死人に梔子 1
外で静かに降っている雪を見ると、テラス席を選ばなくてよかった、と十分前の自分を褒めたくなる。
視線——特に女性の——を煩わしく思いながら外を見る。窓に見慣れた黒褐色の肌の男の顔が映っている。
男、レナートは注文した珈琲をちまちま飲みながら待ち合わせ相手を思う。
白の月、十四日。第二週の真ん中。一週間が九日あるため最初と最後、そして真ん中の五日目に休日を設定している暦が貼られた壁を見る。ユイ先生は『週三休みとかありがてぇ……真ん中休み、てこんなに嬉しいもんだったんだ……』と泣いていた。嘘。泣いていないけど感激していた。
真ん中休みだから暇が取れやすいということで待ち合わせをこの日に設定したのに、すでに設定時刻から五分遅れている。まあこの雪なら交通も機能していないのだろうが、見越して来い、と言いたくなってしまう。
喫茶店の扉を開ける音が聞こえた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二名。待ち合わせなんです」
「いました。あの美男子です」
どんな紹介をしているんだ。おかげで視線がうるさくなった。黒い目を声に向ければ、二人の男がこちらに手を振っていた。
茶髪の男は外で雪を払ったコートを手にこちらに近付く。紫髪の男は所持品であろう手鏡で髪を整えている。席でやらないだけありがたいが、行動が女性のそれである。彼の行動も相まって、自分が知っている姿より若く見える。前髪を下ろしているからだろうか。
「悪い。待たせたな」
「先程、近くで交通事故があったんです」
「交通規制が起きたってことですか……それならベルンハルトさん。貴方の出番では?」
茶髪の男、ベルンハルトは肩を竦めた。どうやら魔道警察である彼の出番は必要なかったらしい。
「とっくに出動されている場所に行ってどうすんですか。それより、この人について教えてくださいよ、レナートさん」
「妊婦連続殺害事件で妻を殺された夫のラマン・ハーンドゥです」
「反応に困る自己紹介しないでくれません? 俺どんなふうに自己紹介すればいいの?」
「名前と年齢と職業言えばいいのでは? 私はレナート=R・ワレンチン。二十八歳。軍人です」
ベルンハルトは茶色の目でラマンを睨みつつ、レナートに提案された通りに自己紹介する。
「ベルンハルト・ブラウン。二十六歳、警察だ」
「ベルンハルト・ブラウン。BB……ビビ……」
「そんなあだ名をつけられたの生まれて初めてなんだけど」
「あ、私はラマン・ハーンドゥ。三十二歳、近くの討伐ギルド『エトワール』の戦闘教官をしています」
「俺の話を聞けよ」
最初に会ったときは学芸員だったと言っていた気がするが。転職したのだろうか。前と比べて雰囲気が柔らかくなったのは、その影響なのか。
待ち合わせのここも、北と南の路線の中間地点にある場所で、彼の住んでいた町からはかなり遠いところにある。問題ないということで決めたが、引っ越しでもしたのだろうか。
——髪を整えたりしていたし。出会ったときはそんなのしそうな印象なかったから。
レナート達との会話を覚えていたのか、補足するようにラマンは教えてくれた。
「流石に引き取った子供育てるとなったら収入に不安があって……元軍人優遇だったんで応募したんですよ」
「元軍人、て……それ戦争に参加したかどうかだろ?」
ベルンハルトの言葉に相槌を打ちながらレナートはメニューを二人に差し出す。
受け取りながらラマンは応える。
「まあ、おれ元狙撃団だったんで」
メニューの角がベルンハルトの腕に突き刺さった。それはもう、深く。渡そうとして手が滑ってしまった。
突然の痛みにベルンハルトの鼻から空気の塊が出てきた。悲鳴が間違って鼻に出てしまったような反応だった。あれは鼻と口が繋がっているところが相当痛いだろう。鼻咽腔、というんだったか。
「そんなに驚くことですか?」
「おっどろ、くに……いってぇ……!」
「味方にも情報を漏らさないくらい秘匿性が高い情報を落っことさないでくださいよ」
元軍人と現役軍人の驚きは当然だ。彼らの情報は徹底的に隠されている。それがあっさり暴露されたらこんな反応もする。椅子からずっこけてもおかしくないくらいの爆弾を落としたのだ。
「これが戦争時でかつ、任期中でしたらおれ消されていたでしょうけど、退役した身ですし。
その秘匿性も捕虜になれない自分達を守るための処置です。戦争が終わって退役した今では意味がありません。恐らく、時間の経過とともに公表されるんじゃないですか?
何人かは信じられないくらい英雄的な活躍した狙撃手がいるんで」
注文するものを決めたのか、ラマンはメニューを受け取らなかった。
「俺はエスプレッソだな。ラマン、あんたは?」
「おれはウインナーコーヒーで」
「ソーセージ?」
「何でそうなるの。生クリーム入り珈琲だよ」
思わず連想してしまった言葉に対してラマンが静かに突っ込む。その口調も、やはり最初より柔らかい。
——いや、むしろ……こっちが素なのかもしれない。あのときは奥さんと子供が殺されていたから、気が立っていてもおかしくない。
店員を呼んで注文するラマンの姿を見ながら、当時の彼を思い出す。
狙撃団に所属していた。その情報を聞けば、自然と気になることがある。だが、それを聞いていいものではないのは分かる。
「……最初に会ったときと違い過ぎる、て思いました?」
灰が混じった緑色の瞳がこちらを捉える。正直に頷いた。
凪いだ水面のように落ち着いた佇まいは、初対面時の荒々しさが全く想像できない。
「臨月間近だった妻が無くなったショックと、捜査の遅さで感情的になっていたんです。自分らしくない、とは思っていましたが、あの怒りに後悔はありませんよ。
それに……子供を引き取ったんです」
「さっきも言ってましたね。誰を引き取ったんです?」
「マリィです。父親が行方不明になった」
シャボン玉で遊んでいた子供を思い出す。やはりあの孤児院が引き取ったのか。
ラマンが言うには、子供を引き取る以上見本になるようにと気を付けているらしい。元来の性格もあるのだろうが、雰囲気が変わったのはそういったところにもあるようだ。
ベルンハルトは何も言わなかった。警察という立場上、あまり下手なことは言えないのだろう。
「前髪降ろしているので、本当にびっくりしましたよ。七歳くらい若返った感じで」
「二十五歳でおれ最年少になりますよ」
「この中で一番のおっさんなのにな」
「怒りますよビビちゃん」
「俺のあだ名ホントにそれで固定する気?」
「いいじゃないですか。可愛いですよビビちゃん」
「あんたもかレナートさん」
ベルトルトの頬が不自然に動いた。笑おうとして失敗したような引きつった笑みだった。
店員が注文した品を卓子に置く。ベルンハルトは自分がいじられた空気が変わったことに安堵したように店員に礼を言った。
「……奥さんの名前は?」
「エディです」
珈琲碗を持ってベルンハルトは中身を揺らした。
「……こういうのは、酒の方がいいんだろうけど」
珈琲碗を目線の高さまで上げる。
「エディさんに」
彼の意図に気付いたレナートも、まだ中身が残っている珈琲碗を持ち上げる。
「献杯」
二人の声が揃った。
ラマンは緑色の目を瞬かせる。目線が揺れ、口を開いては閉じている。そこまで戸惑われるとは思わなかったベルンハルトはこちらを見る。自分を見ないでくれ。こちらを見てもどうしていいか分からない。
「……ありがとうございます」
やっと返ってきた反応は震えていた。それがどういう感情のものなのか、二人は敢えて聞かなかった。
それは無粋というものだ。




