図書館変死体発見事件 3
アスクレピオスの宣言を聞いたロッソの赤い瞳が冷たくなる。
「この図書館が事故現場ではなく殺人事件現場だと?」
凍るような視線をアスクレピオスは真っ向から受け、肯定した。
「ええ。それは彼女の傷が証明しています」
アスクレピオスの翡翠の目が冷静に現場の本棚に向かう。
ぎょろり
ガラス玉のような透き通った目が動く。
「ここの本棚は魔術で本を取り出す仕組みです。棚ごと移動するものではなく、側にある端末に欲しい本を指定することで浮遊と引き寄せの魔術が発動してとれない場所にある本を取り出す。そういう仕組みになっています。
本棚が十段ありますからね。当然だと思います。でも、ここにその梯子がある。
これが最初の違和感です」
「……確かにここのコーナーにはその仕組みが導入されていますが、梯子は他の、この仕組みが使われていない場所では普通に置かれていますよ。調べたところ、これが導入されたのはここ五週間ほどの話です。
知らない人はよそから梯子を使ってもおかしくない。それに、棚が動く仕組みではないから、職員が掃除するときは必ず梯子が必要になります。
だから、梯子のどこがおかしいのか、いまいちよく分かりませんけど……」
「これがあるのに梯子を使うのは効率が悪いんです。まあでも、仮に梯子を使ったとしましょう。
取り出されたのは八段目の本。そこから本をとってバランスを崩し、倒れたときに頭に本が当たった。そう考えるべきなのでしょう。
でも、梯子のバランスが崩れて落ちたなら、向かい側の本棚にぶつかるはずです。下で揺れる振り子が上で揺れた感じ……メトロノームみたいに考えれば、ですけれど。そう考えれば後頭部に傷ができます。頭頂部ではないんです。
これが二つ目の違和感です」
「でもアスク、足を滑らせてそのまままっすぐ落ちた可能性があるわ」
「だとしても、頭頂部に傷はできない。足から落ちる可能性が高いからね。ましてや開頭術で頭に衝撃を与えてはいけない状態。頭を絶対に守る態勢に入る。だというのにあの死体にはそれが全くなかった。
これが、三つ目の違和感」
ロッソとバルバラの疑問に答えるアスクレピオスの言葉は説得力があり、納得できるものがあった。
ただ、それはバルバラに指示したあの一瞬で考えたということになる。
「だからあの電話で殺人と言ったのね」
バルバラが何度も頷きながら、二人の会話に入る。
アスクレピオスは左目にかかっている前髪を指に絡める。
「じゃ、被害者の情報を集めに行こうか」
「ブロシアさん? 確かにこの図書館を利用していましたね」
アスクレピオスの質問に答えたのは先輩のアビルダ。彼女は焦げ茶色の三つ編みを解いては組み直す。考えるときの癖だ。
「といっても……そこまで強い印象はない、です、ね……?」
「随分曖昧に言うじゃないですか。何かあったんですか?」
ロッソが首をひねるアビルダに質問を切り込む。
「いや、少し前に職員をストーキングする利用者がいたな、て思って……でもその人じゃないですよ。
利用者で連想したら出てきただけだし」
「そのストーキングって解決しているんですか?」
「知らない。そういう噂が流れたってだけで本当かどうかも分からないですから」
「『噂』なのに、『利用者がいた』って思ったんですか?」
揚げ足をとるみたいな疑問。でも確かに彼女の会話を思い返せばそう思ってしまうのも無理はない。
確かに、誰かがつけ狙われているって噂はあったが、この図書館の利用者かどうかは定かではない。
「私が聞いた噂じゃ、狙われたのがここの職員だからね。余計にそう思ったのかも」
「ここの職員が? それはお気の毒ですね……誰だかお聞きしても?」
「本音が見えていますよアスクレピオス」
ロッソが静かに突っ込む。バルバラと一緒に半目になって彼を見る。もう少し会話というものを見せてくれ。
アビルダは黒い目を伏せて首を振る。それだけで答えが分かったのか、アスクレピオスは礼を言って背を向けた。おい行動が速すぎないか。
アビルダは笑顔でこちらに手を振った。
無視してアスクレピオスの後ろを歩く。
「なんか情報が濁されている気がする……噂にしては妙に真実味がある」
「利用者、という単語がそんなに気になるの?」
「特定できそうな単語を出しているのに、対象が分からないのがおかしいんだよ。
噂というものは対象がいて成立するものだからね。」
「私で遊んだあいつらみたいに、ね。他人事の奴らは面白い方に花を咲かせるのよ。
だから、摘み取ってやる、て決めているの」
ロッソがバルバラを見て息を呑む。世間話みたいに軽く語った内容に言葉を失ったみたいだ。
彼の言葉には一理ある。そちらの方が盛り上がる。バルバラが言ったように、面白いから。
——でも、アビルダ以上に言えることは何もない。
首を振って溜息を吐く。どうにもできない自分に苛々してしまう。
「……そうだね。バーシアの言う通り、そういう輩は処分すべきだ。
