図書館変死体発見事件 1
ララの一日はけたたましい目覚ましから始まる。
目覚ましを止めてカーテンを開ける。防犯として入居時に買った男物っぽい紺色を開ければ白く染まりつつある空が視覚情報を埋め尽くす。それが嫌で下を見ればまだ動く生き物がいない町の景色。
夜が明けつつある時間帯なら当然だろう。
寝癖で広がった髪を櫛で優しく解かす。透き通るような青い髪。初対面の人は皆褒めるが、正直嬉しくない髪。でも身嗜みの一環としてララは整える。
食事として冷蔵庫から出した固形物を数個取り出して口に放り込む。これで栄養は補填できた。クローゼットから無難な色の服を選んで体に纏う。
それが終わったら顔の肌によく似た色を塗る。この作業がララの中で一番苦痛だ。肌の穴という穴を埋め尽くすような、窒息されるようなこの感覚ははっきり言って嫌いだ。
目元に黒い線を描き、ある程度整えたら人付き合いで貰った簪で髪をまとめる。慣れれば髪紐を使うよりずっと楽だということに気付き、重宝している。
全ての準備を終えて鏡を見れば、知的な女性がそこにいた。
唇を歪めて笑顔の形を作る。笑顔に問題がないことを確認したら戸締りをして家を出る。
自分用の箒を空間魔術で取り出すと跨って、高度に気を付けながら勤務場所に向かう。公共馬車よりもこっちの方が自分は好きだ。雨が降ってても自分は箒での通勤を選ぶくらいには。
——今日も寄り道してから行こうかしら。
数週間前から始めた寄り道出勤。意外と周りの景色が面白くて新しい発見が多いのだ
寄り道してから飛ぶこと十五分。回り道を経て勤務先であるモンドルシュツ図書館に到着。裏口の扉にある勤務記録証魔術道具に手を置く。静脈回路で本人認証を行うこれは精度が高く、よくこんな税金でしか回っていない施設に置けたと設置当時は驚いたものだ。
——まあ、奇書が多いから、それを狙う輩を守るためでしょうね。
司書の証であるエプロンを身に着ける。暖房をつけていないためか少し肌寒い。秋の半ば過ぎだ。少し震えながらカーディガンを羽織る。
自分の少し前を同僚が歩いている。
「おはようシャル」
「んぉおお!?」
凄い悲鳴が開館していない図書室に反響する。
「ララ! 急に声をかけるなよ! おはよう!」
壁に体を寄せながら腕をさするシャル。檸檬のような爽やかな黄色い目が泣きそうに濡れている。
——私と違って、綺麗な黄色。
「ごめんなさい」
「いや、俺も驚きすぎた。行こうぜ。朝礼の時間がもうすぐだ」
額を押さえて先を行くシャル。自分の悲鳴が頭に響いたのだろう。頭痛が酷いから病院に通っている、と言っていたことを思い出す。本当に申し訳ない。
朝礼を手短に済ませ、閲覧用新聞を今日のものに差し替える。朝礼でシャルは上司に先程の悲鳴を注意され、先輩後輩から同情された。本当に申し訳ない。
後ろでは戻す場所が分からない本を定位置に戻している職員の会話が聞こえる。
「そういえば、今日はD9ね」
「……なんかあったか?」
「もう! あのカップルのことよ。去年の……夏からかしら。毎週D9にはカップルが来て過ごしているじゃない!」
「ああ……あの毒殺未遂事件カップル」
随分物騒なカップルだな。
内心突っ込みつつも、そのカップルが何のことなのかすぐに分かった。紺色の髪の少年と水色の髪の少女のことだろう。よく人気作家である小説家の話をする様子をよく見かける。
それ以上後ろの会話を聞くのをやめて昨日の新聞を過去の記録として保管する。
作業をしていたら時計は開館時間である九時を示していた。
お年寄りや子供連れの家族が入ってくる。目が合った利用者には微笑みを向ける。そんなものは全くないのに、相手は親愛の意味を込めたお辞儀を返す。
——ああ、吐き気がする。
嫌悪を振り払うように目を閉じれば大丈夫ですか、と声をかけられた。
「顔色が優れません。誰かに言って休んだ方がいいと思います」
綺麗に整った眉を下げてこちらを見る翡翠の目には心配の色しか見えない。
その色に、嘘は見えない。
「大丈夫です。心配かけさせてしまってすみません」
「ですが……」
「アスク。そろそろ行きましょう。……言っているうちは大丈夫でしょうから」
水色の髪を緩くまとめた少女が少年の手を引いて閲覧席に座る。今の二人は職員が言った例のカップルだろう。こんな早い時間から使うなんて思わなかった。
声をかけられるとも思わなかったから色々驚いてしまった。あのカップルは色々と気を付けないといけないようだ。
自分に気付いたシャルが声をかける。
「大丈夫か? あの坊ちゃんの会話が聞こえちまって……」
「あの子の気のせいだから大丈夫よ」
「大病院の息子の観察眼をなめるなよ」
