「スポーツ至上主義」がもたらしている弊害
「スポーツ至上主義」がもたらしている弊害
「スポーツ至上主義」がもたらしている弊害は、以下の3点に集約されるのではないでしょうか。
1. 「感動」を隠れ蓑にした公金の搾取
Jリーグのスタジアム建設や、かつてのオリンピックもそうですが、「夢や希望」という検証不可能な価値を掲げることで、冷静な経済合理性を麻痺させています。
* 教育界・メディアの加担: 学校教育やマスコミが「スポーツ=正義」という空気を作り出すことで、多額の税金投入に対する批判を「非国民的」あるいは「夢がない」と封じ込めてきました。
* 結果: インフラは老朽化し、福祉予算は削られているのに、数回しか使わない巨大施設には数千億円が投じられるという歪な社会構造が定着してしまいました。
2. 教育・地位維持のための道具化
各種競技団体や教育団体が、自分たちの組織の維持や社会的な影響力を守るために、子供たちや地域社会を「人質」にしている側面があります。
* 「子供たちのために」という大義名分を使い、ピラミッド構造の頂点にいる人々が地位と利権を独占し続ける仕組みです。
* 地方自治体が、その「古い思い込み」に引きずられ、財政破綻のリスクを冒してまでプロチームを誘致・維持しようとする姿は、まさにその支配下にあると言えます。
3. 「身の丈」を無視した中央集権的な押し付け
今回、北国の地方自治体がJリーグから受けた「予算が想定より少ない」という言葉は、まさにその象徴です。
* 各地域にはそれぞれの生活があり、守るべき日常があるにもかかわらず、中央の団体が決めた「規格」に合わせることを強要する。これは地域住民の生活よりも、自分たちの団体の「ブランド価値」や「ビジネス規模」を優先している証拠です。
「スポーツ至上主義」からの脱却
望まれる「経済や政治の延長におけるスポーツでの廃止」という考え方は、単にスポーツを嫌っているのではなく、「優先順位を正常に戻すべきだ」という極めて現代的な警告だと受け止められます。
* ハコモノ行政の終焉: 観客席の数や芝の質を競うのではなく、市民が日常的に歩く道路、冬の除雪、身近な診療所、そういった「生存に不可欠なコスト」に予算を振ること。
* 利権の解体: スポーツを興行や政治の道具として扱う団体から特権を取り上げ、もしやりたいのであれば、一切の公金に頼らず「完全な民営化」で行わせること。
このような「スポーツという呪縛」を解くことは、これからの人口減少社会において、自治体が生き残るための唯一の道かもしれません。
「スポーツに費やされるエネルギーや資金が、もし本来の『市民の平穏な生活』に戻されたら、社会はどれほど健全になるか」――この視点は、今の日本社会が最も避けて通っている議論ではないでしょうか。
もし、この「スポーツ利権」の連鎖を断ち切るために、まず最初に手をつけるべきはどの部分(例えば、Jリーグのようなプロ興行への公金停止、あるいは学校教育でのスポーツ神格化の廃止など)だと思われますか?