でもね。僕が感じた違和感は他にもあるんだ。それが、情報がはっきりしていないこと。
そういう利用客がいたらすぐに共有されるはずだ。
病院でも対応注意の患者がいたらすぐに分かるように共有されているから。もし利用客にいたら図書館でも似たような対応をするはずだ。ここには家族連れが多い。被害は少ない方がいいからね」
「納得~」
刑事なのに返事が軽い。確かに頷いて納得できるものではあるが。
「……今は、被害者の関係性について調べましょう、アスク。噂について、今以上に聞けそうにないわ」
「そうですね。警察は彼女の行動は確認しているのでしょう」
ロッソは何も言わない。
——おい、まさか。
「まさか、把握していない、とか……」
「把握していないわけではないんです。ただ、死亡時刻と目撃情報がおかしいのです」
「おかしい、てどういう……!」
「先程ダチュラ警部補から情報が入りました。ブロシアは二週間前から行方不明者として捜索願が出されています。
警察は最後の目撃証言があったところを徹底して調べました。それがここ、モンドルシュツ図書館です」
「それなら、もう解決しているじゃない。見つかっているのよ。遺体だけど」
「言い方ぁ。……ンン˝ッ。監視鏡の記録では午後四時二十五分に入館し、閉館ギリギリの五時五十七分に退館していました」
そこにおかしいところは何もないと思うが。
首を傾げるララに応えるようにロートは言葉を重ねる。
「ただ、図書館を出た後の彼女の目撃者が、誰もいないのです。町の治安維持のために設置されている監視鏡に、彼女は全く映っていなかった。
これがどんなにおかしいことか、お分かりですか?」
「図書館を出た瞬間に消えたみたいに言うね……工作されたということか」
「さっすが主犯格。察しが良い」
「喧嘩売ってるなら買うわよ。釣り付きで」
「お買い上げありがとうございまーす」
バルバラの額に青い線が走る。対するロッソは服に留まる蝶を眺めるような温度の無さ。興味がないにも程がある。
「二人とも、喧嘩はそこまでにして。その線で考えるなら、彼女はこの図書館で息絶えた可能性があるね。
でも、そう考えるとあの死亡は不自然だよ」
「図書館で行方不明になったブロシアが二週間後、この場所で今死んだ。この図書館で監禁されたかのような不自然さですからね。
もちろん、図書館側がそういうことをしていないのは承知です。でも、そうであるかのような死亡状況。
彼女の死を解明することで、行方不明の謎を解けるとダチュラ警部補は確信しています」
アスクレピオスを補完する形でロッソが語る。そんなの言われなくても分かるし、アスクレピオスが言う予定だった言葉をとらないで欲しい。ひたすら不愉快だ。
「今日の監視鏡の記録は見ているのですか?」
「もちろん確認済です。ですが彼女が入館した記録はありません」
「はぁ? 犯人は一体何がしたいわけ? 事故に見せかけた風にしておきながら、明らかにおかしい点を残していく。マジで何がしたいんだ?」
「私の方で彼女を調べていくしかなさそうね。お兄様に頼んで調べてもらうわ」
「待って君何しようとしてるの?」
ロッソがバルバラの肩を掴んで待ったをかける。だがバルバラはロッソの手なんてないもののように携帯を操作する。
「もしもし兄様? 至急調べて欲しいことがあるの。うん。脳梗塞の治療を受けたブロシア・ダラダットさん。二週間前から行方不明だけど、今死体が発見されたの。詳しいことは文書通信で送るね。
ありがとう……はいはい。私も大好きよ。愛してる」
「家族仲良好かよ」
思わず突っ込んでしまった。
別に何も思うところはないが、家族間で愛の言葉を囁くその光景は別世界にしか見えない。
悍ましい。
「僕もバーシアのこと、大好きだし愛していますけど?」
もっと悍ましいものを見てしまった。口直しが欲しい。シャルはどこだ。
「家族愛と恋愛は別に決まってるじゃない。私も大好きだし、愛してるよ。アスク」
「あたしは何を見せられているの?」
思わず出た言葉に同意するかのようにロッソが一歩後ろに下がってアスクレピオス達を見る。
最悪。本当に最悪。何だか涙まで出てきた。泣いてもいいだろうか。
そんなララを知らない三人は話を進める。
「今日の監視鏡を拝見することは?」
「できますよ。見に行きますか?」
「もちろん」
「当たり前なこと聞かないでくれる?」
なんてそんな喧嘩腰なんだ。アスクレピオスがこら、なんて言って咎めているぞ。何でそんなに仲が悪くなったんだ二人とも。
だがそんな言い合いをしていても足は管理室に向かっている。利害の一致からなせる業か。怖すぎる。何でそこで仲良くなるんだ。足並みを揃えるな。怖い。怖すぎる。
「さっきまでの険悪はどこに……」
アスクレピオスの疑問に頷いた。お前ら本当は仲いいんじゃないのか。
思ってても隣のアスクレピオスが怖くて何も言えなかった。