——医者の息子なんだ。
カップルについての情報を一つ入れながら、シャルに体調は問題ないと告げる。
シャルは何度も自分を見ながら本棚の整理に戻って行った。自分もそろそろ来月に向けた企画を考えないといけない。テーマは『推理小説』。これに関する作者はほぼ一択だ。
この国で推理小説、と聞いて浮かぶものは一つ。『ユイ』だけだ。
予め集めていたユイの作品を横に並べる。
まずは処女作の『蛇の目』。山奥の屋敷という閉ざされた場所で起きる連続殺人。犯人に対して身を守る手段が全くと言っていいほどない主人公が恐怖しながらも謎を解く話。
場面や登場人物の会話をまるでその場を見ていて、文字に起こしたのではないかと思うほど現実味がある描写。そこから感じ取れる臨場感と恐怖に高揚し、興味を持ち、惹かれずにはいられない。
このような系統の小説は後出しの如くポンポン設定が出てくるか、特異魔術を持つ者同士の心理戦と、戦闘ものという別物になるので、本当に『上手くできている』小説だった。小説界に革命を起こしたと言っても過言ではない。
——蛇の目はもういいか。次は……。
『探偵ジェームズの事件簿』のシリーズ。誠心・誠意・誠実を心がけて生きている主人公の家が火事にあってしまい、全財産を失った。何年か前助けた男性から貰った名刺が手元にあったため、それを頼りに訪ねたらその男性の助手となって働くことになった。その男性は警察からも捜査協力をされるほどの有能探偵で、彼の事務所に居候になった主人公が数々の事件に巻き込まれる話。
——型破りだが道徳的な探偵と、常識的だが人として破綻している主人公。これらを対比することで相互理解の難しさを表現しつつも、理解したいと思う心の重要性を説いている。これは色々な意味で『心』をテーマにしている。
本の区分で言えば児童書になるが、大人にも愛されているシリーズだ。多分道徳の授業でも使える。
探偵ジェームズシリーズの合間に発表された『あの日食べた吐物の味は』は、蛇の目以上に大きな反響を起こした。理由は簡単で、主人公が犯罪者だからだ。今まで事件を解くものが主人公だったため、真逆の、しかも社会に反するものが主人公なことに読者の戸惑いは大きかった。
犯罪者が主人公というのもあるうえ、目的のために人を殺す。その姿に嫌悪感を持つ読者は多かったが、最後まで読めば、この犯罪者に拍手を送りたくなる。
——事件の構造もそうだが、人物描写が唸るほど深い。
『探偵ジェームズの事件簿』は語り部の主人公の本性が明らかになるまでの伏線が緻密で、自然で、故に明らかになった時の衝撃はララの知っている言葉では語りつくせないほどのものだった。
『あの日食べた吐瀉の味は』、略して『あのとしゃ』は恐らくユイが今まで書いた小説の中では一番人間的だった。大切にしたい人がいじめで精神崩壊し、変わり果てた姿を見て復讐を決意する姿の描写はとても丁寧で、応援したくなってしまった。
『蛇の目』は主人公の覚悟が決まりすぎていた。次々に起こる殺人に気が狂ってしまい、銃を持って錯乱した次女を治める方法が何よりの証拠だ。額を突きつけられた銃口に押し付けながら凄むとは思わなかった。こういうのが何回も出てくるから、覚悟決まりすぎて精神人外の人間と言われていたほどだ。
——さて、これらの本をどう紹介するか……。子供も見るから過激な描写が多いあのとしゃはあまり出せないわね。私は一番気に入っているのだけれど。
この企画をどう作るか思案していたら、何かが倒れる音。
図書館は静かに利用するから、その音は大きく聞こえた。恐らくこの図書館内で聞こえなかった者はいないだろう。
何があったか把握するためにララは音が聞こえた方向へ向かう。確か音は奥の歴史関係の棚から聞こえた。あそこは分厚い本が多いから怪我していなければいいが。
早歩きのララの耳に、女性特有の高い声が図書館の空気をつんざいた。
歩くのをやめてララは走り出す。シャルや他の職員もララに続いて駆け出す。
悲鳴はやはり歴史コーナーにあった。へたり込む女性の側に職員が駆け寄る。女性は震える指で視線の先を指差す。
指差した方向を見れば、散らばった本と倒れている梯子と女性。
ララに声をかけてきた男、アスクが倒れた女性に近付いて首に触れる。
「アスク」
「警察を呼んでください。もう手遅れです」
アスクはそれだけ告げて、瞼に優しく触って見開いていた灰色を閉ざす。
——あれは、確実に生きていないわね。
上着を着ているのに、急に周りの温度が冷えたように寒くなる。
カップルの彼女が冷静に警察に通報する声が、嫌な沈黙に支配された空気の中はっきり聞こえた。




