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作家と軍人  作者: 藤戸 嘉太郎
買い物で買ってはいけないもの 続
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買い物で買ってはいけないもの 続

 ——どうしてこうなった?

 レナートの頭に疑問符がいくつも浮かぶ。

 自分は今、ユイの自宅の寝台で彼女に抱え込まれている。頬に当たる弾力のある塊は恐らくユイの胸だ。意外とデカい。

 妊婦連続殺害事件の犯人を逃がしてしまった後からずっとこうだ。自分の死体を見たことが相当衝撃だったらしい。


『——護衛対象を不安にさせるな』


 マラカイトの言葉を思い出す。

 自分は何があっても絶対に彼女を守ると言った。それはこの設定があったから。だから自分が死んでも些末な問題として片付けられる。

 ——よくよく考えたら復活まで時間かかったし、その間不安になるのは当然だったな。

 もっと短縮できるように設定し直さないといけない。戦争が終わった影響か、少し平和ボケしていたようだ。


「ぐぇっ」


 レナートを抱き締める力が強くなった。肉の塊の反発力が更に強くなる。


「ゆ、ユイ先生……?」


 恐る恐るユイの名を呼ぶが、返事はない。絶対起きているはずなのに。


「お、お風呂とか入らないんですか? 家帰ってすぐ寝るのはよくないと思いますよ」

「……」

「け、化粧とかお洋服とかがぐちゃぐちゃになってしまいますよ? それにほら、眼鏡も外さないと壊れてしま、」

「うるさい」

「ぶふぇ」


 両腕の締め付けが強くなった。なんでだ。

 苦しいが、逆らってはいけないのは何となく分かる。


「いまは」


 囁くような声と一緒に後頭部に軽い感覚。自分の頭を撫でているのか。


「いまは、こっちが大事」


 はっきり断言されてしまったら、自分から言えることは何もない。抵抗せず、されるがままになっていたら頭上から寝息が聞こえた。

 顔を上げて寝たかどうか確認したいが、いかんせんこの胸が邪魔すぎる。小さくなれないのか。

 流石に他人の体に変換はよくない。治療なら致し方ないが、これは流石に駄目だ。

 ——駄目だ。何か私も眠く……。

 自然と口が大きく開く。欠伸なんて、何年振りだろう。戦争時代からしてなさそうな気がする。

 ——いや、もっと昔……あのギルドに、いたときから……。

 レナートの瞼が重くなり、思考も深く落ちていった。




 レナートの意識が浮上したのは、遠くから聞こえるベルの音だった。

 眠い目をこすりながら上体を起こして頭を振る。かかっていた布団が落ちて一気に冷気が服越しに肌を刺す。

 身震いしながら、隣で寝ていたはずのユイの姿を探す。

 ——いない。電話を取りに……いや鳴っているからウンコか?


「……おれがでるしかないか」


 寝起きで回らない口を大きく開けて声を整える。寝起きだってバレるような声で出てはいけないのは何となく分かる。

 部屋を出てすぐ右にある階段を下りる。降りたらすぐに玄関で、そこに電話がある。今どき珍しい、ダイヤル式の黒電話。はやく取らないと。既に相手を待たせている状態だ。

 まだ夜は明けていないようで、窓の向こうは真っ暗だった。自分が寝ていたときは夜の十時くらいだった。星の位置を見る限り、まだ午前三時くらいだろう。

 足が下の段を踏む。軋む音で、思考が少し晴れて一つの疑問が浮かぶ。

 ——こんな時間に、誰がかけてくるんだ?

 午前三時に電話をかけてくる。しかも携帯ではなく、固定電話に。警察や出版社関係なら携帯にかけてくるはずだ。

 ——私が出なければ!

 恐らくあの組織の連中がかけてきている。

 推理が至った瞬間、レナートの両足は階段から離れた。そのまま一階の床まで飛び降りる。靴下越しに感じた衝撃を無視して電話まで走る。

 だが、レナートの足は二歩目で止まった。

 黒電話の前に、人影がいたからだ。

 レナートの口が、人影の名を呼ぶ。


「ユイ先生……」


 隣にいたレナートの声が聞こえていたはずなのに、ユイは俯いたまま返事しない。

 ユイは出かけたときの格好のまま寝ていたはずなのに、白一色の布を身に纏って突っ立っていた。左手には、いつもかけている黒眼鏡を持っている。

 彼女の姿に、ある感情が甦る。戦争が終わってから感じることがなかった感情を。

 髪が垂れて顔を隠してて表情が分からないのが、その感情を一層強くさせたのかもしれない。

 ユイは鳴りやまない電話の受話器を取る。止めようと手を伸ばすが、遅かった。


「思っていたより、はやかったな」


 電話に出たユイの声は、地声にしてもかなり低く、それだけで彼女の負の感情が分かってしまう。


「二年振り、というべきか。貴様が逃げるためだけに起こした列車事件。覚えているか?

