頃からのまじないみたいなものだったのでしょうね」


 一通りの説明を終えたレナートは残っていたカフェラテを飲み干した。


「……随分、詳しいんですね」

「私の趣味は調薬なので。故郷で姉達によく避妊薬をあげていました」

「そッ、うなんですね」


 あけすけといえばあけすけな単語に、ヤオの声が裏返った。


「レナートさん花街生まれですもんね。こんな澄ましたお顔してますけど、結構エグい下ネタとか平気で言いますよ」

「余計なことは言わなくていいんです」


 レナートがユイを睨むが、彼女は明後日の方向を向いて下手くそな口笛を吹いていた。

 だがそんな余裕も束の間。ユイはお腹を押さえて蹲った。


「珈琲十杯なんて言ってたら、お腹痛くなってきた……」

「あんな劇物飲むからですよ。カフェラテ飲みますか? 空ですけど」

「意味ないじゃないか!!」


 顔を上げ、大きく口を開いてレナートに噛み付くが、胃に余計な負担をかけたようで、両手で押さえながらユイは丸まった。

 彼女の様子を見たヤコブ警部は、レック達に話しかける。


「珈琲の謎より、胃薬が先ね。医務室に案内してくれる?」


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