 いや、忘れたとは言わせんぞ」


「……だんまりか。何のための電話か分からんな。探知の類でかけてきたわけではないことは、既に私の眼は見抜いている。

 ……用件がないなら、言いたいことだけを言わせてもらう」


「二年前の列車事件。貴様の保身のためだけに何人の命が犠牲になったか覚えているか?

 八十三人だ。

 知らないだろう。

 私もあの事件で小さくはない怪我を負ったこと。

 貴様は知らないだろう」


「私の、目の前で」


「外に出てしまった臓器を左手だけで必死に子供に戻そうとする母親を。

 落石で起きた火災で焼け、肉の焦げた臭いをまき散らしながら死ぬ男を。

 叫びたくても肺を潰されて細い息しか吐けない女を。

 腹に命を宿した恋人を守ろうと命を代償に防御の結界を張った男を。

 臓物を雑に腹に押し込め、血反吐を吐きながらも人命救助に動いた元軍人を。

 落石で頭蓋が割れて脳味噌が飛び散った子供の死体を」


「貴様は知らんだろう。いいや、知っているとは言わせん。貴様のそれはただの音だ。

 その音を私は絶対に認めない」


「故に。故に。私は決めたのだ。貴様のくだらん生のためだけに犠牲になってしまった八十三人の報いを貴様に与えることを。

 八十三人だけではないぞ。二百三十七人の重軽傷者。

 彼らの痛み、恐怖、憎悪」



「貴様のその身をもって、贖ってもらう」



「首を洗って待っていろ。貴様の首を。魂を。私が。他ならぬ私の手で、」



 がちゃん



 電話は終わった。終わらせた。ユイの手から無理矢理受話器を奪って通話を切った。

 目線をすぐ下に向ければ、ユイの旋毛がある。でも、レナートの目は少し離れた先にある玄関から動かない。

 純粋に、怖かった。

 日常の些細なことで驚くことはあれど、命を脅かすような恐怖は終戦から全くなかった。

 だって、今電話していた彼女は、ユイじゃない。

 ——今、俺の下にいるのは、だれだ?

 あの声は。怒りは。ユイじゃなかった。ユイだとしても、今の自分が知っているユイじゃない。彼女を見るのが怖くてできない。なにか、なにかこの状況を変えることを言わなければ。

 ——随分そいつのこと恨んでいるんですね? 駄目だこれは状況が変わらない。そんな恨みを買うこと言ってどうするんですか。これも却下! むしろそれは電話相手だ! 他になにか、えっと、えっと……。

 レナートはここ数年で一番と言える程脳味噌を回転させ、思考する。


「か、買い物で……」


 レナートのすぐ下の空気が少し緩んだ。


「買ってはいけない、もの……一位」


 無言が続く。


「そ、それは……他人の。う、恨み、や……つらみ」


 買い物で 買ってはいけない もの一位 それは他人の 恨みやつらみ


 出てきた言葉は以前ユイから聞いた『短歌(自作)』だった。何で出てきたのがこれだったのかよく分からない。というか、自分が聞きたい。文字数とか関係なくリズムで作ってしまったが、これで合っているのだろうか。

 沈黙が痛い。怖い。なんか反応してくれ。

 さっきまでは反応がないことに恐怖していたが、これは違う意味で怖い。判決を待つ被告人みたいな気分だ。青の戦犯として法廷に立ったときでも、こんなに不安になることはなかったのに。


「——ぶっ」

「ぷ?」

「……ぶぅわっはっはっはっはっ!」


 やっと反応が返ってきたが、レナートが想像していたものではなかった。だが、お陰でユイの方へ顔を向けることができた。彼女を見れば、いつもの黒眼鏡をかけている。手に持っていたはずなのに、いつの間にかけたのだろう。

 そんな疑問を吹き飛ばすくらい、ユイは喉の奥が見えるほど大きく口を開けて笑っていた。


「っはー。笑った笑った。P-1! 座布団持ってきて!」

「こちらに」


 音もなくP-1が四角い布の塊を持って背後に現れた。

 反応が速い。そして手に持っている四角いそれはなんだ。本当になんだそれは。


「笑ったらお腹が空いたな。P-1! お酒とおつまみ用意して!」

「承知致しました」

「今から飲むんです?」

「当たり前でしょ。帰ってから何も入れてないもん」


 思わず出た呆れは、ユイに返された。黒眼鏡越しに、彼女を目が合う。

 溌溂とした笑顔で、ユイは聞いてきた。


「レナートさんも食べるでしょ?」


 その声を聞いて、レナートは目を閉じる。

 先程の彼女との変貌に、恐怖や戸惑いがないわけではない。でも、レナートは決めているのだ。

 彼女からの挑戦状に、真っ向から受けて立つことを。

 これは、その決意を思い出すための行動。

 閉じていた目を開け、ユイの顔を見る。口角を上げ、レナートなりの笑顔を作る。


「酒は飲みませんよ」


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